ミサネ、吼える
信じられない人物がいる。
リュカにはそれが、どこか当然にも思えた。
そのことを悲しいと感じる、それだけが救いだった。
青白い肌に、白い髪。そして頭部には左右に広がる
そこには、アシュラムにへつらうような
「ワコ族のリュカ! もう、やめなさい。
それは、ヨギの父親ダグラだった。
ヨギと同様に、痩せた矮躯だが目元が険しい。そこには、どこか薄暗い情念が燃えていた。この人物が
だが、ここまでとは思わなかった。
トリムに説明を求められて、リュカは噛みしめるように言葉を選ぶ。
「あの男は、ダグラ。友人の父親だ。とても優秀な商人だよ」
「人間と仲がいい、っていう風だけど……金での繋がりか?」
「どうだろうね。さて、ダグラおじさん! どうしてこんなことを……ヨギが悲しみます!」
事実は事実としても、言い訳くらいしてほしかった。
もともとダグラは、商人として人間たちの土地に出入りしている。蓄財に熱心で、彼がもたらす様々な交易品は村々を潤してきた。
反面、魔族の中には彼を嫌う者が多い。
彼は氏族同士の連帯よりも、貨幣を得られるかどうかを重視するからだ。
「リュカ、お前にそそのかされてヨギは! 角ナシとは付き合うなと、あれほど」
「そういうあなたは、その男と……アシュラムと組んで、なにをしてるんです!」
「そ、それは……だがっ、いつまでもいがみあってては、人間も魔族も共倒れた! それに、はは……いいじゃないか。この村みたいに、ワシたちも人間との共存が大事だろう!」
そうとしか聴こえなかったし、彼の言う正当性がリュカには受け入れられない。
魔族と人間の共存、それ自体はいい。
戦いがなくなるし、互いに助け合えばより豊かになる。それはもう、この
しかし、目の前の男は金の力だけで人間に通じ、この虐殺を後押ししたのだ。
決して許せるものではない。
「リュカ君。もうやめたまえ……虎の子の飛行戦艦まで出して、ようやく禁地への森を越えたのだ。御子には速やかに戻っていただき、人間社会のために戦ってもらう」
「マヨルは渡さないっ! あいつは、ただ家に帰りたいだけだ!」
「戻れば我らの
「あんた、なんでそんなふうにしか考えられないんだっ!」
話によれば、教会とは人の暮らしを見守る組織で、博愛の精神を説いているらしい。それなのに、アシュラムから感じるのは強い敵意、そして殺気だ。
なにが彼をそうさせるのか。
そう、リュカは思った。
この男は、自分が抱えた暗い感情に突き動かされている。正義の
「あんた、なにがなんでも僕たちを滅ぼしたいのか。この大陸から、魔族を一人残らず消し去ろうっていうんだな!」
「すぐにとは言わない! だが、文明の発展を拒み、原始的な暮らしに固執する白邪は……勝手に衰退し、この大陸の過去となるだろう」
「僕たちは火も鉄もいらないっ! ただ静かに暮らしたいだけなんだ!」
もう、言葉は尽くしたとばかりにアシュラムが剣を抜く。
応じるようにリュカもまた、石剣を構えた。
だが、悲痛な叫びがその場の全てを振り返らせる。
リュカはそこに、光の御子の姿を見た。
「もう、やめて! アシュラムさん……わたし、帰ります。教会の言う通りにします。だから……もう、この場所に、お母さんが作ったこの村に酷いことしないで」
かすれた鳴き声が、木や布の燃える臭いに入り交じる。
黒煙が舞い上がる中で、ゆっくりとマヨルが歩いてきた。
すかさず動いたのは、ダグラだった。
「ここっ、これはこれは、光の御子様。ワシは、あ、いえ、私めは、お初にお目にかかりまする」
大人がここまで卑屈になれるものだろうか。
すぐ背後で、トリムが舌打ちする音が聴こえる。
ざっと事情を先程知っただけでも、軽蔑に値する行為なのだろう。それはリュカも同じで、ヨギを思えば
マヨルは決して、ダグラを見ようとはしなかった。
俯き黙って、手を取られても握り返さない。
そのまま彼女は、アシュラムの前に歩み出た。
「アシュラムさん、わたしを連れてってください。それでもう、終わりにして」
「いえ、御子様。ここからが始まりです。さあ、共に聖戦を戦い抜きましょう」
「……どうして? なにがそこまでさせるの? こっちのおじさんもそう。……わたしもう、難しいこと言わない。話し合いとか、相互理解とか言わないよ。ただ、お互いそれぞれの土地で暮らすだけじゃ駄目なの?」
マヨルの言う通りだ。
だが、それが難しいこと、今は無理なことをリュカはわかってしまう。
そして、ダグラが血相を変えて愛想笑いを浮かべた。
「御子様! 魔族の世界では、私のような弱い者は生きていけません! しかし、力がなくとも、ワシには知恵がある。人間たちの教会とだって、こうして密接な繋がりを」
「あなたも、そう。どうして、そんなに必死に戦いを後押しするの?」
「ワシは、息子にいい暮らしをさせてやりたい。氏族にも繁栄をもたらしたい。そうすれば、ワシを
静かにマヨルは、首を横に振った。
アシュラムが不意に剣を引き絞ったのは、そんな時だった。
オロオロと自分の立場に理解を求めていた、ダグラが突き飛ばされる。彼と体を入れ変えたアシュラムが、虚空を見もせず一閃した。
飛来したなにかが、空中で両断された。
それは、矢だ。
魔族が使う、石の
そして、懐かしい声が走ってくる。
「ヤリク、もっとよく狙うんだぞ! あたしなら当ててるぞ!」
「外れたんじゃない! 外したんだ! だってあいつ、ヨギの……お、おいっ、ヨギ!」
猛スピードでミサネが突っ込んでくる。
その向こうに、ヤリクとヨギがいた。
ヨギは、いつになく激した表情で駆けてくる。なんだか、泣いているような、
「む、貴様は……
「教会の聖導騎士! お前の相手はあたしだぞ!」
あっという間に、ミサネはアシュラムと切り結んだ。
怪我が心配だが、同時に安心でもある。リュカにとって、あのアシュラムと対等に戦える者など、ミサネ以外に考えられないからだ。
絶大なる信頼、そしてそれにいつも彼女は応えてくれる。
だが、アシュラムは剣を振りつつ余裕の笑みを浮かべていた。
「どうした、一角獣! それでも白邪の中の白邪、我ら人間が恐れた仇敵か!」
「うるさい! あたしたちは、白邪なんて名前じゃない!」
「例の術はどうした! 邪悪なまやかしの術を出してみろっ!」
「ぐ、ぬぬ……お前、死んだぞ。あたしをっ! 心底! 怒らせた!」
ミサネが一瞬、消えた。
彼女の輪郭が滲んでぼやけて、空気の中へ霧散する。
その時にはもう、アシュラムの死角にミサネは回り込んでいた。
あまりに俊敏な動きに、
まるでそう、影だ。
陽の光がある限り、人の身を決して離れずまとわりつく、影。
ミサネはそこから、片腕で
あまりのパワーに、躍動する筋肉が肩の包帯を内側から引き千切り、開いた傷から鮮血が舞い上がる。
「な、なにぃ! これが貴様の術か、一角獣!」
「違う……あたしには、
そう、魔族の間で
ミサネには、象精がない。
だから、自然の声も聴こえない。
そんなミサネが選べる生き方は少なかった。そして彼女は、自分でそれを選択することを
「あたしは、リュカたちの役に立ちたい! お前の首を取って、それを証明するぞ!」
「周りっ! 手は出すな! ……そうこなくてはなあ、一角獣! ダグラは御子を安全な場所へ!」
既にもう、リュカたちにも割って入れる状況ではなかった。
それを知ってか、部下たちを下がらせてアシュラムも
ミサネは全く怯まず、雌雄一対の戦斧で連撃を加えてゆく。
触れれば即死の一撃を、アシュラムは剣だけで捌き続けていた。
そんな時、リュカの背後で悲痛な声が響いた。
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