大人になったら

綺瀬圭

第1話

 日本は死刑制度を廃止すべきである。是か非か。


 突然こんなことを尋ねられた時、たとえ筋が通っていなくとも、自分の意見を人前で臆することなく言える高校生はどれくらいいるのだろう。死刑制度はともかく、社会問題とか政治に関して深く考えたことがある時点で少数派な気がする。


 私はその少数派に属するわけだけど、女子高生ながらこんなことを考えるようになった、ちゃんとしたきっかけがある。


 簡単なことだ。ディベート部に入ったのだ。






「なあ、ディベート部に入らないか?」


 廊下のど真ん中でそう言ってきたのは、クラスメイトの吉沢だった。色素薄めな塩顔で、入学式で新入生代表挨拶をしていた男。高校入学して一か月経ったけど、吉沢と話したのはこれが初めてだった。


「え、なに急に。てかなんで私?」


 まるで危ない宗教勧誘をされているような気分になった私は、異様に警戒してしまった。


「この前の頭髪検査での勇姿が目に焼きついちゃってさ。桜井、絶対ディベート向いてるって思ったんだよ」


 ……どうやら私が先日行われた頭髪検査で学年主任に楯突いたのが理由らしい。


 それは全校生徒を対象に月一回行われる一斉指導。ちょっとでも前髪が長かったり校則で禁止されている髪型をしていると即指導室へ連行される、恐怖イベントだ。


 軍隊レベルで厳しいその検査で、私は学年主任に前髪の長さを指摘された。私よりも明らかに前髪が長い子はスルーしていたのに。私はちゃんと前髪を切っておいたのに。


 曖昧すぎる判断基準がどうも我慢ならなくて、思わず「じゃあ眉下何ミリまでならいいんですか!」「先生の主観じゃなくて具体的な基準を設けてくれませんか!」「そもそも前髪が何ミリ長いと成績に影響が出るっていう研究でもあるんですか!」とマシンガンのように騒いでしまった。


 当然先生は困惑していたし、後でちょっと怒られたけど、周りからは「よく言った!」と称えられたから後悔はしていない。それに今まで溜めていた鬱憤を爆発することができて、スッキリしていた。


 なるべく頭のいいところに行きなさいという両親の方針のもと、私は受かった中で一番偏差値と大学進学率の高い学校を選んだ。化石たちもびっくりするほど古代的で現代社会に取り残された厳しい校則が待っているとも知らずに。


 前髪の長さやスカートの丈はもちろん、髪型も靴下の色も完全指定。制服姿でゲーセンやカラオケなどの娯楽施設に行くことや、下校中の食べ歩きなど、あらゆる禁止事項が存在した。


 極めつきは恋愛禁止。校内で男女が仲良く雑談しているだけで先生が指導してくる上、交際が発覚した場合は一発アウトらしい。大学への推薦がなくなったり部活禁止になったり、最悪出席停止になったりと重いペナルティがあるとか。


 つまり恋人を自転車の後ろに乗せて河川敷を走ることも、制服ディズニーすることも、屋上で仲良くお昼ご飯を食べることさえもできないわけだ。


 そんな昭和かよ、とツッコミたくなるほどの校則に、ちょっと反抗したくなったのだ。でもそれがディベート部への勧誘につながるとは。人生何があるか分かったものではない。


「ディベートって何やるの? 全然知らないんだけど」

「んー、分かりやすい例だと『救急車を有料化すべき』とか、『ペットの売買を禁止すべき』みたいなものかな。お題に対して、肯定側と否定側に分かれて徹底的に意見をぶつけ合うんだ。まずそれぞれの立場の意見を言う。次に反対尋問。矛盾とか問題点とかを指摘し合う。その次の反駁はんばくでは相手側から受けた批判に対する反論をする。最後に最終弁論をして終了。別に内容の正解はなくて、第三者をより納得させられた方が勝ちになるよ」

「へー……」


 とりあえず返事はしたものの、口頭で説明されただけではよく分からなかった。高尚な口喧嘩みたいなものだろうか。ポカーンとしている私に何かを察したのか、吉沢は小さく笑って、スマホを取り出した。


「とりあえず放課後、見学に来てよ。見た方が早いと思うから。LINE教えて?」


 そうやって流れされるまま、私はまんまと吉沢と連絡先を交換させられ、放課後、空き教室に連行された。教室には二年生の部員が数名いて、その場で模擬試合を見せてくれることになった。

 論題は『日本は積極的安楽死を法的に認めるべきである。是か非か』という、考えただけでも頭が痛くなりそうな堅苦しいもの。


 吉沢が「勝敗は桜井が決めて」と私の肩を叩いた。その手には大量のメモ書きがされたノートがあった。

 口喧嘩の勝敗ってあるのか……と気軽に考えていた私だったけど、気が付けば虜になっていた。


 論題対して、肯定側も否定側もそれぞれ筋の通った主張をしている。分かりやすい内容で自然と納得できる上に、論文や専門家の発言も使っていた。それに限られた時間の中でいかに意見を言い切るために、早口言葉レベルのスピードで話し続けている。


 そんな堂々としたその出で立ちと、相手に徹底的に反対尋問をする様子が凄まじかった。

 何よりも、教室にいる時からは絶対に想像できない吉沢の姿に圧倒されてしまった。


 私は、入部を決めた。





 早く吉沢と肩を並べてディベートができるようになりたくて、私は吉沢をとっ捕まえては小さなディベートをするようになった。


 例えば消費税を撤廃したらどうか、とか。全国の公立校で制服を廃止したらどうか、とか。といっても試合並みに真剣にやるわけではなく、雑談代わりの軽いものだった。


 確実に面倒くさいだろうに、吉沢は嫌な顔一つせず付き合ってくれた。むしろディベートに積極的に取り組む私が嬉しかったようで、段々吉沢の方がノリノリになっていた。


 夜のうちにLINEでテーマを決める。次の日の朝、駅で待ち合わせして、電車に乗りながら立論して、休み時間に反対尋問を行う。また次の休み時間に反駁をする。こんなことを放課後になるまでやった。


 この習慣のせいか、日頃から色んなことに疑問を持つようになった気がする。それに、何事も反対の立場から見れば全く違う景色が広がっていることを知ることができた。ディベートのおかげで、吉沢のおかげで、見える世界が変わったと言ってもいい。


 吉沢と話す時間は、確実に私の中で大きなものになっていった。




『ねえ、明日のお題はどうする?』


 夜ご飯を食べ終わった後、すぐに部屋に戻ってこのLINEをする。私にとって、明日の天気よりも芸能人のスキャンダルよりも、明日吉沢と話すお題を決める方が重要だった。


 宿題をやりながら、スマホが震えるのを待つ。しばらく経っても、小さな振動はやってこなかった。既読にすらなっていない。溜息を吐くと、教科書の文字がかすんで見えた。


 意味もなくカチカチ、とシャーペンの芯を出す。限界まで芯を出したところで、聞き慣れた通知音が鳴り、私の心臓も大きく震えた。


 明るくなった画面には、『じゃあ学校の校則についてやってみよう』と表示されていた。表情筋が動かないように唇をきゅっと噛み締めて、宿題を二、三問だけ解いた。


 もう一度スマホを握って、何分経ったか確認する。よし、もう返信してもいいだろう。ようやく私はLINEを開いた。


『校則って?』


 それだけ送って、すぐにシャーペンを手に取る。吉沢からどんな言葉が飛んでくるのだろうと想像していると、予想より早くスマホが鳴った。画面を見て、思わず目を見開いてしまった。


『恋愛禁止について』

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