樹海に眠れば

 身を寄せ合って眠る仲間たち。

 その寝顔を見守りながら、リュカは周囲を見渡す。

 なにも、見えない。

 黒く塗り潰された視界は、時折虫の光が通り過ぎる。まるで、マヨルの髪と瞳の色だ。その中を移動する気配が、時折近付いたり離れたりしている。

 そこに人の害意は感じない。


「……思えば、こんなに真っ暗なのは初めてかもしれない」


 自宅で眠る時も、幼い頃から草花や虫たちの明かりがあった。夜空の月や星々も、時には眩しいくらいに輝いて見えた。

 隣の部屋ではいつも、伯父おじのアガンテが遅くまで仕事をしていた。

 そういう背中を見て育ったつもりが、何故なぜか今はそのアガンテを疑っている。

 そして、そういう自分の暗鬱たる想いもまた、周囲の闇で膨らんでいった。

 ふと見れば、ミサネが大きないびきをかきながら眠っていた。


「あ、あのさ……リュカ君」


 静かに声が差し込まれた。

 それでリュカは、マヨルがまだ起きてることに気付く。

 彼女は毛布を鼻までかぶりながら、じっとこちらを見詰めてきた。僅かにランプの明かりが届く中で、自然と二人の距離は近い。


「どうした、マヨル。眠れないのか?」

「この状況で眠れる方が、どうかしてるよぉ」

「ん、そうか。そうかもな」


 静かな夜ではなかった。

 虫たちはあちこちで大合唱だし、けものや鳥の声も響いてくる。なにも見えないのに、絶えず音が満ちていた。まるで、森自体が騒音を連鎖させる巨大な生物であるかのようだ。

 加えて言えば、その中でもやはりミサネのいびきが豪快である。

 自然と笑みが浮かんで、リュカも肩をすくめた。


「寝れなくても、身体を休めておくんだ。横になってるだけでも違う」

「うん」

「寒くはないな?」

「大丈夫。みんなにぴったりひっついてるから」


 凍えるような寒さではないが、やはり夜の森は空気が冷たい。

 それでも、リュカは着衣の上から革鎧とマントで防寒対策は万全だ。だが、マヨルは例の妙な黒いドレスで、少し寒そうだとは思う。今は毛布の中だからいいが、できれば旅の途中でマントくらいは調達してやらなければいけない。

 そう思っていると、少しもぞもぞしながらマヨルが語りかけてくる。


「ねえ、リュカ君」

「寝ろって。明日がきついぞ」

「なんか、お話して。してくれたら寝る方向で考えてみるかも」

「もってまわるなあ。僕になにを話せっていうんだよ」


 気まずい沈黙が横たわる。

 不自然に周囲の音が膨らんでいった。

 そんな感覚の中で、渋々リュカが口を開く。


「お前がなんか話せよ、マヨル」

「んとね、じゃあね……リュカ君の髪って」

「ああ。僕は人間と魔族の混血なんだ。角もないだろ?」

「そっか。それで角ナシって」


 他愛のないことでも、マヨルは嬉しそうに微笑む。

 銀髪の事に触れてきて、話してやってもゴメンと言わない、そういうとこをリュカも好ましく思う。自分の生まれを不幸だとも思わないし、悪いことでもないと思っているからだ。出自は触れてほしくないきずあとなどではない。厳然たる事実だ。

 それで自然と話に弾みがついて、マヨルは言葉を続ける。


「それじゃあ、お母さんが人間なのかな?」

「そうだ」

「そっか……いいね」

「……僕も、いいか? マヨルのこと、マヨルの世界のことが少し知りたい」

「ん、いーよぉ? ふふ」


 マヨルの話はやはりというか、改めてリュカに驚きをもたらした。

 彼女は、ニッポンという国に住んでいる。そこでは、一定の年齢になるまではガッコウ、勉強をするための施設に通うのだという。

 そして、もうすぐマヨルはジュケンという戦いにおもむくらしい。

 過酷な激戦らしく、人生を左右すると言う者もいるそうだ。


「その、ジュケンというのは大変なのだな。……勝てそうか? マヨルは」

「んー、わかんない。でも、みんな進学するっていうしさ。まだ、やりたいこととかわかんないんだけど……お母さんが『やりたいことを探すためにも、高校行きなさい!』って」

御母堂ごぼどうは立派な方だな」

「まーね、自慢のお母さん。一人で私をここまで育ててくれてさ」


 父親のことは、敢えてリュカは聞かなかった。

 戦乱に次ぐ戦乱で、片親の家庭は珍しくない。だが、常態化しててもやはり不自由なものは不自由なのである。例えば、ミサネの氏族はすでに血が絶えつつあり、彼女が子を産まねば消えてしまう。

 そういう世界から見てもやはり、女手一つでマヨルを育てた人は尊敬できた。


「お母さん、働きながらわたしを育ててくれたんだ。それでね、寝る時は必ず側にいてくれたの。小さい頃は、沢山お話してもらった」

「そうか……僕は物心ついた時にはもう、母親はいなかった。少し、羨ましい」

「でしょでしょ? それでね……お母さん、若い頃に大冒険したんだって。異世界で、伝説の勇者だったっていうの。昔からずっと、お母さんの作り話だと思ってた」


 けど、違った。

 今はそう思うと、マヨルは言う。

 その証拠に、彼女もまた異なる世界でこうして大冒険に巻き込まれていた。


「こっちに来てもう、三ヶ月くらいかなあ。……早くお母さんに会いたいな」

「大丈夫だ。保証はできないけど、家に帰してやる。約束したろ」

「うん」

「さ、もう寝てくれ。僕だって実際、もっとマヨルと話したいこともあるし、聞きたいことだってある。けど、まだ旅は続くと思うし」

「だね。じゃ、おやすみ……リュカ君、ありがと」


 どうやらマヨルは寝てくれるようだ。

 二人の時間は気付けば長かったような、終わってみれば短かったような。

 それでも、明日また旅が続くと思えば楽しみだ。

 実際、不安要素はあるし、心配ばかり先回りして思考を乱す。マヨルを北の地で旅立たせてから、リュカたちはどうなる? 戻った先に待つのは、人間と魔族がいがみ合う日常だ。

 しかも、敵対する人間からマヨルをさらってきたのだから言い訳すらできない。


「まあ、なるようになるさ」


 ちらりと見やれば、ナーダがうなされている。

 華奢きゃしゃな彼女を、がっちり背後からミサネが抱き締めてるからだ。しかも、二人は脈絡のない寝言で会話を成立させており、それぞれ別の夢を見ながら言葉を交わしている。


「ンゴ、ンギギ……ふ、ふふ、もう食べられないぞ」

「だから、もぉ、やめてくださぁい……こら、ヤリク……いい加減に」

「果物は別腹だぞ、やめられないんだぞ」

「そうやって、また女の子のお尻ばかり……追いかけて……」


 意味不明だがまあ、寝せておいても大丈夫だろう。

 そう思うと、不思議と眠気が全身を這い上がってくる。リュカはあくびを一つして立ち上がり、その場で膝の曲げ伸ばしを行った。強張こわばった身体は、動かしても少し気だるく重い。

 夜明けを待ってヤリクと交代してもらい、仮眠を取る手筈てはずだ。

 だが、いよいよ夜は更けて闇が色濃くなる。

 その奥から突然、奇妙な違和感がリュカを襲った。


「ん? 今……なんだろう、音が走った」


 ランプを手に取り、森の奥へとかざしてみる。

 だが、何も見えない。

 むしが飛び交う小さなランプの中からは、ほのかな光しか広がってはくれないのだ。そしてそれは、頭上に持ち上げれば足元さえ見えなくなってしまう。

 それでも、リュカは闇夜に目を凝らした。

 魔族は夜目が利くが、それでもやはり見えない。


「まただ……誰かいるのか?」


 見えないだけで、なにかがある。

 いると感じた。

 野生の獣なのか、それとも……同胞か、それとも人間か。

 はっきりしているのは、敵か味方かがわからないということだ。

 見えず感じず、わからない。

 そのことだけははっきりとわかる。

 そして、リュカは自分を信じて確信していた。


「……襲ってはこないようだ」


 ランプを元の位置、皆の中央に戻す。

 ヤリクもヨギも、静かによく眠っていた。

 そして、どうやらマヨルも寝入ったようである。

 相変わらず主張の激しい生命力で騒がしいが、平穏ではあった。

 ただ、意識すれば先程よりはっきりと視線を感じる。

 剣の柄に手をかけ、そしてリュカは抜かずに身構えた。

 全神経を集中させて、闇の向こう側へと洞察力を伸ばす。同時に、そこに敵意を注がぬようにして探りを入れた。無駄に敵を作る必要はないし、普段からそれは好まない。

 謎の存在は不意に遠のき、去っていった。


「行った、か……そういえば、随分北に来たもんな」


 既にここは禁地、人間も魔族も入り込まぬ秘境である。

 そして、この地が封じられている理由もだんだんわかってきた。リュカたちが暮らす土地もそうだし、人間の生存圏もそう……この場所に比べれば、開かれてて危険のない場所なのだ。何百年もかけて開拓された土地である。

 だが、ここは違う。

 今、リュカたちは原初の森に孤立無援で、その上さらなる未知へと進まねばならないのだった。

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