人の業と性が襲い来る

 リュカは慌ててやしろを飛び出た。

 止めたが、マヨルは迷う素振りも見せずにあとに続いてくる。

 二人が見たものは、惨劇だった。

 先程歩いてきた平和な村は、一瞬で地獄絵図に変わっていた。

 そこかしこに火柱が上がり、逃げ惑う者たちの悲鳴が絶叫となって響く。その中でも、村人たちは子供や女性を守りながら、種族の別なく必死で助け合っていた。

 そんな者たちを嘲笑あざわらう音が、ヒュルルと空から舞い降りる。


「くっ、マヨル! 長老たちといてくれ! 僕は奴らを止めなきゃいけない!」

「待って、リュカ君! あんなの、無理だよ……空、飛んでるんだよ?」

「わかってる! でも、黙って見てなどいられない!」

「だったら、今はみんなの避難を優先しなきゃ。あんなの、やっつけられない……悔しいけど、まずは逃げ惑う人たちを助けなきゃ! ねっ、リュカ君!」


 マヨルの言う通りだった。

 見上げる空に今、常軌を逸した威容が浮かんでいる。浮かんでいるというが、もう既に空を覆って塗り潰している。頭上の平和は奪われ、そこに鎮座する姿は重苦しく圧してくる。

 空に、船が浮かんでいた。

 大洋を渡るような、巨大な軍艦である。

 それは、帆を広げる代わりに無数の球体を浮かべていた。その全てが、金具とワイヤーで船体に固定されている。

 リュカは、自らの持って生まれた象精アーズを思い出して歯噛みに舌打ちする。


「くっ、人間はこんなものを! 炎の熱が生み出す力を、こんなふうに使うなんて!」

「リュカ君! あの飛行船、まだ爆弾を落としてくる!」

「飛行船……そうだな、言い得て妙だ。しかしあれは」

「もうっ、見ての通りだよ! 落ちた場所で爆発する、爆弾だってば!」


 マヨルの言う通りだ。

 頭上から降り注ぐ鉄のかたまりが、落下した瞬間にぜて燃え上がる。それは、強力な衝撃波と黒煙を巻き上げていた。

 マヨルが爆弾と呼んだ、それは業火と爆炎の破壊者。

 無数にばらまかれたそれが、村のあちこちで炸裂して炎を撒き散らした。

 あっという間に、周囲が火の海に包まれる。


「それでも、僕は……やれることを探して、やってみる!」


 返事も待たずに、リュカは走り出す。

 マヨルは賢い娘だし、激情にかられて無茶をするタイプではない。そう信じて思い込む程度には、リュカは彼女のことを信頼していた。信用も勝ち得ていると信じたい。

 今はマヨルには、自分で自分を守ってもらう。

 そして、彼女が長老たちも守ろうとするとわかっていた。

 だから、マヨルの言う通りに村人たちを救うしかなかった。


「いったい誰が……なんて、決まってるよな。やってくれる、人間めっ!」


 ガラが悪いとわかっていても、悪態をつきたくなる。こんなだいそれたこと、魔族のどこの氏族もなしえない。そもそも、魔族は火を使うことを自分にいましめているのだ。

 リュカは小さい頃から、火の象精を持つゆえに知っていた。

 こっそり使ってみて、色々とわかっていたのだ。

 それに、マヨルを助けるために一度実践してみている。

 炎は空気を温める。

 熱を帯びた空気は、膨らむのだ。

 特に、上に向かって大きく膨らむ。

 その原理を利用すれば、空飛ぶ船も不可能ではない。ただ、大規模な事業になるだろうし、大量の石炭が必要になるだろう。

 もしくは、火の象精を持つ魔族を集めればいい。


「クソッ、伯父貴おじき! 人間と、教会のアシュラムたちと組んだのかよ!」


 根拠はないが、リュカの知っている伯父アガンテはそういう人物にも思える。そして、今はそう思うことで怒りを燃やすしかなかった。

 抜刀と共に加速すれば、さらなる脅威が降り注ぐ。

 全身を武装した甲冑の騎士たちが、巨大な布を広げながら舞い降りた。その誰もが、手に槍やいしゆみを持っている。さながら、翼を広げた断罪の天使たち……その敵意が、そこかしこに降り立った。

 逃げ惑う人たちの中で、敵意と害意に満ちた声が響き渡る。


「なんと、人間と白邪はくじゃが……汚らわしいっ!」

「白邪との混血もいるぞ! 一人残らず根絶やしにしろ! 死こそが清めの救いになる!」

「二つの種族が互いにかばい合ってるだと? ……間違っている! 異端でしかない!」


 阿鼻叫喚あびきょうかんだった。

 その中でリュカは、流血の被害を必死で防ごうとたける。だが、実際には教会の騎士との戦闘は非力を痛感させた。


「おおおっ! お前たちっ、やめろおおおおっ!」


 闘志を言葉に変えて吐き出す。

 その勢いのままに石剣せきけんを振りかぶれば、渾身の一撃が軽く受け止められた。だが、怯まず鍔迫つばぜり合いに持ち込んで、周囲からの弩の射撃を殺す。

 乱戦に持ち込めば飛び道具は使えないが、見渡す限りに周囲は敵ばかりだ。

 そして、この期に及んでまだ……リュカは命を奪わぬことにこだわっていた。

 結果、繰り出される攻撃は太刀筋が甘くて、加減を見切られ容易たやすく弾かれる。


「ははは、どうした混血児! 我ら人の過ちが産み落とした、ツノナシの子よ!」

「うるさいっ! 教会の騎士がどうして、なんでこんな虐殺を!」

「アシュラム様による御子みこ奪回のための聖戦だ! 我らは、光の御子を救う!」

「それでマヨルが救われるものか! あいつはなあ、傷つく者に涙する、そういう普通の女の子なんだっ!」


 それだけは断言できた。

 誰に対しても、高らかにうたえた。

 マヨルは、人の悲しみに涙し、喜びに笑える少女だ。

 人間が、教会が勝手に持ち上げて利用していい存在じゃない。例えそういう運命のもとにこの大陸へ来たとしても、リュカはそれを許したくなかった。

 だが、現実には非力なリュカは一人の騎士を倒すことすらできない。

 苦戦しながらも石剣を振るえば、頭上から声が突き立った。


「リュカッ! 一度下がれ! お前じゃ無理だ!」


 トリムだ。

 彼は空高く飛翔して、その跳躍力を落下速度へと変える。同時に、脱ぎ捨てたマントで眼前の騎士を襲った。フルヘルムの上からマントを被せられ、慌てた騎士が槍を振るう。

 その闇雲な攻撃に臆することなく、トリムは手にした短剣を突き立てた。

 瞬間、リュカは地を蹴って叫んだ。


「よせトリムッ! 殺すな!」

「何故! どうして! こいつら、この村を!」

「綺麗事だとしても、殺さないほうがいい! 憎いなら、つぐなわせることだって!」


 宙空より襲ったトリムの一撃が、巨漢の騎士をよろめかせる。致命打だが、一撃必殺とはいかない。敵と同様に鋼で鍛えた武器を持っていても、トリムの攻撃は少し軽かった。

 まして相手は、フルプレートメイルで完全武装した教会の騎士なのだ。

 だから、リュカは迷わず己の内面へと呼びかける。

 かざした手に、火の象精が集って膨れ上がる。


「喰らって寝てろよ! お前たちは、ここに居ちゃいけないんだ!」


 火力を絞って、小さく凝縮する。

 やりすぎれば、相手は火だるまになって消し炭だ。

 だから、リュカは一瞬の集中力で火の玉を拳に握り込める。

 そして、思いっきり騎士の胴体をブン殴った。

 インパクトの瞬間、鎧の向こう側へと熱を送り込む。装甲を貫通して、直接肉体へと象術しょうじゅつが炸裂した。無論、火花が舞い散る程度の小さな火だ。

 だが、なまじ万全の装備に身を固めた者たちには、効果抜群だった。


「グッ! な、なにを……貴様っ!」

「ガチガチに着込んでるからそうなるっ! さっさと鎧を脱いで逃げろ! 焼かれたいのか! それと、トリムッ!」


 背後では、リュカの死角を守ってトリムが戦っていた。

 彼もまた、リュカが使った意外な象術に驚き、そして不敵に笑う。


「やるじゃないか! お互い混血同士、やるぞ!」

「好きでなってるんじゃない、けど! 力を貸してくれ」

「どうする? なにをやるってんだ!」

「お前の象精は風だ。そして僕は火……こっちに合わせろ!」


 トリムの返事は聞かなかったし、拒否されても引きずり込むつもりだった。リュカは、禁じられた火の力を解放する。あっけにとられたトリムも、その手に風を集め始めた。

 そこからはもう、調子の外れた即興歌そっきょうか

 リュカが広げた炎の帯が、風に煽られ広がってゆく。

 あっという間に、業火の壁が疾風によって津波となった。

 雪崩なだれを打って、獄炎が周囲に広がってゆく。

 しかし、見た目の派手さとは裏腹に、怯む騎士たちのマントを燃やす程度の火力である。トリムの起こした烈風は嵐となったが、そこに乗せたリュカの火はささやかな熱量だった。


「おっ、逃げてくなあ。おい、お前!」

「リュカだ! なんだ、トリム」

「もっと頑張って燃やせよ。せっかくの火の象精だ、何人か火だるまにしてやればいい」

「僕は嫌だね」

「魔族らしく、火の使用を戒めてるのか? この村じゃ、子供だって使えるぜ」

「それでもだ。強過ぎる火は、この村自体を灰にしてしまう」


 トリムは意外そうに瞬きを繰り返し、黙った。だが、次の瞬間にはニヘラァと笑う。気持ち悪いような、でも認められたような気がしてリュカも鼻を鳴らして応えた。

 だが、二人のちぐはぐな連携もそこまでだった。

 敵は逃げ惑いながらも数で持ちこたえ、そのまま隊列を整え反撃の素振りをみせてくる。特に、弩を持った者たちが全面に出てきて、リュカは緊張に身構えた。


「トリム、弩に気をつけろ。見えないほどに速くて強い矢が来る」

「どう気をつけろって?」

「頑張って切り払え、それができないと」

「できないと……いや、いい。言わなくていいさ」


 無数の弩が向けられ、鉄のやじりが鈍い光でリュカたちを睨む。

 この距離で一斉に撃たれたら、あのミサネでも全てを防ぐのは難しいだろう。リュカたち魔族は製鉄技術がないので、ああいった機械式の弩は作れない。あれはヤリクみたいな狩人が使う弓と違って、鉄製の板バネを用いたものだからだ。

 だが、屈してなるものかと石剣を構える。

 そんなリュカたちの前に、当然のように自信に満ちた声が現れた。


「やはり禁地に来ていたか……リュカ君。悪いことはいわない、剣を捨てて降伏したまえ」


 教会の聖導騎士、アシュラムが現れた。

 そして、その隣に意外な人物が立っている。意外と言えばそうなのだが、奇妙な納得がリュカを襲った。そこには、魔族でありながらリュカを裏切った者の姿があった。

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