内緒の話は『左手』だけが知っている

蕪 リタ

side 平岡 樹

 めずらしく風が強く、近所の桜並木は前が見えないくらい桜が舞った。


 警報出ろよ・・・・・・。

 そうすれば、今日の始業式だって行かなくてすむのに。


 久しぶりの登校は、春の暖かさで眠気ねむけMAXマックスの俺にはダルいだけだった。


 眠すぎてボーっと歩いていたせいか、遅刻ギリギリに着いた。

 上ぐつにだけはき替え、廊下ろうかで会ったダチとそのまま体育館へ向かう。


いつき。お前のクラス、俺といっしょの三組な」

「・・・・・・担任だれ?」

「上田」

「げっ、かみなりじじいかよ」


 親切心で教えてくれたのは、ただのいらない情報だった。

 入った体育館では、ギリ遅れてもないのにすでに雷が落ちていた。

 ため息とともに、ガミガミうるさいじじいが待つ場所へ二人で向かった。


 最悪の一年の幕開けは、最悪で終わらなかった。


 まさか、勉強嫌いで部活もサボりだおしてる俺が『先生』に恋するなんて。

 今日イチの運が、まさか恋愛運だなんて思わなかった。


 彼女は、新しく来た先生。

 新人で若いから、三年の男子はすぐにタイプかちがうかそんな話をしていた。

 俺だってその中に入りたかったが、一目惚ひとめぼれしたなんてずかしくて。

 よくつるむ裕也ゆうやにすら、話せなかった。


 それでも、授業を受けているうちに誰にも渡したくなくなって。

 気づいたら授業の後すぐに質問したり、職員室に押しかけて勉強を見てもらっていた。

 他にも生徒はいたけれど。

 気持ちだけは誰にも負けない、と内に秘め。


 それから勉強が楽しくなっていった。

 

 ただ一人を好きなだけで、こんなにも自分が変わると思っていなかった。



 ある日。

 めずらしく放課後に行ったのは、教科書をにぎりしめた俺だけ。

 クラブ活動や委員会の会議で静まりかえる職員室に、俺と好きな人だけ。

 誰もいないのをいい事に、握ってしまった左手。

 授業の質問そっちのけで言った、おさえきれなかった「好き」。

 行き場を失った教科書は、足元で開いていた。


 でも。

 こたえてくれることはなかった。

 

 チャイムとともに、離した手。

 戻ってくる先生たちの間を、質問もせずに帰った俺。

 もちろん、止めることをしなかった彼女。

 が質問に来るのはいつもの事なので、誰も気にとめない。


 足元に広がった教科書を置き去りにして、そのまま家に帰った。



 帰り道。

 塾がある、と先に帰ったはずの裕也とバッタリ。

 

「今から?」

「そ。なあ、樹。本気ほんきなのか?」


 裕也が何の話をし出したのか、全く分からなかった。


「何が?」

「何がって、高坂こうさかセンセだろ」


 驚きすぎて、固まった。

 俺的にはバレてるつもりはなかったのに。

 裕也いわく「誰が見てもわかる」そうだ。


 そんなに、わかりやすい?


「当たり前だろ。勉強嫌いが、真剣に勉強しすぎなんだから。まあお前が好きかどうかは、俺以外の男子はわかってないだろ。女子連中にはバレてると思うぞ」

「マジか・・・・・・」


 プチショックを受ける俺に、たたみかけるダチ。


「ひとつ、ダチとしての忠告ちゅうこくな。『本気』なら、今は手出すなよ?」

「・・・・・・手出すとか。なあそれって、まさか告白とかも?」

「当たり前だ、このバカ」


 思いっきり、頭をはたかれた。

 よくわかってない俺に、いつも一から十まで教えてくれる裕也はホントいい奴だ。

 なんでテストで毎回一位とるやつが、勉強嫌いな俺のダチでいてくれるのかホント不思議だ。

 

 そんな優しいダチに、素直に教えてもらった。


大人おとな同士の八歳ちがいと、センセと未成年みせいねん生徒の八歳ちがいは全然ちがうからな! よく覚えとけ!! お前が手を出したとしても、犯罪者はんざいしゃのは『高坂センセ』だからな!」


 ああ、最近よくニュースでやってるヤツ。

 昨日も観たな。

 あれは確か、女子生徒と男の教師だったはず。


「本人がよくても・・・・・・」

「そ。周りのが許さないってこと。それより、お前にはやることがあるだろ?」


 やる、こと?

 何かあったか?


 本気でなやみだす前に、優しいダチは教えてくれた。


「何のために『勉強』してんだよ。成績あげるためじゃなかったろ」


 そうだ。

 俺が勉強してるのは、成績のためじゃない。

 好かれたいから勉強した。

 そしたら、成績もあがってくれた。


「そのまま続けて『同じ立場』になればいいだろ? 本気ならな」




 裕也と話した次の日。


 ただの『あこがれ』や『思い込み』で終わらせたくない。

 『本気』だから一緒にいたい。

 そう決意した俺は、またいつも通りの日常に戻った。


 今日も、今日とて授業で顔を合わし。

 いつもと変わらない授業風景。

 授業態度も、いつも通り。

 授業前に渡してくれた教科書をもらっても、いつも通りの俺。

 終わった後の会話も、いつもの授業の質問だけ。

 『本気』だから、今はこのままで。



 そうして、いつも通りの日常が過ぎ。

 ついに、一年が過ぎた。


 中学最後の行事の卒業式。

 担任たんにんを持たなかった彼女に、授業でしか会わない奴らは寄って行かない。

 早咲きの桜と、卒業生の胸に咲く花だけを見つめて。

 流れ作業のように「おめでとう」と口にして、ただ手を振る彼女。


 みんなが帰ったと思った時。

 後ろから、こっそりと握った左手。


「絶対、むかえに行くから」


 ただそれだけを言い残して。

 顔すら見ずに。


 風が吹き、早咲きの桜が飛んでいった中。

 握ったはずの手を離し、彼女から離れることにした。




 あれからずっと、心に秘めていた。


 十年経ち、今いるのは隣の市。

 卒業後、目指したのは『同じ立場』。

 手に入れたのは、二年前。

 三年目の今年、待ちに待った新たなが来る。


 あの時とちがうのは、きっと『同じ立場』になった自信だろう。

 そんなことを思いながら、校門の前で風に吹かれる。



 早咲きの桜が彩る三月。

 話を聞いてから約三カ月、やっと正式に決まった。

 はやる気持ちを抑えながら。

 この時を、ずっと待ちわびた。


 校門前、桜並木があわただしくれる。

 新しい日常までは、もうすぐだ。



 少し強めの風が吹き、あの日と同じように前が見えないくらい桜が舞い上がる。

 視界いっぱいに広がる少し濃いめのピンク色の中、待っていた人が現れた。



 きっと、もうすぐ満開になる桜のように。

 もう一度、この想いを告白する。





 約束どおり、迎えに来たよ。

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