第二話(4)
†
香港。
天神ユミリの標的は、摩天楼の陰に潜んで誘拐と陵辱を繰り返す殺人鬼。
殺人鬼がまさに犯行に及ばんとする直前、被害者になるはずだった女性との間に彼女は舞い降り、蹴り一発で殺人鬼をノックアウトして縛り上げ、警察署の前に転がしてまた空を飛翔んだ。
サイゴン。
天神ユミリは人身売買組織のアジトに降り立った。
降り立ったそばから戦闘開始。何が起きたのかまるで理解できていないマフィアたちを縦横無尽になぎ倒し、無力化し、商品となっていた人々を解放した。
ジャララバード。
アフガニスタン東部の山岳地帯、政府軍と反政府武装勢力の戦闘が行われているど真ん中に天神ユミリは降り立ち、銃弾と砲弾が飛び交う中を、四方八方を飛び回って奮戦し、両陣営が保有する火器の類をすべてへし折った。
ヨハネスブルグ。
反政府デモが暴動と化した現場に、天神ユミリは降り立った。暴徒たちが手に握る火炎瓶や鉄パイプを取り上げ、炎上する古タイヤの火を消して回り、謎の閃光弾っぽい技(?)でスーパーマーケットの略奪を防ぎ、実弾を用いて暴動を止めようとする治安部隊を拳骨でシバいた。
まだまだある。
どうせ詳細は伝えられないからダイジェストでいこう。
アーリット、ニジェール北部の砂漠地帯で、天神ユミリはテロリストに拉致されていた数十人の市民を救い出した。
ジャウフ、イエメン北部の内戦地帯。民間人のいる建物に戦闘機が撃ち込んだミサイルを、天神ユミリは空中で蹴り飛ばした。
バグダッド、イラク中央部。爆薬を満載して軍の駐屯地めがけ突っ走るトラックのタイヤをパンクさせ、運転手の若者を拳骨でシバいた。
ブカレスト、ルーマニア南部の森林地帯で吸血鬼と対決。激戦の末に吸血鬼は逃走、天神ユミリは「詰めが甘かった」と苦笑いした。
ローマ、教皇庁バチカン界隈。石畳の裏路地で悪魔憑きの司教と対決し、ノックアウト勝利。「あの司教が召喚した地獄の番犬は中々のものだった」と天神ユミリは感心していた。僕は感心するどころかおしっこを漏らしそうになった。
エディンバラ、スコットランド南東部の丘陵地帯。天神ユミリはとある暗殺教団の生贄の儀式に殴り込んだ。ルーン魔術をぶっ放してくる親衛隊どもをなぎ倒し、生贄の少年を救い出し、教団の本部を壊滅に追い込んだ。
アリゾナ州、フェニックス近郊。高度数万メートルの上空にて、天神ユミリはUFOと遭遇した。ゴムとも金属ともつかない物体でできた宇宙船らしきものに降り立ち、船体をコンコン叩いて何事か意思疎通を図っているようだった。しばらくして彼女が船体から離れると、UFOは音もなく舞い上がり、はるか天空へ逃げるように消えていった。
†
朝まで掛かった。
「どうかな?」
ブランコに僕を降ろして彼女は言った。
「ぼくが何者なのかわかってもらえたかい?」
「…………」
僕は完全に呆けてしまっていて、天神ユミリの問いかけに答えられなかった。
およそ半日間のフライト。
たぶん、この世でもっとも慌ただしい世界一周の旅。
さんざん現実を見せつけられたはずなのに、まだ現実を信じられなかった。
僕は訊いた。
「夢でも見てんのかな」
「現実だよジローくん。君はうたた寝すらしていない」
「だよなあ」
僕はまた黙り込んだ。
天神ユミリは僕の前にしゃがみ込んで、ニコニコしている。
「……いや。おかしいだろやっぱ」
「何がだい?」
「“あれ”が現実だったらニュースになる。もっと大騒ぎになってなきゃおかしい」
「ならない。そういうことになっている」
「僕の記憶が確かなら大事件ばかり起きてたぞ?」
「起きてたね。今日は特別に盛りだくさんだったよ。君へのいいデモンストレーションになった」
「世界史が塗り替えられるような出来事も、起きてた気がする」
「起きてたね。世界の抱える病は、往々にして誰も気づかないところで発症するものさ」
「…………」
僕は考えた。
ついさっきまで体験していたデタラメな記憶を思い返した。
マフィアやらテロ組織やらはまだいい。いやそれでも十分にトンデモ話だけど、まだ理解の範疇だ。でも吸血鬼ってなんだ。悪魔憑きって、暗殺教団って、UFOってなんだ。世界観ぶちこわしにも程がある。
……いや。
でも実は、それすら今の僕にはどうだっていい。
僕が見たものが、記憶に刻み込んだものが、本当に現実だったのか、本当に夢でも幻でもないのか、いったんおいておくとして。
天神ユミリだ。
彼女は自由自在だった。
彼女は天衣無縫だった。
天神ユミリは四方八方に飛び回り、獅子奮迅の大立ち回りを演じていた。
彼女にできないことなんて何もない。そう思えた。
僕は訊いた。
「君は神様なのか?」
「まさか」
彼女は笑ってこう答えた。
「ぼくが神様であるはずがない。だって、こんなぼくに祈ろうなんて輩、ただのひとりだっていやしないだろう?」
神ではない。
だったら悪魔か妖怪変化の類か?
「普通の人間かと言われたら、それはちがうね。さすがに」
ですよね。
「わかるんだよぼくには。視える、というべきかな……大小様々な世界の危機を察して、先手を打って対処することが、ぼくにはできる。だからぼくは自分を医者だと定義する。治しているのは主にこの世界そのもの。世界を治療するためなら何だってするし、どこにでも現れるよ。時には誰かさんの夢の中にだってね」
「…………」
「佐藤ジローくん。君はこの世界の病だ。同時に君には力がある。いずれこの世界を滅ぼしてしまえるだけの力が。ぼくは君を治療、ないしは寛解させなければならない」
……そうか。
そうか、わかったぞ。
その時、僕は唐突に悟った。
すべてが繋がったんだ。天神ユミリが僕の前に現れたこと。恋人になると言い出したり、わざわざ転校してきたり、人前で堂々とキスしてきたり──そしてまた僕を一晩中連れ出して『ナイトツアー』とやらに参加させ、彼女の“仕事”を目の当たりにさせたこと。
すべて理由のあることだ。
ようやく合点がいった。そうか、そういうことだったのか。
「わかったよ天神ユミリ。やっとわかったよ僕は」
「ユミリでいいよ。……何がわかったんだい?」
「全部だよ。僕が奇妙な力に目覚めた理由。君が僕の前に現れたこと。君が世界中を飛び回って、ヒーローの真似事をやってるのを僕に見せつけたこと──全部、すべてわかった。そうか、そういうことだったのか」
「ヒーローと呼ばれるのはむず痒いね。ぼくは自分にしかできなそうな仕事を、たまたまその能力があるからやってるだけさ。一種のボランティアだよ」
「つらいよな。大変な立場だよな」
ブランコから立ち上がる。
しゃがんでいるユミリを見下ろして言う。
「見たところ君は、自分ひとりだけで仕事をやっている。そうだろ?」
「そうだね。そこは否定しない」
「どう考えてもひとりじゃ荷が重い。世界中を飛び回って、マフィアやら犯罪組織やら、あげくには人間じゃないやつらまで相手にして──」
あまりにも酷だ。
ユミリがいつから自分の力に目覚めて、いつから今みたいな仕事をしているのかはわからない。でもそれにしたって昨日今日の話じゃないだろう。
天神ユミリは。
たったひとりで、世界の敵を向こうに回して戦っている。
そんなことあっていいのか? いいわけがない。これまた正確なところはわからないけど、ユミリは僕と同い年ぐらいの女の子なんだ。
「僕が、佐藤ジローが存在する理由。こんなクソみたいな世界に生まれてきて、退屈しきって、心の中で毒を吐きまくって、それでも今日まで生きてきた理由。やっとわかったよ。今日この日のために、きっと僕は生まれてきた」
僕は手を差し出した。
ちょっと気恥ずかしい。でもそんなこと気にしてる場合じゃない。
彼女は、天神ユミリは、同じような力を持つ仲間を欲しがっているんだ。
「僕の力は君のために使う。安心してくれユミリ。君はもうひとりじゃない」
うん。
ちょっとじゃなくて、かなり気恥ずかしい。
でも言う。鼻の頭を掻いてごまかしながら、ちゃんと伝える。
「手伝うよ。僕が君の力になる。君にはパートナーが必要だ。そうだろ?」
僕は僕の決意を表明した。
天神ユミリはこう言った。
「いいや? 全然」
……。
…………。
………………。
「え? いや嘘だろ?」
僕はあわてた。
いやあわてるよね? 普通ここは。
「待ってマジで。今の流れはそれしかないだろ? お前と僕とで力を合わせて戦おうぜ、世界を救おうぜ、っていう、そういう話なんじゃないの?」
「うん。そういう話じゃない」
ユミリは首を振る。
「協力的になってもらえるのはとても助かるけれど、それは君という病を治すにあたってのことだ。ぼくの仕事そのものを手伝ってもらいたいわけじゃない。世界の病を治すのはあくまでぼくの仕事だ」
「え? え? じゃあなんで僕に見せたの? お前の仕事のこと」
「だって、そうしないとジローくんは納得しないだろう? そしてぼくが何者なのか納得しないと、君は意固地なままだっただろう? 言葉を並べて説明するよりは、実際に目で見てもらった方が早い。百聞は一見にしかずだと、ちゃんと説明したよね?」
いやまあそうだけど。
確かにそう言ってたけど。
「ぼくにとってジローくんはイレギュラーなんだ。何しろ君は、夢の力で世界を浸食する、かつてないタイプの病だから。普通にやっても治せないのはこれまでの経緯から明らかだし、ぼくの方も手探り状態なんだよ。それでも何とか君には対処する必要がある。今夜のナイトツアーはその一環」
「…………」
僕は呆けてしまった。
えええー……? まじで……?
ちょっと待って。めっちゃ恥ずかしいんですけど。
僕、全力で勘違いしてたの? それでキメ顔作って『君にはパートナーが必要だ』とか言っちゃったの? 『僕もヒーローになれるのかな』なんて思っちゃったわけ? あかんこれマジで恥ずかしい。もう死ぬしかない。よし死のう。
「安心してくれ」
僕が身もだえしている一方で、ユミリはあっけらかんと言う。
「ジローくんにやってもらいたいことはちゃんと別にある。力を貸してもらいたいことには変わりないんだ。お願いできるかな?」
いやまあね。
やりますけど。協力しますけど。
なんていうかもーマジで殺してくれ。人生でこんな顔真っ赤になること、たぶん後にも先にもこれっきりだぞ? もはや恥死したも同然だから、そりゃまあ従うけどさ。戦に負けた方は勝った方の言うことを聞く、みたいなノリでさ。
で?
いったい僕に何をさせようってわけ?
「ジローくん、君はクラスメイトのヤンキーにパシられているんだよね?」
何の話だ?
パシられてるのは事実ですけど。
「君が夢の中でリベンジの対象にしていた四人の人物のうち、一番わかりやすいキャラをしている例のあの子だ。ぼくが君にキスするところを見て口をあんぐり開けていた、学生食堂でも絡んできたけれどあえなく撃沈した、あの御仁だ」
あー、あいつね。
ムカつくヤツには変わりないんだけど、ユミリが現れたおかげで何か存在が霞んでしまったというか。今の今まで存在を忘れてたよ。いきなりキス二連発をかましてくれたユミリにはいろいろ言いたいことがあるけど、それを見せつけられたあのヤンキーの反応はなかなか傑作だったもんな。
「それと他の三人も。君がないがしろにされていると感じて、一方的に敵意を募らせて、夢の中で奴隷あつかいしていた女の子たち。『生真面目な委員長』に『陽キャのギャル』そして『引っ込み思案の文芸部員』」
ああ。
はいはい。いたね、そういう人たちも。これまたすっかり存在を忘れてたわ。
ウチのクラスの可愛い女ども。見た目に恵まれ、学校内でも何かと話題に上る、そして僕にはまったくなびかない、僕から見たら遠い向こう側にいるやつら。
「単刀直入に言おう」
ニコリと笑ってユミリは言った。
「彼女たち四人を口説き落としてもらいたい。佐藤ジローくん。君のすべてをかけてね」
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試し読みは以上です。
続きは2022年5月25日(水)発売
『ラブコメ・イン・ザ・ダーク』でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。製品版と一部異なる場合があります。
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ラブコメ・イン・ザ・ダーク【増量試し読み】 鈴木大輔/MF文庫J編集部 @mfbunkoj
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