『永遠に』

「絵里。これからも僕と一緒に彼らのライブに行ってください」

真剣な、それでいて少し照れたような表情で彼が言う。

それは私たちが出会った日の帰り際と同じ台詞だったけれど、差し出されたリングが別の意味をくれた。


「今日が何の日か覚えてる?」

「勿論覚えてるよ。2周年でしょ」

そう得意げに答えた私を見て、彼は満足そうに微笑む。

いつだって私はその笑顔に癒され、包まれ、甘やかされているのだ。

優しくて穏やかな彼・黒井優一は、誕生日や記念日、それこそ私が犬のシロを飼い始めた日付まで忘れず祝ってくれるような人で、過ぎた出来事に無頓着で忘れっぽい私とは正反対。

そんな私でも覚えていた今日は、私たちが同棲を始めてちょうど2年の記念日にあたる。

実を言うと正確な日付は半分忘れかけていたのだが、今回のツアー日程が発表された時に優一が「ツアー最終日、同棲2周年だ!これは絶対チケット取らなきゃ」と歓喜していたので流石の私も覚えた。

あの日のライブに互いに1人できていた私たちが偶然隣同士の席になり、たまたま同じ最寄り駅で、たまたま行きつけの居酒屋も一緒だった。

帰り道に彼が偶然を運命にかえてくれたから今があると言える。


同棲を始めてからの2年。沢山笑って、沢山喧嘩もした。

大抵は優一が折れて、ゴスペラーズの曲をかける。それを聴いて2人でハモるのが私たちの仲直りだ。


どこからか婚姻届を取り出して、今からこれを出しに行こうと提案する彼の指先が震えている。

まだ緊張が滲む彼に、なんだか今日は少しだけいじわるを言いたくなった。

「優ちゃんは音痴だし理想とはちょっと違ったけど。まあ、これはこれでアリかな」

「手厳しいっ。歌は彼らに任せるけど、絵里を幸せに出来るのは俺だから!あ、でもライブで幸せ貰ってたりもするからやっぱり敵わないのか。となると僕が勝てるのは……」

「なーにをぶつぶつ言ってるの!私のこと、生涯大切にしてくれるんでしょう?」

「はいっ!誓います!!」

「ちょっと!!声が大きいっ」

まだ何か言おうとしている彼の大きな背中をぐいぐいと押して、私たちは市役所に向かった。


心配していた書き損じもなく、思いの外スムーズに手続きを終える。

帰宅してすぐに彼は音楽をかけた。

聴こえてくるのは美しいハーモニー。

すっかりテンションの上がった私たちは『永遠に』を盛大に歌う。

優一にはああ言ったが私もまあまあ音痴だし、なんだかんだ感動していて声がうわずっていたからハモりは酷いものだったと思う。

それでもお互い大満足で、彼に至っては「正直、今、彼らより上手いかも」なんて悦に入っている。

「上手い下手は別にして、胸に響くものはあるね」

うんうん、と大きく頷いてからもう一度歌った。


   ***


北の大地に届いた桜の便り。

以前住んでいた街よりも少し薄い色をした美しい花弁が柔らかな風に揺れている。

爽やかな春の陽気とは正反対の雰囲気漂う蓮華斎場で、ゆきはこの日も朝から仕事に追われていた。

職場のメンバーは明るい人も多いのだが、仕事の内容が内容だけにどことなく不気味な静けさがある。

ただ、ゆきにはそれが妙に居心地がよく、この仕事を気に入っているひとつの理由にもなっていた。

毎日のように訪れる"誰か"との別れ。

その"誰か"はほとんどの場合生前には知り得なかった人なのだから不思議なものだ。

葬儀は故人を見送る場でもあり、遺された者の後悔を減らす為の場でもあるのかもしれない。

未だ拭えぬ両親への後悔がそう思わせていた。


物思いにふけるゆきに、里奈が声をかけたのは10時をまわった頃だった。

昨夜遅くに坂元が依頼を受けた黒井家の葬儀についてである。

「坂元さん、昼前には出社するって」

「了解です。里奈さん、ご葬儀の内容聞いてるんでしたっけ?」

「家族葬って聞いてるよ。奥様が喪主。まだ50代みたい」

「なるほど……」

その後の言葉がうまく出てこなくて、会話はそこで終わってしまった。

家族葬、喪主は奥様、50代、と頭の中で繰り返す。

必要な書類を準備しているとあっという間に時間が過ぎていて、黒井宅での打ち合わせを終えた坂元が事務所に顔を出した。

「ゆきちゃん、ランチミーティングいいかな」

すぐに食堂に向かい詳細を確認する。


昨夜は葬儀担当者は坂元、ペアを組むのはゆきというところまでしか確認出来ていなかったのでこの時間が大切になるのだ。

オプションの"お別れビデオ"の作成はゴスペラーズの名曲『永遠に』での依頼だった。

この曲はゆきもよく知っているのでビデオ作成のイメージがつきやすい。

それがわかったからか、坂元は「ビデオはゆきちゃん、頼むね」と一任する。

「ご夫婦の出会いのきっかけが、彼らのライブなんだって。偶然隣の席になった2人だったけど、たまたますぐ近くに住んでるって事がわかって意気投合したらしいよ」

「へえ、それはなかなか素敵な出会いですね」

ドラマみたいな2人のなりそめは聞いているだけで幸せな気持ちになる。

「結婚式でこの曲をデュエットしたんだ、って映像を見せてくれたんだけどとても仲睦まじい様子が伝わってきた。あとでここにも持ってきてくれるって」

「わ、それは有難いです。参考にしますね」

午後には喪主の絵里と故人の弟妹が斎場に来るらしく、そこで細かな打ち合わせをする事になっているという。

明日の葬儀には故人の両親も参列するとの事だが、高齢の為準備などは主に3人が行うらしかった。

友人の多かった彼の葬儀には、道外からの参列者も数名くる予定だという。

家族葬とはいえなかなか大きな規模になりそうだ。

慌ただしいのは毎回の事だが失敗は出来ないのが葬儀である。

気を引き締めて打ち合わせに臨んだ。


打ち合わせは順調に進み、あとは明日の葬儀前にいくつかの確認を済ませるだけになった。

帰り際に絵里が坂元とゆきの2人に向けて声をかける。

「健康診断、ちゃんと受けてくださいね」

強い想いが感じられて、思わず何度も頷いてしまった。


 ***


優一は5年前の健康診断で再検査を促されていたものの、仕事の忙しさを理由にそれを受診していなかった。

その翌年、体調を崩し病院へ行った時に判明したのが肺がんで、既にかなりの進行が確認され手術も出来ない状況だったという。

「早期発見出来ていれば完治していたかもしれない」

絵里は毎日のようにそう後悔していたが、ある日優一はそんな絵里を諭すように優しく語った。

「過去に戻って絵里に何度言われたとしても、僕は色々理由をつけて再検査には行かなかったと思う。タイミングっていうか、運命っていうか。上手く言えないけど、きっとそういう事なんだよ」

もう彼は諦めてしまったのだろうか。

悲しくて悔しくてとめどなく涙が溢れたが、優一の気持ちは違っていた。

「余命は1年って言われちゃったけど…年明けのライブもチケット取ってるし、その次の年は彼らの周年だから絶対お祝いしたいよね。弱気になってる場合じゃない」

「再来年の…そうだね、周年だね」

「今更だけどさ、身体に良さそうな事、色々やってみる。僕だけじゃなくて絵里もだよ。いつ病気になるかなんてわからないんだから。それでライブに行けないとかツラいしね」

気付けばライブの話になっていて、いつの間にか涙もとまっている。


それから4年、彼は生きた。

ライブに行くのは叶わなかったけれど、それを夢見る事で前に進めたと思える。

DVDが発売される度に私たちはそれを2人で観て元気を、感動を貰った。

私たちは、出会いのきっかけもデートの大半も彼らのライブだった。

47都道府県ツアーがあった年には、全てとはいかなかったけれど20公演以上を一緒にまわったのがいい思い出になっている。

子宝には恵まれなかったけれど、その分毎年ライブに行って全国を飛び回る経験が出来たのだからそれもひとつの幸せの形だった。


これからは1人だけれど、彼がくれた沢山の思い出が消えてしまうわけではない。

そう思うと強く生きられる気がした。


 ***


夕方からゆきは"お別れビデオ"の作成に取り掛かった。

ライブ遠征と称して全国を旅していた2人は沢山の写真を撮っていたので素材は今までで1番多い。

遠征先で友達になったという音楽仲間との写真も数枚。

その友人らが明日参列予定らしい。

喜びに溢れた笑顔ばかりで見ていてとても気持ちが良い。

夫婦で歌っている結婚式の映像も織り交ぜながら編集をしているうちに、自然と音楽がくれる不思議な縁について考えていた。

この仕事に就くまであまり深く考えた事は無かったけれど、音楽はとても深いところで私たちの心と繋がっているのだと思う。

ある曲を聴く事でその当時の記憶が蘇ってきたり、またある曲を聴くと頑張ろうと思えるパワーを貰えたり。

未だかつて手を抜いたり適当な仕事をした事など決してないけれど、なんとなく慣れてきて「日常」になっていたかもしれない。多くの人にとってここでの出来事は「非日常」なのに。

今更ながらに自分の仕事の特異性を実感し、真心をこめた対応をしようと心に誓った。


 ***


葬儀は予想以上の参列者の数だった。

音楽仲間も多く来ていたが、そうでない人たちもそのほとんどが黒井夫妻の音楽好きを知っているようで、『永遠に』を聴いて頬を緩めるのがわかる。

大切な人の人生を振り返るのが"お別れビデオ"の役割だと思うのだが、今回でいうと夫婦の思い出がそのまま故人の人生を形作っているようだった。これは共通の趣味を持つ夫婦ならでは。

自然と「いつか自分もこんな風に趣味が合う人と一緒になれたらいいな」と思ってしまった。

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オクリ音 桐谷綾/キリタニリョウ @kiritaniryo

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