ミサネ、吼える

 信じられない人物がいる。

 リュカにはそれが、どこか当然にも思えた。

 そのことを悲しいと感じる、それだけが救いだった。

 青白い肌に、白い髪。そして頭部には左右に広がるはさみのような角。そう、この角の形は普段からよく見るものだ。氏族ごとに特徴があって、友人も同じ角を持っている。

 そこには、アシュラムにへつらうようなびた笑みがあった。


「ワコ族のリュカ! もう、やめなさい。すでに勝負はついているんだ……無駄な抵抗なんだよ」


 それは、ヨギの父親ダグラだった。

 ヨギと同様に、痩せた矮躯だが目元が険しい。そこには、どこか薄暗い情念が燃えていた。この人物が守銭奴しゅせんどだということは、ヨギから聞いていた。そして、どこの氏族でも有名な話だった。

 だが、ここまでとは思わなかった。

 トリムに説明を求められて、リュカは噛みしめるように言葉を選ぶ。


「あの男は、ダグラ。友人の父親だ。とても優秀な商人だよ」

「人間と仲がいい、っていう風だけど……金での繋がりか?」

「どうだろうね。さて、ダグラおじさん! どうしてこんなことを……ヨギが悲しみます!」


 事実は事実としても、言い訳くらいしてほしかった。

 もともとダグラは、商人として人間たちの土地に出入りしている。蓄財に熱心で、彼がもたらす様々な交易品は村々を潤してきた。

 反面、魔族の中には彼を嫌う者が多い。

 彼は氏族同士の連帯よりも、貨幣を得られるかどうかを重視するからだ。


「リュカ、お前にそそのかされてヨギは! 角ナシとは付き合うなと、あれほど」

「そういうあなたは、その男と……アシュラムと組んで、なにをしてるんです!」

「そ、それは……だがっ、いつまでもいがみあってては、人間も魔族も共倒れた! それに、はは……いいじゃないか。この村みたいに、ワシたちも人間との共存が大事だろう!」


 詭弁きべんだ。

 そうとしか聴こえなかったし、彼の言う正当性がリュカには受け入れられない。

 魔族と人間の共存、それ自体はいい。

 戦いがなくなるし、互いに助け合えばより豊かになる。それはもう、この御子みこの村を見たリュカにとってはわかりきった事実だ。同時に、夢であり理想……今はまだ、実現は難しい。

 しかし、目の前の男は金の力だけで人間に通じ、この虐殺を後押ししたのだ。

 決して許せるものではない。

 勿論もちろん、この襲撃を統括して指揮する、アシュラムと人間たちもだ。


「リュカ君。もうやめたまえ……虎の子の飛行戦艦まで出して、ようやく禁地への森を越えたのだ。御子には速やかに戻っていただき、人間社会のために戦ってもらう」

「マヨルは渡さないっ! あいつは、ただ家に帰りたいだけだ!」

「戻れば我らのみやこに屋敷を用意している! 白邪の土地を平らげれば領地も与えよう!」

「あんた、なんでそんなふうにしか考えられないんだっ!」


 話によれば、教会とは人の暮らしを見守る組織で、博愛の精神を説いているらしい。それなのに、アシュラムから感じるのは強い敵意、そして殺気だ。

 なにが彼をそうさせるのか。

 かたくなとさえ思える、魔族への憎しみと恨み。

 そう、リュカは思った。

 この男は、自分が抱えた暗い感情に突き動かされている。正義の聖導騎士せいどうきしというのは、そんな自分を正当化させるための肩書に過ぎない。


「あんた、なにがなんでも僕たちを滅ぼしたいのか。この大陸から、魔族を一人残らず消し去ろうっていうんだな!」

「すぐにとは言わない! だが、文明の発展を拒み、原始的な暮らしに固執する白邪は……勝手に衰退し、この大陸の過去となるだろう」

「僕たちは火も鉄もいらないっ! ただ静かに暮らしたいだけなんだ!」


 もう、言葉は尽くしたとばかりにアシュラムが剣を抜く。

 応じるようにリュカもまた、石剣を構えた。

 だが、悲痛な叫びがその場の全てを振り返らせる。

 リュカはそこに、光の御子の姿を見た。


「もう、やめて! アシュラムさん……わたし、帰ります。教会の言う通りにします。だから……もう、この場所に、お母さんが作ったこの村に酷いことしないで」


 かすれた鳴き声が、木や布の燃える臭いに入り交じる。

 黒煙が舞い上がる中で、ゆっくりとマヨルが歩いてきた。

 すかさず動いたのは、ダグラだった。


「ここっ、これはこれは、光の御子様。ワシは、あ、いえ、私めは、お初にお目にかかりまする」


 大人がここまで卑屈になれるものだろうか。

 すぐ背後で、トリムが舌打ちする音が聴こえる。

 ざっと事情を先程知っただけでも、軽蔑に値する行為なのだろう。それはリュカも同じで、ヨギを思えば忸怩じくじたる気持ちが込み上げる。

 マヨルは決して、ダグラを見ようとはしなかった。

 俯き黙って、手を取られても握り返さない。

 そのまま彼女は、アシュラムの前に歩み出た。


「アシュラムさん、わたしを連れてってください。それでもう、終わりにして」

「いえ、御子様。ここからが始まりです。さあ、共に聖戦を戦い抜きましょう」

「……どうして? なにがそこまでさせるの? こっちのおじさんもそう。……わたしもう、難しいこと言わない。話し合いとか、相互理解とか言わないよ。ただ、お互いそれぞれの土地で暮らすだけじゃ駄目なの?」


 マヨルの言う通りだ。

 だが、それが難しいこと、今は無理なことをリュカはわかってしまう。

 そして、ダグラが血相を変えて愛想笑いを浮かべた。


「御子様! 魔族の世界では、私のような弱い者は生きていけません! しかし、力がなくとも、ワシには知恵がある。人間たちの教会とだって、こうして密接な繋がりを」

「あなたも、そう。どうして、そんなに必死に戦いを後押しするの?」

「ワシは、息子にいい暮らしをさせてやりたい。氏族にも繁栄をもたらしたい。そうすれば、ワシをさげすわらった者たちを見返せるというものです!」


 静かにマヨルは、首を横に振った。

 アシュラムが不意に剣を引き絞ったのは、そんな時だった。

 オロオロと自分の立場に理解を求めていた、ダグラが突き飛ばされる。彼と体を入れ変えたアシュラムが、虚空を見もせず一閃した。

 飛来したなにかが、空中で両断された。

 それは、矢だ。

 魔族が使う、石のやじりでできた矢だった。

 そして、懐かしい声が走ってくる。


「ヤリク、もっとよく狙うんだぞ! あたしなら当ててるぞ!」

「外れたんじゃない! 外したんだ! だってあいつ、ヨギの……お、おいっ、ヨギ!」


 猛スピードでミサネが突っ込んでくる。

 その向こうに、ヤリクとヨギがいた。

 ヨギは、いつになく激した表情で駆けてくる。なんだか、泣いているような、憤怒ふんぬ激昂げきこうしているような厳しい顔だった。


「む、貴様は……一角獣いっぽんづの!」

「教会の聖導騎士! お前の相手はあたしだぞ!」


 あっという間に、ミサネはアシュラムと切り結んだ。

 怪我が心配だが、同時に安心でもある。リュカにとって、あのアシュラムと対等に戦える者など、ミサネ以外に考えられないからだ。

 絶大なる信頼、そしてそれにいつも彼女は応えてくれる。

 だが、アシュラムは剣を振りつつ余裕の笑みを浮かべていた。


「どうした、一角獣! それでも白邪の中の白邪、我ら人間が恐れた仇敵か!」

「うるさい! あたしたちは、白邪なんて名前じゃない!」

「例の術はどうした! 邪悪なまやかしの術を出してみろっ!」

「ぐ、ぬぬ……お前、死んだぞ。あたしをっ! 心底! 怒らせた!」


 ミサネが一瞬、消えた。

 彼女の輪郭が滲んでぼやけて、空気の中へ霧散する。

 その時にはもう、アシュラムの死角にミサネは回り込んでいた。

 あまりに俊敏な動きに、流石さすがの聖導騎士も目を見開く。リュカにもはっきりと、アシュラムが驚愕に震える姿が見えた。

 まるでそう、影だ。

 陽の光がある限り、人の身を決して離れずまとわりつく、影。

 ミサネはそこから、片腕で戦斧バルディッシュを叩きつける。

 あまりのパワーに、躍動する筋肉が肩の包帯を内側から引き千切り、開いた傷から鮮血が舞い上がる。


「な、なにぃ! これが貴様の術か、一角獣!」

「違う……あたしには、象精アーズが……ないんだぞ。だからっ!」


 そう、魔族の間でまれに生まれてくる不遇の子……それがミサネだった。十二氏族の中でも血の絶えたギナ族の戦士である。そして、彼女が人一倍研鑽を重ねてきた原因が、生い立ちに秘められていた。

 

 象術しょうじゅつが使えないのだ。

 だから、自然の声も聴こえない。

 そんなミサネが選べる生き方は少なかった。そして彼女は、自分でそれを選択することを躊躇ためらわなかったのである。


「あたしは、リュカたちの役に立ちたい! お前の首を取って、それを証明するぞ!」

「周りっ! 手は出すな! ……そうこなくてはなあ、一角獣! ダグラは御子を安全な場所へ!」


 既にもう、リュカたちにも割って入れる状況ではなかった。

 それを知ってか、部下たちを下がらせてアシュラムも気色けしきばむ。あっという間に戦慄が周囲を包んだ。裂帛れっぱくの意思とでもいうべき、圧倒的な覇気が空気を沸騰させる。

 ミサネは全く怯まず、雌雄一対の戦斧で連撃を加えてゆく。

 触れれば即死の一撃を、アシュラムは剣だけで捌き続けていた。

 そんな時、リュカの背後で悲痛な声が響いた。

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