そうして我が家はパスタを食べた

蓮水 涼

そうして我が家はパスタを食べた


 さて、突然だけど皆さんに問題です。

 夕飯のために弟と共に買い物にやって来た私。財布をスーパーのかごの中に入れて、全ての食材を選んだ後、レジに並びました。

 そしていざ自分の番になり、財布を取り出そうとしたときです。

 なんと! 財布がかごの中から消えてなくなっていたのです!

 それはなぜでしょうか!?


 ――な~んて、心の中でクイズ番組風に実況してみたけれど、つまり私は今人生最大のピンチなわけである。


「ねぇ、ない! 財布がない! なんで!?」

「はあ? 俺が知るかよ。え、マジでないん?」

「マジでないから焦ってんでしょ!」


 私より四つ年下である十二歳の弟は、姉の言うことを信じられないのか、かごの中を漁っている。

 中には牛肉、お菓子、ジュース、卵などなど。今夜必要な食材が入っている。

 けれど、やはり財布はない。

 私のお気に入りの赤と白の財布。バイト代で買った、ちょっとお高めの財布が!


「……ねーちゃんさぁ、いつもかごの中に財布入れて買い物するよな?」

「うん、するする」

「今日も入れてたよな」

「入れてた入れてた。そもそも私、かばんなんて持ってきてないのに、他のどこに入れるっていうの」

「だよな~」


 弟と顔を見合わせる。

 よく似てるねぇと言われる二つの顔が、同じ具合で青ざめていった。


「やべぇよ、ねーちゃん」

「やばいよね。どうしよう。と、とりあえず、お母さんに電話する?」

「いやまずは警察だろ。こういうの、窃盗って言うんだろ? 母さんじゃ犯人を捕まえられないって」

「えっ、窃盗?」


 思わず声が裏返る。

 窃盗だなんてそんな非現実的なワード、私はこれっぽっちも浮かばなかったから、弟の言葉に軽い衝撃を受けたのだ。


「だってかごの中に入れた財布がないんだぜ? 俺は持ってないし、ねーちゃんも持ってない。ってことはもう、誰かに盗られたとしか思えねーじゃん」

「そ、そっか。そうだよね。えっ、どうしよう」

「だから警察、110番だって」

「いや、でもさ、110番ってなんか勇気いるじゃん? まだ盗まれたって確定したわけじゃないし。そんな大事おおごとにしたらさ、間違ってたとき恥ずかしいじゃん」

「た、確かに……」


 弟と二人で神妙な顔で頷き合う。

 

「とにかくもう一回思い出そう」


 そうして私たちは、スーパーに入ってからのことを振り返った――。






 ――今日は焼き肉だよ。

 朝目が覚めて、おはようと言った私たちに母が返した言葉だ。

 浮かれた弟と私は、「だから買い出しよろしく」と続いた母の言葉に二つ返事で了承を告げ、近所のスーパーにやって来た。

 夕方のスーパーは、主婦や仕事帰りの人々で混雑していた。

 すでに行列を作っているレジが視界に入って、うわ嫌だなぁと思いながら最初の野菜コーナーに出迎えられる。

 ナスやズッキーニが旬コーナーに並べられており、私はズッキーニを焼くのもおいしいかも、と足を止めた。


「で、俺はそんなねーちゃんを置いてお菓子コーナーに行った」

「そうそう。あんたいつのまにかいなくなってたんだよね」

「そりゃ俺の目的はお菓子だったから」


 足を止めた私は、そのとき人とぶつかった。

 いや、正確には、ぶつかられた。


「五歳くらいの子がね、足元にぶつかっちゃって。尻餅ついちゃったから、大丈夫? ってしゃがみ込んで訊いたの」

「何やってんだよねーちゃん。そのときかごは」

「いや、私はただ立ってただけだよ? かごは……そう、その子に手を貸そうとしたから、床に置いた」

「! じゃあそのとき盗られたんじゃねーの」

「え~、あの一瞬で?」

「子どもも窃盗団の仲間かもしれない」

「窃盗団て。そんなわけないじゃん。漫画の読み過ぎ」

「でも前YouTubeで見た。海外じゃな、そうやって誰かが囮になって、カモが荷物から目を離した隙に盗むんだぜ」

「ちょ、漫画じゃなくてYouTube!? しかもカモってなに。お姉ちゃん、カモに選ばれるほどアホそうな顔してないけど!?」

「それ全世界の被害者に謝ったほうがいいやつな。あとどっちかっていうと、ねーちゃんはアホだと思う」

「くっ……生意気な弟め!」


 しかし実際、そのときに財布が盗まれていたかどうか、私は思い出せなかった。

 尻餅をついたその子にとりあえず必死に謝っていたため、意識がかごから離れていたのだ。

 だって、自分より圧倒的に小さい子が目の前で転べば、たとえこちらに非がなくても罪悪感が沸くというものだ。

 幸いその子は泣くこともなく、怪我の有無をたずねる私に首を横に振ると、無言で走り去って行った。


「怪我がなかったなら良かった~って、次はお肉コーナーに行った」

「俺、遠目にねーちゃんが肉選んでるところ見た。めっちゃ悩んでたな」

「だってせっかくの牛肉だよ。良いもの食べたいじゃん」

「わかる。でも悩みすぎて、肉のとこでずーっと立ってただろ」

「え、あんたずっと見てたの……?」


 キモ、と一歩足を引いたら、弟が全力で否定してきた。


「んなわけねーだろ。美人でもない姉なんか見つめて何が楽しいんだよ」

「口の利き方がなってないぞ、弟よ」

「ちょ、やめっ、いてぇ!」


 問答無用で弟の頬を掴んでやれば、腕を思いきり叩かれた。いや私のほうが痛いんだけど。


「ずっと見てたんじゃなくて、二回見たんだよ。最初に見かけたときと次に見かけたときで、ねーちゃん、その場所から動いてねぇんだもん。また優柔不断やってんなって思って、ジュース選びに行った」

「なんで! そこは選ぶの手伝ってくれてもいいじゃん! 悩んでるってわかってたんならさぁ!」

「かごに牛肉入れては首傾げて、また戻しては別の肉を選び直してたよな? 面倒だったから無視した。でもそういやそんとき、知らないおっさんと話してなかった?」


 弟に言われ、私はお肉を厳選していたときのことを思い出す。

 なんかやたらと背後を取ってくる四十代くらいのおじさんがいたのだ。


「私が右に動くと右に来て、左に動くと向こうも左に来るの。え、こわって思って振り返ったんだよね」

「うわ、そいつじゃねぇの犯人! 普通に怪しい!」

「ところがどっこい、単に私がおじさんの邪魔してただけで、おじさんは私の先にあるお肉に用がありましたとさ。ちゃんちゃん」

「はあ? え、どゆこと?」

「だーかーらー、おじさんがお肉を取ろうとするたびに、タイミング悪く私も同じ方向に移動しちゃって、なんか変なことになってたみたいよ。よくあるじゃん、対面から来た人とさ、こう、お互いに同じ方向に行こうとしてぶつかりそうになるやつ。あんな感じ」

「ああ、連続回避本能な」

「え、れんぞく……なんて?」

「連続回避本能。どっかのYouTuberがそれの実験してた。クソつまんなかった」

「マジか。時代はYouTubeじゃん。あんた本当に小学六年生? お姉ちゃんより頭良くない?」

「ねーちゃんが馬鹿なだけな」

「あんま調子乗ってるとこのお菓子戻すぞ」

「は!? ふざけんなクソババア!」

「あんだと――って違う。そんなことより、今は財布!」


 いつもどおり喧嘩が始まろうとして、それどころではないことを思い出す。

 私はお肉コーナーの後のことを思い出そうと唸った。


「その後は確か、適当に焼き肉のタレとか探してたかも?」

「そこではなんもなかったの?」

「んー、なかったと思うけど」

「んじゃ、その後は?」

「焼き肉の後はアイスでしょ! って思ってアイスコーナーに……」


 と、言いながら視線をかごの中に向けた。

 そこにはそうして選んだカップアイスが三つある。母、私、弟の三人分だ。


「ねーちゃん」

「なんだい弟よ」

「これ溶けてるわ」

「私も今気づいたけど大丈夫。カップだから。また凍らせばいけるいける」

「そういう横着ばっかしてるから彼氏できねぇんだぞ」

「おい本当にお菓子戻すぞ?」

「なんだよ事実じゃねーか! だいたいねーちゃんが財布られても気づかない馬鹿だから、そもそもアイスも買えねーよ俺たち! どうすんだよ。やっぱ警察に電話しよう。俺たちじゃ犯人なんてわかんねぇって」

「うっ。でも、そうだよね。野菜コーナーでぶつかった子どもとグルの誰かかもしれないし、背後にくっついてきたおじさんかもしれないし、全然予想外の人かもしれないし。と、とにかく、私がくす余地はなかったもんね。だから恥ずかしくないよね」


 ポケットからいそいそとスマホを取り出す。

 ロックを外して、いち、いち、とボタンを押したところで。


「お客様、もしかして神山様でしょうか?」

「「えっ!?」」


 レジの前で慌てていた私たち姉弟きょうだいに、店員らしき人が声をかけてきた。

 店員のエプロンを着ているし、名札もしている。でもなぜ名前を知られているのだろう、と弟と揃って警戒したとき。


「こちら、お客様の財布ではございませんか?」

「「えっ!!」」


 なんと、その店員が赤と白の見覚えのありすぎる財布を私たちに差し出してきたのだ。

 私と弟の視線は、その店員と財布を何度も往復した。

 あんなに考えてもわからなかった謎を、この店員はあっという間に解決して、しかも現物を取り返してくれたらしい。


 訳がわからなかったけれど、受けとった財布はやはり私のもので間違いなかった。

 なにせ、そこには某アイドルのファンクラブ会員証が入っていたからだ。もちろん私の名前が印字されている。

 

 私と弟は、それはもう安堵した。

 財布が戻ってきたこと。警察に連絡する前に見つかったこと。

 店員には何度も何度も頭を下げた。


 そして、お礼ついでにいてみた。

 ――犯人は誰だったんですか、と。


 私の見立てでは、おそらく、この店員が財布を盗んだ犯人に気づいたか、その瞬間を目撃して、取り返してくれたのだろうと思っている。

 弟も同じように考えたらしく、店員に「おじさんでした?」とさらに質問を重ねていた。

 しかし、当の店員はと言うと。


「え、っと?」


 頭上にクエスチョンマークを浮かべながらも、違いますよ、と答える。

 そうして我らが救世主は、営業用の笑みでなんとも無慈悲な謎解きをした。


「あったのはお肉コーナーです。お肉と一緒にその財布が陳列されてるのを、他のお客様が見つけて届けてくださったんですよ」

「「……はい??」」

「それでは、見つかって良かったですね。私はこれで」


 颯爽と店員が仕事に戻っていく。さながら謎を解き終えて、事件に興味をなくした探偵のように。


「……ねーちゃん」

「なんだい弟よ」

「そういえばねーちゃん、肉を選んでは戻して選んでは戻して、を繰り返してたよな? 俺、遠目だったからなんとなくしか見えてなかったけど」

「そ、そうだったかな」

「そうだよ! 手に赤っぽいの持ってたのは見てんだよ!」

「じゃあなに! そのとき私がお肉と財布を間違えて置いちゃったって言いたいの!? お姉ちゃんがそんなアホなことするお姉ちゃんだと思ってるの、弟よ!?」

「思いたくねぇけど思ってる。つーかそれが真実なんだよ! だからねーちゃんはアホだって言ったじゃん!」

「なにおう!?」


 財布の赤と白が、牛肉の赤と、パッケージの白で見間違えただなんて、弟には口が裂けても言えなかった私である。


 結局、そのあと牛肉を見ると羞恥心に耐えられなくなった私は、母に頼んで焼き肉を後日にしてもらったのだった。



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