そして夜が訪れる
ミサネに応急処置を施し、リュカたちはすぐに北へと歩いた。
追手の気配はなかったが、あれで人間たちが諦めるとは思えない。なにより、マヨルを元の世界に帰してやるためには進まなければならない。
自然と不安が皆を多弁にしてゆく。
他愛のない会話の節々に、リュカは沢山の驚きを発見するのだった。
「それじゃ、なにか? マヨルの世界じゃ、ガッコウとかいうのの中でもセンキョをするのか」
「ん、そだよ。生徒会長選挙っていって」
「わかんねえなあ。弓の一番上手い奴が
ヤリクとマヨルのやり取りに、すかさずナーダが「あなたがリーダーになりたいだけじゃないですか」と口を挟んだ。ヨギもリュカも、
ミサネだけが無表情のまま、時折首を傾げている。
やはり、マヨルの世界には不思議な制度や仕組みが満ちている。リュカからすると不可思議なものばかりだが、妙に気になる。魅力的にさえ思える。そこになにか、二つの種族が争い続けるこの大陸の、もっと違う未来が隠れているような気がした。
「マヨルはその、セ、セイト? セイトカイチョーとかいうのにはならないのですか? 光の
「光の御子に生まれたからには、そのセンキョとかいうのに出るべきですよ。変な人が
照れ臭いのか、マヨルはニハハと笑う。
だが、マヨルは疲れた素振りを見せない。鳥走竜もナーダに譲って、ずっと先頭を歩いていた。
そのマヨルが、少し説明に困ったように腕組み天を仰ぐ。
だいぶ緑の深い場所まで来て、もう太陽の光もほとんど届かない。
「んー、それなんだけどねえ。わたし、向こうの世界じゃ普通の女子中学生なんだよね。あ、言ってもわかるかな。学生なんだ。まだまだ勉強中の、ただの子供」
「えっ!? それじゃ、なんで光の御子なんてやってるんですか?」
「ふっふっふ、ヨギ君……それ、わたしが聞きたいくらい。なんでか知らないけど、こっちに来たら勝手に光の御子にされてたんだよね」
「え……じゃあ、マヨルさんって」
「そう、マヨルさんはなんでもないただの人、普通の人間なのですよ?」
リュカたちの知らぬ知識を無数に有し、なにより人間たちが崇める伝説のカリスマ……しかしてその実態は、どこにでもいる普通の少女だという。
それはリュカも、薄々気付いていた。
勘のいいヤリクなんかも、同じかもしれない。
マヨルに特別な力はないし、危険な存在でもない。
ただ、彼女がいる限り人間たちは、
だが、次の言葉には不覚にも驚いてしまう。
「あ、でもね。わたしのお母さんも昔、こうして異世界に来たことあるって言ってた。だからかな、驚かなかったっていうか……年頃の美少女にはよくあることなのかなーって」
初耳だ。
それに、美少女を自称するなんていい根性している。
それはそうとして、マヨルの母親もまた光の御子だったのか? それはわからないが、マヨルの落ち着いた態度に説得力が生まれる。見知らぬ土地に一人きりでも、彼女はどこか達観した態度を崩さない。望郷にかられて涙することもあるが、いつもいつでも快活で
もし、母親から同様の経験談を聞いていたなら、それもありえる。
「マヨル、君の一族……君の世界の住人は皆、そうして異世界を行ったり来たりしてるのかい?」
リュカの率直な質問に、ゆっくりマヨルは首を横に振る。
「んーん。まあ、そういう漫画やアニメ……あ、わかるかな。小説とか、こう」
「物語のことか。
「多分、そんな感じ。そういう創作物は多いけど、全部嘘のお話っていうか……でも、お母さんは言ってた。自分も小さい頃に、異世界で冒険したって」
やはり世襲か、血筋による継承か?
どうにもわからない話になってきたが、一層興味を惹かれる。そうした異なる世界同士を行き来する物語があるということは、もしかしたら誰かがそれを経験した
ともあれ、今のリュカには想像力を練り上げている余裕はない。
「そろそろ野営の準備をしよう。この辺で夜を超える準備をしないと」
よく頑張ってる方だが、マヨルの体力も限界だろう。本人が自分を普通の人間だと言うなら、
見上げれば、
僅かに差し込む陽光も弱く、既に日が傾いてると察することができた。
すぐに仲間たちは動き出す。
「ヨギ、あの巨木の下にしよう。そこまでだ、頑張れ」
「は、はい、ヤリクさん」
「この子にも水と餌をあげないといけないわ。それと、ミサネの包帯も取り替えないとね」
「ナーダ、あたしは大丈夫だぞ。骨には達してない、かすり傷だ」
こういう時は、狩人のヤリクが一番頼りになる。
逆に、リュカは発言を控えて指示を待った。
「リュカ、お前さんは
「このあたりはもう、未開の地だ。何番を鳴らせばいいかな」
「一番から順々に、まあ……五、六番あたりまで鳴らせば大丈夫だろ」
ヤリクがなにか、細長い管のようなものを投げてくる。それを受け取り、リュカは周囲を見渡した。もう既に、ここに人間や魔族の営みはいささかも感じられない。
だが、原初の大自然の中には、奇妙な安寧が広がっていた。
ここには無益な戦いはないし、それを挑んでくる人間たちも見当たらない。
ただ食べるために殺し、死ねば全てが他の生物の糧となる。
森自体が、樹と生き物たちを育む巨大な
「さて、なるべく明るい蟲が見つかるといいんだけど」
先ほど受け取った笛を片手で持ち、もう片方の手で荷物からランプを取り出す。
そこかしこで羽虫が飛び交い、遠くから聴いたこともない鳴き声が響いていた。本当にここはまるで異世界で、マヨルもこの大陸に来た時はそう思っただろう。
ちらりと肩越しに振り返れば、マヨルはナーダと一緒に鳥走竜を世話していた。
その姿は、どう見てもやはり……ただの女の子にしかみえない。
「一番から鳴らしてみて、ときたか」
笛に唇を当てて、最初の穴を指で抑える。
息を吹き込んでも、無音だ。
正確には、耳には聞こえない音が出ている。これは獣の骨を削って作った笛で、どこの氏族にも腕のいい職人がいるのだ。蟲集めの笛は、吹き方を使い分けることで多種多様な蟲を捕まえることができる。
二番、三番と試しながら、リュカは身を低くして茂みを歩く。
なんどか笛を吹いていると、耳慣れた羽音が頭上に集まり始めた。
「しめた、この音は
そっとランプの
二度三度とランプを振れば、その中に何匹かの蟲が入り込んだ。ランプは甲虫の殻と透明な羽根で作ったもので、中では混乱した玉光蟲が明滅を繰り返していた。
魔族ではどの氏族も、夜は植物や蟲の明かりを頼りにしていた。
同時に、夜の闇は恐れるものでもなく、その暗さこそが安眠への約束だとわかっている。
「これでよし、と……ん? ミサネ? おいおい、怪我に
森の奥から、ズンズカと大股でミサネが歩いてくる。
その手には、大きな鳥が身じろぎ暴れていた。大きさは丁度子豚くらいで、見たこともない羽根の色をしている。光沢があって、まるで炎のように揺らめく赤だった。
その鳥の脚を
「リュカ、晩飯だぞ。なかなかの獲物を捕らえた」
「そりゃありがたいけどね……手持ちの食料は大事に食べたいし」
「見たことない鳥だぞ。リュカ、知ってるか?」
「いや、僕もさっぱりだ」
「きっと、
ミサネは肩の包帯も痛々しいが、全く苦しむ様子を見せない。
骨の髄まで戦士なのだ。
それでも、友として心配だ。
「ミサネ、傷はいいのかい?」
「平気だぞ。……でも、飛び道具は嫌いだぞ」
「人間の
「だぞだぞ」
すぐにミサネは、鳥の首へと手を伸ばした。そして、小さくゴキャリと鳴らせば……そのまま
だが、血の滴る鳥を絞るようにしながら、ミサネは小さな声で呟いた。
「マヨルは、人間だぞ。あたしたちのご飯は大丈夫だろうか」
「んー、まあ、そうだなあ。確か人間は、肉をそのままは食べないんだ」
「そうらしいんだぞ。……どうやって食べるんだ? 人間、肉を食わないのか?」
「焼いたり煮たり、
「……恐ろしいことをするぞ。火で焼いていいのは死者だけだぞ」
「まあ、僕たちの社会じゃそうだね」
魔族は死者を
火は神聖なもので、生きている魔族には必要がないものだった。また、自然と調和して生きる中では、逆に危険ですらある。こうして見知らぬ森にいても、火の扱いを誤れば全てが焼け落ちてしまうのだ。
一生懸命に血抜きを行うミサネを見ていると、ランプの蟲たちが光り出した。
薄暗い森の中に今、本当の闇が訪れようとしているのだった。
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