第47話 夜明けを告げる
遠くに幽灵中心の超高層ビルが見える。ビルの根元は紫色に光る霧で覆われ、まるで雲の上に街が伸びているようだった。
南東大門路、蜥蜴の大舞台。京華は柳葉刀を手に、全ての元凶の前に立つ。
「なんだ、一人だけか?」
「うん……私は、物語の主人公だから」
蛇の顔を持つ男、シェン・ウー。その「蛇の眼」は赤く染まり、街の人々を狂気に駆り立てている。彼が手を上げると、パレードのスクリーンに対峙する二人が映し出された。
「やはり、そうなるか……神の作った結末は絶対とでも言うか」
「私が戻ってくることも、知っていたんでしょ?」
シェン・ウーが静かに息を吸うと、彼の纏っていたローブが端から焼け落ちていく。そして、下に隠れていた鱗状の鎧が露わになり、両手にジャマダハルが生成された。その刃には京華を殺すための陰気が溜まり、黒と紫の炎が揺らいでいる。
「私は神話を知り、神話を超えると誓った……これは試練だ。貴様は、私の物語の
「貴方に未来なんてない。貴方の物語は、ここで終わる」
互いに、一歩を踏み出す。二人の得物がぎらりと光った。
「貴様を殺す……そして、その力を我の物とする!」
「そんなこと、させない!」
次の瞬間、二人の姿は煙のように消えていた。刃の衝突で散った火花だけが残り、大舞台の床が摩擦で焼けて擦り減っていく。動きの跡が残るのみで、常人は残像すらも捉えられない。
これは「外れ値」同士の戦い。京華の視界には「気の流れ」だけが見えていた。そしてそれは相手も同じこと――お互いに相手の繰り出す手を躱しながら隙を狙う。互いの操る気が空を切るごとに、周りに纏わり付くような霧が立ちこめていく
「この私と肩を並べようというのか……
シェン・ウーは京華から距離を離し、周囲に溜まった妖気を自分の身体へ取り込み始めた。すぐさま陰気と陽気が彼の体内で練り上げられ、背中から上る青い煙となって漆黒の天を衝いた。
それは、京華の見上げる先で、青白く光る巨大な龍へ変わる。それは大舞台の上でとぐろを巻くと、京華へ向かってその口をゆっくりと開いた。龍の口の一点に、莫大な陰陽エネルギーが、黒光の球として蓄えられていく――
「幽灵の混沌へ、還れ!」
シェン・ウーの憎悪は一本の光線となって京華へ襲いかかった。周りの舞台を明滅させた末の大爆発。直後、白い霧が広がってスクリーンの映像が乱れる。
静寂――
霧が晴れると、そこには「一人と一匹」が立っていた。
大舞台の床はその半分が陰陽エネルギーの爆発で焼け焦げている。だが、その衝撃を受けてもなお京華には傷一つなかった。
彼女の横には、彼女の背丈より一回り大きい、巨大な
先程の攻撃を弾いたのだろう、身体に黒い傷は残っている。しかしそれはシェン・ウーが動じている間に塞がり、もとの美しい姿を取り戻した。
「顕現……貴様の操気力は、それほどまでに……」
「そんなんじゃないよ。助けを呼んだら、来てくれただけ」
彼女の言葉に呼応するように、白虎はほんの一瞬だけ人の姿を象った。一本結びの綺麗な女性が――亜理沙が、京華を守るように立っていた。シェン・ウーが目を開く。再び虎となった彼女は京華の横で威嚇するように吠えてみせた。
「分からぬ、この小娘に、神はどれほどの力を与えたのだ……!」
「神様に貰ったんじゃない……これは全部、私を支えてくれた人がくれた力!」
「小賢しい! ただの人間が、稚拙な理屈で、力を、語るな!」
シェン・ウーが神速の突進を仕掛ける。京華も同じ速度の世界へ入り、繰り出されるジャマダハルの打撃を二本の柳葉刀で受け止めた。決死の押し合いの後ろでは龍と虎が口から光線を吐き、宙で激しい大爆発を起こしながら競り合っている。
一進一退、限界ギリギリの攻防――
その末に勝利を得たのは、京華たちだった。陰気を刃に纏わせていたジャマダハルが欠け、その隙間に柳葉刀が食い込む。刀身を覆っていた陽気が割れ目から流れ込み、武器が粉々に弾け飛んだ。
即座に京華の膝蹴りがシェン・ウーの顎を打ち、高密度の「気」が叩き込まれた。
「ばっ――」
衝撃で吹き飛ばされるシェン・ウー。
陰気の供給が僅かに途切れたことで、虎の放つ光線が龍のそれをのみこんだ。直撃を喰らった龍は舞台の上空で爆発して煙を上げ始め、一方の白虎は光の粒となって京華の身体へ染み込んでいく。
「馬鹿な、何故っ……」
シェン・ウーの顎には、以前カンナの腹に刻まれたものと同じ「跡」が残っていた。地の底で藻掻き苦しんだ京華が練り上げた「外れ値」の身体を崩壊させる一撃。それを理解するも、シェン・ウーは腕と脚を小さく震わせることしかできない。
「まだ、まだだ……!」
倒れたまま、シェン・ウーは自分の身体をどす黒い妖気へと変えていった。視線を上げると、形の安定しない龍が立ち上る黒気を吸収している。蛇の目による支配が解かれたのか、大蜥蜴の周りでは人々の悲鳴が上がり、大通りから散り散りに逃げ出し始めていた。
「あっ、一人じゃやばいかも……」
「スズ! 無事か!」
弱音が漏れたその時、下の階の毒蛇を一掃したアヤメが舞台へ上ってきた。二人の前に立ちはだかる、邪気に満ちた漆黒の龍。戦い慣れたアヤメでも口が開く。
「突然、傀儡たちが倒れて……何だ、あれが、シェン・ウーの成れの果てなのか」
「うん……ねえ、アヤメちゃん。やってみたいことがあるんだけど」
「何かあるのか? なんでもいい、お前に任せる!」
邪龍の姿が形成される間、京華は考えをアヤメの耳元へ囁いた。それを聞いた彼女は訳が分からない顔をしていたが、軽く額を触れ合わせた後に神妙な顔になる。
「アヤメちゃん、いくよ」
「……やるしかないな」
龍の口へ、大気中の気が集まっていく。世界の全てを焼き払えるような、先程よりも段違いに強力な一撃。
京華は自分の右手をアヤメの左手へ合わせる。互いの指がぐっと強く絡み合った。残った二人の手が「シェン・ウー」へかざされると、手のひらから、明花と宵鬼の気質を示す白と黒の光線が放たれた。
大門路の人々が見守る中、両者の意地が宙でぶつかり合う。全身全霊の籠もった龍のブレスを受けるのは血を分けた二人が織りなす「姉妹砲」。京華の陽気とアヤメの陰気は螺旋を描き、一本の太い柱となって破滅の一撃を食い止める。
「まだ、いける?」「ああ、勿論」
二人を繋ぐ手がかたく握られる。想いの螺旋は強くなり、男の憎悪を凌駕した。
断末魔は飲み込まれ、二人の気を宿した一撃が宿敵の魂へ打ち込まれる。超高密度の陰陽エネルギーを受けた「シェン・ウー」は、その身体に満ちる気を束ねきれなくなり、龍の身体のあちこちから膨大な煙を吐き出し始めた。
幽灵の空に、滅び行く男の怨嗟が響き渡る。
龍の体内で光が爆発する。巨大な幻は霧となり、周りへ散っていった。
シェン・ウーは消滅した。
二人は疲れた身体を支え合うように抱き合い、舞台の上で座り込んだ。
「……終わったんだね」
「ああ。全部、終わったんだ」
京華は、ぐったりとした様子で、アヤメの腕に包まれて余韻の時間に浸っていた――だが、それは長く続かなかった。京華のスマートフォンが震える。
「カンナさんからだ……」
『スズちゃん、まだ終わってないよ。もっと面倒になった!』
「えっ?」
電話越しのカンナはひどく泡を食った様子だった。
漏れた声を聞いているアヤメは、何の気なしに空を見て目を見開く。
『シェン・ウーの溜め込んでた陰陽エネルギーの量が、想像以上のものだった……あれを放っておいたら、有り余る気が姿形を得て、灵東区と灵南区が化け物の世界になる!』
「じゃあ、どうすればっ」
『何か、別のことに使えれば……ああ畜生、数百年生きてこんなことはなかった! 奴は本当に世界を操るだけの力を持っていたんだ、こんなのどうすりゃいい……』
珍しくカンナが慌てている中、京華は、はっと何かを思いついてから黙り込んだ。やがて彼女はとても落ち着いた声で――
「カンナさん、私に任せてもらえますか」
『任せるって、何か考えでもあるのかい?』
「はい。ただ……恨まないでくださいね」『え、ちょっとスズちゃん、それって』
一方的に通話を終えた京華は、そのままスマートフォンの電源を切ってしまった。
絵の具を混ぜ合わせたような空の下で、京華はアヤメの両肩を掴んで引き寄せる。
額がくっつく。京華が深呼吸を始めると、周りに霧散していた妖気に流れが生じ始めた。次第に、大舞台の二人を中心として巨大な渦が形成され始める。未だに事態を飲み込めていないアヤメは、少し不安な口調で京華へ問いかけた。
「スズ、お前は何を……」
「アヤメちゃん」
行き場を求めるエネルギーは、二人の周りで暴風となって吹き荒ぶ。やがて一つの巨大な竜巻が生まれ、気流の中を何本もの雷が轟き始めた。辺り一帯が白く、暖かく変わっていく。まるで、これから何か大事を成し遂げようとしているように……
京華は、たった一言だけ、約束をするように語りかけた。
「私たち、ずっと、ずっと、一緒だよね」
アヤメは、それに微笑みながら頷いた。二人の唇が重なる。光が満ちる――
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