第59話 貴族の離婚専門弁護士との契約

「──珍しいですね、フィッツェンハーゲン侯爵令息がご連絡もなしに突然いらしゃるなんて。よほどの火急のご要件でしょうか?」


 弁護士の女性の事務所は、貴族街の煉瓦造の建物の一室に構えられた、実に豪華な内相の一室だった。貴族専門というだけあって、かなり稼いでいらっしゃる感じね。


 女性弁護士は、縁から銀色の紐状の物が垂れているメガネをした、少し切れ長で釣り上がり気味の、理知的な表情の方だった。


「ええ、こちらの女性が、急いで貴族専門の離婚弁護士をお探しとのことで、こちらにまいった次第です。こちらはフィリーネ・フォン・ロイエンタール伯爵夫人です。」


「はじめまして、フィリーネ・フォン・ロイエンタールと申します。」

 シュテファンさまが私を弁護士の女性に紹介して下さったので、私も挨拶をする。


「……ということは、ロイエンタール伯爵夫人が離婚を考えていらっしゃるということでしょうか?ロイエンタール伯爵家と言えば、公爵家にも匹敵する財産を持つ貴族であると評判のようですが……。」


「はい。私は夫との離婚を考えています。夫に私の財産を取られない為の準備ですとか新しい住まいですとか、諸々の準備は整えたのですが、弁護士だけは見つからなくて……。」


「それで私のところにお越しくださったわけですね。頼っていただけて嬉しいですわ。相手がロイエンタール伯爵家ともなると、私以外では難しいでしょうからね。」


 ニヤリと笑う女性弁護士。かなり貴族の離婚に対して自信があるようだった。シュテファンさまのお墨付きもあるし、これはかなり期待して良いんじゃないかしら。


「──改めまして、アウラ・マルティネスと申します。この弁護、引き受けさせていただきますわ。」


「ありがとうございます!よろしくお願いいたします……。」

 そこに従者がやって来て、テーブルの上に紅茶を置いた。紅茶を一口飲むアウラさん。


「……それで、このお話は、フィッツェンハーゲン侯爵令息が同席されたままの状態で、お話をお伺いしてもよろしいのでしょうか?夫婦の秘密、というものもございます。」


「はい、問題ありません。特に隠すようなことでもありませんので。」

 そう私は答えた。


「聞いても構わなければ、私もぜひ聞かせていただきたいと思っています。あなたがなぜ離婚したいと思うに至ったのかについて。」

 わかりました、と私は頷いた。


「まず、私は結婚してからというもの、伯爵夫人としての仕事をなにひとつ任せてはいただけませんでした。その為メイドに至るまで、当家の従者は私を下に見ております。」


「──前伯爵夫人から引き継げなかった、ということでしょうか?」

 アウラさんがクイ、とメガネを上げる。


「はい。領地と屋敷の管理は、伯爵夫人のしごとですが、義母はそれを自身が行い、私はそれを行える能力のない無能な妻として、社交界で吹聴しているようです。」


「……そのお話は、私も耳にしたことがありますね。ロイエンタール伯爵家は、今も前夫人がすべてを担っていると。現伯爵夫人はお体が悪いだとか、……それこそ試しに渡してみたが能力がなかったなど……。色々な噂を耳にしたことがあります。」


 シュテファンさまが口を挟んだ。貴族の女性と親しいシュテファンさまだからかも知れないけれど、男性の耳にまでその話が浸透していたなんて。……とても恥ずかしいわ。


「それと、夫は社交に制限をかけてきます。夫の仕事に影響を及ぼす可能性のある、高位貴族との社交のみに私を行かせ、私が参加しようとする社交をすべて封じてきました。……王妃様の読書サロンですらです。それにはどうやら義母が一枚噛んでいるようです。」


「と、言いますと?」

「……義母は自分が評価されるのが大好きな人間です。私が本当はどういう人間なのか、義母が渡さないから伯爵夫人としての仕事が出来ないのだということが、知られるのを恐れたのではないでしょうか。いくら私が社交が苦手とはいえ、関わっていくうちに親しくなれる方は出てきます。……たとえばアデリナ・アーベレ嬢のような、公爵令嬢ですとか。」


「アデリナ・アーベレ嬢と親しくていらっしゃるのでしょうか?」

「はい、親しくさせていただいております。彼女は社交界においてとても影響力の強い方です。例えば彼女がひと言、私が冷遇されている事実を話したら、たちまち広まることでしょう。それを恐れているのだと思います。」


「……だから、息子を通じて、あなたの社交を封じてきたと?」

「夫は義母のいいなりになるよう育てられた人です。夫が何か考えることの根底に、常に義母の存在があるのは間違いありません。」


「なるほど……。」

 アウラさんは、私が話すことを、手帳にメモしているようだった。


「それと、伯爵夫人としての品質維持費を、現金でまったく渡しません。……まったくは言い過ぎでしたね。月に小金貨5枚。これが私が自由に使えるお金です。ドレスですとかは仕立て屋を呼んで注文し、後で夫に請求があります。宝石はロイエンタール伯爵家の所有しているいものを借りることになるので、私個人の宝石というものがありません。」


「……結婚の際の指輪はどうされたのでしょうか?指輪を渡すことは決まりですよね?」

 シュテファンさまの言葉に、私はフルフルと首を振った。


「あれは実家からの結納金があった場合のお返しになるものだと言って……。夫からはいただいておりません。」


「そんな……。確かに結納返しというものは存在しますが、それと結婚の際の指輪は別物ですよ!配偶者を冒涜する行為です。」

 シュテファンさまは怒っているようだ。


「──……社交を封じられ、伯爵夫人としての仕事を封じられ、その結果品質維持費すらも現金で渡さない理由にされ……。従者たちからは見下され。夫は従者やメイドとしか口をきかず、私とは朝食の際の義務の会話しかありません。……私はもう、疲れたんです。」


「品質維持費が現金で小金貨5枚だなんて、令嬢のお小遣いではないのですから……。」

 シュテファンさまは両手の親指を眉間にぶつけて、気持ちのやり場を収めている。


「このまま離婚しても、次は私の父から、子どもの必要ない年齢の方に嫁がせられると思い、離婚をためらっていたのですが……。」

「なにか気持ちの変化があったのですか?」


 アウラさんが尋ねてくる。

「はい。私は先日、魔法絵師としての力があることを魔塔に認めていただきました。」

「まあ、それは素晴らしいですね。」


「はい。それも賢者レベルだと。私は新たに魔塔の一員として迎えていただけたのです。」

「……それで夫に財産を取られないように、ということなんですね。」


「はい。かなりのお金が私に入るとのことでした。離婚の際の財産分与で取られる危険があると……。義母はまだ健在ですから、夫は個人資産というものをあまり持っていません。商会は個人資産にはなりませんし。」


「領地と家の土地家屋が、義理のお母さまのもののままだということですね?貴族は両親が共に亡くならない限りは、領地も家の土地家屋も、親から借りた扱いですから。」


「そうなりますね。出来れば私が魔塔の賢者であることを知られないうちに、素早く離婚出来ればと思っています。もし知られれば、あの義母のことです。私を手放そうとはしないでしょう。何をされるかわかりません。」


「……ロイエンタール前伯爵夫人は、何度か社交界でお見かけしましたが、正直見栄っ張りなところのおありになる方です。魔塔の賢者を、義理とはいえ身内に持つようなことがあれば、自慢の種に使われるでしょうね。」

 

 シュテファンさまもそう同意する。私はそれにこっくりと頷いた。

「……知られるのであれば、離婚後に、ということでよろしいですね?」


 アウラさんが、メガネをクイッと上げながら不敵な笑みを浮かべる。私の意図を、どうやら言わずして察してくれたようね。


「ええ。義母は私をロイエンタール伯爵家で最も見下している人間です。その私が魔塔の賢者に選ばれたなどと知れば、最大限に悔しがり歯噛みすることになるでしょうから。」

 私とアウラさんはフッと微笑み合う。


「義理のお母さまが歯噛みするところを見るのがとても楽しみですね。これほどに才能のある方を今まで飼い殺しにしてきたのです。魔法絵師は貴族の女性が憧れる人気職業、ましてや魔塔の賢者は全国民の憧れです。」

 アウラさんの言葉にシュテファンさまがうなずく。


「魔塔の賢者は、魔法の力が強いだけでは選ばれないと聞きます。理知的で、研究に注ぐ情熱を持ち、新たな魔法や技術を開発しなくてはなれないものである、と。そんな魔塔の賢者に選ばれるような方が、領地経営や家屋敷の管理程度がおこなえない程、無能なわけがありません。それが知られた日には、すぐに化けの皮がはがれることでしょうね。」

 シュテファンさまがそう言った。


「──なにより、今までそんな状況にも関わらず、あなたのことを放置してきたロイエンタール伯爵には、怒りすら感じます。」


 シュテファンさまは本当に怒っているようだった。……美しい方が怒ると、こんなにも怖く感じるものなのね。少し驚いたわ。


 困惑している私に、驚かせてしまったことに気が付いたのか、シュテファンさまは申し訳なさそうに眉を下げて微笑んだ。


「それではさっそく契約に移りましょう。貴族の離婚に関しては、魔法のインクが使われた契約書が必要となります。準備させますので少々お待ち下さい。」


「そんなに早く、魔法の契約書を作れるものなのですか?」

 魔塔でも、契約書の準備の為に、しばらく待たされて呼び出されたのだけれど。


「ええ、草案は作ってありますので、お客さまに合わせてそれを変更するだけです。

 しばらくお待ちいただければ、すぐにでも契約が可能です。手付金として小金貨3枚程必要になりますが……お持ちですか?」


 月に小金貨5枚しかお金を渡されていなかった私が、小金貨3枚すら持っていないかも知れないことを心配してくれた。


 商会の印章と、銀行口座を作る際のお金などは、ヴィリのペットの絵のお金の支払いから引く予定で、ヴィリがすべて立て替えてくれているので、私の手持ちは変わらない。


「はい、問題ありません。」

「わかりました。では暫くお待ち下さい。」

 アウラさんが従者に、契約書を作成するよう命じた。


 私はアウラさんとシュテファンさまとお茶を楽しみながら、今後の進行や、証拠の日記などについて話を詰めていき、しばらくすると契約書を持って従者が再び現れた。


「──これで契約は完了です。よき結果になるよう尽力させていただきますので、よろしくお願いいたします。」

「こちらこそ。お会いできて幸運でした。」


 私はアウラさんと握手をかわした。こうして無事に貴族の離婚専門弁護士を味方につけた私は、意気揚々と家に戻ったのだった。


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養っていただかなくても結構です!〜政略結婚した夫に放置されているので魔法絵師として自立を目指したら賢者と言われ義母にザマァしました!大勢の男性から求婚されましたが誰を選べば正解なのかわかりません!〜 陰陽@3作品コミカライズと書籍化準備中 @2145675

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