一族で、一人で、そしてひとつで

 リュカは正直にいって、驚いた。

 同時に、当然のことのようにも思う。

 伯父おじのアガンテは、ワコ族の族長なのだ。そして、この騒ぎの元凶であるリュカにとっては、保護者でもある。そして、とても厳しい人物だ。

 いくさとなれば、誰よりも先頭に立つ。

 責任者として時には黙って見守り、時には最後まで面倒を見る。

 リュカは煙たがられてる自覚があったが、氏族の長としては尊敬していた。

 そのアガンテが、ゆっくりとダグラに近付いた。


「久々だな、ギナ族の。達者であったか? ……そうでもないようだな」

「ああ、ワコ族の……アガンテ、か。久しいな」

「まあ、水でも飲め。酷い顔をしておるぞ、おぬし

「す、すまない。ワシは」

「よせよせ、こっちも手負いで辛い。湿っぽい話は傷にさわる」


 どうやら二人は、顔見知りのようだ。

 リュカにはどこか、アガンテとダグラの間で空気が弛緩したように見えた。呆然自失だったダグラが、革袋を受け取り水を飲む。

 それを見てると、横からナーダに肘で突かれた。


「ねえ、アガンテおじ様ってダグラおじ様の知り合いだったのかしら」

「さあね。意外と僕やナーダ、ヤリクにヨギ、ミサネみたいな悪ガキ仲間だったのかも」

「あら、私は悪ガキのつもりはないですけど。……やだ、そういうふうに見えてるんですか?」

「僕らといつも一緒だからね、ナーダは」


 ナーダは微妙に顔をしかめて頬を膨らませた。

 むくれられても、リュカが言ってるわけでもないし、誰も吹聴していない。どうしても、はみ出し者の愚連隊みたいに思われてる節はあるし、しかたないのだ。

 やはり、それを氏族の中での疎外感に感じるヨギのような少年もいる。

 ミサネみたいに、一人で思い詰めてしまう娘だっているのだ。

 ひょとしたら、伯父貴おじきも……? そう思うと、ついついリュカは耳をそばだててしまう。


「なあ、ダグラ」

「なんだね、アガンテ。ワシはもう」

「ヨギを救ってやらねばならん。それは我々も手伝うが、お前こそが一番に立たねばいかん。わかるな?」

「ワシは……戦場に立ったこともないし、誰も助けてもくれんのだ」

「それでも、例え一人でもやらねばならんさ。フン、それにな」


 無造作に手を伸ばして、アガンテはへたりこむダグラの襟首を掴んだ。そのまま吊るすように持ち上げ、強引に立たせる。

 とても怪我人とは思えない胆力だった。

 だが、息は荒く苦しそうで、やはり戦での傷が癒えていないのだ。

 そのことを口にはしても、配慮を促したりしないのがアガンテという男だった。


「よく聞け、ダグラ。金では誰も救えんし、ヨギも助からん。金は、対等な相手同士の中でしか通用せんのだ」

「それは、そう、だが。しかし」

「立て、自分で立てぃ! 金ではなく、お前が、お前自身がヨギを救うのだ! それと!」


 アガンテは両手をダグラの肩に置く。

 虫の声も鳥のさえずりも、静まり返ったように消えていた。

 自然とリュカも、手に汗を握る自分に気付く。


「それとな、ダグラ。一人でもやらねばならんが、お主は一人ではない。一人になどさせぬし、十二氏族は皆……一人になってはならんのだ」

「……だ、だが、ワシは」

「お主を一人にした者たちも確かにいたし、金に目がくらめば孤立しよう。それを今、ヨギを助けて精算するのだ。よいな?」


 驚きに目を見張りながらも、ダグラは何度もコクコクと頷いた。

 それでアガンテも、苦しげな表情をくしゃくしゃにして笑う。

 リュカは、誤解していた。否、邪険に扱われることに理由や意味がほしかったのだ。だから、伯父から嫌われていると思ったし、その伯父を過小評価してしまった。

 今はそのことを忘れて侘びて、真っ直ぐにアガンテを見ることができた。

 だが、そんなリュカたちを嘲るような哄笑こうしょうが響く。


「フッ、フフ……フハハハ! 白邪はくじゃ風情が笑わせる!」


 暗い森に反響して、距離も方角もわからない。

 こちらを見て笑う声は、間違いなくアシュラムだった。

 そして、近付いてくる。

 まるで無数のアシュラムに見られているような、そんな声とは別に確かな気配があった。あまりにも強く、既に隠そうともしない殺気が接近していた。

 静かに主を待っていた飛翔竜レイ・ヴァンが、グイと首をもたげる。

 紅玉のような瞳の竜が、白銀の鎧を着た聖導騎士せいどうきしを睨んで吠えた。


「生きていたな、角ナシの少年。それに……確か、ワコ族のアガンテ殿! やはり裏で糸を引いていたか」


 ゆらりと、影が浮かび上がった。

 森の奥の暗がりから、澱んで濁ったなにかが持ち上がる。

 それは、間違いなくアシュラムだった。

 そして、リュカは彼が引きずる少女を見て絶叫する。


「あれは……ミサネッ!」


 アシュラムが、無造作にミサネの角を掴んでいる。そのままずるずると、血塗れの少女を引きずり回して来たのだ。

 ミサネほどの手練てだれが、まさかと目を疑った。

 同時に、リュカは石剣を抜刀しつつ答えを探す。

 そして、この周囲の異変がアシュラムに味方したのだと予想した。


「アシュラム、その手を放せ」

「ク、クククッ! こんな小娘を我らは、一角獣いっぽんづのなどと呼んで恐れていたのか。力も技も互角だったが、天は我に味方した!」

「……得物えものの違い、か」


 隣のナーダが、小首を傾げる。

 だが、怯えるダグラを庇うようにして、アガンテもまた剣を抜き放つ。一族のおさともなれば、一番の業物わざものを腰に帯びていた。リュカのような石剣ではなく、水晶より削り出された逸品である。

 多勢に無勢という現状を知っても、アシュラムは全く動じなかった。

 そして、乱暴に腕一本でミサネを放り投げた。

 まるで、糸の切れた操り人形だった。

 壮健で頑強な少女が、無惨にも宙を舞う。

 慌ててリュカは走って両手を広げた。


「ミサネッ! しっかりしろ!」


 どうにか受け止め、支えきれずに倒れ込む。

 まだ生きているが、もう生きているのがやっとの様子だった。

 呻くような声は、涙に濡れて掠れていた。


「リュカ……あたし、は……もう、役に……立てないんだ、ぞ」

「役に立つかどうかなんて関係ない! ナーダ、すぐに手当を!」


 水の象術には、傷を癒やすこともできる。もっとも、おまじない程度というか、傷を洗って伝染病を予防する程度のものだ。本来なら、山ほどの薬と時間が必要である。

 あちこち切り刻まれて、自慢の戦斧バルディッシュも失われていた。

 リュカは、初めてミサネが泣くところを見たかもしれない。

 その怒りは勿論、アガンテをも熱くさせた。


「……アシュラム殿。命を拾いましたな。こんな密林の中でなければ、その首は我々のものだったでしょうに」

「神の加護とでも言うのだろうなあ……こうも地形が複雑になっては、小長物ポールウェポンでは戦えぬ」

「人間の武人は、命を賭して戦った者を侮辱するのか。それが、お前たちの言う神の教えかっ!」

「神を持たぬ白邪に、その慈悲は不要! さて……すぐに御子みこを探さねば」


 ナーダにミサネを任せて、リュカは一歩踏み出た。

 自分でも震えて竦むのがわかったが、石剣を構える。

 ミサネでも勝てなかったのだ、自分が敵う筈はない。一騎打ちではやはり、返り討ちにあってしまうだろう。

 だが、一人で戦う必要はない。

 一人になってはならぬと、アガンテも先程言ったのだ。


「伯父貴っ! 僕は……光の御子マヨルを、元の世界に帰したい! 帰してやりたい!」

「……ほう? えよるわい。それで、なんとする」

「もう、彼女を戦争に利用させない。そのためにも、この男を倒して、ヨギを助けてみんなで帰る! みんな家に帰れば、一度は戦は終わるんだ」


 しかし、帰るべき場所を奪われた者たちもいる。現に今、先代の御子が開いた村は消滅の危機にあった。その破滅は、リュカが連れてきてしまったのだ。

 それでも、帰る。

 失った者がいたら、共に帰るべき場所を探す。

 探してなければ、一緒に作り出すことだってできる。

 だから、改めて誓う。

 自分の中に怨嗟えんさを沈めて、アシュラムを殺さず無力化させる。その上で、一度人間たちには自分の社会に帰ってもらうのだ。そうすれば、次の戦までは少なくとも話し合いが持てると思いたかった。


「伯父貴! みんなを連れて――」

「断る。お前が行けい、リュカ。まったく……誰に似たかと思えば、兄上以外におるまいよ」

「お、伯父貴?」

「本当に、いけすかん奴だ! お前は! あの女にも似ておる! 人間の女! 兄上と添い遂げ、ワシにはこんなきかん坊を押し付けおってからに!」

「光栄ですね。照れもします」

「褒めとりゃせん! いいから行け、ワシの乗ってきた飛翔竜を使ってな」


 それだけ言って、アガンテは風になる。

 負傷を感じさせぬその踏み込みは、水晶の刃を薄闇にきらめかせた。

 アシュラムもまた、疲労を知らぬかのように迎え撃つ。

 アガンテは、肥満体が嘘のような俊敏さで切り結んだ。その意外な手応えに、アシュラムは興奮もあらわで頬を引きつらせている。それが笑っているのだと気付いて、リュカは戦慄に震えた。

 だが、今は伯父に心の中で感謝を呟き、自分のなすべきことのために走り出すのだった。

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