光の御子一行のだんらん
真の闇が訪れた。
その森は、リュカたちが普段から出入りするようなものではなかった。夜の
そこかしこを飛び回る羽虫。
手元の小さなランプが照らせるのは、輪になった少年少女たちだけだ。
振り向けば、奈落の深淵にも似た暗黒が広がっているのだ。
食事の準備が進む中で、リュカはヤリクと声を潜め合う。
「本当かよ、リュカ。その話」
「ああ、アシュラムが確かに言った。話と違う、と」
「つまり、誰かが人間側に通じてる……例の小屋、いわゆる『秘密の隠れ家』なんだろ?」
「まあ、見当はついてるんだけどね。
「族長が!? そりゃ、いくらなんでも」
思わずヤリクの声が大きくなる。
それで仲間たちの視線が、一斉にリュカたちに向けられた。
この話はここまでにしようと、リュカは手を叩く。どうしてもわざとらしい言葉になったが、憶測に過ぎないことを皆で共有しても猜疑心が膨らむだけだ。
今は、この夜を生き延びることだけを考えればよかった。
「さて、食事の準備はできたかな。ヨギ、マヨルに少し説明してあげて。ナーダも頼む」
その中から、ヨギが持ってきたパンを手に取った。
マヨルは興味津々で、こぶし大の円形に目を輝かせている。
「えっと、これが魔族のパンです」
「パン、あるんだ! え、だって……火、使わないんでしょ?」
「そうですよ。これは
「茹でたもの……温源って?」
魔族の集落には必ず、温源と呼ばれる共同管理された施設がある。というより、温源の湧き出る場所を見つけて、そこに村や街を作るのだ。そういう時は、ヨギのような土の
ナーダがパンを割りながら、その片方をマヨルに差し出す。
「温源は、大地が熱を持ってて、熱湯が湧き出るような場所です。そういう土地を探して、私たちは拠点を築くんですよ。さ、どうぞ」
「温泉みたいなものかあ。地熱、的な……うん。いただきますっ! んんんっ!?」
因みにリュカは以前、人間が
魔族のパンはどっちかというと、弾力があってよく伸びるイメージだ。
マヨルは、ぱっと笑顔を咲かせて立ち上がった。
「こ、これは……そっか、ベーグルみたいな感じ! アリだよ、アリだよこれ!」
「お行儀悪いな、マヨル」
「あ、ゴメン。リュカ君もこれ、毎日食べてるの?」
「毎日は食べない。パンは
食は魔族にとっても、大切な文化だ。
衣食住は生命維持の基本だが、肉体と同時に精神をも癒やしてくれる。ただ栄養を詰め込むだけの食事とは、何百年も前に決別していた。それは多分人間も同じで、連中はもっと貪欲に食文化を研究していると聞いている。
魔族の食事は質素で種類も豊富とは言えないが、やはり味覚に様々な刺激をくれる。
それに、火を使わない魔族たちにとっては、食の安全は至上命題だ。
ぼんやり膝を抱えていたミサネが、パンを受け取り
「マヨル、肉も食え」
「えっ? お肉もあるの?」
「あるぞ……あたしが獲ってきた鳥だぞ」
「っていうか、ミサネちゃんてさ。なんかこう、ちょっと……さっきと雰囲気違い過ぎない?」
「……いつもこうだぞ」
「そ、そう。でも、お肉は嬉しいなあ」
早速ヨギが、枝を拾って削った串を手渡す。
綺麗に捌かれた鳥肉が、巻きつけるように刺さっていた。
先程ミサネが血抜きして、丹念に叩いてザクザクにしてあるものだ。
ヨギは一緒に、複数の革袋を荷物から取り出した。
「このままでは食べられません。
「わわ、なんかいっぱい出てきた! これ、全部調味料かあ」
「肉は自分たち魔族でも、ちゃんと香薬料を選ばないと危ないですからね」
マヨルは少し手を迷わせてから、一つ革袋を拾って開封する。微かに刺激的な香りがリュカの鼻孔を掠めた。
スンスンと鼻を鳴らして、マヨルは驚いたように皆を見渡す。
「これ……カレー粉みたいだ」
「こっちは豆を発酵させたものですけど」
「……味噌っぽいね」
「どれも加工時に薬草を使ったりしてます。消化の助けにもなりますし」
「こっちは、
「人間の調味料も多種多様ですが、自分たちの場合は薬の意味もありますから」
すぐに食事が始まった。
ヨギが
すぐにナーダとミサネも好みのものに手を出した。
「マヨル、これを足すと辛くなる。辛いのは美味いぞ」
「あ、ありがと。ナーダちゃんのそれは」
「私のこれは、
「いわゆるバター的なやつかあ」
あぐあぐとマヨルは、あまり
順応性が高いというか、全く偏見を見せたりしない。この、食肉を生で食べる文化も人間たちは、
「あ、柔らかい! お刺身みたいな……うん、美味しい」
「こういう時、人間だと温かいものを好むんでしょうけど。そこはごめんなさいね、マヨルさん」
「茶もあるぞ。これは水出しで、すぐ飲める茶葉だぞ」
食事になると、娘たちはかしましく明るさを増してゆく。
その光景に目を細めつつ、リュカは再び思考に沈んでいった。
やはり、伯父のアガンテがアシュラムと通じているのだろうか? もしくは、何らかの事情があって口を割らざるをえなかったというのも考えられる。教会は
しかし、普段からよく思われていないのも確かだ。
一族のはみ出しもの、忌々しい混血児がやらかしたという見方は正しい。
「おい、難しい顔になってんぞ。飯の時くらい素直に楽しめよ」
ヤリクに肘で小突かれた。
彼はそのまま、勝手にリュカの肉に香薬料をモリモリに盛る。強い酸味があって、見た目も白くてドロッとしているやつだ。これがヤリクは好きで、見る者がちょっと顔をしかめてしまう程度に使いまくるのである。
しかも、本人はそれが一番美味いと思っているのだ。
「いや、そんなにかけられても……ま、まあ、ありがとう」
「とりあえず、マヨルを連れて北に進めばいいんだ。追いついてきた奴がいたら、その時改めて聞いてみようぜ。俺が生け捕りにしてやるからよ」
「頼もしいね、相変わらず。頼むよ、
「任せろ、
友の気遣いに、思わず目頭が熱くなる。
しかし、肉にかぶりつけば酸味が突き抜けた。
やはり、かけ過ぎである。
マヨルが「ヤリク君、マヨラーみたい!」と笑っていた。
光の御子がどうこうというのはわからないが、マヨルの笑顔はほがらかで温かい。どうしても冷えたものばかりになる食事が、今日はとてもぬくもりに溢れていた。
ここでは、四方の彼方のその向こうまで、リュカたち五人しかいない。
闇の中では、ランプの明かりさえも心細いものだ。
「とりあえず僕が見張りに立つから、食事を終えた者から休息を取って――」
リュカの言葉は遮られた。
そして、夜の森よりもマヨルは騒がしい。
彼女の言葉が弾んでいて、鳥や虫の鳴き声を遠ざけてくれた。
「ねね、ナーダちゃん。ミサネちゃんも。こっち人たちって、やっぱ……オシャレとかするの?」
「オシャレ、というと……ああでも、祭の日には晴れ着を着ますね」
「身内の結婚式とかも豪勢だぞ。御馳走も出るんだぞ」
なんだかキャンプみたいだと、危機感のない笑顔でマヨルが笑う。
どうも、女の子たちが盛り上がり始めてしまって、まだまだ長い夜は続きそうだった。
一応周囲に警戒心を投げかけながら、リュカも自然と耳を傾けてしまう。ヨギは手荷物の確認をしているし、ヤリクは二本目の串肉に手を付けたところだ。
逃避行の大冒険が、少しだけ緊張感をやわらげる。
時間はゆっくりと流れ始めて、そのよどみに静かに誰もが沈んでゆく。
だが、魔族にとっては夜は危険な時間でもあった。それは、火の常用を否定した民族にとっては、生死を分かつ瞬間でもある。
「リュカさん、毛布は人数分あります、けど」
「うん。少し冷えてきたな」
「昼間はあんなに蒸し暑かったのに」
「寒暖差にも気をつけろってことか」
そのあとは皆で、身を寄せ合うようにして毛布にくるまった。
リュカだけが見張りに立って寝ずの番を試みたが……その背中はずっと、少女たちの色めいたささやき合いを聴き続けるのだった。
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