光の御子の真実
その
丸太と木板を組み合わせた、高床式の建造物である。
村の最奥に鎮座する社を見上げて、リュカは妙な胸騒ぎを覚えた。だが、トリムは気にした様子もなく階段を登っていく。
意を決して、リュカもマヨルと共にあとに続いた。
中には、数人の老人たちが並んで座っている。
「よく来なすった、お若いの」
「長老、新しい光の
「トリムや、ご苦労だった。おお、おお……本当に御子様じゃあ」
中央に座る老人が、しわしわの顔に目を見開く。周囲の者たちも皆、口々に御子、御子と呪文のように唱え始める。
マヨルがビクリ! と身を
自然とリュカが、彼女を守るように背に
やはり、この地でも光の御子は特別な存在らしい。
「わしがこの村を治めておりますじゃ。どうか、御子様……この老いぼれめに、手を」
「え、えと、はい……あの、わたしは普通の中学生なんだけど。い、いいのかな」
敵意がないのはすぐに知れた。
それどころか、崇拝の念が室内に満ちている。
誰もが見守る中、おずおずと歩み出てマヨルが長老の手を取る。
それだけでもう、誰もが感動に泣き出しそうな気配だった。
一種異様な雰囲気の中で、長老は何度も頷く。
「この村は、数百年前に御子様を……先代の御子様を
「先代の、御子……」
「貴方様と同じような
「あ、これは
「なんにせよ、よういらしてくださった。村をあげて歓迎いたしますぞ」
すぐにトリムは出ていった。
入り口で人数を呼ぶと、今夜は酒宴になると告げ、テキパキ指示を出してゆく。彼自身も、長老たちに一礼して行ってしまった。
ぽつねんと残されたリュカだが、長老はにこやかに
いかにも
「そちらの、お付きの方も御苦労様でした。外の世界では、さぞ苦労なさったでしょうに」
「いや、まあ。それより、長老殿。僕から少し、いいですか。あと、僕はお付きの者というか」
「はて、なんでしょうなあ。この
「助かります」
他の老人たちも皆、我先にとマヨルへ集まってきた。男も女もいて、中には感涙に顔を濡らす者までいた。皆、マヨルに目を細めて拝むように手を差し出す。
マヨルは、そんな年寄りたちを拒まなかった。
一人一人と手を繋ぎ、さらに手を重ねて話を聞いてやっている。
そんな姿は、まるで本当に光の御子のようだった。
なんだか面白くないような気がして、リュカは近付いてきた長老へ向かって少し声のトーンを抑える。
「教えてください。先代の光の御子は、なにをやったんですか? 何故、この地は人間からも魔族からも、
「ふむ……そなたはどちらで育ちなすった」
「父が魔族で、そちらで」
「では、伝説は知っているじゃろう」
古い古い言い伝えだ。
かつて光の御子が現れ、混迷を極めた大陸に未来をもたらした。魔族はその時、光の御子が導いた十二の魔獣から生まれたという。それはやがて、今の十二氏族を生んだ。
「そうじゃ、同時に人間たちの社会では」
「教会の教えでは、光の御子は十二の魔物を打ち倒し、人間たちを救ったと」
「うむ。そのどちらの伝説も、正しくもあり、同時に欠落を抱えておるのよ」
長老は大きく溜息を零してから、真実を語り始めた。
その言葉はすぐに、リュカには事実だと信じられた。
「太古の昔より、人間と魔族の間に争いがあってのう。この大陸は荒れに荒れて、戦乱の中で血が流れ続けた。そんな時じゃ……どこからともなく、一人の乙女が現れたのよ」
「黒い髪に黒い瞳、そして見たこともない衣を
「
恐らく、本当の話だ。
リュカたちだって、マヨルの言うことが時々本当にわからないのだ。理解できないこともあるし、ある程度飲み込めても信じられない。まるで夢物語みたいなことも聞かされるし、時には想像だにできないことだってあった。
やはり、光の御子は異世界の人間……この大陸に流れ着いた
「やがて光の御子は、人間からも魔族からも争いを好まぬ者たちを集めた。真に平和を願う者を、人間や魔族の別なくお救いになったんじゃ」
「……なるほど。では、光の御子は森を越えて、この北の地へ?」
「うむ。そしてワシらの祖先はここに村を開き、外の世界との道を閉ざしたのじゃ。なかなかに難儀な森じゃったろうて……我らの先祖が、土と樹の
確かに、生態系からなにから普段の世界とは別物だった。道に迷っていれば、進むことも退くこともできずに迷ってしまうだろう。そういう意味では、トリムに救われたリュカは幸運だったし、残してきた仲間たちが心配だ。
人間も魔族も、北の樹海を禁地とした理由も頷ける。
「御子様はこの地に楽土をお作りになった。ここでは、魔族も人間も同じ民。火を使って鉄を生み出しても、決して争いにはなりはせん。つつましくとも、互いに身を寄せ合う生活を豊かさとしておるのじゃ。そして」
「そして……全てを終えて、御子は去った。違いますか?」
重々しく長老は頷いた。
そして、振り返るや社の奥を指差す。
「見なされ……皆も、御子様も。あれが、先代の御子様が残された衣……この村の守り神ですじゃ」
どうして最初に気付かなかったのだろう。
小さな窓から光が差し込む、少し薄暗い社の中にそれはあった。一番奥の壁に、うやうやしく祭壇が設けられている。そこに、ボロボロに擦り切れた衣が掲げられていた。
それは、じっくり見るまでもなくマヨルのものに
細かなところは少し違うが、白と黒のモノクロームで、胸に赤い布が結ばれていた。
マヨル自身も驚いたように、目をしばたかせている。
「わわ、ホントだ……セーラー服」
「ちょっとマヨルのと違うな。あっちは袖が長い」
「きっと、冬服なんだよ。……あの、おじいちゃん。近くで見て、触ってみていい?」
無言の返事で、老人たちが左右に割れて道を作る。
長老が首肯する中、マヨルはゆっくりと祭壇に歩き出した。
リュカもその背を追って、伝説の謎へと踏み込んでゆく。
「やっぱり……本当にセーラー服だよ、これ。こんなにボロボロになってる」
「お前の世界のものか? マヨル」
「間違いない、と、思う。わたしの世界では、日本では女学生の一般的な制服だよ」
その衣は、手で触れれば一瞬で粉々になりそうなくらいにくたびれている。風化して時間が止まり、動かすだけで消えてしまいそうだ。
マヨルは慎重にその服を手に取った。
そして、おもむろに襟元をそっと改める。
リュカにも、文字が刻まれているのが見えた。それを見た時、マヨルの表情が凍りつく。その手が震えて、彼女は立っていられずへたり込んだ。
「大丈夫か、マヨル。なんだ……なんて書いてあるんだ?」
「書いてあるっていうか、
「それで、ああ、もしかして」
「うん。名前だよ……このセーラー服を着てた、光の御子の名前」
振り向くマヨルが、微笑んだ。
その頬を一筋の光が伝う。
「
信じられないが、マヨルの涙に嘘はない。疑うことさえできなくて、リュカも呆然と立ち尽くした。そういえば昨夜、マヨルが言っていた。幼い頃、母親から異世界へ行った話を聞かされたと。
それは作り話ではなく、現実だったのである。
その揺るがぬ証拠が今、この社に安置されているのだった。
「お母さんは、ここに来てたんだ……それはわたしを生む前の少女時代で、でもこっちじゃ数百年も昔で」
「大丈夫か、マヨル」
「うん。これって偶然なのかな? わたし、お母さんの娘だから選ばれたの?」
「わからない。でも、一つ確かめなきゃいけないことがある」
そっとマヨルの肩を抱いた。
そうするのが自然に思えて、そうしたくて抱き寄せた。
マヨルも、リュカの背に手を回して胸に飛び込んでくる。
彼女の涙を受け止めながら、リュカは改めて長老に最後の質問を向ける。
「教えてください、長老殿……ここより更に先に、
そう、全ての仕事を終えて帰ったのだ。
光の御子と呼ばれた少女、アサヒはその役目を終えた。そして、無事に元の世界に戻って、幸せな結婚の後にマヨルを産んだのである。
そもそも、マヨルは父親がいない。
多くを語らないし、リュカも聞かなかった現実だ。
ただ、マヨルの存在そのものが、彼女たちの異世界への帰還が可能だというなによりの
「長老、僕はマヨルを元の世界に帰してやりたいんです。この世界のことは、もう僕たち……この大陸の人間と魔族で決めていかなきゃいけないと――」
その時だった。
不意に爆発音がして、外から悲鳴が響いた。
それは、光の御子が築いた平和が、悪しき炎の中で崩れる音だった。
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