一族で、一人で、そしてひとつで
リュカは正直にいって、驚いた。
同時に、当然のことのようにも思う。
責任者として時には黙って見守り、時には最後まで面倒を見る。
リュカは煙たがられてる自覚があったが、氏族の長としては尊敬していた。
そのアガンテが、ゆっくりとダグラに近付いた。
「久々だな、ギナ族の。達者であったか? ……そうでもないようだな」
「ああ、ワコ族の……アガンテ、か。久しいな」
「まあ、水でも飲め。酷い顔をしておるぞ、お
「す、すまない。ワシは」
「よせよせ、こっちも手負いで辛い。湿っぽい話は傷に
どうやら二人は、顔見知りのようだ。
リュカにはどこか、アガンテとダグラの間で空気が弛緩したように見えた。呆然自失だったダグラが、革袋を受け取り水を飲む。
それを見てると、横からナーダに肘で突かれた。
「ねえ、アガンテおじ様ってダグラおじ様の知り合いだったのかしら」
「さあね。意外と僕やナーダ、ヤリクにヨギ、ミサネみたいな悪ガキ仲間だったのかも」
「あら、私は悪ガキのつもりはないですけど。……やだ、そういうふうに見えてるんですか?」
「僕らといつも一緒だからね、ナーダは」
ナーダは微妙に顔をしかめて頬を膨らませた。
むくれられても、リュカが言ってるわけでもないし、誰も吹聴していない。どうしても、はみ出し者の愚連隊みたいに思われてる節はあるし、しかたないのだ。
やはり、それを氏族の中での疎外感に感じるヨギのような少年もいる。
ミサネみたいに、一人で思い詰めてしまう娘だっているのだ。
ひょとしたら、
「なあ、ダグラ」
「なんだね、アガンテ。ワシはもう」
「ヨギを救ってやらねばならん。それは我々も手伝うが、お前こそが一番に立たねばいかん。わかるな?」
「ワシは……戦場に立ったこともないし、誰も助けてもくれんのだ」
「それでも、例え一人でもやらねばならんさ。フン、それにな」
無造作に手を伸ばして、アガンテはへたりこむダグラの襟首を掴んだ。そのまま吊るすように持ち上げ、強引に立たせる。
とても怪我人とは思えない胆力だった。
だが、息は荒く苦しそうで、やはり戦での傷が癒えていないのだ。
そのことを口にはしても、配慮を促したりしないのがアガンテという男だった。
「よく聞け、ダグラ。金では誰も救えんし、ヨギも助からん。金は、対等な相手同士の中でしか通用せんのだ」
「それは、そう、だが。しかし」
「立て、自分で立てぃ! 金ではなく、お前が、お前自身がヨギを救うのだ! それと!」
アガンテは両手をダグラの肩に置く。
虫の声も鳥のさえずりも、静まり返ったように消えていた。
自然とリュカも、手に汗を握る自分に気付く。
「それとな、ダグラ。一人でもやらねばならんが、お主は一人ではない。一人になどさせぬし、十二氏族は皆……一人になってはならんのだ」
「……だ、だが、ワシは」
「お主を一人にした者たちも確かにいたし、金に目がくらめば孤立しよう。それを今、ヨギを助けて精算するのだ。よいな?」
驚きに目を見張りながらも、ダグラは何度もコクコクと頷いた。
それでアガンテも、苦しげな表情をくしゃくしゃにして笑う。
リュカは、誤解していた。否、邪険に扱われることに理由や意味がほしかったのだ。だから、伯父から嫌われていると思ったし、その伯父を過小評価してしまった。
今はそのことを忘れて侘びて、真っ直ぐにアガンテを見ることができた。
だが、そんなリュカたちを嘲るような
「フッ、フフ……フハハハ!
暗い森に反響して、距離も方角もわからない。
こちらを見て笑う声は、間違いなくアシュラムだった。
そして、近付いてくる。
まるで無数のアシュラムに見られているような、そんな声とは別に確かな気配があった。あまりにも強く、既に隠そうともしない殺気が接近していた。
静かに主を待っていた
紅玉のような瞳の竜が、白銀の鎧を着た
「生きていたな、角ナシの少年。それに……確か、ワコ族のアガンテ殿! やはり裏で糸を引いていたか」
ゆらりと、影が浮かび上がった。
森の奥の暗がりから、澱んで濁ったなにかが持ち上がる。
それは、間違いなくアシュラムだった。
そして、リュカは彼が引きずる少女を見て絶叫する。
「あれは……ミサネッ!」
アシュラムが、無造作にミサネの角を掴んでいる。そのままずるずると、血塗れの少女を引きずり回して来たのだ。
ミサネほどの
同時に、リュカは石剣を抜刀しつつ答えを探す。
そして、この周囲の異変がアシュラムに味方したのだと予想した。
「アシュラム、その手を放せ」
「ク、クククッ! こんな小娘を我らは、
「……
隣のナーダが、小首を傾げる。
だが、怯えるダグラを庇うようにして、アガンテもまた剣を抜き放つ。一族の
多勢に無勢という現状を知っても、アシュラムは全く動じなかった。
そして、乱暴に腕一本でミサネを放り投げた。
まるで、糸の切れた操り人形だった。
壮健で頑強な少女が、無惨にも宙を舞う。
慌ててリュカは走って両手を広げた。
「ミサネッ! しっかりしろ!」
どうにか受け止め、支えきれずに倒れ込む。
まだ生きているが、もう生きているのがやっとの様子だった。
呻くような声は、涙に濡れて掠れていた。
「リュカ……あたし、は……もう、役に……立てないんだ、ぞ」
「役に立つかどうかなんて関係ない! ナーダ、すぐに手当を!」
水の象術には、傷を癒やすこともできる。もっとも、おまじない程度というか、傷を洗って伝染病を予防する程度のものだ。本来なら、山ほどの薬と時間が必要である。
あちこち切り刻まれて、自慢の
リュカは、初めてミサネが泣くところを見たかもしれない。
その怒りは勿論、アガンテをも熱くさせた。
「……アシュラム殿。命を拾いましたな。こんな密林の中でなければ、その首は我々のものだったでしょうに」
「神の加護とでも言うのだろうなあ……こうも地形が複雑になっては、
「人間の武人は、命を賭して戦った者を侮辱するのか。それが、お前たちの言う神の教えかっ!」
「神を持たぬ白邪に、その慈悲は不要! さて……すぐに
ナーダにミサネを任せて、リュカは一歩踏み出た。
自分でも震えて竦むのがわかったが、石剣を構える。
ミサネでも勝てなかったのだ、自分が敵う筈はない。一騎打ちではやはり、返り討ちにあってしまうだろう。
だが、一人で戦う必要はない。
一人になってはならぬと、アガンテも先程言ったのだ。
「伯父貴っ! 僕は……光の御子マヨルを、元の世界に帰したい! 帰してやりたい!」
「……ほう?
「もう、彼女を戦争に利用させない。そのためにも、この男を倒して、ヨギを助けてみんなで帰る! みんな家に帰れば、一度は戦は終わるんだ」
しかし、帰るべき場所を奪われた者たちもいる。現に今、先代の御子が開いた村は消滅の危機にあった。その破滅は、リュカが連れてきてしまったのだ。
それでも、帰る。
失った者がいたら、共に帰るべき場所を探す。
探してなければ、一緒に作り出すことだってできる。
だから、改めて誓う。
自分の中に
「伯父貴! みんなを連れて――」
「断る。お前が行けい、リュカ。まったく……誰に似たかと思えば、兄上以外におるまいよ」
「お、伯父貴?」
「本当に、いけすかん奴だ! お前は! あの女にも似ておる! 人間の女! 兄上と添い遂げ、ワシにはこんなきかん坊を押し付けおってからに!」
「光栄ですね。照れもします」
「褒めとりゃせん! いいから行け、ワシの乗ってきた飛翔竜を使ってな」
それだけ言って、アガンテは風になる。
負傷を感じさせぬその踏み込みは、水晶の刃を薄闇に
アシュラムもまた、疲労を知らぬかのように迎え撃つ。
アガンテは、肥満体が嘘のような俊敏さで切り結んだ。その意外な手応えに、アシュラムは興奮もあらわで頬を引きつらせている。それが笑っているのだと気付いて、リュカは戦慄に震えた。
だが、今は伯父に心の中で感謝を呟き、自分のなすべきことのために走り出すのだった。
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