激発する嘆き

 悲痛な叫びは、嗚咽おえつ混じり。

 輪郭の歪んだ言葉が、力いっぱい叩きつけられた。

 リュカが振り向くと……小さな肩を震わせる友人の姿があった。

 ヨギは、泣いていた。

 その悲しみを覆って飲み込む怒りが爆発していたのだ。


「父さんは、なにをやってるんだよ! なんでいつも、いつもいつも、お金のことばかりっ!」


 その声が尖って刺さる。

 ただの空気の震えが、一人の大人を後ずさらせた。

 ミサネとアシュラムが奏でる剣戟けんげきの音さえ、遠くに離れたように感じられる。

 それほどまでに、ヨギの言葉は真っ直ぐ強く突き立った。

 ダグラの弱々しい声は、かわいそうなくらいに震えていた。


「ヨ、ヨギ……無事だったのか。そうか、そうか。ワシはお前のために」

「嘘だっ! いつだって父さんは、僕のことなんか見てなかった! お金しか見えてなかった!」

「お前が! ヨギが! ワシの財産を継ぐのだ……全てお前の物、お前のためなんだよ」

「そんなものっ、いらない! 頼んでないし、欲しくないっ!」


 家族の問題だったが、リュカやヤリクにも関係はある。

 だから、ヤリクが間に入ろうとした、その肩をそっとリュカは掴んだ。

 魔族は皆、十二の氏族からなる巨大な家族とも言えた。今は幾つかの氏族は滅んだし、対立関係にある氏族同士だってある。土地や水源、嫁や跡継ぎ……いさかいの種は枚挙にいとまがなかった。それでも、人間から仲間を守るためには皆で一致団結してきたのだ。

 その中で、ダグラは経済に心血を注いできた。

 それを誰より知るのが、息子のヨギなのだ。


「よぉ、なんか……とりあえず、他の人間たちから片付けるけど、いいよな?」


 トリムだけが、冷静に事態を把握していた。

 彼の言う通りで、巨大な空飛ぶ軍艦で攻めてきた割には、人間たちは勢いを失っている。協力者である魔族のダグラ、そして指揮官であるアシュラムが必死だからだ。

 そう、必死……持てる精一杯を発揮せざるを得なくなっている。

 そのことで判断する者がいないのに、兵士たちは選択を迫られていた。

 このまま戦うか、指示を待つか。それとも、逃げるのか。

 そんな中で、ヨギのいきどおりだけが言葉を強めていく。


「父さんなんか、父さんなんかっ! 僕のこと、なんにも知らないくせに! お金のことしか知ろうとしないくせにっ!」

「おお、ヨギ……よしておくれ、ワシはお前のためにも」

「頼んでないって言っただろ! 父さんのことで、僕はいつも手酷く扱われた! いやしい家の子だって! 僕だって、父さんを軽蔑してる! だから、否定できなくて!」


 その時だった。

 不意に異変が起こった。

 最初に察知したのは、マヨルだ。

 彼女はまだ、ダグラに手を握られていた。というよりもう、手首を鷲掴みにされて拘束されていた。そんなマヨルの声が、リュカに緊張感を取り戻させる。


「……なに、これ。えっ、わかる……感じる。駄目、ヨギ君……そっち、行っちゃ駄目っ!」


 要領を得ない抽象的な言葉だった。

 だが、すぐにリュカも感じた。

 ヨギの周囲で、地鳴りが割れ響く。そう、彼の立つ場所だけが揺れていた。そして、その地響きはどんどん大きくなってゆく。

 激震。

 咄嗟とっさに叫んだのはトリムだった。


「なっ……おい、お前ッ! よせ、もっとしっかり考えて話せ! クソッ、リュカ! とりあえず一旦離れるぞ!」

「駄目だ、マヨルとヨギを置いては退けない! いったいなにが」

「こいつ、やべえぞ……この象精アーズは、土か! 感情の爆発で象精が暴走しかけてんだよ!」

「暴走だって!?」

「前に長老から聞いたことがある! 外界からこの村を閉ざすために、大昔にみんなで象精を暴走させたってな!」

「それが、あの禁忌きんきの森の正体か!」


 にわかには信じられない話だった。

 だが、今はその真相を確かめる時間が惜しい。

 それに、ヨギの身になにかが起こっていることだけは確かだった。

 だからこそ、周囲の人間たちが混乱に陥り逃げ惑う中……リュカはその流れに逆らった。

 兵士や騎士をかき分け、咽び泣くヨギへと駆け寄ろうとする。


「ヨギ! 落ち着け、僕はずっと側にいる! まずは気を静めて――!?」


 その時、大地が張り裂けた。

 何かが天へと伸びて、その影がリュカを覆う。

 太く大きく、どこまでも長く伸びてゆく異形。

 それは、木の芽だ。

 まるでヨギを囲むおりのように、無数の樹木が生えていた。それは急激に育ちながら、まるで天を覆うように広がってゆく。

 あっという間に大樹の群生と化したヨギは、その奥へと飲み込まれていった。

 それどころか、この村の全てが急成長する緑に飲み込まれてゆく。


「ヨギッ! くっ、待ってろ!」


 リュカは慌てて石剣を振るう。

 力を込めた斬撃で、二度三度と樹木を打ち倒して進んだ。

 だが、リュカが攻め込むよりも速く、森が広がってゆく。

 そう、森だ……あの祈りと願いが呪詛じゅそとなった、禁忌の森が出現しつつあった。

 やがて、見るも巨大な大樹に石剣が食い込み、抜けなくなる。

 それでも力任せに発奮すれば、あっという間に体力が溶けていった。

 そして、虚しく石剣だけがなにも斬ることなくずるりと樹木から抜ける。


「どういうことだ、なんだってこんな。ヨギ! 聴こえたら返事をしてくれ! ヨギッ!」


 既にもう、頭上の青空は失われていた。

 光を遮る枝葉は、まるで闇の手だ。

 それらは互いに結び合って、あっという間に昼間の宵闇を作り出す。

 それでもリュカは、無我夢中で石剣を振るった。

 眼の前にはもう、ヨギの姿は見えない。

 繰り出される切っ先は、ただただ小さな傷の代償として弾き返された。


「こんなことって! ヨギッ、待ってろ! 今、助けてやる!」

「リュカッ! 危険です、まずは一度退きましょう! さあ、こっちに!」

「ナーダ? 君も無事だったか! 手伝ってくれ、ヨギを助けるんだ」

「私の象術しょうじゅつでは、この暴走は止められません! それより!」


 鳥走竜ケッツァに乗って現れたのは、ナーダだ。

 彼女はそのまま減速せずに飛び降りると、張り出した根で隆起した地面を転がる。もう、豊かな土地だった村の面影おもかげはどこにもない。

 ナーダは何度もバウンドしながら、痛みに耐えて立ち上がった。

 そして、指差しありったけの気持ちを早口にまくし立てる。


「リュカ! なんですか、先走って! あなた、私たちとちゃんと連携して、協力しないと駄目でしょう! マヨルがさらわれたからって、熱くなりすぎです!」

「それは、その、うん。ごめん、ナーダ。でも」

「でも、じゃないです! もぉ、めーっ! です!」


 ナーダはこの非常時に、手を振りかぶった。

 そして、平手打ちの乾いた音が響く。

 彼女はああ見えて、芯が強くて頑固な一面がある。

 それを再認識させられたリュカは、ナーダに駆け寄った。


「ごめん、ナーダ。僕はこっちだ。今殴った人は」

「えっ? あ、あら? まあまあ……どういうこと? それに、殴ったって」

「平手でったろ? その人、ヨギの親父さんだ」

「えっ、ダグラおじ様!? どうしてこんな場所に? っていうか、私ったら」


 ナーダは興奮状態に陥ると、嗅覚と聴覚が鈍る。それで、本当になにも見えない盲目の少女になってしまうのだ。慌てて彼女は、今しがたハッ倒した男性を立たせる。

 だが、もう既にダグラには自分で立って歩く気力も残ってはいなかった。そして、彼が手を握っていたマヨルもいつのまにか森の中で姿が見えない。

 それでもナーダは、気配で察するや肩を貸した。

 こういう時、ナーダは決して迷わないし相手を選ばないのだ。


「さ、リュカも! とにかく、今は一度退きましょう。ビリビリくるんです……私の水の象精が、なにかを訴えているんです。吸われる、飲み込まれる……なにかの天変地異みたいに騒ぐんです」


 悔しいが、今はそれしか手がなさそうだ。

 走り出して、一度だけリュカは振り返る。

 もう、ヨギの姿は見えない。

 彼のなげきを代弁する木々だけが、どんどん伸びて景色を豹変させていた。

 ついには、上空の飛行戦艦までも飲み込み、あっという間に枝と葉とが人間の文明を打ち砕いた。リュカは爆発を見たが、それは小さく一瞬で終わってしまった。

 暴走した象精は、それ自体が自然の怒りそのものだった。

 ナーダは見えていないからか、慌てていてもしっかりとしたものだった。


「おじ様、走って! いいから、ちゃんと自分で立って! リュカ、この人なんだか力が入らないみたい。なにがあったの?」

「……なにもかも、なくしてしまったんだ」

「お金がなくなっちゃったってことかしら?」

「いや……それよりずっと大事に、大切にしてたものがあったんだ。親父さんにはさ」


 リュカも手伝って、二人で左右から挟むように支える。

 そうして走れば、あっという間に背後の地形が変わっていった。

 かつて、マヨルの母が築いた楽土。人間も魔族も、争わずに暮らす楽園だった村だ。それが今、一人の少年の憎悪で押し潰されようとしていた。

 そして、リュカは悟った。

 この村でも数百年前、戦争を心の底から憎んだ者たちがいた。

 だから、人間と魔族がいがみ合う外界を森で隔絶したのである。


「ミサネにヤリク、それにマヨル! ヨギ! 無事ていてくれよ!」


 平和な光景が、暴力的な緑に飲み込まれた。

 家々も工房も竈門かまども、あっという間に原初の森へと塗り潰されてゆく。

 その中でリュカは、黙って逃げ惑うしかできないのだった。

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