4/11-Ⅰ

 蒼咲が様子を見に来たところで、会話は一時中断となった。並々ならぬ空気に、何か感じ取るものがあったのだろう。しかし帰宅を促したのは他でもない、藤邑自身だった。


 この提案には灯日も、そして蒼咲までもが耳を疑った。その反応に彼女は頬を膨らませたが、結局それ以上の追求はせず「先に降りますね」と部屋から出て行ってしまった。


 だから灯日も帰路につき──そして一睡も出来ぬまま、今日に至る。


「…………」


 普段から遠巻きに見られていたものの、今日はいつにも増して視線が痛い。それは自分の形相に問題があることは、灯日が一番理解していた。


 あれから、と言っても二日しか経っていないが、藤邑とは必要最低限の言葉しか交わしていない。あまりの素っ気なさに初めは声も出なかったが、一貫した態度に灯日も流されるしかなかった。そして今日も今日とて、藤邑は音もなく消えている。


 今度こそ、これきりの関係。


 見限られたのだと悟った瞬間、誰かが灯日の肩を叩いた。勢い良く振り向くと、そこには目を見開いた女生徒が一人。無論、藤邑ではない。


「あ、ごめんね。何か用かな」


 寝不足のせいか、どうも思考力が鈍い。それでも努めて笑顔を浮かべれば、女生徒は困惑した風に眉根を寄せた。有ろう事か「大丈夫?」と心配さえしてくれる。


「ありがとう。ちょっと色々あって、気持ちに余裕がないのかも」


「それって、もしかして藤邑さん関係?」


 思わぬ登場人物に、今度はこちらが目を見張る番だった。灯日の反応に、女生徒は心なしか声を弾ませる。


「あのね、藤邑さんに伝言を頼まれたの。“この後、例の場所に来てくれ”って」


 何が楽しいのか、女生徒は黄色い声を上げたまま去って行った。何故だか誇り顔の藤邑を思い浮かべてしまったが、片手で払い除けておく。


 一杯食わされたことに立腹しつつも、自身の頬が緩んでいることを彼は知らない。


「やぁやぁ、委員長。待ち過ぎて干からびるところでしたよ」


 掛け札は『Open』になっていたものの、店内に居たのは藤邑と蒼咲の二人だけだった。エプロン姿に面食らいながらも、灯日は辛うじて頭を下げた。藤邑に次いで「いらっしゃい」と蒼咲が笑む。


「すまないね。祈がまた迷惑を掛けたようだ」


「そんな、蒼咲さんが謝るようなことじゃ」


「それでも懲りずに来てくれて、私も嬉しいよ」


 含みのある物言いに口端が引き攣る。灯日の表情に蒼咲は肩を揺らし、改めて藤邑に目を向けた。視線を辿るように灯日もまた顔を向ける。エプロンは既に折り畳まれ、カウンターに置かれていた。


「マスター、部室をお借りしますね」


「分かっていると思うが、今日は」


「営業日、ですよね。安心してください! 隠密行動は得意なので」


 揚々と胸を叩く姿に、蒼咲は軽く肩を竦めた。しかし咎める気はないらしい。ご機嫌な藤邑に連れられ、扉の向こうへ足を踏み入れる。


 そして部室に着くや否や、藤邑はパイプ椅子に跨った。灯日も着席を促されたが、首を横に振る。


「言ったはずだよ。僕は賛同出来ないって」


「その割には素直に来てくれましたよね」


「それは」


 蒼咲みたいなことを言う。だが口調とは裏腹に、彼女の眼差しは真剣そのものだった。取り繕った言葉は不要だと、灯日は思わず絶句する。


「……それは僕にも、聴く権利があると思ったから。これからの君の行動を」


 だから、こちらも慎重に言葉を選ぶ。今度こそ目を据えれば、藤邑は満足げに破顔した。


「結論から言えば、私のスタンスは変わりません。委員長に対する気持ちも」


「また誤解を招くような言い方を」


「事実ですから」


 当然ながら悪びれる様子はない。溜め息を一つ、諦めて話を進める。


「だからと言って僕も折れないよ。誓約を破るようなことは出来ないから」


「分かってますよ。だから今回は、


「…………は?」


 固まる灯日を尻目に、藤邑は頬杖をついた。その姿は何とも愉快げである。


「まずは改めて、状況の整理から。

 今から一年ほど前、委員長は学校側に対して美術部設立のアプローチを仕掛けていました。しかし去年の十二月、例の誓約により計画は頓挫してしまいます」


 意味深なめくばせに、差し当たり頷きを返す。藤邑はそれを見届けると、改めて言葉を続ける。


「誓約の内容は“美術部設立を諦める代わりに、個人的な活動には目を瞑る”というもの。これに従った結果、委員長は描き続けることを決意しました。

 更に学校側はこれを受けて、条例にまつわる入試問題を出しています」


「ここで一つ、疑問が浮かびますよね?」そう言って、藤邑は人差し指を立てた。指先はそのまま灯日へと向き、注がれ続ける視線に渋々口を開く。


「十二月に起こったことが切っ掛けなら、一月の入試に間に合わない、とか?」


「確かに時間的な齟齬はありそうですが、あれで問いたかったのは条例を知っているか否かです。最悪問題の差し込みだけで、解答が無くても不都合はないでしょう」


 それもまた暴論のような気もするが、少なくとも彼女の気にするところでは無いのだろう。「素直じゃないですねぇ」と上がった口角に、灯日は一人、胸騒ぎを覚える。


「“あの人”が居るにも関わらず、貴方が“一人”である意味ですよ」


 ──やはり、聞き流してはくれなかったか。


 思わず睨みを利かせるも、怯むことなく藤邑は続ける。


「さて、本題はここからです。現状の鍵となる、あの人とは一体何者なのか。さすがにくどいと思うので、ここからは“A”と仮称しましょう。

 やはり最初に思い浮かぶのは、私にとってのマスター、つまりAが協力者である可能性です」


 協力者。もしくは、それに準ずる存在。その単語に、灯日は薄っすらと口を開けた。しかし発話をする前に、


「ええ。もちろん、それは有り得ないでしょうね」


 皮肉と言うより、呆れに近い声音だった。否定から始めたというのに、それでも“もしも”の話は止まらない。


「ですが流れを掴むため、ここは敢えて話を続けましょう。

 一年前、貴方とAは美術部設立に向けて動いていました。学園側にとっては微々たる脅威だったかも知れませんが、二人は諦めることなく説得を続けます」


 しかし事態は停滞したまま、時間だけが流れた。そして去年のクリスマス、件の誓約が結ばれる。


「あの誓約、結局は現状維持を約束するもので、委員長にとっては何一つメリットがないんですよね。それでも聞き入れたのは、そうせざるを得ない事情があったからでしょう」


 押し黙る灯日。それを肯定と受け取ったのか、藤邑は忌々しげに息を吐いた。


 その事情を、彼女は脅迫と言い換える。


「先日の話を聴くに、Aはこの土地に強い執着を持っています。ならば“月ノヶ丘市からの退去命令”は十分な交渉材料になる」


 。条例も伊達ではないのだと、灯日も他人事のように思ったものだ。


「ここでポイントになるのは、指定場所が“月ノヶ丘市であって学園ではない”ということです。美術部設立を阻止することが目的なら、退学させるだけで充分でしょうに」


「学校を変えたところで、懲りないと思ったんじゃない?」


「そんなブラックリストに入るような生徒を、同市内の他校が受け入れるわけありませんよ。そうなればどの道、月ノヶ丘市から出て行くことになります」


「……何が言いたいの?」


 回りくどい物言いに、とうとう痺れを切らす。一方の藤邑は、灯日の言葉に短く息を吐いた。先ほどは野次るような視線だったが、今回は些か真剣みが増している。


「Aという人物が、市長を動かすほどの価値があるということですよ。そんな方が協力者ならば、学校相手に手古摺ると思えません」


 少なくとも、交渉のテーブルにはつかせてもらえるだろう。だが学園側の対応を見るに、そんな様子は微塵も感じられない。「話を戻しましょう」と彼女は眼光を細めた。


「貴方たちは協力関係にない。それなのに、Aはこの騒動に巻き込まれている。これは裏を返せば、“無関係ではない”という証明にもなります」


「違う、あの人は何も」


「雨宮灯日とは無関係でも、月ノヶ丘市とは違います。それは貴方も言っていたでしょう」


“ずっと、絵を描いてきたんだ。あの人に憧れる前から、ずっと”


 一言一句逃すことなく、先日の台詞が繰り返される。感情の載り方さえ模倣されていそうで、灯日は思わず耳を覆いたくなった。それでも、追撃は止まない。


「Aは芸術家です。それも、この街がひっくり返ってしまうほどの……すべての根底を覆せる存在だと、私は考えます」


 それは即ち──神である、と。


 今度のナイフは正々堂々、真正面から向けられていた。

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