憎しみが火を吹く

 リュカは迷わず走り出した。

 そしてまず、ダグラに駆け寄る。

 有無を言わさず、その手を掴んで引っ張り上げた。


親父おやじさん、行きましょう!」

「し、しかし、ワシは……アガンテを、残しては」

伯父貴おじきは殺しても死ぬような人じゃないですよ。さあ、早く。ヨギが待ってます!」


 ヨギの名を口にしたら、はたとダグラの表情が変わった。

 その目にはまだ動揺と戸惑いが見て取れたが、それを抑え込む力もまた混在していた。それを頼りに、ダグラは弱々しく立ち上がる。

 リュカが大きく頷けば、背中からも頼もしい声が響く。

 ナーダはミサネを抱えて下がりつつ、リュカを励ましてくれた。

 顔を上気させた彼女が、真っ直ぐ見えない目で視線を注いでくれていた。


「リュカ、行ってください! アガンテおじ様の象精アーズは確か、水……私も同じなので、援護の相性がいいはずです」

「ナーダ……わかった、頼むよ!」

「ダグラおじ様! しっかりなさってください! ヨギを、よろしくお願いします!」


 上ずる声で、ダグラは「あ、ああ」と返事をした。

 それだけでもう、リュカには先程より何倍もマシだと思った。希望が持てるのだ。自業自得だとしても、目の前で息子が大惨事を引き起こしてしまったことは辛いだろう。

 でも、きっと大人は自分の過ちに向き合うのが臆病になってしまうのだ。

 それでも、認めたからには走り出せる。

 今、よたよたとダグラは一緒に駆けてくれているのだ。

 飛翔竜レイ・ヴァンへ向かえば、剣戟の音にアシュラムの声が入り交じる。


「むぅ! 逃がすか、ダグラ! 白邪はくじゃの分際で、我ら人間に取り入ろうと――ック!? アガンテ、貴様っ!」

「ふう、ふう! 息が切れるわい! 最近はずっと鳥走竜ケッツァの上だったからな! さて、アシュラム! ここは一歩も通さぬ!」


 アシュラムの憎しみを、アガンテの気迫が上回った。

 リュカは、改めて伯父の頼もしさに畏敬の念を感じた。

 アガンテは水晶の剣でよたよたと立ち回りながらも、決して退くことなく不退転の決意を見せつけてくれる。片手で刃を振るいつつ、もう片方の手に水の象精を集めていた。

 アガンテが象術を使う局面を、リュカは初めて目にする。

 彼は族長であり指揮官、将の立場なのだから。


「さあ! さあさあ、さぁ! もう少しだけお付き合い願おうか、アシュラム!」

「死兵が……あがいてくれる!」

「ふっ、死なぬさ。できの悪いおいばかり気になって、死んでなどおれんよ!」


 激しく切り結ぶ中で、不意にアガンテが左手を突き出す。

 そこに凝縮された水の象精が、対となる氷の力を爆発させた。溢れ出た飛沫しぶきが飛び散って、そのまま氷のつぶてとなってぶちまけられる。

 点ではなく、面での包囲攻撃。しかも密着に近い距離でだ。

 流石さすがにアシュラムは、地を蹴り全力で後退するしかない。

 それは、リュカたちが飛翔竜へ走るための十分な隙を生み出していた。


「今だ、親父さん! 伯父貴が戦ってくれてるうちに!」

「あ、ああ! ……む、いかんっ! あれは!」


 突然、リュカはダグラに突き飛ばされた。

 それは、視界の隅でアシュラムが奇妙な道具を取り出すのと同時だった。彼が腰から抜き放ったのは、短い杖タクトのようなものだ。への字に湾曲して、後部がどうやら持ち手になっているらしい。

 それが武器だとわかった時には、いかずちのような音が鳴り響いてた。

 そして、微かに焦げ臭い空気が静寂に横たわる。


「う、あ、ああ……」

「親父さん! しっかりしてください、ダグラの親父さん!」

「ぶ、無事、かね……リュカ。た、頼む、ヨギを……」


 なにが起こったのか、リュカには理解できなかった。

 勿論もちろん、こちらを振り返るアガンテも、ミサネやナーダも同じだろう。

 アシュラムが向けてきたあれは、武器だったのだ。しかも、飛び道具である。だが、原理もわからないし、そもそも初めて見るものだ。

 つるがないので、いしゆみたぐいではないと思う。

 それに、ダグラには矢など刺さってはいない。

 それでも、彼の胸に傷が穿うがたれ、そこからドス黒い血が流れ出していた。

 自分でまさぐり、どろりと濡れた手を見てダグラが咳き込む。


「ゴフッ! フ、ツァ……はあ、はあ……これは、銃というものだ」

「ジュウ? それは」

「火薬というのが、あってだね……ふ、ふふ……」

「いけない、もう喋らないでください!」


 一目で見て、致命傷だとわかった。

 もう、ダグラは助からない。

 戦場に出て、リュカだって無数の死を見てきた。そのどれもが、無惨で虚しいものばかりだった。だが、今は抱えて起こそうとする腕の中に、はっきりと冷たくなってゆくダグラの死が感じられた。

 ともすれば、激情にかられて叫びだしそうになる。

 だが、微かな自制心を総動員して、リュカはアガンテと眼差まなざしを重ねた。

 互いに目線で頷き、そっとダグラから離れて立ち上がる。

 その時にはもう、例の銃とやらをアシュラムは二つ折りにして、何かを詰め替え元に戻していた。


「運がなかったな、ダグラ。愚かな白邪らしく一族を裏切り、利用されているとも知らず」


 アシュラムの表情は、どこか怯えたような笑いが引きつっていた。

 彼にとって、魔族は誰もが邪悪な存在、悪しき白邪というバケモノでしかない。だったら、バケモノらしく思い知らせてやろうかとも思うが、残念ながらリュカにその力はない。

 それに、今はヨギとこの村を助け出す方が先立った。


「伯父貴! 今の銃とかってやつ、見えない矢を打ち出す武器だ!」

「ワシにも見えんかったぞ……歳は取りたくないと思ったが、そういうことか」

「多分、直線的な飛び道具だと思うから」

「なに、距離を殺せばワシの間合いよ!」


 アガンテは静かにたけり、怒りと憤りに燃えていた。

 その時にはもう、ダグラの瞳は光を失っている。

 こうもあっけなく命が奪われる……そういうことの繰り返しと積み重ねを、二つの種族は何百年も続けてきたのだ。先代の光の御子みこが呆れてしまって、それで両種族の和平派を連れ出すくらいに。


「そうか……それで教会は、光の御子を救世主としながら、森で閉ざされた北の土地を禁忌きんきにしたんだ。その先にあるのは、共存と平和だから」


 リュカの言葉に、アシュラムは表情を失った。

 図星、それが真実なのだろう。

 だが、彼はすぐに普段の余裕と笑みを取り戻した。


「白邪との和平など、ありえんっ! 此度こたびの御子には今度こそ! 人間の希望になってもらうのだ!」


 リュカは走った。

 同時に、アガンテが銃の射線からリュカを守ってくれる。

 まるで本当の親子のように、息ぴったりだった。

 そうであってよかったのだと、リュカが思い知らされる程に、だ。

 阿吽あうんの呼吸で守られながら、リュカは飛翔竜まで走って飛び乗る。手綱たづなを握れば、少年を振り返る竜の瞳が瞬きを繰り返した。


「借りますよ、伯父貴! さあ、飛んでくれ……今は嫌でも、僕を乗せて飛ぶんだ!」


 またがり両足で蹴ると、不満そうに喉を鳴らしつつ飛翔竜は翼を広げる。

 すかさずアシュラムが銃を向けてくる、その脇へとアガンテが体を浴びせた。コロコロ太った身体での体当たりで、二人はもみ合うように倒れ込む。

 そこに、えて羽撃はばたく飛翔竜からの風圧が浴びせられた。

 リュカは最後に、ナーダとミサネの無事を確認し、手綱を強く握る。

 要領は鳥走竜と同じらしく、あっという間に木々の中を飛翔竜は上昇した。


「くっ……伯父貴、ナーダ、ミサネ……死なないでくれよ」


 枝と葉とが繰り返し何度も、むき出しのリュカを打つ。まるで鞭打むちうちの連打だ。目をつぶって僅か数秒、空へと駆け上がる中でリュカは少しだけ泣いた。

 そして、悠々と飛翔竜は蒼天へ舞い上がった。

 眼の前の景色が開かれて、改めてリュカは絶句する。


「な、なんてことだ……ヨギ、お前の象精がやったのか? これは」


 見渡す限りに森が広がっている。

 その中央、恐らくヨギが立っていた場所に威容がそびえていた。

 それは、巨木……この世界で一番巨大と思える大樹だ。

 大陸そのものを覆わん勢いで、今も僅かにゆっくりと広がっている。そして、獰猛な成長を見せる枝葉の中に、燃える炎と悲鳴とが埋もれていた。

 船体を幾重にも貫かれた、それは人間たちが乗ってきた空中戦艦だ。

 そして、リュカは魔族特有の視力でその中に一人の少女を見た。


「あれは……マヨルッ! どうしてそんなところに! クッ、今助ける!」


 飛翔竜は、不慣れなリュカに手加減するようにゆっくり翼をひるがえした。

 近付くにつれ、炎上する船体に大勢の人間たちが逃げ惑っているのが見える。ロープが無数に降ろされ、我先にと誰もが地表を目指しているようだった。

 そして、そこに世界の縮図があった。

 はっきりとリュカは、見てしまった。

 ダグラに言われて、人間たちに金で雇われた魔族がいた。彼らもまた、生き残るべく地面に下りる術を求めている。

 当然のように奪い合い、争い合ってもめていた。

 その怒号が、ここまで伝わってくる。


「人間が先だ! 白邪め、お前たちはついてくるんじゃない!」

「ロープが切れちまう! そんなにいっぺんに掴むな!」

「野郎っ、俺たちを置いてく気か! 俺たちの象精は火だ……丸焦げになりたいか!」


 阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図だった。

 そしてそんな中で、一人の少女が両者に割って入り、説得を続けている。

 それはよく見ればやはり、光の御子マヨルに間違いないのだった。

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