3.霧の中の殺人者

 深い、深い夜の闇に濃い霧が立ち込める。建物の輪郭は曖昧になり、空に煌々と輝く月さえも青白い光を滲ませてしまっている。

 女が一人、両手で体を抱え込むようにしながら身を震わせた。

(やだやだ。霧の夜は肌寒くって仕方ない)

 残業の原因となった雇い主に内心悪態をつきながら女は家路を急ぐ。

 突然、顔に向かって何か飛んだきた。咄嗟に身を捩ると黒っぽい『何か』は羽音のようなものを立てて霧の奥へと消えていく。

「何なのよ……」

 ドクドクと激しくなる胸元を鷲掴みながら、女はボソリと呟いた。しばし黒い物体見失った方を見ていたが、やがて前を向き直り足を踏み出す。今度は何か大きなものにぶつかった。

「何よ!」

 眉を寄せ荒々しい声を上げて目の前のものを睨みつける。それはまるで巨大な影が実体を得たようだった。もぞもぞと動いていたかと思うと、次の瞬間爆発的に面積を広げ、呆気に取られた女を覆い尽くしていく。冷えた夜風が辺りの霧をさらっていくと、そこにもう女の姿はなかった。

 翌朝、町の中心部に驚きとざわめきが広がる。道のど真ん中に、全身の血を抜かれた女が恐怖に目を見開いた顔で横たわっていた。


     ◆


「もう今月で五人目か」

 恰幅の良い中年男性がポリポリ頭を書く。「不味いなあこのままじゃ警察の面子丸潰れだよ」とぶつくさ文句を垂れる姿を、レベッカは心底軽蔑した表情で眺めていた。

「お言葉ですが警部、夜の見回り強化しか対策をしていないのですから、ほいほいと犯人が捕まるとも思えません」

 出来るだけ感情を殺して淡々とした声を装う。代わりに顔の方に気持ちが現れているようだ。このままでは眉間の皺が固定化されてしまうかもしれない。

「んーそうは言うもののねぇ?我々も忙しいんだよレベッカくん。事件は一つではないわけだからね」

 お前が忙しいのは風俗通いだけだろうと言う言葉を既のところで飲み込む。レベッカは咳払いをした後、わざとらしく笑みを作ってみせた。

「では警部、忙しくない私が囮捜査をしてみるのはどうでしょう?幸い被害者は全員妙齢の女性ですし、適役かと」

 警部と呼ばれた男は小さな目をくりくりと見開き、レベッカを上から下まで一瞥した。

「んーそうだねぇ。君が役に立つかどうかはさておき、取り組む姿勢は大事だからねぇ。僕から上に報告しておくよ」

 上司に有用な提案ができるとほくほくした顔で彼は去っていく。レベッカはその場で盛大に舌打ちをしたが、生憎対象者には聞こえていなかった。


 着なれないドレスに足を取られながらも、レベッカは何とか貴婦人らしい振る舞いを真似ながら夜道を歩いていた。夜毎現れる深い霧に胸がざわつくが太ももに触れた冷たい銃の感触が気持ちを宥めてくれる。

(やるのよレベッカ。女の身で縁故もなく出世するには、とにかく手柄を上げるしかないんだから)

 歯を食いしばりながら歩く内に、どうやら居住地区を抜けて貧民街まで来てしまったようだ。どことなく漂う異臭に、人気のない家屋達。窓も朽ちてしまった廃墟から、風が吹くたびに悲鳴のような音が聞こえてくる。知らず体が震えた。

(落ち着いて。こう言う場所こそ何か起こる絶好の機会よ。呼吸を整えて、物音に耳を澄ませるのよ)

 二、三度深呼吸をすると、五感が研ぎ澄まされた。風が砂をさらう音までも聞こえるようだった。

 バサバサバサ!

 突然の大きな物音に、即座に銃を構える。しんと、あたり一体水を打ったように静まり返る。足音を消して慎重に音の出所へ近づくと、朽ち果てた家の軒先に蝙蝠が止まっていた。

(珍しいわね。普段は森の奥深くにしかいないのに)

 そっと銃を下ろした次の瞬間、背後からゾッとするような気配を感じた。すぐさま振り返りながら銃を掲げると、銃口の先にいたのは黒い影──ではなく、黒いフードを被った人であった。そこそこ身長のあるレベッカでも見上げねばならない程、その人の背は高い。顔が見えないため、性別の確定はできない。

「こんな人気のないところで、何をしているの?」

 銃を構えたまま問うも、相手は身じろぎひとつせず悠然とフードを取り去る。

「気丈なるレディーに、ご挨拶を」

 自ら輝くような銀髪に、宝石のような真っ赤な瞳。中性的で美しい顔立ちだが、声からすると男のようだ。病的なまでに白い肌が、返って彼の煌びやかな髪を際立たせている。

「何者なの?名乗りなさい」

 顎でしゃくって返事を促すと、男は口元に優雅な弧を描き、ふぅっと長い息を吐き出した。手の中の銃が灰となって消えていく。

「え⁈ちょっ……」

 慌てふためく彼女を、男は凄まじい腕力で壁に押し付けた。うめき声をあげながらも睨みつけると、男は再び品のある笑みを返す。

「本当に気の強いレディーだ。食べ甲斐がある」

 言葉の意味がわからず一瞬考え込んだ隙に、男はレベッカの首元に噛み付いた。

 ジュ、ズゾゾゾゾ。

 短い悲鳴が霧の中に吸い込まれる。体がぶるぶると震え、体温が上昇する。首筋からは鋭い痛みを感じるのに、何故か脳は別の感覚をとらえていた。呼吸は荒くなり、体の奥深くから何かが脳天へ向けて迫り上がっていく。股の間から熱い液が伝うのを感じ、羞恥で頭がどうにかなってしまいそうだ。自由な両手で相手の腕をガンガンと叩いてみたがびくともしない。男が面白そうに顔を上げると、その鋭い視線と絡み合っただけで鳥肌がたった。

「活発なレディーは大歓迎だよ。美味しいからね。それに、あなたも楽しんでいるようだし」

 スカートに手を差し入れすーっと太ももを撫で上げられると、背中が弓形にのけぞった。

「恥ずかしがらないで。皆『こう』なるから。いつもならこんなサービスしないけど……」

 ビッ、と布地の裂ける音がして、豊かな乳房が顕になった。それを恥じらうほどの理性は、もう彼女に残っていない。

「今日はもう少し、遊んでみようか」

 鋭い爪のついた手で乳房を持ち上げ、白く柔らかな膨らみに長い牙を立てる。

「ああああぁぁ!」

 たまらず大声を上げた彼女の目は、もう快楽以外何物も映っていなかった。

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5分で楽しむ物語 雪菜冷 @setuna_rei

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