2.ミックスジュース
プシュ、カチリ。ゴクゴクゴク。
冷たい液体が喉を侵食して、声にならない息が漏れる。今は十一月。体を冷やして心地いい季節ではない。それでも、美月はこの習慣を止める事ができなかった。今日は金曜日。手に下げたビニル袋には、お一人様向けのつまみとミックスジュースと書かれたコンビニのレシートが所在なさげに収まっている。
(もう一年、かぁ)
見上げれば、あの時と寸分変わらない澄み切った夜空。星々が色とりどりに瞬いて、『私達を見て』と訴えかけているようだ。
(……新しい彼女とは、上手くいってるのかな)
缶を握る手に力がこもる。未だに彼の事が頭に浮かぶなんて、どうかしてる。キッパリと振られたというのに。ドロドロとした気持ちが胸の奥から湧いてくるのを感じて、慌ててジュースに口をつけた。極上の甘さが体全体に染み渡っていき、黒いモヤを押し退けていく。
(ダメダメ。前だけ見るって決めたんだから)
当時の美月はそれはそれはひどい状態であった。夜が来るたびに目が真っ赤に腫れるまで泣き、週末はいつも酒浸り。当然体を壊し病院行きとなって、やっと目が覚めた。今のままではダメだ。やり方を変えなければ──。
(お酒をミックスジュースに変えたのは正解だったわ。子供の頃には好きでよく飲んでたし)
ゴクリ、とまた一口飲む。このとろっとろの甘さが嫌な事を遠ざけてくれる。ひょっとしたら、子供の頃の自分も気分を変えたくて飲んでいたのかもしれない。
(あの頃はよかったなあ。毎日遊ぶことだけ考えて。恋だの仕事だのややこしい事はなーんにもない。……なんか実家帰りたくなってきた)
そこまで考えてからふと思い出した。ここ最近立て続けに同級生から届いたハガキ達の事を。『結婚しました』『結婚します』『結婚式の出欠を……』
「ええい!」
思わず飲み干した缶を放り投げる。手から缶が離れた瞬間後悔した。これは不法投棄になるのでは。焦る気持ちとは裏腹に時間はゆっくりと進み、缶がきれいな弧を描く。無機質な音を立てて地面に落ちる様を想定して、一足早く『ごめんなさい』と心の内で呟いたところで世界は元の早さを取り戻す。
パシッ。
「ポイ捨てはよくないっすよ先輩」
「へ?」
目の前にはいつの間にか職場の後輩が立っていた。彼の手には見事にキャッチされた空き缶。とりあえず不用意に捨てずに済んだと安堵する一方で、恥ずかしい所を見られてしまった。心なしか頰が熱い。
「み、水野くん、これはね……」
「奇遇ですね。俺も好きなんですよ、ミックスジュース。先輩達には子供っぽいって笑われますけど」
彼は空き缶を見るとポケットから間新しい缶ジュースを取り出しこちらに見せてきた。ニカっと笑う彼の笑顔が眩しい。歯が綺麗だな。
水野は美月の元まで歩いてくると、空き缶を手渡し隣に腰掛けた。プシッとプルトップを開ける音が響く。
「たまにはこういう飲み会も悪くないですよね。乾杯」
カン、と美月の缶に自分の缶をぶつけて、豪快に中身を煽る。その姿に、心が忘れていた感覚を取り戻す。
トクリ。
鼓動が揺れる。この胸の疼きを、私は知っている。
美月は彼からそっと目を逸らし両手で空き缶を握りしめた。一年も続いたこの習慣をすぐに止める事はできないけれど、時期に新しい習慣になるかもしれない。風が吹き、木の葉が舞い上がる。まだ少し遠い二人の距離をつなぐように、鮮やかな銀杏の葉が二人の足元を包んだ。
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