そして夜が訪れる

 ミサネに応急処置を施し、リュカたちはすぐに北へと歩いた。

 追手の気配はなかったが、あれで人間たちが諦めるとは思えない。なにより、マヨルを元の世界に帰してやるためには進まなければならない。

 自然と不安が皆を多弁にしてゆく。

 他愛のない会話の節々に、リュカは沢山の驚きを発見するのだった。


「それじゃ、なにか? マヨルの世界じゃ、ガッコウとかいうのの中でもセンキョをするのか」

「ん、そだよ。生徒会長選挙っていって」

「わかんねえなあ。弓の一番上手い奴がおさで、それでいいじゃねえか」


 ヤリクとマヨルのやり取りに、すかさずナーダが「あなたがリーダーになりたいだけじゃないですか」と口を挟んだ。ヨギもリュカも、うなずきを交わさずにはいられない。

 ミサネだけが無表情のまま、時折首を傾げている。

 やはり、マヨルの世界には不思議な制度や仕組みが満ちている。リュカからすると不可思議なものばかりだが、妙に気になる。魅力的にさえ思える。そこになにか、二つの種族が争い続けるこの大陸の、もっと違う未来が隠れているような気がした。


「マヨルはその、セ、セイト? セイトカイチョーとかいうのにはならないのですか? 光の御子みこなんだから、沢山の人の支持を得られると思うのだけど」


 鳥走竜ケッツァの背に揺られながら、ナーダが言葉を選ぶ。こういう起伏の激しい地平でも、二足歩行の鳥走竜は器用に進んでゆく。その手綱たづなを引きながら、ヨギが言葉尻を拾った。


「光の御子に生まれたからには、そのセンキョとかいうのに出るべきですよ。変な人がおさになるくらいなら、やっぱり最初から優れてる人がやったほうが」


 照れ臭いのか、マヨルはニハハと笑う。

 すでにもう、あれから二時間は歩き詰めだ。

 だが、マヨルは疲れた素振りを見せない。鳥走竜もナーダに譲って、ずっと先頭を歩いていた。空元気からげんきなのは目に見えていたが、へばってもらってはリュカたちも困る。

 そのマヨルが、少し説明に困ったように腕組み天を仰ぐ。

 だいぶ緑の深い場所まで来て、もう太陽の光もほとんど届かない。


「んー、それなんだけどねえ。わたし、向こうの世界じゃ普通の女子中学生なんだよね。あ、言ってもわかるかな。学生なんだ。まだまだ勉強中の、ただの子供」

「えっ!? それじゃ、なんで光の御子なんてやってるんですか?」

「ふっふっふ、ヨギ君……それ、わたしが聞きたいくらい。なんでか知らないけど、こっちに来たら勝手に光の御子にされてたんだよね」

「え……じゃあ、マヨルさんって」

「そう、マヨルさんはなんでもないただの人、普通の人間なのですよ?」


 リュカたちの知らぬ知識を無数に有し、なにより人間たちが崇める伝説のカリスマ……しかしてその実態は、どこにでもいる普通の少女だという。

 それはリュカも、薄々気付いていた。

 勘のいいヤリクなんかも、同じかもしれない。

 マヨルに特別な力はないし、危険な存在でもない。

 ただ、彼女がいる限り人間たちは、神輿みこしのように担ぎ出して戦いの理由にするだろう。それは、人間の発展に押し込められつつある魔族にとっては、死活問題だった。

 だが、次の言葉には不覚にも驚いてしまう。


「あ、でもね。わたしのお母さんも昔、こうして異世界に来たことあるって言ってた。だからかな、驚かなかったっていうか……年頃の美少女にはよくあることなのかなーって」


 初耳だ。

 それに、美少女を自称するなんていい根性している。

 それはそうとして、マヨルの母親もまた光の御子だったのか? それはわからないが、マヨルの落ち着いた態度に説得力が生まれる。見知らぬ土地に一人きりでも、彼女はどこか達観した態度を崩さない。望郷にかられて涙することもあるが、いつもいつでも快活で闊達かったつなのがマヨルという少女だった。

 もし、母親から同様の経験談を聞いていたなら、それもありえる。


「マヨル、君の一族……君の世界の住人は皆、そうして異世界を行ったり来たりしてるのかい?」


 リュカの率直な質問に、ゆっくりマヨルは首を横に振る。


「んーん。まあ、そういう漫画やアニメ……あ、わかるかな。小説とか、こう」

「物語のことか。絵草紙えぞうしとか、そういう」

「多分、そんな感じ。そういう創作物は多いけど、全部嘘のお話っていうか……でも、お母さんは言ってた。


 やはり世襲か、血筋による継承か?

 どうにもわからない話になってきたが、一層興味を惹かれる。そうした異なる世界同士を行き来する物語があるということは、もしかしたら誰かがそれを経験したあかしなのかもしれない。

 ともあれ、今のリュカには想像力を練り上げている余裕はない。


「そろそろ野営の準備をしよう。この辺で夜を超える準備をしないと」


 よく頑張ってる方だが、マヨルの体力も限界だろう。本人が自分を普通の人間だと言うなら、尚更なおさらである。加えて言えば、ヨギも自分も少しへばり気味だった。

 見上げれば、鬱蒼うっそうしげる木々が空を奪い合っている。

 僅かに差し込む陽光も弱く、既に日が傾いてると察することができた。

 すぐに仲間たちは動き出す。


「ヨギ、あの巨木の下にしよう。そこまでだ、頑張れ」

「は、はい、ヤリクさん」

「この子にも水と餌をあげないといけないわ。それと、ミサネの包帯も取り替えないとね」

「ナーダ、あたしは大丈夫だぞ。骨には達してない、かすり傷だ」


 こういう時は、狩人のヤリクが一番頼りになる。

 逆に、リュカは発言を控えて指示を待った。


「リュカ、お前さんはむしを頼む。ほらよ、俺の笛だ」

「このあたりはもう、未開の地だ。何番を鳴らせばいいかな」

「一番から順々に、まあ……五、六番あたりまで鳴らせば大丈夫だろ」


 ヤリクがなにか、細長い管のようなものを投げてくる。それを受け取り、リュカは周囲を見渡した。もう既に、ここに人間や魔族の営みはいささかも感じられない。

 だが、原初の大自然の中には、奇妙な安寧が広がっていた。

 ここには無益な戦いはないし、それを挑んでくる人間たちも見当たらない。

 ただ食べるために殺し、死ねば全てが他の生物の糧となる。

 森自体が、樹と生き物たちを育む巨大な生命いのちなのだ。


「さて、なるべく明るい蟲が見つかるといいんだけど」


 先ほど受け取った笛を片手で持ち、もう片方の手で荷物からランプを取り出す。

 そこかしこで羽虫が飛び交い、遠くから聴いたこともない鳴き声が響いていた。本当にここはまるで異世界で、マヨルもこの大陸に来た時はそう思っただろう。

 ちらりと肩越しに振り返れば、マヨルはナーダと一緒に鳥走竜を世話していた。

 その姿は、どう見てもやはり……ただの女の子にしかみえない。


「一番から鳴らしてみて、ときたか」


 笛に唇を当てて、最初の穴を指で抑える。

 息を吹き込んでも、無音だ。

 正確には、耳には聞こえない音が出ている。これは獣の骨を削って作った笛で、どこの氏族にも腕のいい職人がいるのだ。蟲集めの笛は、吹き方を使い分けることで多種多様な蟲を捕まえることができる。

 二番、三番と試しながら、リュカは身を低くして茂みを歩く。

 なんどか笛を吹いていると、耳慣れた羽音が頭上に集まり始めた。


「しめた、この音は玉光蟲ぎょくこうちゅうじゃないか。どれ、ちょっと今夜だけ借りられてくれないかな」


 そっとランプのふたを開けて、そのまま軽く振り回す。

 二度三度とランプを振れば、その中に何匹かの蟲が入り込んだ。ランプは甲虫の殻と透明な羽根で作ったもので、中では混乱した玉光蟲が明滅を繰り返していた。

 魔族ではどの氏族も、夜は植物や蟲の明かりを頼りにしていた。

 同時に、夜の闇は恐れるものでもなく、その暗さこそが安眠への約束だとわかっている。


「これでよし、と……ん? ミサネ? おいおい、怪我にさわるって」


 森の奥から、ズンズカと大股でミサネが歩いてくる。

 その手には、大きな鳥が身じろぎ暴れていた。大きさは丁度子豚くらいで、見たこともない羽根の色をしている。光沢があって、まるで炎のように揺らめく赤だった。

 その鳥の脚を鷲掴わしづかみにして、ニカッとミサネが笑いかけてくる。


「リュカ、晩飯だぞ。なかなかの獲物を捕らえた」

「そりゃありがたいけどね……手持ちの食料は大事に食べたいし」

「見たことない鳥だぞ。リュカ、知ってるか?」

「いや、僕もさっぱりだ」

「きっと、美味おいしいぞ!」


 ミサネは肩の包帯も痛々しいが、全く苦しむ様子を見せない。

 骨の髄まで戦士なのだ。

 それでも、友として心配だ。


「ミサネ、傷はいいのかい?」

「平気だぞ。……でも、飛び道具は嫌いだぞ」

「人間のいしゆみは矢が速くて、切り払い難いものな」

「だぞだぞ」


 すぐにミサネは、鳥の首へと手を伸ばした。そして、小さくゴキャリと鳴らせば……そのまま痙攣けいれんして鳥は動かなくなった。彼女は腰のなたを引き抜き下処理を始める。夕食までに血抜きが終われば、今夜はちょっとした御馳走ごちそうにありつけるかもしれない。

 だが、血の滴る鳥を絞るようにしながら、ミサネは小さな声で呟いた。


「マヨルは、人間だぞ。あたしたちのご飯は大丈夫だろうか」

「んー、まあ、そうだなあ。確か人間は、肉をそのままは食べないんだ」

「そうらしいんだぞ。……どうやって食べるんだ? 人間、肉を食わないのか?」

「焼いたり煮たり、いためたりでたりさ。火を使うんだ」

「……恐ろしいことをするぞ。火で焼いていいのは死者だけだぞ」

「まあ、僕たちの社会じゃそうだね」


 魔族は死者を荼毘だびに付す時、特別に火を使う。

 火は神聖なもので、生きている魔族には必要がないものだった。また、自然と調和して生きる中では、逆に危険ですらある。こうして見知らぬ森にいても、火の扱いを誤れば全てが焼け落ちてしまうのだ。

 一生懸命に血抜きを行うミサネを見ていると、ランプの蟲たちが光り出した。

 薄暗い森の中に今、本当の闇が訪れようとしているのだった。

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