禁地に封じられしは、楽園

 リュカが目覚めると、そこは見知らぬ場所だった。

 寝台から上体を起こして、ゆっくりと周囲を見渡す。どうやら住居のようだが、酷くシンプルなものだ。部屋の中央に柱が一本、そこから円錐状えんすいじょうに広がるテントのような作りである。

 危険はなさそうだが、油断はできない。


「僕は……滝に落ちて、それで? ここは」


 慎重に身体の調子を確かめつつ、立ち上がる。

 怪我らしい怪我はないし、痛むところもない。

 まずは安堵だが、安心してはならないと自分に言い聞かせた。

 そして、背後で声がする。入り口の布をまくって現れた人物が、リュカを一番ホッとさせた。


「リュカ君、起きたー? って、ゲゲッ!」


 振り向くと、そこにマヨルはいた。

 さらわれた時と全く同じ姿だが、様子が少しおかしい。

 顔を背けられて、慌ててリュカは駆け寄ってしまう。詰め寄ったとさえ言ってよかった。マヨルは黒い髪から覗く耳が真っ赤で、肩が震えていた。


「無事だったか、マヨル。平気か? なあ、大丈夫なのか」

「リュ、リュカ君さあ……あの」

「僕は問題ない。それより、ここは」

「ここは、じゃないっつーの! 服着て! 服っ!」


 はたと気付いた。

 

 恐らく、滝壺に落ちてそこから救われた時、濡れた着衣を脱がされたのだろう。

 つまり、と落ち着いて考える間もなく顔が熱い。

 慌てて寝台に戻ると、毛布を頭からかぶってうずくまった。


「す、済まない! でも、無事でよかった! よかった、けど」

「もぉ、バッチリ見ちゃったじゃん……うん、でも、そだね。よかった……無事で」

「うん。それで」


 顔だけを出して表情を伺えば、クスクスとマヨルは笑っていた。その笑顔を見て、ようやく本当の安心感が込み上げる。同時に、ようやく冷静さがリュカに戻ってきた。

 ここはどこで、例の少年は何者か。

 仲間たちはあのあと、どうなったのか。

 なにから問うていいか選んでいると、再び入り口に人影が立った。

 投げかけられた声はやはり、同じ世代の少年の声だった。


「目が覚めたようだね。あの高さから落ちて生きてるなんて、運が太い」


 例の全身マントの男だ。

 相変わらず顔を見せようとしないが、それもこの瞬間までだった。

 彼はマヨルの隣までくると、顔を覆うフードを脱いでみせる。

 そしてリュカは、驚愕に再び飛び起きてしまった。


「なっ……その髪は! ぼ、僕と、同じ……!?」

「だーかーらー! もぉ! 何度も見せないでってー!」


 マヨルが顔を手で覆う。

 そして、少年はほがらかに笑った。その髪が銀色に揺れる。

 そう、彼はリュカと同じ銀髪だった。角はないので魔族ではないが、人間ならば金髪のはずである。さりとて、マヨルのように別の世界から来たとも思えない。

 考えられることは一つしかなかった。

 それを誰よりよく知るリュカ本人だから、確信しかなかった。

 少年は静かに、リュカの思ってる通りのことを告げてくれる。


「俺の名は、トリム。見ての通り、人間と魔族の混血だ。君と同じだね」

「や、やっぱりか。僕は自分の同類を初めて見る」

「ここでは珍しいことではないよ。この、御子みこの村ではね」

「御子の村?」

「そう……かつて訪れた光の御子が開いた、人間と魔族が共存する村だ」


 一瞬、リュカはなにを言われたのか理解できなかった。

 人間と魔族が共存する村……トリムは確かにそう言ったのだ。

 それはつまり、リュカたち外の世界の価値観を根底から覆す話である。そして、理想であり夢。誰もが望んでも得られなかったものの存在が、あっさりと語られた。

 トリムは部屋を横断して、奥の方からなにかを取り出した。

 それは簡素な着替えの服と、リュカの石剣せきけんだった。


「これを着るといい。剣も返すよ。……業物わざものだね、いい剣だ」

「あ、ありがとう。でも、いいのか?」

「構わない。もっとも、抜いてかかってくるなら容赦はしないけどね」

「そういうつもりはない、けど……お前はマヨルを連れ去ろうとした」


 そして、連れ去られたマヨルは無事ここにいる。

 そのことに対して、トリムは悪びれた様子を見せなかった。それどころか、そっとマヨルの長い黒髪を手にする。ちょっとびっくりした様子を見せたが、マヨルは抵抗しなかった。

 トリムがマヨルの髪を手に遊ばせるのを見て、なんだか面白くない気持ちがこみ上げる。

 その手を放せという言葉を、ぐっとリュカは飲み込んだ。


「俺も驚いてるさ……でも、言い伝え通りだとも思った。この服、そして黒い瞳に黒い髪。奇妙な装飾品は眼鏡めがねとかいったかな?」

「ちょ、ちょっと、あの……放して、ください」

「彼女は、新しい光の御子だね? なら、この村に招くべきだし、その先に進むのではと思ったのさ」


 素直にリュカは思った。

 トリムが気に食わない。いけすかない奴だと決めつけた。

 それはそれとして、敵対する愚かさを選ぶ訳にもいかない。

 ただ、次々と明かされる現実に対して、まだまだ理解が追いついてこない。今はとりあえず、もそもそと毛布の中で着替えるしかなかった。

 ようやく服を着て立ち上がり、腰に剣を帯びる。

 酷く落ち着いた気がするし、すぐにリュカは礼節を思い出した。


「改めて感謝する、ありがとう。僕はワコ族のリュカ」

「ワコ族……確か、古き十二氏族じゅうにしぞくの一つだね」

「トリム、君は?」

「ここにはそういう概念はないんだ。人間も魔族も同じ人、さ」


 トリムはそう言って、マヨルの手を握った。そのまま彼女を連れて外へ出てゆく。あとを追うリュカは、されるがままのマヨルになんだか気持ちがむずがゆい。

 怒りや苛立ちを募らせるだけの立場が、自分にないのはわかってる。

 しかし、妙な悔しさというか、下心があったことを自覚してしまった。

 だが、外の景色が視界いっぱいに広がると、思わず絶句に嫉妬を忘れる。


「こ、これは……」

「改めて、ようこそリュカ。ここが御子の村。俺のふるさとだ」


 信じられない光景だった。

 そこかしこに魔族の男女がいて、当たり前のように人間たちもいる。それどころか、両者はそれが当然のように協力しながら働いていた。

 それは、今までの価値観の全否定だ。

 それどころか、教会の人間が見れば摂理への叛逆はんぎゃくとさえ言えるだろう。

 人間と魔族は、絶えず争い対立してきた。

 だが、この村ではそんな当たり前なことが遠い過去になってゆく。

 マヨルを伴い歩くトリムに、慌ててリュカもついてゆく。


「あれは……畑か。なにを栽培してるんだ?」

「水田さ。稲、お米だよ」

「米だって? 人間が育ててるあれか」

「そうさ」


 さらなる驚きが待っていた。

 金属がぶつかる音が響いて、思わずリュカは足を止める。一定のリズムでつちが振るわれ、真っ赤な鉄が道具へと加工されていた。

 鍛冶場だ。

 道端には他にも、竈門かまどがならんで米が炊かれている。

 そこかしこで火が使われていて、この村の魔族はそれを不思議には思っていないようだ。


「トリム、火だ。皆、火を使ってる」

「ああ。君たちは禁忌きんきとしているらしいね。でも、ここではどの象精アーズも平等だ。象術しょうじゅつはただただ、魔族が持つ固有の技術でしかない」

「そんな馬鹿な……」

「確かに火は破壊の象徴、恐ろしい力さ。けど、それを制御し利用してこその文明だ」

「文明……でも、自然の命は皆、火を恐れながら生きている」

「俺たちは自然より、御子の教えに従い生きてるんだ。光の御子の教えにね」


 なんてことだと、リュカはショックに動揺した。

 呆然と立ち尽くす中で、なんとか情報を整理しようと思考を巡らせる。だが、目の前に広がる全てが答えだった。

 皆、笑顔だ。

 汗を流す労働の中に、歓びが感じ取れる。

 人間も魔族も、ここでは協力して暮らしているのだ。

 トリムのような銀髪の者も、何人もいた。

 誰もが夢見て口にしない、そんな楽土がここにはあった。

 リュカはマヨルの声で我に返る。


「ちょ、ちょっと、放して。わたし、そゆことする男の子、好きじゃないな」

「おっと、失礼。しかし……本当に伝説通りだ。黒い髪に白い肌、そしてその服」

「セーラー服は中学校の制服だもの」


 マヨルはトリムの手を振り払った。

 そして、さっとリュカに駆け寄り、その背にしがみつくようにして隠れる。

 自分の影に立った彼女からも、不安が感じられた。

 背に触れる手が、震えているのが伝わる。

 それだけでリュカは、自分でも驚く程に落ち着きを取り戻す。マヨルの頼りなさが、教えてくれたのだ。ここでは今、彼女に寄り添えるのは自分だけだと。

 そう自分に言い聞かせたら、毅然と振る舞うだけの胆力が湧き出る。

 それが例え虚勢でも、今は十分だとリュカは心に決めた。


「フン、まあいいさ。来てくれ、やしろに案内する……そこで長老と話してもらおう」


 トリムは鼻を鳴らして笑うと、再び歩き出した。

 リュカはマヨルと共に、活気付く村の大通りを歩く。そこでは誰もが笑顔で二人に挨拶を投げかけてきた。マヨルを見て驚く者も、畏怖いふ畏敬いけいの念を注いでくるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る