6.見よ、勇者は――

全てが原始に還る中で

 人間たちの目論見もくろみ瓦解がかいした。

 同時に、平和な楽園だった村も消え去りつつある。

 全てを飲み込む、憎悪ぞうおの森。あっという間にそれは広がり、すでに周囲は闇夜のようだ。そんな中で、リュカはナーダに歩調を合わせて走った。

 ナーダは目が見えなくても、冷静なら見る以上に感じて知れる。

 隆起や陥没が入り乱れる揺れた地面を、二人はダグラを引きずるようにして走った。


「ン、揺れが止まった? ナーダ、ちょっと止まって」

「ええ! ……ダグラおじ様、大丈夫かしら。とりあえず」

「そこの木の陰にでも座らせてあげてよ。今は少し、アレコレ言うのは酷だろうから」


 ようやく天変地異が収まった。

 するともう、周囲に文明の気配は微塵も感じられなくなっている。

 今までここには、人間と魔族の営みがあり、二つの種族が暮らす生活があった。決して豊かではなかったろうけど、数百年もの平和があったのだ。

 それが、一瞬で奪われた。

 そして、永遠に失われてしまうかもしれない。


「とりあえず、ナーダ。君たちのことを教えてくれ。よく無事で」

「リュカが滝壺に落ちてからすぐ、マヨルさんをさらった男を見失ったわ」

「よく森を抜けられたね。あそこは禁地だけに、強い象精アーズの力で生み出された場所らしい」

「今のここと一緒ね。ホント、大変だったわ。風も水も、あまり通ってくれなくて。でも、ヨギだけが土の象術で足跡を拾ってくれたの」


 そのヨギは今、絶望の中で象精を暴走させてしまった。

 かつてこの村の先祖たちがやったように、象術を暴走させて呪いの森を顕現けんげんさせたのである。村を守っていた力は、村そのものを飲み込んでしまった。

 そして、息子にそうさせてしまった男がうつろな目で天を仰ぐ。


「ああ、ヨギ……どうしてこんなことに。リュカ、どうして止めてくれなかったんだ」

「親父さん、悪いけどそれはあなたの役目だった」

「友達じゃないのかね。ヨギの友達じゃ」

「ええ、友人です。あなたのいう、悪い友人ですよ。だからです」


 リュカは勿論もちろんこの事態を予期していなかったし、想定もしていなかった。

 ただ、ヨギに好きにさせてやりたかった。

 今まで溜めに溜めてきた感情を爆発させたのだ。

 だったら、枯れてしまうまで出し切るのがいいと思った。それで手が出て殴るならそれも必要かもしれないし、暴力には否定的なリュカでも感じ入るところがあった。

 結果、とんでもない大災害に村を巻き込んでしまった。

 それに、今はそのことを言い争っても意味がない。


「リュカ、とりあえずおじ様を少し休ませてあげて。それと」

「ああ、わかってる。それと?」

「正論ばかりじゃ、今はなにも進展しないわ。正しいことより、適したことをしなきゃ」


 ナーダの言う通りだ。

 それに、まだ戦いは終わった訳じゃない。

 あっという間に伸びた木々が、人間たちの飛行戦艦を飲み込んだ。文字通り、穿うがち貫いてしまったのだ。多くの命が奪われたと思う。

 リュカも複雑な心境だ。

 恐らく、自分と同じ火の象精を持つ魔族が集められたはずだ。

 あれだけの質量を宙に浮かべるには、象術が最も効率がいい。

 火の力はどこの氏族でも、どこか居心地の悪い日々を余儀なくされる。ミサネのような象精のない者ほどではないが、日陰者なのだ。

 それが、ダグラによって居場所を得た。


「適したことね、今に適した……適したこと。うん、そうしよう」


 とりあえずリュカは、周囲を見渡し石剣せきけんさやに収めた。

 残念だが、ヤリクやトリム、マヨルとははぐれてしまったようである。

 ミサネもまた、アシュラムともども姿が見えなくなっていた。


「参ったな……村の人たちも散り散りになってしまったか。さて、どうする?」


 村自体は大規模な集落ではない。

 ただ、周囲を深い森に囲まれていた。二つの種族が暮らす楽園を守るため、外界からの来訪者を拒む樹海である。

 それが今、ヨギの暴走させた象術で融合してしまった。

 もう、どこが村だった場所かもわからない。

 そして、魔族特有の鋭敏な感覚も、ここでは少し影を潜めてしまう。


「ヤリクと離れ離れになったのは痛かったな。御曹司おんぞうしは狩人だ、土地勘がなくても絶対の方向感覚がある」

「それも、この森だと難しいですね……ね、ねえ、リュカ。その、ヤリクのことなのだけど」


 不意に、珍しくナーダが口ごもった。

 妙だなと思ったが、こんな状況だ。話していたほうが気が紛れるし、リュカは黙って耳を傾ける。すると、ナーダは意外なことを問いただしてきた。


「ヤリクは、その、なんて言ってるのかしら。わ、私のことは」

「……は?」

「つ、つまりね! こう、迷惑してるのです! 俺に惚れてるんだー、とか言うんでしょう? 私のこと」

「ああ、そういうことも言ってたね。そうなの?」

「聞かれても困ります! リュカ、あなたねえ。……ま、いいわ。それで?」

「どうって、悪くは言わないよ。あいつは、陰湿なこととは無縁な男さ」


 どういう風の吹き回しだろうか。

 盗み見たナーダの顔は、ほのかに紅潮こうちょうしていた。

 熱でもあるのだろうかという感じだが、ようやくリュカにもだんだん事情が飲み込めてくる。自分が鈍いという自覚はないが、ある方面に限ってのみ察しが悪いとよくヤリクにも言われていた。


「ヤリクは、ナーダのことは立派な奴だって言ってるよ。象術の腕も確かだし、鼻も耳もいい。いい女だってさ」

「そ、そう。なら、いいのだけど……あのバカ、そういうことは直接言ってくれればいいのに」

「ナーダは? ヤリクのこと、どう思うんだい?」

「ほへ? 私? そ、そりゃ、頼れる仲間だと思ってます。それに、そうね……好ましい……って、なに言わせるのよ。それより、早くこの場所を脱出しましょう」


 自分から切り出しておいて、勝手なものだと思った。

 だが、彼女はふと空を見上げる。巨木が乱立するこの場所では、切り取られたように狭い空が小さく見えるだけだった。

 ナーダは静かに耳を澄ましているようだ。

 やがて、驚いたように振り返る。


「リュカ、空よ! なにか飛んでくるっ!」

「人間の軍艦かい?」

「違うわ、翼……生き物の羽根音はねおとよ、これ」

「人間はそういう乗り物は使わないね。魔族でも珍しいけど……どれ、一か八かだ」


 リュカは咄嗟に、周囲を見渡し枯れ枝を拾った。

 できたばかりだというのに、既にこの森には千年の刻が降り積もったかのようだ。

 湿った土も、その中を行き来する虫たちも年月を感じさせる。

 そんな中で、躊躇ちゅうちょなくリュカは火の力を解放した。

 象術の出力を絞って、握った枝の先へと火を灯す。


「思ったより煙が出ないな」

「少し濡らしてみるといいかも」

「だね」


 小さな松明たいまつに、今度はナーダが手をかざす。直接水をかけては、消えてしまう恐れがあった。だから、霧のように細やかな湿り気を生み出し、火の中をくぐらせてやる。先日やった、川の水を利用した煙幕と同じ原理だ。

 やがて、リュカも火力を少し強めてやって、もうもうと煙があがる。

 これで上の誰かが気付いてくれれば、チャンスが巡ってくるかもしれない。


「いい感じですね、リュカ! 上の方で旋回する音! ああもうっ、こういう時はヤリクの出番だってのに」


 どうやら、狼煙のろしをあげてみた甲斐があったようだ。

 リュカの耳にも、なにか大きな動物が飛んでる音が聴こえてきた。その羽撃きはやがて、低く唸る鳴き声と共に降りてくる。

 周囲の木々をもろともせず、それは近くに舞い降りた。


飛翔竜レイ・ヴァンだ……珍しいな、族長クラスでもめったに使わないって聞いてるけど」

「見て、降りてくる。凄いわね、私は飛翔竜なんて始めてみたわ」


 そこには、大きな翼を畳んで伏した飛翔竜がいた。

 リュカたちが日頃から乗っている、鳥走竜ケッツァとはサイズがまるで違う。同じ竜でも、飛翔竜は硬い甲殻と鱗を持ち、前腕は雄々しい翼になっていた。

 その飛翔竜の背から、小太りな影が降りてくる。

 氏族の族長を示す戦衣に、思わずリュカは走り出した。


伯父貴おじき! どうしてここに!」


 そう、伯父のアガンテだ。

 彼は戦争の傷がまだ癒えていないのか、苦しそうに汗を拭って顔をあげる。

 そこには、相変わらず不機嫌そうな表情が懐かしく見えた。


「お前だったか、リュカ。まったく、手間を取らせてくれるわ!」

「す、すみません」

「ん? いやに素直だな。また悪巧みをしておるのではないか?」

「いえ、この状況では無理ですね。それで、伯父貴はどうして」

「フン! お前が御子みこ様をさらったとあっては、一族の長として寝てもいられんわ」

「ですよね。その件でしたか」


 アガンテはリュカたちワコ族の長だ。

 兄の息子であるリュカが、人間との混血児であっても面倒を見てくれている。勿論、好かれていないのは知っていたが、それでも家族と言える人間は第一にアガンテだとリュカは思っていた。

 突然の再会だったので、少し面食らったが、嬉しかった。


「でも、伯父貴。隠れ家を貸してくれたのは、あれは伯父貴がミサネに言ってくれたんでしょう?」

「あの娘も、ほっとくと一人でいくさを始めそうになっておったからな。それに」

「それに?」

「例の御子様は、我々魔族と人間の力関係を大きく変える可能性を秘めておる。それはわかるな? リュカ。わかっているのなら、お前の考えを話しなさい」


 リュカは、最初にアガンテを疑った自分を恥じた。

 人間に通じていたのは、ヨギの父親ダグラだった。それをリュカは、アガンテが裏切っているのではと考えたのである。

 そのアガンテは、水の入った革袋を取り出し、腑抜ふぬけたダグラに歩み寄る。

 その小さな背が、今日は何故かとても大きく見えるのだった。

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