最終話 それぞれの日常
武力組織「深淵」による騒動が収まってから数日が経った。
新しく龍の彫刻とぎらぎらした金箔が張り付けられた、主張の激しい女人街の門を抜けた先。とある焼肉屋の一室に七人の女が集まっていた。
「かんぱーい!」
皆で一斉にグラスを合わせた後「桃源郷」のメンバーは飲み物を飲んで一息吐いていた。
乾杯の音頭を取ったカンナは、早速ビールをジョッキ半分空けて顔を赤くしている。横ではインファとカシワが忙しなく肉を焼き、対面では見張り番のアカネとツキミが、レモンサワーを手にうっとりとした様子でカンナのことを見つめていた。そして、焼けたものはリンドウとナデシコが次々と取って口に放っていく。
「こら、リンドウさん! 私たちの分も取っておいてくださいまし!」
「別にいいじゃないですか。ナデシコも沢山食べたいって言ってますよ」
「お肉食べるーっ!」
「ふふ、小さい子は元気があっていいですね……」
「カンナさん、旅の話を聞かせてください!」
「わ、私も、興味があります!」
「そうだな、どの辺から話せばいいかなぁ」
店内に和気藹々とした雰囲気が流れる。カンナはここにいる全員の顔を一つ一つ見回していく。そして誰もが欠けていないのを確認すると目の端に涙を浮かべた。
「ああ……わりぃ、ちょっと泣けてきたな。ナデシコ、お土産話の役は任せたぞ」
「え、私!? そうだな……あっ! カンナね、灰の中から真っ裸で出てきたの!」
「灰の中から!?」「真っ裸で!?」
「待て、アカネとツキミ、物事には順序があってだな……」
明らかに困ったカンナを見て、インファが吹き出した。それからリンドウには「不死鳥」と揶揄され、カシワからは「文字通り熱いお方」との言葉を貰ってしまう。
(先なんて考えても仕方ない……今、こうしてみんなと居られるだけで幸せなんだ)
(スズちゃんも、アヤメも、今はどこで何してるんだろうな)
幽灵の夜は永い。寝落ちするその時まで、机の肉と酒が枯れることはない。
灵西区、庚申寺。明花狩りから逃れる者たちの駆け込み寺として機能していたこの場所から、最後の「難民」が帰っていった。その背を見守るのは寺の住職を務めるシャオ。
そんな彼の元へ、先程の明花と入れ替わる形で一人の少女が歩いてくる。
「あ、あの」
長い金髪が目立つ、黒いゴスロリドレスを着た女の子。その表情に余裕はなく、どこか慌てている様子だった。腕の中には兵士を象った西洋人形が抱かれている。
「おや、これはかわいらしいお客さんだ。どうかされましたか?」
「おねえちゃ……スズランさんが、ここでお話を聞いてもらえばいいって」
「ああ、彼女のお知り合いですか。歓迎しますよ、お入りください」
本堂の中は経を上げて己の道を究めようとする者が沢山いる。その横を抜け、奥の和室に通されたマリーは、座布団の上にぺたんと座りながら人形を抱きしめた。
「私……とても、悪いことをしていた気がするんですが、記憶がないんです」
「ほう、記憶がない」
「思い出そうとしても、頭が痛くて……謝らなくちゃいけないのに、わかんなくて」
「ふうむ、なるほど、それでスズランさんは私のところへ……」
察しがついたシャオはにっこりと微笑み、慈愛に満ちた表情で静かに頷いた。
「これは一つの考えですが……マリーさんは、やり直す機会を頂いたのでしょう」
「やり直す機会?」
「はい。過去に何があったかは存じ上げませんが、それを心の底から悔いているのならば、良い人間に生まれ変われます。新しい姿で、スズラン様と再会しましょう」
「うーん……」
マリーは子供ながらに頭を捻るが、どうもよく分かっていない様子だ。
「でも何をしたらいいんだろう。どこにも行くところないし……」
「ならば、この場所を家としてください。ちょうど部屋は空いておりますので」
彼女は目を丸くすると、ちょっとだけ恥ずかしそうにして頭を下げた。心の中を蝕む得体の知れない罪悪感――これと向き合う、マリーの第二の人生が始まる。
照りつける夏の日差し。
大勢の人が行き交う駅に、正反対の髪色をした二人がいた。
「よし、着いたぞゲンブ、ここがアキハバラだ」
「やったぁ! でもこっちの世界眩しくて溶けそう……」
「なに弱音吐いてるんだ、飽きるまで宝探しするって言ったのはお前だろ」
「そりゃあそうだけどさ……あれ、スザクは宵鬼だけど、陽の地は平気なの?」
「今のところはな。何かあったらお前と葯が頼りだ」
サブカルとディープが入り乱れる混沌の電気街、アキハバラ――その事前情報に違わぬ街を訪れた二人はどこへ行けばいいか迷っていたが、コンピュータの部品を籠に入れて売る店を見つけると、ゲンブの足がひとりでにそちらへ流れていく。
「うわぁ、ここすごい!」
「……ゲンブ、私の声は聞こえてるか?」
「え、このガチャガチャCPUが入ってるの? なんで?」
はぁ、と溜め息を吐いたスザクは腕を組むと、すっかり自分の世界に入ってしまったゲンブを前に口の端を上げた。何の不安もなく家の外ではしゃぐ彼女の姿を見ていると、家から出られなかったあの日々が遠い昔に思えてくる。
スザクの意識はいつしか、世界を救った二人の英雄に向けられていた。
(あの後、二人には会っていないな……もしかして、こっちの世界に戻ったのか)
「ねえスザク、これ買うよ。そしたら昼ご飯! 美味しいカレー屋さんがいい!」
「……ああ、分かったよ」
呼びかけられて我に返ったスザクは微笑むと、ゲンブが差し出した籠を手に会計を始める。レジの表示板の金額を見て「ん?」と漏らすのはその直後のこと。
暖かい日差しが降る昼の公園。近くの草地で子供たちがボール遊びをする様子を親が見守る、そんな景色の端で、アヤメはベンチに座って誰かの帰りを待っていた。
その格好は、かつて彼女が「裏の世界」を救った時のものではない。白地に赤いスカーフのセーラー服、そして紺色のスカート。表の世界で何ら違和感のない姿になっていたアヤメは、どこか慣れない様子で太腿を摺り合わせている。
「……お、来たか」
遠くから歩いてくる人物に気付いたアヤメが表情を和ませる。今のアヤメと同じ格好――お揃いのセーラー服姿の少女は彼女の隣に座るともたれかかってきた。
「まったく……スズのそれはどうにかならんのか」
「いいじゃん。アヤメちゃんってひんやりしてて気持ちいいんだよね……」
「人を雪女みたいに言いやがって……」
面倒くさそうにアヤメが答えるも、二人は面白おかしい様子で声を出して笑う。目に見えて甘えた様子で接する京華を抱きながら、彼女はこれまでの顛末を思い返していた。
最後の決戦を終えたあの時、空に漂う莫大な「気」の力を操った京華は、そのエネルギーを使って、不安定だったアヤメの存在を確立させたのだった。世界を書き換え、大切な人が存在できる場所を作るのは気が遠くなるほどの力が必要だったが……あの時既に、京華はそれを成し遂げられるだけの力を獲得していたのだった。
「お前には、感謝しても、し足りないな。本当に……ありがとう」
穏やかな陽気の中で身を寄せる京華。彼女は誰も見ていないタイミングを見計らい、頬へいたずらなキスを仕掛けた。顔を赤くしたアヤメは、同じことをするだけの度胸がなく、俯いているだけ。こういうのはまだ京華の方が一枚も二枚も上だ。
「こら、あんまりそういうことは……」
「んー、どうしたの?」
かなわない、とアヤメは苦笑する。京華は彼女をからかうのをやめると、二人の顔を寄せてスマートフォンで写真を撮り始めた。
もう何度目にもなる自撮り写真には、仲の良い姉妹の姿が収められている。よく撮れているのを確認しながら、京華は感慨深い顔でアヤメへ手を差し出した。それに応えて手を重ねると、指が絡み、離れなくなった。
「お姉ちゃん」
京華がそう呼んでしばらく経ってから、アヤメははっとする。
「――私のことか」
「そうだよ。もうアヤメちゃんは私のお姉ちゃんなんだから」
「本当にすまない、まだ、自覚がなくて……」
「んー、でも、アヤメちゃんはアヤメちゃんって呼んだ方がいいのかな……」
アヤメが思い返すのは、「向こうの世界」で言葉を交わした亜理沙の顔。もしかしたら、今も例の店でサンドイッチを食べながらこちらを見ているのだろうか。そう思案していると、いつの間にか、京華がアヤメの顔をじっと覗き込んでいた。今は彼女の妹として、アヤメが何を考えているかをすぐに察知したのだろう。
「……頼まれてるからね。アヤメちゃんのことも。私にとってはお姉ちゃんが二人いる気分だけど、どっちも、本当に大好きだから」
京華は立ち上がるとアヤメの手を引っ張る。そして、公園の入り口に止まるクレープの屋台を指さした。ここに来た時からずっと京華が気に掛けていたものだ。
「それじゃ、初姉妹デート記念に……あっ、大事なこと忘れてた!」
アヤメと京華。二人が、正面から向かい合う。相変わらず何を言われるか予想できないアヤメは、首を捻って彼女の次の言葉を待った。
「改めて私から、アヤメちゃんにプレゼント。それは、私の名字の東雲……これで、ちゃんと家族。ずっと一緒だからね」
京華なりの、精一杯の背伸びだった。
アヤメは目を伏せると、嬉し涙に瞳を濡らし、視界を潤ませてしまった。
「ああ、それは……本当に、良いプレゼントだ。ありがとう……」
「今日からは『東雲 あやめ』だよ。よろしく、あやめお姉ちゃん!」
遠くから子供たちの元気そうな声が聞こえてくる中、二人は、ぴったりと身体をくっつけるようにしてかたく抱き合っている。大好きな人がそこにいることを噛みしめながら、京華は、それこそ太陽のように輝く笑顔になっていたのだった。
私はあなたの為に咲く ~幽灵少女救世奇譚~ 白金 将 @sirogane_sho
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