5.閉ざされていた真実

招かれざる客という現実

 わずかに空が白んできて、リュカは立ち上がった。

 そこかしこに、朝日が光の柱を細く屹立させている。

 大きく両腕を振り上げ、全身で伸びをする。

 寝ずの番だったが、どうにか居眠りせずにやり通せたようだ。例の違和感も、あれっきり一度もこちらに注意を向けてこない。

 これで誰かが起きれば、出発まで少しでも仮眠を取るつもりだった。

 だが、一番最後まで寝てそうな人物が身を起こす。


「ふぁ……ん、おはよ。リュカ君、ずっと起きてたの?」


 まぶたをこすりながら、マヨルが目覚めた。彼女はもそもそとにぶったく動いて、どうにか毛布から這い出る。まだまだ半分以上夢見心地ゆめみごこちのようだ。

 マヨルは肌寒いのか、己を抱くように身を縮めて身震いを一つ。


「おはよう、マヨル。まだ寝てて大丈夫だけど」

「そっか。うん、でも……ちょっと、失礼」


 ふらふらと立ち上がったマヨルは、そのまま仲間たちの輪から離れる。当然だが、リュカはその動きに反応せざるを得なかった。

 日が昇り始めたとはいえ、ここは危険な原生林には違いないのだから。

 しかも、昨夜は正体不明の気配に監視されていたのである。


「そうか、監視か……だとすると斥候せっこうか? なんにせよ、マヨル。一人で勝手に出歩くのは危険だ」

「あ、えと、その……お、お花をみにいくんだよぉ~」


 なにを馬鹿なと思った。

 思わず口から「馬鹿な」と言葉がこぼれ落ちた。

 それでも、気にした様子もなくマヨルが歩き始める。

 慌ててリュカは、駆け出し先に回って振り返った。


「あれぇ、んと……その、だから」

「花なら僕が摘んでくる。そっちの世界の風習かなにかか? なんにせよ、一人じゃ危険だ」

「あー、そっか。通じない……っていうか、それ以前にー、もぉ!」


 何故なぜかマヨルは、その場で地団駄じだんだを踏み始めた。

 どうやら、よほど花が欲しいらしい。人間には奇妙な風習があって、特に教会と呼ばれる組織の者たちは厳しい。神というものに祈りを絶やしてはいけないとか、時としてなによりも優先されることもある。

 マヨルにもそういうとこがあるかと思うと、やっぱり人間だなとリュカは感じた。

 だが、マヨルは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。


「……リュカ君のバカァ……お花を摘みに、っていうのはねえ」

「わかってる、人間にも色々あるものな。どんな花がいい? 色とかあるだろ」

「違いますー! わたしっ、おしっこ! 漏れちゃうんだから!」

「……は?」

「お花を摘みに、っていうのはねえ、お手洗いにいくって意味なの! わたしの世界では!」

「あ、ああー、うん。そうか」


 それだけ言うと、くちびるを尖らせたままマヨルが駆け出す。

 慌ててリュカもあとを追った。

 だが、肩越しに刺すような視線を突き立てられた。


「一人で行くから! ついてこないで! っていうかねえ、リュカ君……のぞくなよー?」

「わ、わかってる。……でも、危険が」

「すぐ戻るから! そこにいて!」

「は、はいっ!」


 もの凄い剣幕で怒鳴どなられた。

 因みに魔族では、女性がこうした用事で席を外す時は「虹を見てきますので」と言う。勿論もちろん、こうした上品な言い回しを使うのはナーダみたいな娘で、ミサネなんかはぶっきらぼうにド直球な言葉で伝えてくる。

 どっちにしろ、どうやらマヨルに恥をかかせてしまったようだ。

 そして、振り向くと……いつのまにか起きていた皆が、酷く残念そうな顔をしている。

 ぼーっと無表情なミサネはともかく、他の者達は生温かい視線で撫で回してくれた。


「い、いや、僕は悪くないだろ。今のはどう見ても不可抗力だ」

「まあ、リュカはもう少し察しがいいと困らないのですけどね。まったく」

「ナーダの意見に賛成だな。お前はもちっと、俺みたいに女も勉強しろよ」

「リュカさん、その、大丈夫ですよ。きっとマヨルさんも許してくれます」


 なんだか、酷くいたたまれない。

 とても辛い。

 リュカはバツが悪くて咳払いを一つ。そして、言い訳の一つもぶちまけてやろうと思った、まさにその時だった。

 不意に悲鳴、それも途中で途切れる。

 間違いなくマヨルの声だった。

 そう知った時にはもう、皆で動き出していた。


「ヨギ、ナーダと荷物を頼むんだぞ!」


 真っ先に動いたのはミサネだった。

 速い、疾過はやすぎる。

 低く前傾する長身が、あっという間に見えなくなった。

 そのあとを追えば、さらにヤリクも追い越してゆく。

 残念だが、生粋の戦士と狩人にはとうてい敵わない。


「くっ、やはりついてくべきだった! マヨル!」


 自分の失態に奥歯を噛んでも、時が戻ることはない。

 それでもリュカは、悔しさを叫ばざるを得なかった。

 そう遠くには行ってないはずだが、こんな時は風や土の象精アーズがあればと思う。ヤリクなら風が運ぶ匂いを拾えるし、ヨギなら見えぬ足跡を見ることができるからだ。

 火の象精というのは、全く役に立たないことが多い。

 その上で使用も酷く制限されてるから、リュカはますますれて走った。

 すぐに弓矢を構えるヤリクの背中が見える。

 その先に、奇妙な影が立っていた。


「ヤリク、マヨルは!」

「見ろ、リュカ……何者だ? あいつ、ミサネの一撃を避けやがったぜ」


 見れば、雌雄一対しゆういっつい戦斧バルディッシュを構えたミサネも低く唸っている。

 その視線の先に、一人の少年が立っていた。

 そう、少年……まだ子供とさえ言える男だった。目深くフードを被って表情は見えず、手には短剣を握っている。そして、もう片方の腕で肩にマヨルを担いでいた。

 マヨルはぐったりと脱力して、動かない。

 殺されてはいないと観察眼が訴えてくるが、リュカは激情に駆られた。死んでいるならば、さらう意味はないと思える。生け捕りにしたから、ああして連れていかれようとしているのだ。


「ミサネ、回り込め! 殺すな、腕の二、三本ならいいが!」

「おいリュカ! 落ち着け、冷静になれよ!」

「ヤリクは援護を頼むっ! マヨルを救出するんだ!」


 熱くなっていたし、頭に血が上っていた。

 自分でも意外なくらい、珍しいことだった。

 でも、不思議ではないとも感じていた。

 あの日、あの夜、あの瞬間……マヨルの涙を見てから暴走しっぱなしだ。それが原因で仲間を巻き込んでしまったし、人間と魔族の世界をかき乱すような行動ばかりしている。

 でも、そう望んだ自分ごとマヨルを守りたかったし、間違っていないと思った。

 抜刀と同時に地を蹴り、リュカは貧弱な体力に全力全開を命じる。


「リュカ、追い込むんだぞ! あたしはリュカを守るぞ!」


 ミサネが風になる。

 風さえも置き去りに馳せる。

 だが、謎の少年は再びミサネの一撃を受け流した。

 腕力と技量とが凝縮された、人間たちが一角獣いっぽんづのと恐れる強撃きょうげきだった。だが、ミサネの戦斧が短剣で弾かれる。その時にはもう、相手はミサネの打ち込む力を逆に利用して遠ざかっていた。

 逃げられる、そう思った焦りがリュカを突き動かす。


「くっ、逃がすかよっ!」

「待てリュカ、深追いは危険だぞ。あたしが行くから」

「昨日の怪我もある! ミサネはフォローしてくれればいい! 僕だってやれる!」


 根拠も自信もなかったが、有言実行を見せたいとたけった。

 木々の根が走るデコボコな大地を、まるで飛ぶようにリュカは走った。

 それでも徐々に、距離を離されてゆく。

 この動きは土地勘のある者だと、思考は冷静に訴えてきた。

 それを無視するように、どこまでもリュカは自分を加速させる。

 轟音に気付いた時には、もう走れない場所に立たされていた。


「滝!? こんな場所で! おいっ、待て、止まれ! その娘を下ろすんだ!」


 目の前に、断崖絶壁があった。

 振り返る敵は、そのきわに立っていた。そして、滝壺へと落ちる川の水が飛沫しぶきを巻き上げている。その激流の音に負けないように、リュカは声を張り上げた。

 だが、謎の男からの返事はない。

 そして、無言へのリュカの返答は斬撃だった。


「しっかり抱いてろ! 落としたらブン殴ってやる!」


 そうは言いつつ、殺す気で斬りかかった。

 しかし、リュカの勇猛は空振りで空回りだった。マヨルの心配をしているほど、彼は強くはなかったのである。

 そして、相手が悪かった。

 予想もしない結果が、追う者と追われる者との明暗を分ける。

 不意に気圧が急変動して、風が舞い上がった。


「なっ……こ、これは、? じゃあ、お前は――ッ!」


 舞い上がる一陣の風が、マヨルごと相手を天へといざなった。あっという間に距離が開いて、敵は対岸へとゆったりと着地する。

 そして、強烈な突風の直撃を浴びたリュカは……滝壺の中へと放り出されるのだった。

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