彼女の淹れるお茶の味は

月代零

第1話

 頭が痛い。

 この辺り一帯では賢者と名高く、王侯貴族もお忍びで相談にやって来るほどの腕前を持つ魔術師、ベアトリクスは頭を抱えていた。

 こんな時は、お茶でも飲んで心を落ち着かせよう。

 そう思って、かまどに火を熾し、薬缶に水がめから水を汲み入れ、火にかけた。

 湯が沸くのを待つ間に、茶葉を調合する。気分をすっきりさせるのに良いのは、ミントにレモンバーム、それから――

 壁に吊るして乾燥させている香草からいくつか選んでいると、書斎の方からガタガタガタッ、と何かが崩れるような大きな音がした。

「――っ」

 ベアトリクスは声にならない声を上げ、再び頭を抱えた。年齢によって刻まれた目の周りのしわが、深くなってしまう。お茶を淹れるのは中断し、火を消して音のした方へ向かう。

「……エディリーン」

 書斎の扉を開けると、5、6歳くらいの小さな子供が、崩れた本に埋もれてへたばっていた。エディリーンと呼ばれた子供は、ベアトリクスの姿を認めると、気まずそうに目を逸らした。


「ここのものには勝手に触るなと、あれほど言ったはずだが?」

 ベアトリクスは本をどかして子供を救出すると、そのまま床に座らせてくどくどと説教を始めた。

 大人の足で数歩で往復できるくらいの、決して広くはない部屋だが、壁にしつらえられた本棚には医術書、薬学書、魔術書を始めとする様々な分野の分厚い本がみっしりと並び、入りきらなかった本が床にも積まれている。戸棚には魔術や医術に使う道具がしまわれている。子供の遊び場ではないし、下手に扱うと危険なものだってあるのだ。

 理解しているのかいないのか、エディリーンは口を横に引き結んで、明後日の方向を向いている。子供のくせに表情が乏しく、何を考えているのか読み取れない。

 この、目を離すと何をしでかすかわからない子供が、このところベアトリクスを悩ませている元凶だった。

 事の始まりは、旧友というか腐れ縁の男、ゲオルグが、ベアトリクスが一人で暮らす森の中の一軒家に、この子供を連れてきたことだった。


 一月ひとつきほど前のことだ。

「なんだお前、子供がいたのか?」

 ゲオルグは、傭兵として隊商の護衛をしたり、宿場街で用心棒をしたり、どこぞの戦場に出たりして生活している。

 この男が何の連絡もなく訪ねてくるのはいつものことだが、子連れだったのは初めてのことだ。40を超えているし、子供がいても別におかしくはないのだが。

「違う。拾ったんだ」

 旅の途中で行き倒れていたのを助けた、という話だった。迷子か捨て子かわからないが、家族の手掛かりはなく、妙に懐かれてしまったので、捨て置くこともできず、ここまで連れてきたらしい。

 しかし、なんだこの子供は。ベアトリクスは、顎に手を当てて、子供を凝視する。

 一目でわかったが、恐ろしいほどのマナを持っていた。マナとは、万物に宿るエネルギーのこと。魔術においては、その量で操れる術の大小が決まる。マナの保有量は、修行で多少高めることができるが、この子供のマナの量は、あまりに桁違いだった。これは、きちんと制御する術を身につけさせないと、後々大変なことになるだろう。

 子供はゲオルグのズボンの陰から、宝玉のような深い青の瞳で、じっとこちらを見上げていた。痩せっぽちの身体に、肉の薄い頬の周りを、ぱさぱさの長い髪が流れている。一見銀髪のようだが、光の加減で空色のようにも見える、不思議な淡い色合いの髪だった。一体、どこのガキだ。

「わたしは弟子など取らんぞ」

 この男がベアトリクスの元にやって来るのは、大体が問題を抱えている時だ。ベアトリクスは、ゲオルグが言わんとしていることを察し、先手を打った。

 周囲の村や街の人々の頼みを聞いて、生活に困らない程度の報酬を得る、一人の気ままな今の暮らしに、ベアトリクスは満足しているのだ。どこの馬の骨ともわからない子供の面倒を見るなど、まっぴらごめんだ。

 ゲオルグもその答えは予想していたようで、

「そこをなんとか……」

 と、精悍な髭面で手を合わせて懇願してくる。

 親のない子など街の孤児院に預けるのが手っ取り早いが、このマナの塊を放置したのでは、いつ暴走でもして周囲に危害が及ぶかわからない。

 マナは万物に宿るが、それを感知し、術として操れるほどの量と才能を持って生まれてくる人間は、決して多くはない。よって、まとまった教育体制も存在しない。

 その稀有な才能を持って生まれた人間は、その力を活かそうと思えば、先人に弟子入りするか、独学で何とかするしか方法がないのが現実だった。

 ゲオルグもそれを承知でベアトリクスの元にやって来たのだろう。

「お前が拾ったのなら、責任持って面倒見ろ」

 魔術師など楽しい仕事ではない。常人には扱えぬ力を扱い、医術や薬草に通じ、人とそうでないものを繋ぐ役割を持つ彼らは、平時は人々に頼られ、尊敬されもするが、何かあれば恐れの対象にもなる。だから、大抵は人里から離れ、一人で暮らしている。

「だからお前さんに頼みに来たんだ。わかるだろう? この子の力。俺が育てるのは構わない。だが、このまま連れ歩くわけにもいかなくてだな」

 既に何かあったかのような口ぶりだった。でなければ、考えなしに子供を拾って、他人に預けるような男ではないはずだ。

「それに、俺の仕事にこんな小さな子を連れて行けない」

 この後、隣国まで行く商人の護衛の仕事が既に決まっていて、早々に出発しなければならないらしい。

 ベアトリクスは渋々首を縦に振った。

「……わかった。ただし、お前の仕事の間、面倒を見るだけだ。弟子にはしない。その後のことは自分で考えろ」

 子供は好きではないが、目の前の小さな存在を見捨てるほど、非情ではないつもりだ。

 一月ひとつきと少しで戻ると言ったゲオルグの言葉を信じ、ベアトリクスと珍妙な子供との同居生活は始まった。


 子供との生活は、思った以上に神経を削られた。

 この子供、自分の名前もわからなかったらしく、ゲオルグにエディリーンと名付けられていた。そして、ゲオルグに置いて行かれると悟って、ぎゃあぎゃあ泣き喚いた。

 しかし、それもすぐに落ち着いて、子供の順応力というのは恐ろしいものだなどと思っていると、家の中を探索し、本や薬草や魔術道具を勝手に触るし、それを禁止すれば森に出かけて迷子になった。片時も目が離せない。

 見た目は5歳くらいだが、挙動は2歳児並みだった。目の前に現れたものに次々と興味を示し、危険という概念もなく突進していく。

 もっとも、痩せていて発育が悪いし、誕生日もわからないようなので、正確な年齢を知る術はないのだが。なまじ、2歳児より自力で動ける範囲が広いのが余計始末に負えない。

 そして、困ったことに、まともに言葉が話せなかった。

 庶民で読み書きのできない者は別に珍しくないが、何か障害があるのでもない限り、話すこともできないというのは、日常生活に不便がありすぎる。

 旅の道中でゲオルグがある程度の発話と読み書きを教えてはいたようだが、まだ意思疎通がスムーズにできるまでには至らない。

 ベアトリクスは、暇を見つけてはエディリーンに言葉と読み書きを教えた。

 教えてみてわかったが、頭の回転は悪くないようだった。乾いた土が水を吸収するように、教えたことは片っ端から覚えた。どうやら、まともに教育を受けたことがないだけのようだ。 

 わからないことは聞けと言ったら、質問攻めになってうんざりしたが、教える喜びは確かにあった。

 そして、言葉を覚えたら覚えたで、勝手に本を読み漁り始めて、先の状況に至る。


 ものを勝手に触るなと、何度目かの釘を子供に刺すと、ベアトリクスはふと思い直し、

「……そんなに本が読みたいか?」

 聞くと、こくりと子供は頷いた。

 本の山に埋もれたエディリーンが抱えていたのは、薬と毒に関する本だった。

「これに書いてあることが理解できるのか?」

 今のこの子の知識で読み解けるはずはないと思うが、案の定、

「……わからない。知らない言葉ばかりだった」

 それを聞いて、少しほっとした。いくら頭の回転が速いと言っても、この年齢でここにある本の内容が理解出来たら、化け物だ。

「薬草学に興味があるのか?」

 再び問うと、子供は首を傾げ、じっと考えるような仕草をする。

「……わからない。わからない、から、知りたい」

 やっと言葉を覚え、自分の気持ちを表現する方法を知り始めた子供が絞り出した答えが、それだった。

 ベアトリクスはそれを聞くと、深々と息を吐き出した。

「だったら、わたしの元で学ぶか?」

 勝手に本を読まれるのは、止められそうにない。だったら、中途半端に知識を身に着けるより、きちんと体系的に教えた方がいい。その方が、ベアトリクスの精神衛生的にも良さそうだ。

「わたしの知っていることなら、可能な限りお前に教えてやる。ただし、掃除や洗濯、食事を作ること、その他諸々、生活に必要なことを覚えることも一緒にだ。どうする?」

 子供はベアトリクスの言うことを理解しようと、言われたことを反芻しているようだった。

 やがて、自分にわかる範囲で納得したのか、

「うん。やる」

 と、ぱっと笑顔を浮かべて頷いた。

 そういえば、この子の笑った顔など始めて見た。こんな表情もできるのか、と思った。

 ベアトリクスはふっと微笑んで、

「さて、喉が渇いたな」

 と子供を立たせる。

 さっき淹れかけていたお茶を飲もう。ついでに、先日村人からもらった焼き菓子があったはずだから、この子供にも食べさせてやるか。

「来な。ひとまず、お茶にしよう」

 とりあえず、美味いお茶の淹れ方から教えようか。


 薬草や香草は、使い方次第で毒にも薬にも、お茶にもなる。知識も、力も同じだ。ならば、きちんとその力を使う術を教えなければ。

 弟子など取らないつもりだったが、自分の知っていること、やってきたことを次の世代に伝えられるのも、悪くないかもしれないと思った。


                                    了

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