もっと別な形で出会いたかった……
木沢 真流
あおり運転はいけませんよ
「それにしても遅いですね、社長」
秘書と聞けば女性を思い浮かべるかも知れないが、ここ大和ハム南九州工場の社長、権藤
「事故にでも遭っていなければよいのですが」
三雲は心からそう思った。なぜなら、大口の契約である、この大和ハム南九州工場、100人を超える規模の社員旅行の話が、もうほぼ決まりそうだったからである。コロナ禍で壊滅的なダメージを負っている三雲の勤めるオリエンタルリゾートにとっては砂漠で干上がりそうだった会社を救う蜘蛛の糸だった。これを逃すわけにはいかない。待ち時間などいくらでも構わなかったのだが、秘書の如月はじっくりと三雲と向き合い、類稀なる話術であっという間に時間が過ぎた。
「事故といえば、先程のお話、興味深かったですね」
「ええ、まさか自分があおり運転をすることになるとは思いませんでした」
心の底から溢れ出るような如月の笑顔を見ていると、三雲はつくづく話してよかったと思わされた。如月が少し眉にしわを寄せた。約束の時間を20分過ぎていた。
「さすがに三雲様を長くお待たせさせるわけにはいきません、念の為確認してきますね」
「いえいえ、お気になさらず」
如月は丁寧に軽く頭を下げると、そのまま部屋を出ていった。
昨晩のことである。
三雲は仕事の帰り道、モカブラウンのマーチを見つけた。友人の車と同じだったため、ちょっとした悪ふざけで、後ろから車間距離を詰めてみた。友人の帰り道はよく知っている。次の緑原の交差点を直進だ。しかし、マーチは左折した。あれ、と思っていると、突然側道に停止したのだ。改めて車を見てみると、どうやら友人の車でないことがわかった。まずいと思った三雲が車をマーチの後ろに停車させ、謝りに行こうかと逡巡していたところ、すぐさまマーチは動き出し、そのまま夜の闇へと消えていった。
もしあれがヤクザだったら——今考えても鳥肌が立った。あの道はしばらく使わないでおこう、そう決めていた。
トントントン、育ちのいいノック音と共に扉が開いた。
「三雲様、権藤が参りました」
「どうも、権藤社長、初めまして」
大柄で、角ばった肩にちょびひげ。まさに社長という恰幅の良さを見せつけた権藤が軽く手を挙げた。
「すまんすまん、ちょっと道路が混んでてね。社員旅行の話だったね、よろしく頼むよ」
三雲は90度頭を下げ、はい、よろしくおねがいします、と声をあげた。
「いや、この歳になると運転も怖くてね。昨日なんかあおり運転に遭ったよ」
左様でございますか、と三雲が答えた。
「嫁の使っているマーチに乗ってね、コンビニでスイーツを買って帰ろうとしたら、後ろからびたって張り付いてくる車がいるんだ。別に私はそんなにのろのろ運転をしてたわけじゃないんだよ?」
三雲は大粒の唾をごくりと飲み込んだ。
「それで怖くなってね、思わず道路の脇に停車して、やり過ごそうと思ったら、なんとその車も後ろに止まったんだよ。もう終わりかと思ったね、それからゆっくり走り出したらもうついてこなかった。本当に危なかったよ」
三雲は手足が痺れ始める感覚を覚えた。
「それは怖いですね。どのあたりの交差点ですか?」
「緑原のあたりだったと思うが。どうしてだね?」
「い、いえ。ひょっとしたらその車は社長に謝るつもりだったのかもしれませんね」
権藤はちょびひげをしごいた。
「ほう、それは面白い考えだ。あれだけあおっておいて、やっぱりごめんなさいか、君はやけにあおり運転を擁護するね」
三雲の額に汗がたらりと光った。あたりの空気がみるみるうちに重くなった。
どうするか、正直に言うか、時がすぎるのを待つか。嘘が苦手な三雲は正直に言うことにした。そそくさと、床に土下座した。
「権藤社長、正直に申しますと、その車は私かも知れません。本当に申し訳ないと思っております。この通りです」
三雲は額を床にこすりつけた。
「頭を上げたまえ、三雲君、だったかな」
上げた三雲の目は潤んでいた。
「正直に告白したことは素晴らしい。でもね、私はあおり運転は絶対に許さないんだ、どんなことがあってもね。一人知り合いを亡くしているんだ。どんな理由であれ、そのようなことをする人に大事な社員たちを任せるわけにはいかない。この話は無かったことにしてくれ」
そう言って、立ち上がると部屋を出ていった。待ってください社長、そうすがる三雲を如月がなだめた。
「私からももう一度話してみます、今日のところはお引き取りください」
三雲の前で、蜘蛛の糸がぷつりと音を立ててちぎれた。
*
「これでよかったでしょうか」
数時間後、如月と権藤は社長室にいた。
「すまんね、如月くん。嫌な役を押し付けて」
如月はいえいえ、とゆっくり首を振った。
「もう決まりかけている社員旅行を、社長の義理の息子さんの会社に急遽変更させるためには少々手荒の手法が必要でした」
三雲が社長室に着いた時、権藤はすでに会社にいた。いないふりをしているうちに、如月が三雲から何か弱みを聞き出す。それを元にシナリオを作り、しれっと権藤に伝える。権藤は昨晩、マーチになど乗っていない。
「本当に君は優秀な秘書だよ、これからもよろしく頼むよ」
滅相もございません、と如月は深々と頭を下げた。
もっと別な形で出会いたかった…… 木沢 真流 @k1sh
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