おじさんのウソ

@88chama

第1話

 花屋の角を曲がった路地の奥に、一軒のアパートがありました。

古びたその建物は、壁のペンキもすっかり色あせて、はがれ落ちている所もありました。そして、あいた穴に打ち付けられた色の違った何枚もの板は、まるでパッチワークのようにも見えました。

決してお世辞にも、ステキなお住まいですね・・などとは言えませんでしたが、それぞれの部屋からは、毎日大きな笑い声が聞こえていました。


 ここの住人達はみんな元気で、仲良く暮していましたから、どんなに建物が古くたって、雨もりがひどくたって、少しも気になりませんでした。ただあちこちにあいた穴から話し声が聞こえてくる、という気になる点もあるのは事実なのですけどね。



 そんな風通しのいい穴から、今日も誰かの声が聞こえています。

 「ジュン、素直にあやまったほうがいいよ」

 日曜日の昼下がりです。ジュン君がお母さんに叱られていると、お隣りのお兄さんが入って来て、いつものように助け舟を出してくれました。でも今日のお母さんは、そう簡単には許してくれません。

 

 

 お母さんの声にアパートのみんなが次々に顔を出して、ジュン君の周りを取り囲みました。

 「どうしたの」

 みんなとても心配そうな顔で言いました。でも叱られた訳を聞いてみると、おやつのバームクーヘンをジュン君が食べちゃった、というとても単純なことだったので

 「いいじゃないの、間違ったんだもの」

と、みんなで声をそろえて言いました。


 

 

お母さんの気持ちがなかなかおさまらなかったのには理由がありました。ジュン君がこっそりおやつを食べてしまったことを、弟のケンジ君のせいにして、平気でウソをついたからなのです。向かいのお婆さんが言いました。

 「ジュン、お母さんの言うことがわかったかい。ウソをついたから怒られたんだよ。

あんたはいい子だったはずだけどねぇ・・」

 悲しそうな顔のおばあさんに続いて、たくさんの声がかかりました。



 「おやつが食べたい時は、うちにおいでよ」

 本屋におつとめの智子さんが言うと、

 「お前、弟のせいにしたのか、汚ねえぞ」

 大学生の山本君が偉そうに言いました。

 「ウソはいけないよ。それもそのウソは、誰かを傷つけるウソだ。そうだろう。

弟のせいにして自分は助かろうとした、その根性がいけないって、お母さんは怒ってるんだぞ」

 肉屋のおじさんの言葉に、今度はみんないっせいにうなづきました。




 「バームクーヘンか。そう言えば昔ドイツの山奥に、天にも届きそうな大男がいて、これが大のバームクーヘン好きだったって話、知ってるか」

 木下さんがニコニコしながら言いました。

 「でもな、あんまりでかい男だったんで、ジュンのおやつみたいなのじゃものたりない。もっと大きなのが食べたいって、神様にお願いしたんだそうだ。」 


 「 何日も何日も祈り続けたすえに、やっと願いが叶って出来たのが・・

ジャーン、七色のお菓子。 そう、あの空にかかる虹だ。あんまりでかいから半分しか見えないけど、バームクーヘンにそっくりだろう。それを大男は雨上がりに、うまそうに食ったんだとさ」

 「俺も知ってるぞ。それは太陽の熱で焼き上げるんだよな。雨の降ってる間、地球の向こう側でせっせと焼いて、焼きあがるとハイ出来上がりーって、虹が出てくる」

 「誰が作るんだよ」

 「そりゃぁ神様しかいないだろうよ」




 みんなでわいわい言っていると、部屋の壁に大きな人の影が映りました。

西日が映し出すそれは、まるで大男のように見えました。

レースのカーテンの影も、大男の長い髪となって、ゆらゆらと風に揺れました。

すると突然、その大男がすごい声でどなりました。

 


 「こらーっ、黙ってそこで聞いていたが、何ということだ。ウゾをついちゃあいけねえって教えているそばから、何てぇウソを言ってるんだ。

ジュン、いいか。こんなウソをつくような人間になっちゃあいかんぞ。ウソをついてばかりいると、昔はえんま様に舌をぬかれるって言われたもんだ。

おじさんも子供の頃にな、そのウソつきから抜いたっていう舌を見せてもらったことがある、ん、だ、がな・・・」


  

  そう言いながら真剣な顔で、おじさんは道具箱の中からペンチを取り出しました。

 「 『やっとこ』って言ってな、ホラ、これに似たようなもので抜くんだぞ。こんなもので舌をはさんで抜いてみろ、そりゃぁもう、痛いのなんのって・・」

 おじさんは急に恐ろしそうな声になって、大きな目玉をグリグリさせながら、みんなの顔を見渡しました。

 それから、真夏に怖い話を聞かせて得意になっている時と同じ顔をして、グッとすごんで見せたのでした。

みんなは一生懸命おかしさをこらえています。

 

 

 ジュン君はなんだかおじさんがえんま大王に思えてきて、怖くてたまらなくなってすぐにお母さんに謝りました。そしてこれからは、どんなことがあっても、決してウソはつかないと心に決めました。



 

 その後おじさんは、度々アパートのみんなに、「一番のウソつき」とひやかされました。おじさんは照れくさそうに笑いながら

 「しかし、ペンチがあんなに効き目があるとは思わなかったな」

 と言って、大事そうに道具箱を抱えて、元気よく仕事に出かけて行きました。



 それからはいつもその後ろ姿には、みんなの部屋やあちこちに開いた穴から

 「一番の大ウソつきさーん、いってらっしゃーい」

と、大きな声がかかるのでした。

              おわり

      

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