第2話
「俺は肯定側」
一瞬だけ息が止まった気がした。
駅のホームで電車を待っている時。吉沢は時計を見ながら「子どものうちは恋愛しなくていいと思う」と呟くように言った。私はホームにやってくる電車を目で追いながら、「なんで」と聞くので精一杯だった。
ドアが開いた。無言のまま、私たちは電車に乗りこんだ。
「恋愛してたら勉強が身に入らなくなるだろ。子どもは勉強が仕事なんだから、恋人に現を抜かしてる場合じゃない」
「……でも恋愛しても成績いい人って結構いるよ」
「そうだけど……俺は無理だな。絶対スマホ気になっちゃって、勉強に集中できなくなる。それで浪人するとか絶対嫌だ」
「……高校生って子どもなの?」
「子どもだろ。まだ何をするにも親の許可が必要で、一人じゃ何もできない。実際、クラスメイトの中で胸張って大人ですって言えるようなやつがいるか?」
電車に揺られながら、教室内の風景をイメージしてみた。私たちのクラスは特にヤンチャで、サファリパーク並みの騒がしさを誇る。とても大人とは思えない。そりゃつい最近まで義務教育を受けていた中坊だったんだから、大人なわけないか。
「じゃあ18歳は? 結婚もできるし、選挙も行けるし、車の免許も取れるよ。2022年から18歳が成人になるし」
「でも高校生だったら勉強とか部活とか、受験を優先するべきだろ。恋愛で問題起こす人もいるんだし、禁止にした方がメリットは多いんじゃない」
「高校生じゃなくなった18歳ならいいってこと?」
「……まあ、そうだな。卒業式マジックがあるくらいだし」
『卒業式マジック』。我が校の馬鹿らしい伝統であり名物だ。
恋愛禁止だった三年間、必死に温めていた恋をついに叶えることができるのが卒業式なのだ。だから卒業した瞬間、校内のあらゆる場所で告白ラッシュが起こる。結果、一日で大量のカップルが誕生する。
「吉沢はさ、もし校則で禁止されてなかったら……彼女つくってた?」
わざと窓の外を見ながら。吉沢を視界に入れないようにしながら。恐る恐る聞いてみた。
「つくらない」
即答だった。
「受験失敗した時、彼女を理由にしたくないから」
顔を上げると、吉沢は私をじっと見ていた。目が離せなくて何も言えないでいると、吉沢は優しく笑った。
「恋は大人になってからでもできるだろ」
♢
私たちの学校は、六月に体育祭が行われる。綱引きとか、リレーとか、ごく一般的な競技ばかりだけど、それなりに盛り上がるみたいだ。
午前の競技ですっかり疲れ切った私は、人混みを避けて奥のベンチで休むことにした。目を瞑っていると、『騎馬戦に参加する生徒は速やかに集合してください』という放送が聞こえてきた。
そういえば騎馬戦って吉沢が出るんだっけ。眠い頭でもこんなことを考える自分にムカついた。興味ないフリしなきゃいけないのに。
休み時間に吉沢とディベートしていた時、先生から「お前らだけは信じてるからな」と言われたじゃないか。男女が仲良く会話しているだけで注意してくる先生も、私たちのことは黙認してくれているじゃないか。部活熱心で素晴らしいからって。
絶対バレちゃいけないんだ。もし私の気持ちを知られたら、吉沢と一緒にいられなくなる。駅で待ち合わせしたりLINEしたり、夢中でディベートすることなんてできなくなる……。
「貸して」
聞き慣れた声。目を開けると、吉沢が立っていた。私の返事も待たずに、「ハチマキ。緊急事態だから」と続けてきた。
土汚れた体育着の吉沢には、巻かれているはずの黄色いハチマキがなかった。無くしたのか?
思わず自分が寝ていた位置を確認した。グランドからも集合場所からも遠い、誰もいない静かなベンチ。わざわざ探しに来なければ気が付かないような場所。
「早く。もう行かなきゃいけないんだよ」
吉沢と目が合った。赤く見える顔は、日焼けによるものなのだろうか。
手の震えを悟られないように素早く額のハチマキを解き、吉沢に押し付けた。ふわっと風に乗って、吉沢の匂いが届いた。吉沢は殴るように渡してきた私に、少し驚いていた。
「……負けんなよ」
込み上げるものを抑えようとしたせいで、不機嫌そうな尖った口調になってしまった。それでも吉沢は微笑んで、「おう」と頷いてくれた。
そのままグラウンドへ消えていった背中を、寂しくなった額を撫でながら見送った。
照りつく日差しが瞼を焼く。暑すぎて、倒れてしまうかと思った。
♢
時の流れは特急列車よりも早いもので。気付けば卒業式となっていた。
私は第一志望の私立大学に無事合格し、春から上京することが決まっていた。吉沢も東京の国立に受かったらしい。私たち以外にも、多くの同級生が有名大学への進学を勝ち取った。
もし恋愛が禁止されていなくても全く同じ結果になったのかは、今となっては分からない。
ただのクラスメイト兼部活仲間だった吉沢とは、これで連絡を取る理由がなくなるわけだ。これから全く別の道に進むわけだから。
毎日切磋琢磨し、ディベートに打ち込んできた私たちは、明日から無関係になる。大会で予選落ちして涙を流したり、次の年に優勝して喜び合ったりと、多くの時間を共有していたのに。
毎日理由もなく誰にでも会えた学校という場は、実はとてつもなく貴重な空間だったということを、今更ながら思い知った。
理由がなければ会えない。理由を作らなければ、二度と会えない。あいつの隣で一緒にディベートができたのは、高校という場があったから。毎日あいつの顔を苦労もせずに拝めた三年間は、ありがたい時間だったのだ。
「桜、間に合わなかったな……」
何も咲いていない校庭。みんなが卒業証書片手に写真を撮っていた。中には仲良く手を繋いでいる男女もいた。
何が卒業式マジックだよ。
その景色を横目に、私は足早に校門を出た。バカみたいに厳しい校則とも、吉沢と通った校舎とも、これでおさらばだ……。
「桜井」
知っている声。足が止まった。
首を動かすと、吉沢が校門にもたれるように立っていた。緊張しているのか、顔が硬い。すると、ポケットに突っ込まれていた吉沢の手が、ゆっくりと私の前に差し出された。
「……なに?」
握手でもするつもり? もう会わないから? さよならの挨拶?
睨んでやると、吉沢は「いや」と前置きしてから、「卒業したからさ」と微笑んだ。
「手を繋ぐことから始めてみようかと」
数秒経って、意味を理解できた。涙が出そうになった。
なーにが卒業式マジックだよ。
素直に動かない体。でも吉沢の不安げに私を見つめる瞳が、固まった腕を動かしてくれた。自然にその手を握ると、大きな掌から体温が伝わってきた。初めて触る、男の手だ。
駅に向かって歩いている間、吉沢は「長かったあ」と鳴いた。それを見て、私もようやく素直に笑うことができた。
彼は、恋は大人になってからでもできると言った。子どものうちは恋愛はしなくていいと。
確かに恋に年齢制限はない。でも私は、彼の意見にちょっとした反駁をしたい。
あなたに会いたくて、いつも早足で駅へ向かっていた朝の眩しさ。
なかなか鳴らないスマホに一喜一憂して、いざ返事が来ると途端に胸が騒がしくなった夜のひと時。
ぶっきらぼうに、でも恥ずかしそうに私のハチマキを巻いた背中を見つめた、騒がしい土と汗の匂い。
大人になったら、きっとこんな経験できないよ。
子どもだったからこそ、幼かったからこそ、こんなにも些細で甘酸っぱいことが、何よりも輝いていたんだよ。
大人になったら 綺瀬圭 @and_kei
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