ヒマワリの傘を追って
有木珠乃
ヒマワリの傘を追って
「お帰りの時間は、雨が降るかもしれないので、折り畳み傘を持っていくといいでしょう」
天気予報のお姉さんの言う通り、
別にひねくれているわけじゃない。
この傘はビニールの一部に、ヒマワリの絵柄が付いていて、さらに端がオレンジ色に縁取られ、ちょっとしたアクセントになっているのだ。そこが気に入り、先週購入したばかりだった。
それがなんてこった……。お天気お姉さんの言う通り、折り畳み傘にしておけば良かったと、すぐに後悔することになるなんて……。
「何これ……」
円の通う中学校の下駄箱は、それぞれ開け放たれておらず、昔ながらの扉付きだった。雨の日はそこに、各々傘を掛けていた。
そのため、円も買ったばかりのビニール傘を、朝掛けておいたのだが、何故か別の傘に置き換わっている。
「私のじゃない」
何の変哲もない、ただのビニール傘。明らかに自分の物ではない傘を目の前にして、円はその事実を口に出す必要はなかったのだが、そうしたい気分に駆られた。
「盗られたのか?」
誰かが近くにいたことも気づかなかったらしい。隣の席の
「うん。そうみたい。ご丁寧に、別の傘を置いて行ってくれたよ」
親しいという間柄ではないが、愚痴を言いたくて仕方がなかった。
「どんな傘?」
「オレンジ色に縁取りがしてある、ヒマワリの絵が付いたビニール傘」
「無難なのを持ってくればいいのに」
「最近は皆持ってきてるよ」
さも私が悪いような言い方をされたから、こっちも言い返す。
「あ~、悪い。代わりに探してやるよ」
「どうやって。犯人はもう帰っちゃったかもしれないでしょ」
「確かに。でも、正門までは長いじゃん」
そう、下駄箱のある昇降口から正門までは、校庭を横切らないといけない。だから、まだ犯人がいた場合、見つけることは可能だ。理論上は。
「そんな運良くいくと思ってんの?」
「まぁ、物は試しで。やるだけやってみてから後悔しようよ」
そんな軽いノリから始まった。傘泥棒探し。
意外にも傘を差している姿は、そんなに種類がない。
中棒を肩にかける者。しっかり手元のハンドルを持って立たせている者。だいたいは、そのどちらかだ。
円と晃人は、手分けして探し始める。勿論、雨が降っているので、お互い傘を差しながら。
盗った犯人の傘なんて差したくなかったけど、濡れたくない。背に腹は代えられなかった。
中央からそれぞれ左右に分かれて、二人は人の合間を通り、地道に探していく。登校と違い、下校はまばらだったから、あまり時間はかからなかった。
「先崎。見つかったか?」
正門に到着すると、晃人が近づいてきた。
「うん。何か話し込んでるみたい。サッカーのゴールの所で」
円が見つけたのは、校庭に設置してあるサッカーゴールの近くで、女子が二人で井戸端会議をしている現場だった。
「知ってるヤツ?」
「知らない。多分、他クラスじゃないかな。違う学年の人が、わざわざ傘を見に来るわけないし」
「だから、返せって言えなかったのか?」
「言えないよ。名前書いてないし。向こうが『私の』だって言い張られても、証拠がないから」
そもそも、小学生じゃないんだから、自分の持ち物に名前なんか書かない。書きたくもない。まさか、それが仇になるなんて、誰が思うのよ!
「だから、もういいの。一緒に探してくれてありがとう」
諦めがついた。しかし、晃人の表情は空模様と同じ、曇っていた。
「言いに行くぞ」
「いいってば。一応、代わりの傘はあるから、濡れないし」
「でも、ただのビニール傘とじゃ、金額違うだろ」
え、まぁ。多少お値段は張るよ。何? それで怒ってるの?
「なら、その傘を寄こせ。俺一人で行ってくるから」
「さすがにそれは出来ないよ。分かった。行くよ」
円は晃人に根負けし、一緒に向かうことになった。
***
「これが、そっちの物だって言う証拠はあるの? ないでしょ」
案の定、盗った犯人はそう言い返してきた。まぁ、素直に返すような神経をしていたら、盗みなんてそもそもしない。
どうしようと思っていると、晃人が前に出た。
「証拠ねぇ。じゃ、それどこで買ったんだよ」
「……商店街の傘屋」
おぉ、一応用意していたのかな。それとも咄嗟に言ったのか、さっき言った時とは違い、勢いと張りがない。
「先崎は?」
「駅前の雑貨屋。名前は確か――……」
そう答えると、晃人はスマホを取り出して、調べ始めた。
「値段は?」
「1,200円」
「そっちは?」
晃人に聞かれた犯人は、黙ってしまった。それもそうだ。ただのビニール傘は、500円でお釣りがくるほど。
一応向こうにも良心と言うものがあったらしい。
「返せばいいんでしょ!」
そう言って、円に近づき、持っていた傘のハンドルを奪う様に掴んできた。そして、自分の持っていた円の傘を差し出す。
「あ、ありがとう」
「何で、ありがとうなんだよ」
「あ、そうか」
呆気に取られた表情のまま、円が犯人の方を見る。
「悪かったわね」
「いいよ。返して貰えれば。あと、もう盗らないでくれれば」
なかったことにする、と。つまり、今度盗まれたら、犯人じゃなくても、犯人にするからね、と言う意味を込めたが、多分伝わらないだろうし、伝える気もなかった。
もう確定だし、証人もいる。
「じゃ、私たちは帰るから」
犯人、いや元犯人の女の子は、円の返事も聞かずに、一緒にいた友人と共に、正門の方へと向かって行った。
***
「ねぇ、一つ聞いていい?」
「ん?」
成り行きで一緒に帰ることになった円は、隣にいる晃人に素朴な疑問を投げかけた。
「何で、一緒に探してくれたばかりか、盗った人にまで言いに行ってくれたの?」
そもそも晃人に事の旨を話したのだって、それを望んで言ったわけじゃない。ただ愚痴を言いたくて仕方がなかったのだ。
返答も求めていない。協力して欲しいなんて、思い浮かばないくらい、怒りが勝っていた。あの時は。
「俺も傘じゃないけど、物を盗まれたことがあるから、かな」
「聞いてもいい?」
「ん? 大した話じゃねぇよ」
円は黙って晃人が話すのを促した。
「盗られたっていうほどのもんじゃないんだ。……部活で、使った道具とかって他の連中のと混ざったりするだろ」
「うん。でも、名前とか……書かないか」
物によっては書かないといけない物もある。しかし、円はソフトボール部で、晃人は野球部だ。備品などは、学校の物ばかり。
練習にユニフォームを着ることはないし、グローブだって借り物だ。
晃人の言う混ざった際に取られる物というと……。
「もしかして、シャツとか靴下とか?」
「そう! 同じサイズだから、間違って持っていかれたことが何度もあるんだよ」
なるほど。女子も時々あるけど、皆名乗り合うから、そこまで問題視していない。
「それで買いに行くと、お小遣いなんかあっという間に無くなる」
思い出したのか、声にも怒りが混じる。
「まぁ、今回は盗んでも代えが置いてあるなんて、あんまないことがあったから、そこまで問い詰めなかったけどな」
「そっか。そうだったんだ」
何だろう。ホッとしたような、ガッカリしたような、そんな気分になった。
「とりあえず、ありがとう。今度、堂林が困ったことがあったら言って。手伝うから」
「じゃ、今日出た数学の宿題を……」
「まさか、そんな下心があって助けてくれたの?」
「さぁ、どうかな」
そう言って、晃人は傘をクルクル回しながら笑う。だから円も、
「変なの」
同じように笑って誤魔化した。傘に描かれたヒマワリのように。
ヒマワリの傘を追って 有木珠乃 @Neighboring
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