side 高坂 莉奈
恋らしい恋もしてこなかった私。
なりたい仕事に
それが嫌なわけじゃなく、好きでやっていたことだし。
友だちとそれなりに楽しく過ごしていたから、恋は二の次だった。
だから。
言えるはずもなかった。恋をしていたなんて。
八つも離れているから、恋だとも思わなかったし。
それに。
「教えてほしい」と来る彼が、自分なりに考えているのがかわいくて。
一生懸命ひとりで問題を解いている姿がかわいくて。
真剣に教科書を開くのに、読めないところが多すぎて困っている顔がかわいくて。
年の離れた
それくらいにしか思っていなかった。
初めて恋だと知ったのは、彼が言った「好き」のせい。
めずらしく放課後に来たのは、教科書を
クラブ活動や委員会の会議で静まりかえる職員室に、私と彼だけ。
誰もいないのをいい事に、握られた左手。
授業の質問そっちのけで言われた「好き」。
行き場を失った教科書は、足元で開いていた。
でも。
ありえない。
それに、きっと『先生としての好き』なんだわ。
そう思って、気づきかけた心の
チャイムとともに、離れた手。
戻ってくる先生たちの間を、質問もせずに帰った彼。
もちろん、止めることをしなかった私。
彼が質問に来るのはいつもの事なので、誰も気にとめなかった。
足元に広がる教科書を拾い上げ、
夕陽の差し込む職員室で、いつも通りの職員会議まではもうすぐだ。
今日も、今日とて授業で顔を合わす。
いつもと変わらない授業風景。
授業態度も、いつも通り。
授業前に渡した教科書を受け取っても、いつも通りの彼。
終わった後の会話も、いつもの授業の質問だけ。
ほら、やっぱり『先生としての好き』なんだわ。
このまま、しまい込んだ疼きも気づかなかったことにした。
そうして、いつも通りの日常が過ぎ。
ついに、一年が過ぎた。
初めて
早咲きの桜と、卒業生の胸に咲く花だけを見つめて。
流れ作業のように「おめでとう」と口にして、ただ手を振った。
みんなが帰ったと思った時。
後ろから、こっそりと握られた手。
「絶対、
ただそれだけを言い残して。
顔すら見ずに。
風が吹き、早咲きの桜が飛んでいった。
握られたはずの左手には、何も残らなかった。
そんなこともあったなぁ。
あれから十年経ち、今いるのは隣の市。
あの学校では六年居て。
次の学校は、四年で
今年からは、隣の市でまた一年生からだ。
あの時とちがうのは、きっと十年『先生』をやってきた自信だろう。
そんなことを思いながら、異動先の学校に
早咲きの桜が彩る三月。
話が来てから約三カ月、やっと正式に異動が決まった。
新しい気持ちで、新しい職場までの道のりをゆっくりと歩いた。
角を曲がり、桜並木が
新しい学校までは、もうすぐだ。
少し強めの風が吹き、髪と桜が舞い上がる。
きっと、もうすぐ満開になるだろう。
そう、空から視線を学校へ向けた。
視界いっぱいに広がる少し濃いめのピンク色の中、校門前に――誰か、いる?
この学校の先生が待っていてくれた――いや、直接職員室に来るよう言われている。
じゃあ、きっと誰かと待ち合わせしている人だろう。
春の陽気にあてられたせいか、のん
近づくにつれ、立っている人物がこちらを見ていることに気づく。
私の周りは、桜並木しかいない。
え? 私?
明らかにこちらを見ているが、私には心当たりがない。
まだ、時間はある。
あるのに、知らないうちに速くなる足。
気がつかなかったフリをして、そのまま通り過ぎてしまおう。
そう思ったのに。
重なった手のひらが、あの時のことをフラッシュバックさせた。
なんで今?
驚いて顔をあげた先に、彼によく似た顔があった。
「約束どおり、迎えに来た」
あの頃の、声変わりしたての声のまま。
目線はあの時からまた伸びたのか、前よりもずっと高い。
対して、
見た目は
「・・・・・・久しぶりだね。平岡くん」
あの時のしまった心の疼きが出てこないように。
そんな私を
彼は、あの時と同じ言葉を口にする。
「『好き』なんだ、ずっと。あの時から忘れてない」
聞かなかったことにしたい。
あの時と同じように、そっとしまい込んでいたい。
口から出たのは、きっとそんな思いのせい。
「・・・・・・『先生』としてでし」
「ちがう!!」
かぶされた言葉と引き寄せられた体。
「あの時は『子どもだ』って思われてると思ってた! でも、今は『大人』になったんだ! 少しでもいいから! 少しでも、いいから・・・・・・。お願いだから、男として見てよ?
震える
今度は『先生として』ではなく、『女性として』の。
今にも泣きだしそうな声が、私の耳に届いた。
「・・・・・・私、八つも上よ」
「八つもお姉さんだから、相手にされないとは思ってた」
「平岡くんから見たら、おばさんでしょう?」
「莉奈さんは『おばさん』じゃないよ。あの時も綺麗だと思ったけど、今の方がもっと綺麗だ」
年齢だけではごまかせなくなってきた疼きが、顔をのぞかせ始める。
何か、何かほかに言い訳は無いのか?
開けたくない、見せたくない心を隠すように出たのは、苦しまぎれの言い訳。
「・・・・・・先生と、生徒だし」
「『元』だよ。言ったでしょう? 『迎えに行く』って。俺も『先生』になったんだよ」
あっさりと、かえってきた返事。
え? 先生になった?
「俺も『
見上げた先にあったのは、早咲きの桜と変わらない色に染まる顔。
はにかんだ顔は、あの時と変わらない。
かわいかった。
ああ、やっぱり。
この子の『かわいい』は『愛おしい』だったんだわ。
『女性』として、十年も想い続けてくれた彼。
わざわざ『先生』にまでなって、追いかけてくれた彼。
そんな
「実はね――」
私たちの内緒の話は、十年経った今も左手の薬指だけが知っている。
完
内緒の話は『左手』だけが知っている 蕪 リタ @kaburand0
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