上海のくず
ヤック
上海のくず
この物語は不況の影響で上海で自由を求めてさまよう男の物語である
2010 年 2 月
「辞めちまえ !!!」
「物件売れよ !! お前 !!」
「今不況の時代だからよーお前の代わりなんていくらでもいんだよなー」
怒号の飛び交う職場にyackはいた、2008 年から勤めて早 2 年、彼の就いてる職業は東京で投資用不動産の営業であった。
ここでわかりやすい様に自己紹介
yack 24 歳
母子家庭出身、父が小学校五年生の頃に蒸発、生活は中学高校と荒れ果てた後一年奮起し勉強し、何とか三流大学に入り上京、バイト漬けの生活。
そして就職難の中で誰でも入れそうな会社に入社。特技は特に無い
育ちのせいか精神的にタフの為、こういうブラック会社でもなんとか 2 年勤めてる
家に同棲している彼女がいる。
まぁどんな人間かなと想像するとよく池袋にいる柄の悪そうなくずリーマンである。
「おい ! yack聞いてるのかよ ! なんだこの日報はよ !! お前もう 3 タコだろ、、、!! ?人権無いからなお前 !」
AM 八時から AM 二時が定時の会社、その時yackは三ヶ月「鋼の連勤術師」だった。
俺ももう二年目か、、、、、なんで俺こんな怒られてんだろ、、、、会社もこの前の朝礼で「今月こそ売ります !」とか叫ばされるし、不況のせいにはしたくないけどリーマンショックの影響で会社全体
傾いてて物件売れないじゃねぇかよ
もう俺限界かもしれないな、、、
こんな事を考えながら時は過ぎ、日付が過ぎた AM 一時半くらいに社宅の自宅に着く
「ただいま」
家に帰ると彼女が寝ている、もう付き合って五年だしそろそろ 24 という年は若いが結婚の二文字
が出てきてる。そして収入の割りに支出が激しかったため貯金もそんなに無い
「会社を辞めれない環境」である。
その日は土曜日、明日は朝十時に出勤できる日だから原チャリで大井埠頭まで行ってタバコをふかしてyackは色々寒空の中考えていた。
俺、、、、この会社で後何年いれるだろう、、、、、この前 00 さんも辞めたな、、、、
辞めた後の 00 と連絡取っているけど次の仕事いつ決まるんだろう、、、?
もう辞めて一年は過ぎているはず、、、、、安定ってなんだろうな、、、、?
手取り 20 万、人に金払えばあそこまでこきつかえるんだな !
自分も新人の頃に比べて分単位で怒られることは無くなったが時間単位に変わっただけだよ
な、、、、?
色々鎖があるけど、、、、24、、、、今は会社にいるけど俺何も特技も無しで首切られたら、、、
00 さんみたいに犯罪おかして三面記事に載っちまうのかな、、、?
何か特技を身に着けたい、、、、、!!
会社以外の人ともっと話したい、、、、!!
人脈を広げたい、、、、、!!!
思えば高校から働いてばかりだ、、、底辺の世界以外を見たい、、、、そして何より、、、、、
「自由」になりたい。
その日家に帰りyackは辞表を書いた
次の日の朝
「馬鹿やろー !!! なめてんのか !! ?人生を !! 辞めるってなんだ !」
上司の怒号が飛ぶ
「本気です」と返すyack
「次の仕事は決まってんのか?なんで辞めるんだ?何がしたいんだ?」
などなど色々聞かれるが答えなかった。
そして一ヵ月後会社からyackは消えた。
会社を辞めた日の翌日朝池袋のホテルで目覚めた。
時刻は朝八時
やべっ !! 遅刻すると罰金一万取られる、、、!!! と一旦冷や汗を書いた後に気づいた
「会社辞めたんだ俺、、、」
その後も家で寝る、平均睡眠時間 3,4 時間の会社だからずっと二、三日眠り続けた
その様子を彼女はおかしく思う
彼女「ねぇあなた会社は?」
辞めた事の一部始終を伝える
「まぁ一回実家の福岡に帰ろうと思うんだよな、お前も一緒に来るか?それか福岡でもし仕事あったらこんな東京みたいに忙しすぎる街じゃなくてのんびり生活できるかもな、お前俺の家の親に挨拶まだだし丁度いいんじゃないか?」
切れる彼女
「何で、、、?勝手に会社辞めたのよ、、、?会社辞めるってさ、、、どういうことかわかる?
五年付き合ってるのよ私達、、、、結婚は、、、?生活は、、、?第一私東京だしそんな縁もゆかりも無いところいく訳ないじゃないの !!」
「まぁまぁ勝手に辞めたのは許してくれ、お前東京実家だし福岡が嫌なら一旦実家に帰ればいいよ」
小馬鹿にした口調で
「勝手にしなさいよ、あんたこれからどうすんの?」
そこでyackもスイッチが入る
「お前、なんだその言い方?仕事辞めるのがそんなに悪いのか?お前今まで生活全部俺がみてきた
じゃねぇか ! ?これからも見ていくつもりで話してるんだぜ?」
彼女
「別れます、さよなら」
その後yackは新宿 9 時発の博多駅行きの夜行バスに乗った。
夜行バスの中で色々と今まで仕事してきた事と虚しさが込み上げてくる。
夜中の三時、隣の寝ている人に聞こえないように泣いた。
そして昼の十一時に故郷に着いた。
場所は中州。
サウナで風呂に入り、寝転び、そして夕方ごろに電車に乗り
一時間かけて実家に帰る
「おお久しぶりやね !! なんで連絡せんかったん?毎回お前急にくるけんくさー」
久しぶりの環境
ただおばぁちゃんの一言
「あんた仕事辞めたと?これからどげんすると?」
おじ
「24 やけん堪え性きかんくさ、ばぁちゃん」
切れるばぁちゃん
「せからしか ! だまっとれ !! あんたもう一回東京に行ってき !! この根性無し ! お前は昔から堪え性がなさすぎるんったい !」
yack「ばぁちゃん、、、俺あっちでめちゃくちゃ耐えたぜ、、、色々、、、あまり言いたくないけど」
酒の席だけかとおもったらそうでもなく、色々と福岡の街も村八分の現状だった
もともとyackは家族の中で肩身が狭い、親父は色々と母方のおばぁちゃんに借金をしていた為、息子のyackは小さい頃から冷遇されていた。
毎日ばぁちゃんの小言を聞かされる毎日
yackの生活は荒れる一方だった
友人と飲みの席で喧嘩になり、パトカーが二台出勤する位の惨事になったりバイト先の人と喧嘩、
ティッシュ配りのバイトも道の人に絡まれすぐけんか
「俺、、、、これから何がしたいんだろ、、、、そろそろ東京に戻ろうかな」
近所の川を眺めながら考えていた
自分の道ってなんだろう、、、、自分は人より少し乱暴かもしれない、、、、バイト先の偉そうな奴ぶん殴ったって、、、、今の俺の現状が変わるわけでもない、、、、あのばばぁから、、、「お前の親父のせいで」とか「いとこの 00 はこんなに立派で」とか比較対象にされて、、、、、彼女から愛想つかされて、、、、、道の人や昔の友人にも軽く見られる、、、、怖がられる、、、いつまでも貧乏、、、、仕事探し
をしても面接までいかない、説明会で「優秀な人から連絡しますんであしからず」、、、ハローワークの長蛇の列に並ぶ、、、、、、
こんな現状が、、、、バイト先の偉そうな奴ぶん殴ったって、、俺の現状が変わるわけでもない !
どこに行けばいいのだろう、、、、俺は
虚しさを抱え川に涙をこぼし家に着いた
そしてテレビをつけるとニュースキャスターが
「今年の上海万博の模様ですがすごいです ! 大変にぎわっております !!
上海、いや中国は今経済発展がすごく昔の日本のバブルを思い出させます !」
その時電流が走った
上海 !! 中国 !!
海外で職探すのもありだ !! 語学も出来るようになるし、、、、人脈も、、、、出会いも、、、、
こんな不況、不況、毎日流れる暗いニュース、格差社会、仕事が無い国とは違うはずだ !
夜10時
田舎の静寂の中母を起こした
yack「母ちゃん、、親不孝になるかもしれないから伝えておく」
母「なんね!こんな夜遅くに!!」
yack「俺、、、上海に行くわ」
母「何?旅行?」
覚悟を決めてる目で
yack「いや、、、日本で仕事ねぇし、、俺、、上海に仕事探しに行くわ」
母「あ、そう行ってらっしゃい、国際問題起こすなや」
その時上海に移住する事を決めた。
場所は代わり東京
色々手続きの為に用意するものと挨拶で東京にyackは戻った。
周りの人の反対もあったがそんなのは右から左にすっとんで行った。
夜行バス大阪~南港~上海港
せっかく行くのだから船がいいのと
その当時万博の時期だったので、飛行機は高かった。
そして大阪南港
もう二度と日本には帰らないという決意でyackは船に乗った
船に乗り二日目、揺れる揺れる
朝起きても海、甲板に出ても海、だんだん景色に飽きてきた。
その時に初老の男にに声をかけられる
「日本人ですか?」
はいと答えると
「そうですよね、いやー船旅はいいですよね」
話すとその初老の老人は日本での年金暮らし、船の出ている大阪に住居だけを構え旅行ビザの続く限り、大阪と上海を行き来してる、基盤は上海だと話した。
生活費が安いから年金で生活できる上海にいると
「お宅はなんで行くの?」
「仕事探しです」
「変わってるねー」
まぁ暇なので色々現状を話す
「まぁ上海は色々な人がいるからね、じゃあ眠くなってきたからおやすみ」
昼の三時だが初老の男は床についた。
それ以外でもバックパッカーの女性にも話しかけられる
「ねぇねぇどこから来たの?」
「いや東京から」
そこで現状をまた話す
「ふーん私と同じ感じね、私は日本でアパレル勤めてたんだけど、なんか日本の堅苦しい感じが嫌いで来たの、チベットとか回るんだ !」
黄色い元気な声で話す女性
甲板に出て海を眺めるyack
「色々な自由な人が大陸を目指して行ってるんだな、、、、」
夕暮れ時になり、海の色がオレンジに変わろうとしていた
コネも、語学力も無い、保障なんて何も無い、残っているお金も十万だけ、
裸一貫
だけど夢とか希望とかを目指して行くんだろうなと感じ眠りについた。
朝起きると海の色が青ではなく茶色い、そして船の数が多い
中国人の船員にもうすぐ着くのか聞くと、今、川にいるとの事
これが川、、、、?海だろう?
何もかもがでかいのかと感じる
そして上海港に到着
とりあえずネットで調べた宿に行こうとしてるときその時
「ねぇこれからどこに行くの?」
バックパッカーのおねぇさんが話しかけてきた。
「一緒に上海回らない?」
と言われ悪い気持ちはしなかったので一緒に上海を回るのと宿を紹介することになった。
とりあえず宿に着き、つたない中国語と英語でチェックインを済まし荷物を置き
まぁ「デート」に向かった
THE 上海的なよくテレビでも見た夜景のある所を歩く
その女性の日本であったことの話を聞いたり、自分も少し話したり
色白で 26 歳、結構美人だった
その後二人はバックパッカーが泊まるゲストハウスではなく、ホテルに泊まった
行為が終わった後yackはタバコを吸いながら
「まぁ上海っていいな」と独り言をつぶやいてた。
その翌日別れた
「じゃあね♪日本でも宜しくね !」
なんか爽やかだった
そしてしばらくゲストハウスで中国語の勉強兼仕事探しが始まった。
中国系の貿易会社に入った。
その頃中国語は日常会話一歩手前レベルまで話せるようになっていた。
原因は上海万博の為他のホテルが値上げか、満室だったのでゲストハウスに泊まらざるをえない環境だったからだ。
一ヶ月日本円で 25000 円位、集団生活、色々な人に話しかけられるし
万博旅行で来てる人が多いため、色々とご飯に誘われる、ずっと、、、、、
中国語しか話せない環境、日本語は独り言だけ
おかげで車の免許みたいだが上海という道路を走ることがの最初段階までのった、若葉マーク付で。
ただ、その当時は 2010 年上海万博の年
経済発展と街の勢い、人の勢いが物凄かった。
ゲストハウスで知り合う人、街の物売り
市内に黄浦江という大きい川が流れてるのだがその夜景、どこに行っても万博万博
これからの時代は上海だといわんばかりの勢いだった。
長い不況の国、日本では絶対無い感覚であった。
全てがまぶしかった。
そして仕事が決まり、住所を登録しなければいけないので部屋を借りなければいけない
ゲストハウスの住人に俺と一緒に部屋を借りないかとか、ルームシェアで安いところ紹介する
と知り合った友人に言われたがプライベートな環境が是が非でも欲しかった。
日本の情報誌の不動産会社に電話をかけてみた
「あのー部屋を探してるんですけどー」
「予算いくらですか?」
ぶっきらぼうに話される聞くと日本人だった
「まぁ大体日本円で三万円くらいですね」
「上海生活こちら先輩ですけど、三万円だとどこも住めませんよ予算上げれないですか最低でも
六万は必要ですね」
「六万って東京と変わらないじゃないですか?福岡でも三万円だしたら普通のアパート借りれます
よ」
「ここは上海ですからね、万博の影響で物価が上がってるんですよ」
「了解です、じゃあ予算上げましょう、見学できる日はいつですか?」
日本人と話すのも久しぶりだったのでそれで見学してみた
普通のよくある 1 ルームの物件を紹介された、値段は月六万円
場所は市内から少しだけ離れたところ
そしてその後yackは元不動産屋だからおかしく思い、その物件の条件を覚え、中国人が経営している不動産屋に行って見た。
同じ物件で、、、、月三万五千円だった
なんだこの騙し、、、!!! ふざけんなよ、、!! 日本人同士で騙してどうなるんだよ ! ?
と思う矢先その日系の不動産屋から電話がかかってきた
「もしもし、あの部屋はどうですか?はやくしないと埋まり、、」
「おい、同じ部屋他の不動産会社で見たら 3 万 5 千円、ぼったくりじゃないか?」
すました声で
「もしかして、ローカルで見られました?」
「うん、知り合いの所でね、いくら日本語で対応したとしても倍近い値段ぼるのは商売としてどうかと思うぞ」
「別にぼったくりではないですよ、皆様それで満足しています」
ガチャ
相手が悪いと思ったのかそれで電話は切れた
上海では日本と同じで保証金一ヶ月家賃二ヶ月
入れないと住めない事がわかり
その後yackはお金が無いため一万円台で部屋を探すことになった
一万二千位の部屋をローカルの不動産屋から見つけるが物件案内の時
さすがにyackも上海をなめてたと痛感する
上海の浦東の少し田舎の所なのだが
ドアを開けたらゴキブリが二匹こんにちわ、ベッドが汚い、天井の部分に夏用のプロペラがある。
のだが埃が二センチほど積もっている、トイレは流れない、冷蔵庫はカビだらけ、、
唯一いいとすれば、駅まではそこまで遠くない、そして少し日本の一人暮らしの部屋より広い
「すっごくいい部屋だよ !! お客さん !」
「お前なら住みたいと思うのか、、、ここ?」
そのとき冗談抜きの顔で
「私は本気でいってるね、この部屋は以前三人で使っていた部屋だ、それを一人で住めるなんて
うらやましいよお客さん」
yackはこの時の営業の目を見て、この国の環境は日本より厳しいと感じた。
そして、部屋を借り、翌日五時間かけて掃除を済まし、毛布を外に干し、夕方少し横になった
「まぁ最初はこんなもんだろう、この部屋から俺の新生活が始まる」
と独り言をこぼしその日は疲れて寝た。
そしてバイトではなく正規の仕事が始まる
内容は貿易、給料は日本円で手取り 12 万円位、中国系の会社で社長は中国人
主に日本人向けの対応だった。
仕事内容はいたって楽だった。
ただその条件は二ヵ月後になるとがらりと変わった。
ある日社長に呼び出される
「会社も君に多額の給料を払うわけにはいかなくなった、来月から 3000 元(4 万円)でどうだ?」
「はっ?話が違うじゃないですか?それに多額の給料っていってもたった 12 万ですよ?」
「嫌なら辞めてくれ、これでも多いし、それで働いてる日本人もいっぱいいるんだ」
「辞めさせる形ならいいですよ」
午後三時
勤めたのは三ヶ月、辞めるのにかかった時間は恐らくカップラーメンが出来るより早かった
夕方とりあえず家に日本人皆無の環境の家に帰る
あまりの速さに呆け状態で一人部屋にいた
、、、、、、なんだろうこの感じは、、、、日本でもブラック会社にいたが、、、、辞めるときには止められ
たし、給料がいきなり四分の一に下がるなんてしたら訴えられるぞ、、、?
そもそもこんな形の離職は日本だとそうそう無いはずだ、、、これが中国、、、?社長の気分でなんでも出来る、ドライ
日本の携帯電話を解約する時の手続きで知り合った唯一の
上海で会った日本人の知り合いの N さんという
人に電話してみた、理由はこんな事ってあるのかなと少しへこんで寂しかったからだ
「もしもしyackです、前はありがとうございました」
「いえいえ、どうしました?」
「実は、、、」
事の全てを話す、そうすると普通の口調で
「あーまぁありますよよく、いきなり首とか、僕も最初四川省で日本語教師をしてたんですけど、給料は3000 元でしたし、だけど四川ならまだしも大都会の上海で 3000 は鬼ですねその社長、まぁ気にしない方がいいですよ、中国ですから」
上海に来て、異国のアウェイ的な感じしかなかったしずっと孤独な気持ちしかなかった。
その勤めた会社でも全員自分以外全員中国人、給料の差があるから正直四面楚歌みたいな空気だったし、それ以外で会う日本人も最初の不動産の件もあるがなんか信用できる感じではなかった。
上海に来て初めて暖かい人に会ったと感じた。
電話越しで声には出なかったが少し目から熱いものがこぼれてきた。
「N さん少し飲みます?時間があればで構わないですが」
「あぁいいですよ、じゃあ二時間後」
そして色々と飲みながら話した、思えば久しぶりに日本語を話す、なぜ上海に来たのかとか、中国語をどうやって見つけたのか等など。
N さんは交換留学で香港に行って、その後四川の大学に入学し、そのまま日本語教師で働いた後
給料の高い上海に来た、四川にいるとき分(日本の一円)単位で家計簿をつける生活をしてた為
四川語、中国語の現地の人と変わらないレベルになった。
自分も今までの経緯を全て話し、夜中まで酒を飲んだ後別れた、
その日は気持ちのいい初夏の夜だった。
帰り道一人
色々な人がこの街にいるんだな、、、いきなり会社を首になったのはショックだったが
今日で気分がすっきりした、、思えばまだ来てから三ヶ月ちょい、、まだこの街で何も掴んでいない、、、幸いビザは一年ある、、、やれる所までやってみよう、、、!
希望が沸いた夜だった。
そして翌日
色々な物を整理した、頭の中も部屋も
まず自分は中国上海において知り合いもいない、語学も出来ない、地理も分からない
弱者である事を悟った。
そして知り合いを増やす為に交流会やインターネットを通じてとにかく人と知り合う
情報を知る、そして語学を勉強すると誓った。
とりあえず上海の地理をくまなく歩いた
お金の節約もあるがバスの便も詳しくなった
人民広場なら 925B、936
上海駅なら 941
という具合に
土地に詳しくなると必然的に相手との会話に合わせやすくなる
のは国を越えても一緒だった
そして片っ端から交流会になどに参加して情報を集めた
だんだんと上海に馴染んでいった。
その中で感じた上海という街の特色
日本人社会
1 すごい狭い、友人を連れてくると言われて会ったら自分の知り合い だったりする。
2 学生かおっさんの割合が高い、男女比 9 対 1 で 9 男
3 おっさんのほとんどは娘位の中国人の女の子に入れ込んでる
4 大手の会社駐在員>中小の会社駐在員>日本人向けの自営業>現地採用
と格差社会がある。
その中で 4 の項だが
現地採用に向けられる差別の視線というのは物凄い物だった 。
日本のフリーターの比では無い、おまけに上海の中年は日本の中年より
物価の差が原因か偉そうな人が多い
日本人と会うとまず名前よりも先に「現地採用ですか?駐在ですか?」
と 90%以上の確立で聞かれる
yackも最初は聞かれても意味が分からなく聞き返すと
相手が
「あなたは日本から会社の派遣で来たのですか?それとも自分の意思でこっちに来たんですか?」
と変わり
自分の意思でこっちに来た OR 現地採用ですと答えるとこういうのが待っている
おっさんに意味も無く
「将来どうするの?」と会ってすぐ説教される 。
女
年下でも見下す感じになる、基本タメ語になる。
中国人
日系 に勤めてる人なら必ず「あぁこいつは駐在じゃないのかよ」的に
差別的な表現で話される
特にyackの場合は外見若いからまず間違いなく会社から派遣されてるように見えない 。
そして 3 の項だが
駐在で来ている中年の方たちは寂しい人が多い、2 の項でもあるが女性が圧倒的に少ないのだ。
異国の環境と物価もあって夜遊びに下手すれば自分の娘位の女性に入れあげてる人が多い。
入れあげすぎて日本に帰れなくなる人も多い。
夕方の五時に焼肉屋に入って酒を飲んでいて 大体八時位になった時に周りを見渡すと、、、、
自分以外全部小姐 ( 若い女 ) とオッサンの環境がある。
上海人社会
1 上海人は外国人には優しいが上海以外から来る人を日本の田舎者と比べ物 にならない位差別してる、特に北京とか北の方を嫌う、外国人でも黒人は嫌い 。
2 上海人の女性は日本人だから結婚しようという図式は無い、超女尊男卑。上海にローン無しの家(日本より五倍くらい高いです)が無いと結婚しない。
3 上海人は礼儀正しい、大きい声を出すことはあれど手を出すことは滅多に無い
「差別の街上海」
と言っても過言ではない
その中でyackが感じた事は
どこに行っても自由は無いものだもし仮にあるとすれば 、
お金と時間があって誰にも縛られない力がある事と考える。
結構日本よりがんじがらめである。
そんな矢先に一本の電話がyackにかかってくる。
yack「はいもしもし」
相手「おう ! yackか俺だよ俺 !O だよ !」
O は日本でブラック不動産会社にいた頃の同期だ
結婚して子供がいる
yackの会社は最初 100 人近く採用して 2 年目まで生き残るのが 10 人以下、その 10 人中 5 人は刺青有りの人が残ってるファンキーな会社だ。
その生き残りからの電話
yack「どうした?」
O 「いや、お前聞いたけど会社辞めて中国いるんだって?知り合いに聞いたが、そこでさ今現在俺は
新しい会社を立ち上げててさ、お客流してほしいんだ、出来れば内容も沿えて」
yack「あぁいいよ歩合はどのくらい?」
十分位歩合の話の後
O 「お前も変わってるなー中国に行くなんて、今中国は万博もあるし経済発展してるからマンション買う奴いるんじゃないの?そのビジネスやったら面白そうだな」
その時yackに電流が走る
yack「O、マジでやってみるか、俺もそれにアンテナ張って動こうと思う物件の資料とかデータで送ってくれ」
O 「まぁ思い付きだよ、送るのはいいけどそう簡単には出来るわけないだろうまぁ協力はするよ売れたら俺もお前も稼げるしな」
上海の日本人社会は狭すぎて士農工商非人ぐらいの差別がある
それを飛び越えて稼ぐとすれば、日本人向けの商売ではなく中国人向けの商売だ、日本人向けの商売をしているのなら駐在=上客になるしその中で頭を下げるしかないしその歯車に合わせなければいけないが
中国人向けの商売をしているなら狭い日本人社会にぺこぺこする必要は無い。
そもそもなんで自分は中国に来たんだ?そうだ中国全土の元、日本に流そう。
自分に失うものなど何も無い
そう考えた。決意が固まった。
その後で
そんな背景で交流会に参加して起きた事件だ
おっさん「だからねyack君、異国まできてねだらだら、、、(説教)」
yack「いや自分 00 さんの部下でもなんでもないんでそこまで心配される 筋合い無いっすよ」
おっさん「あんだ君 ! 意見するのか ! 若いくせに ! 日本人社会狭いから口に気をつけろよこのガキ」
yack「狭いならお互い気をつけましょうね、謝るなら無かったことにしてもいいっすよ」
おっさん「XZHASIJHSJ!!!!!!!(怒鳴り声)」
目つきと口調がが変わるyack
相手の名刺を見せる
yack「だからさ、これの意味わかるよね?おっさん?こっちは失うものないからいいけど、おっさんの方が気をつけなきゃいけないんじゃないの?
日本の会社、中国の法人事務所に何が起きても文句言うなよ、あっ?」
おっさん「なんだ ! 脅迫か ! ふざけるなよ !」
yack「了解、話は終わり、じゃ」
駐在はなんだかんだで日本の会社の下にいる、なんだかんだで飛ばされてきてるし
「自分の会社の日本で働いてる人が怖いのだ」
IP 電話を使い、その人の日本の会社に後日電話をする
「あのーお宅の中国事務所に勤めてる 00 さんこれこれこれなんだけど
社員教育どういう風にしてるの?」
的な電話を分単位でかける
yackは電話営業の会社で働いてる時あまりにも電話をかけすぎて
狙ったわけではないが人一人飛ばしてしまった経験があった。
それとクレーム対応多き商売だった為、相手のやり口は熟知していた。
怒鳴りまくると
次第に相手も保留ボタンを押してたらいまわしにしようとすると
一旦ガチャっと切り、またかけなおしてなんで保留を押したのか?
と関係ない人に怒鳴る
そしてまた電話をしたら
「威力業務妨害で訴えますよ?あなた?」
と来る
「どうぞ訴えてください、だけど国際問題になりますよ、自分いるの中国なんで。いやー大手の会社と戦って新聞に載れるなら悪い気はしないですね、ただ一つあの 00 さん謝らせてくださいよ」
そして 00 から電話がかかり
「すいませんでした」
「いや誠意が感じられないな、なめてるでしょ?」
とまたもう一回日本の会社に電話をする
それを三日間延々とやると菓子折りを持って相手が土下座しに来た。
そこでyackも許した。
「上海では失う物がない奴が一番強い」
これを肌身に感じた事件だった。
こんな事件を起こしながらも情報収集し、意外に大丈夫だったyack
狭いようで広い日本人社会
そんな交流会?に参加してビジネスをする上でのパートナーが揃う
その前にこの本を見ている人にその当時のyackの現状
語学は日常会話出来るようになった。
そして上海の街の分析と注意
上海では人と会うのは、かなり楽である
飲食代が安いのもあるが
例えばどんなに偉い人でも上海に住む日本人という狭い世界の中で生きている
のし、交流会も頻繁にある。
その中で思うのは
「日本人を騙すのは日本人」
八割の日本人がお金を取ろう、利用しようと近ずき、二割が普通に商売の話が出来る人、その二割の中で取り分が横柄だったりする 。
利益の九割が俺、一割が君 ! 等などなど
世間のイメージは外国に住むと日本人同士で協力しあって生きてる
ネットワークがありそう
だと思うが現実は逆、
日本人は異国に来ると差別しあい、共食いしあうのだ。
例を挙げる
1 日本人がやる不動産屋は 3 万の物件を 6 万で貸して仲介料金もぼってるし
2 人材紹介でも「君のために仕事を紹介してあげる」といっても企業から紹介手数料を貰ってる
3 会社の登記も本来なら 30 万円で済むのを 100 万円で会社登記手伝います ! と言う。
4 広告会社はうちで載せるといいですよ ! といいべらぼうな広告料金をお金を貸してまで上海進出新規の企業に営業をかける
ブローカーが多い街
yackは 2 に声かけられたとき
yack「紹介したら紹介金貰うんでしょ?その半分くれるんならやりますよ」
と言ったら相手はそれ以上話さなくなった
。
色々ありyackはその中で清濁併せ呑み厳選し、まぁ信じれる人と付き合った
1 上海人馬
銀行員
お金の話で話が合う
2 日本人広告社長林
一応これも勘
3 上海人王
日本語の上手い男だった
外見がハリーポッターに似てるのが印象的
yackから不動産を買った初めての客
上記のは現在でも連絡がある
何人もの人と会って色々出会いや別れがあって、仕事の面で一緒にやったのは三人だけ、
いや三人もだろう
ほとんどの人は一人も見つからず上海という回転の早い街から一年以内に去る
yackはこの時を思うと運のいい男である
会った人のメモを見ながらyackは
嫌いだった
お金と嘘とゴマすりが飛び交う不動産業に揉まれた日本の経験を 感謝するのであった 。
yackは O から届いたデータの物件資料を印刷屋で印刷し
眺め笑顔だった
万博華やかり頃、街を歩けば万博万博
小さい頃から不況のニュースしか聞いたことのない世代のyackは すごく新鮮だった。
これでお金が無いと言うことは無いだろうと三十円のカップラーメンをすすりながら夢を膨らましていた。
友人銀行員馬
「俺は銀行員だから金融商品として紹介するあるね !! 面白そうあるよ !!」
周り
「結構面白そうじゃない?」
だけど、、、、、
売れない
日付だけが過ぎていきどんどん頭の中で
(一発当たれば、、、はぁはぁ)の考えになる色々人と会うも無理、
yackは今まで営業会社にいた、2000 万のマンション一つ位楽勝でしょ?の心構えだった。
気がつけば職を離れて大分経つ
上海バブルに浮かれてたが
残り資金が日本円で三万円以下になった時元来馬鹿なyackでも真剣に考えた。
yackの心の中
(俺は異国まで来て今月の家賃も払えない状況になって一日三食 100 円で生活して何をしてるんだ、、、、)
横になり目から熱い物がこぼれる
(何泣いてんだ俺、、、、情けねぇ、、、、日本に帰るか?いやそれは無理だなタンカきって日本から出てきたんだ、女とも別れて、、、、、あぁ彼女は元気かな、って自分の心配しろよははは、、、こうなりゃ中国で日本人発の乞食でもやっかなははは)
ここまで考えると今度は笑いが込み上げてきた
そしてその瞬間憤りが自分を襲う
「ふざけんじゃねぇよ !! つまんねぇんだよ !!」
気づいたら家の窓をぶん殴って割っていた
隣人「うるせぇ !! 何時だと思ってんだよ !!」
日本語でyack「がたがた抜かすんじゃねぇよ !! 機嫌が悪いときなんてあんだろ畜生 !!」
隣人のドアを蹴るyack
外に出る
出る隣人
「なんだ、何言ってるかわかんねぇよ、外国人か?勘弁してくれ」
「なんだなんだ?ぼろいアパートなのに揉めんなよ」
ギャラリーが集まってくる
yack「見世物じゃねぇんだよ !!」
引くギャラリー
「あれ日本人か、、、こそこそ、、、韓国人だろ、、、、あんな乱暴な日本人見たことねぇ、、、」
近くの公園まで行き力無く寝そべるyack
もうすぐ冬か、、、
星が見えるようになってきたな
その時昔の辛い事が脳裏に蘇ってきた
前の会社の上司「仕事見つかったのyack?今どこ?田舎?」
前の彼女「私ついていけないのあなたに、、、」
親「なんで中国?二度と家の門くぐるなよこの疫病神、金たかったら承知しないからな」
面接官「君の前の会社評判悪いね、今中途採用で就職は厳しいですよ、優秀だと感じた人から連
絡しますのであしからず」
高校の教師「yack、何でお前大学行きたいんだ?この高校から大学行く奴
なんて一握りだ、お前の家片親だろ?働いた方が先生いいと思うけどな」
小さい頃から否定ばかりされてきた人生だが
自分だけは自分を信じないでどうする???
埋もれて死ぬのか?俺?(中国で金無くなりそうになると本当に死を意識します)
いやまだチャンスはある
いつも行く近所の中華料理屋、というより中華料理しか無い、日本食を食べてない
なぜなら高いからだ。
いつも頼むのは 5 元のチャーハン、外国人の少ない地域だった為最初は注文する時
珍しがられるが常連になったら
「お前毎日チャーハンって健康に悪いだろ」
とチンゲン菜のスープを出してくれた。
時々昼に来たら大盛りにもしてくれる
まだ住んだばかり、中国にいさえすれば、、、!
お客として見られてる中国では無く、懐の深い何かがビジネス上で必ずあるはずだ
この星俺でも一つ位掴めるはずだ。
そして朝になった
とはいえ現状変わらず
残り資金三万円
家賃支払いまで 15 日のカウントダウンが始まっている現実
「結局働くしかないのか俺、、、」
正にカイジ
1 とりあえず職探す
2 日本に帰る
ここでサウンドノベルでは無いがやっと上海くずの体験記に初めて選択肢が現れる
yackが選んだのは 1
2 を選ぶのだけは死んでも嫌だった
求人を見る
どれもこれも日本円で 7 万前後、良くて十万円の仕事しかない
面白いのが日本の会社で日本人使うのでもその給料という事だ。
(これで真面目に働く奴いるのか?同じ日本人だぜ?この待遇はいくら何も持たずに来た奴でもひ
どすぎるだろ?)
心では思うが働いて食うのをつなげるしか今は選択肢が無い
その時電話が鳴った
O からだった
yack「はいもしもし」
O「俺だよyack ! 最近調子はどうだ?」
yack「絶好調だ」元気なく答えるyack
O「俺も絶好調だぜははは」
yack「今忙しいから切るぜ、また後にしてくれ」
O「そうか、伝えたいことがあって連絡したんだが、簡単に伝える、お前の紹介したお客さん契約決まってな半金だけ振り込んだ 40 万、明細は後で送るから、あと半金は来月な」
!!!!!! ん !!!
yack「え、、、、そうなのか、、、、そうか、、、、はははありがとう !!!」
O「どうしたyack?様子がおかしいぞ」
yack「いや、、、、なんでもねぇ ! はは h、、、、、」
九死に一生とはまさにこのこと
それから後でyackは商売について真剣に考えるのであった。
yackは早速中国の ATM に行った
yack「おぉおおおぉおおおおおお !!!」
日本円 40 万円
元で三万元ちょい
ううう、、、、、
家賃払える、、、、!
日本に帰れないじゃなくて帰らないになる、、、、、!!!
飯も 5 元のチャーハンばかり食わなくてもよくなる、、、、!!
しばらく時間が取れる、、、、!!!
日本食が食べれる、、、、、!!
涙が出てきた
まず少し下ろして日本食を食べに行く
かつ丼
うますぎる、、、、犯罪的すぎる、、、、
冗談じゃなく涙目でかつ丼を食べるyack
その様子を見てある奴が声をかけてきた
「久しぶりやyack君」
この前知り合った広告会社の社長林だった
林「生まれて初めて泣きながら日本食食べる人見たで」
yack「自分も生まれて初めてですよ」
いきさつを話す
久しぶりに日本人街まで来て久しぶりに会う日本人
久しぶりに話す日本語
林「君若いのに根性あるの~事務所に住むか?今住んでる辺鄙な所やと情報も集まらんで、経営もうまくいかん、その代わり記事書いてくれ」
yack「えっ ! ?いいんですか?」
そしてyackは日本人街古北に引っ越すことになった。
色々と仕事の手伝いをした
その社長、日本に上海の情報記事を送って生活しているみたいだった。
日本人街古北
ここには上海に住む十万人の日本人の六割がたが住んでる
世界で一番大きいリトルトーキョー
街の至る所に日本語の看板があり、日本語だけで生活可能
街を歩けば日本語が聞こえる
日本食屋
日本人学校
日本人向けのキャバクラ
日本の物なら全てここに行けば手に入る場所だ
街の存在自体は知っていたが、全然行かなかったyack
今まで上海でも辺鄙な場所に住んでいたためすごく新鮮だった
yack「なんでも置いてあんな、、、ここは上海かよ、、、?」
林「ここに住めば色々な情報が入るで」
この段階である程度yackは中国語はビジネスレベルで話せるようになっていた。
林「まずyack君、君も日本人やから日本人社会っちゅう物を知るために
情報として君前職不動産屋やから、日系の不動産屋で働いたらどう?こっちも色々情報知りたい」
yack「馬鹿言わないで下さいよ、自分が真面目に働く柄に見えますか?」
林「それやから自分君の事買っとんねんははは、色々と仕掛けられるやろ?」
yack「どういうことっすか?」
林「うちハッカーがいるからその会社の HP ハッキングして脅せるやん」
背筋が冷たくなる
yack「え、、、そんな事もやってんすか?」
林「当たり前やん、記事書くだけで食っていけんで、犯罪してでも成り上がる気持ちがないと金稼ぐどころか生活すらできんで上海なんか特に」
、、、、、、、、、確かに、、、、!
また食うに困る状況に落ちたくない
yack「了解です、まぁなんかあったらすぐ知らせますよ」
そしてyackは日系の賃貸で働いた
せっかく家賃の高い日本人街に無料で住めてるのもあるし、
他の海外と比べての上海の街の特色
それは登録外国人数日本人が一番多い街
それなら今まで上海でも辺鄙な田舎であえて日本人との接触を断っていたが
日本人社会の汚い部分を全て見てやろうという気持ちからである
yackは今までの生活とは逆で上海の日本人社会を本格的に攻める為に
日系の不動産会社に入った
上海の駐在と言って日本から派遣で来る人はかなりわがままだった
「歩かない物件紹介してください」
日本でも歩かないのかよっ ! ?
「電球が壊れました」
自分で直せよっ !
「仲介手数料 0 にしろ」
日本の不動産屋でも同じこと言うのか?
それ以外でもなにかあったら会社に来いと明らかに見下した態度で接する輩が多かった。
駐在=王様みたいな感じ
日本語の情報誌でも駐在様いらっしゃいの内容
ただ内情は知れるからその情報を林に投げる
林「よし ! ええで ! これで情報がそろった !」
後は色々と接触すればお金になったし物も売れた。
林の会社には中国人ハッカーがいた
その腕はすごく実績を話すと大手の会社のHPを見れなく出来る位だった。
やり方はこう
まず一人調査する役が入る、自分の事だ
そしてやくざ的な営業役
「ふざけんなお宅うちの情報取ってるだろ ! ?サイト止めるから仲良くして
金払ってうちと上海で天下取るの目指すか、日本の会社に迷惑かけて会社潰すか選べ !」
という役
そしてハッキング、それを全てまとめてるのが林だった。
林「でかしたでyack君 !」
そして消える駐在、、、、
そして消える駐在、、、、
もともと日本の本社もそこまで期待してそいつを駐在させてない
全てではないがいらない奴を飛ばしてる
「不祥事」が起きればトカゲの尻尾切りで日本の会社に戻れの命令
&新しい奴に交代 OR 一生海外飼い殺し等
自分みたいな若い奴からませれば揉め事になる。
そして脅せばお金になる
駐在はカモがネギしょってる感じに見えた
この頃のyackは一言で言うと
「キレテいた」
人は全てそうだが差別を受けるとグレるか環境を変えるために何かを磨く、別に人から見下されても別にいいと心を鉄にする、この三つしか無いとも思う。
yackはグレた方だった、食うに困ったり、負け犬になるのは嫌だった。
こんな何も信じれない詐欺師ばかりの街、差別ばかりの街
格差ばかり不安定な街
信じれるのは自分しかいない、普通にしていたら食われる
大学行って、日本語、中国語、英語話せる日本人が手取り給料八万、保険無しとかの馬鹿げた世界がある。
腕には自信がある、日本の常識なんかくそ食らえだ ! こっちは警察もそんな機能していない
また食うに困るくらいなら犯罪でもなんでも
やれる所までやってやるよ !
とこんな感じだった
そんな後ろ盾があるからか、今考えると若すぎるが故の過ちだが、、
yackは何かと「不祥事」が多かった
上に書いた日本人同士もあるが他もあった
酔った勢いや酒癖もあるが
タクシーで暴れ窓ガラス破壊、走ってる最中に上によじ登ろうとする
高速道路に原付三人乗りで走る
喧嘩した相手の家に火炎瓶を投げた後表に出ろと脅す
相手の会社の工場の従業員を全てボイコットさせる
ここまでの事をしても上海は警察が機能していない
外国人同士の争いには関与しないのだ。
だが一番危なかったのは現地の中国人 OR 自分と同じような人だ
上海の風俗街(治安が非常に悪いです)でぶち切れ喧嘩になる、八人に囲まれる、
何人かは刃物も持っている状況
yack「やれるもんならやってみろや !あ?」
yackもこういう状況は日本でもあったが、ただ上海の場合「目つき」
が違った。
全員が目が座っており、ブレてない
命の価値が低いと察する
友人が割って謝ってる間にタクシーが拾えたがこれは恐ろしかった。
なにかしら毎日が事件だった
yackの上海で知り合う周りもぶっ飛んでいる日本に帰れない日本人が多かった
林「あの会社またハッキングして脅すか、QQ(中国の SKYPE)で悪い奴召集かければ捕まらないで、悪いことの打ち合わせは絶対 QQ でや !」
友人「yackさん、自分の気に入らない駐在がいるんすけど、
夜の十一時あたりに金曜の夜に徐家氾の KTV(上海のキャバクラ)に現れるんで
そこの前で張って、拉致しませんか? 50 万以上は引っ張れますよ?やった後は自分の知り合い香港にいるんでほとぼり冷めるまで行きましょうよ」
林の会社の脅す役
「いやー00さん、こっちはぐらぐらきよるんですよ、こっちもがきの使いじゃないんで。今回の示談、
片手(100 万)でどうですか?」
などなど
そしてyack自身も
yack「あのやろう ! 明日に事務所に殴りこんでやる !10 万で 15 人集めれるから
それで 30 万元は最低でも盗ってやるぜ ! ここは上海だ !」
こんな感じで的にされる駐在、、、、
ただひとつ言えるのは
中国はこんなの日常茶飯事の国だし
中国に来る企業のお金を一番狙っているのは日本人。
いいわけになるが
yackもこうでもしないと生きていけなかった。
後ろ盾も無く会社経営をした人は分かると思うが
会社を経営する、後ろ盾無しで物を売るのは苦労する
「会社作って何年ですか?」
「大手ですか?」
「資本金はいくらですか?」
「会社の場所は?」
「yackさん今歳いくつですか?」
等
普通にしててお金は稼げない、信用が無いならお金は奪う物
今思うと間違いだし周りにかなり迷惑をかけていたが
ひよっこ経営者yackは思っていた。
日本人に不動産は売れない、というより話にならない事が多かった。
中国に来てる「駐在」と言われる人種は総じて偉そうな人が多かった。
それも当たり前である
日本に基盤が無い人いわば「駐在で無い人」=自分より格下と思い込むし
物価の違いで、毎日夜遊びできるし、全てが王様、偉そうになる環境が
整えられてるからだ。
ただ中国人相手には不動産は売れた
月に一件は最低でも売れる
主に地元と言うのもあるが福岡の物件、五万ドル以上は一人では一気に送金出来ない為(中国人はローン組めない為必ず一括)
利回りの高い物件と言えば北海道か福岡
福岡は距離も上海と近いし地理が詳しい為売りやすかったし薦めやすかった。
東京の物件になると五万ドル以上のものがほとんどの為全く売れないと言うこと
はないが、買うとしたら第三者の協力が必要になる為
途中で壊れる案件が多かった。
よく日本で富裕層の中国人を捕まえようとかあるが、それは全くの嘘っぱちで
最初知らない時は仕入れた資料は 2000 万以上する別荘や高額の不動産ばかりだった為失敗した。
提案しても全然捕まらないし響かない
いることにはいるが地元の上海人ですら富裕層はそんなに話す機会が無い
上海の土地の価格は嘘がないし、土地価格が上がって転売してまた家を買うのは
事実、昔のバブルの頃の日本状態
それなら転売しようとしてる人に利回りの高い日本の物件一つ持っておかないか?
と提案したらヒットした。
中には中国人に
「自国の土地を売ろうとするなんておかしいんじゃないか?」
や
「yackさんの事を信用して購入するけど、もし裏切りがあったら片腕が無いと思ってください」
と冗談抜きで言われる等
ひやひやすることはあったが
順調に進んだ
家も広告会社の林の家から引っ越す
近所の 3LDK のマンション日本人街古北のど真ん中に引っ越した。
乗りにノッテいた
そんな調子だと当然狭い日本人社会
評判は悪くなり、上海でも自分の地元の様に怖がられるようになる。
不動産会社の社長に呼び出された
正直辞めようと思っていた、行く必要が無いからである
社長「あなた日本人の間でも評判悪いらしいですね」
笑いながらyack「社長ほどじゃないですよ」
社長「あなた僕をなめてますよね?他の人に聞いたんですが月の半分遅刻して給料下げたときに
中国人スタッフにここだけの収入で生きてないから大丈夫だって言ったみたいじゃないですか?」
yack「だからなんですか?」
社長「クビです、あなたもう上海にいられないよ、日本に帰ったらどうです?あなたと年齢変わらなくても日本人で日本から駐在で来る人はしっかりしてますよ」
yack「そうですね、十年住んで上海で五年会社経営しても客に物件案内するときなぜかレンタカーでいつも同じ服きて、連れ込みホテルの一室を事務所だとか言ってる社長もいる街ですからね、了解です」
社長「なんですか ! その言い方 ! 今日本は不況だからお前の代わりなんていくらでも日本から来るんだよ !! 立場わきまえて物を話せこのガキ ! ?俺は上海に十年住んでんだぞ?日本人社会狭いから気をつけろよ?えっ?」
yack「日本円でたった五万しか給料払えないくせに、日本のマナーとかルール言われてもわからないっすね」
社長「それでも他の中国人社員より多く給料払ってる、日本人らしく仕事するのが普通だろ?」
yack「そんなんだからいい年こいて何も残せないでいるんだよ」
社長「上海のクズが、、、言ったな?お前その辺にいる手足の無いホームレスみたいにしてやるよ、知り合いいるから、ここは中国だ」
yack「面白いっすね、刺し違えてやるからそっちも覚悟してくださいよ」
上海では命の価値は低い
yackもリスクを背負ってきてる特に夜道には細心の注意を払い、必ずタクシーで帰った
なぜなら、、、、
ぼこぼこにする→五万円
片腕を切る→二十万
殺す→三十五万
だからだ
上海は街で喧嘩するのは中国でトップクラスに危険な街だ
上海のギャングスターは別に喧嘩も強くないし、何もしない
椅子に座っているだけ
お金で屈強な北の北京とかから来てる奴を雇って邪魔な奴を始末する
=お金を持ってる奴が一番強い
歴史的に見てもこういう考えだからだ
もめた後
yackの家のドアが破壊されてたり、道で知らない集団に絡まれたりあったが
色々あの手この手でその会社の評判を捜査したり、その会社を潰した
上海では失うものが何もない命かけれる奴ほど強い。
ルールは自分で作るもの
弱肉強食
時間は正確なもので
季節は春に近づこうとしてた
お金ははその時無一文だった夏から日本円で 100 万以上あった
現地採用の給料月平均 8 万
真面目に働いていたらどう計算してもこの額にいかない
あの時食われていたら、、、ぶちぎれずに
言われるがままに弱者として真面目に働いていたら、、、
yack「上海のクズか、、、、いい響きじゃん気に入ったぜ」
へへへさて自由の身でお金もある程度たまった、、、!!
yackは正にこの時は上海のクズ、、、!
相棒の馬といつもの虹橋路沿いの喫茶店で話す。
馬「お前気を付けた方がいいぞまじで、日本人でこんな奴初めてみるよ」
yack「まぁまぁこれからもお互い仕事してバリバリ稼ごうぜ相棒」
馬「会社を作らないか?二万元(25 万)で作れる」
yack「マジで?じゃ作るか」
二、三日
で登記が終わり
遂に社長に
yack「俺みたいなくずでも、、、社長になれるなんてな 24 歳ですげぇよ上海、、!
上海ドリームだ ! 俺は一生くそ日本に帰らない、、、!」
食うに困ったルンペン日本人から一転
上海港外灘(横浜の山下公園っぽい所)
に野望ある日本人と中国人の友人を揃えて飲む
yack「今日は俺のおごりだ !! 上海最高だぜ ! 上海一のくずだ俺 ! ははは」
各自夢を語り合う
野生と若さに満ち溢れた一晩
朝まで飲む
日本人でも日本の生活に馴染めず来た人
日本でやらかして日本を捨てて来た友人
カオスでアジアンな空間
この時
yackは過去を思い出し家でなぜか少し泣いた
夢があふれる街
希望があふれる街
絶望もそれ以上にあふれる街
それが上海
yackのスケジュール
昼二時起床
メールチェック
風呂なり飯なり済まして昼四時外出
大学に忍び込んで人と話したり、交流会に参加して人と会ったり
酒を飲んだり、ビジネスの話をしたり雑談したり
初めての起業であったがこんな感じのスケジュールでも色々
順調にビジネスはいっていた
一言感想を述べるとこんなものかって感じ
個人でやると他に搾取されるものが無いから
しかも物価の低い国なので結構家計簿をつけるのが楽しい感じだった
ただそんな最中yackの人生を大きく変える出来事が起こる
日本の不動産の視察ツアーを組んだ、これは全員物件買えばyackに 1000 万近く現金が入るかもしれない。
少なくても 100 万以上は確実の案件のツアーだった
行き先は東京
出発の飛行機のチケットを取ったのは、、、、、、、
2011 年 3 月 13 日上海~東京行き、、、、
感のいい読者はわかるだろうこの日付の意味、、
全てキャンセル、このツアー以外の購買予定もキャンセル
そう東北大震災、、、、
yack「くそ、、、、、なんでだよこんなときに、、、、、リーマンショック、、、、東北大震災、、、、
神様は俺を本当に嫌いみたいだ、、、、」
苦情の電話が殺到する毎日
「金を返せ !」
「全然日本は安全じゃないじゃないか !」
など等
放心状態で街をさまよう
「これからどうすればいいだろう、、、、、」
その時
馬「一ヵ月後になったら日本も回復するだろう、一度決めたことだ、東京に行こう」
その当時の中国の日本に対する不信感はやばかった、例えるなら日本人
がイメージする北朝鮮やイラク並みであった。
なぜなら日本にいる中国人も中国に帰っているからだ
数々の日本人が帰り、数々の企業が撤退をやむなくされた
聞くとやはり馬は親から日本に行くことを猛反対されていた。
そして電話が
「yack、大丈夫か?日本で大地震が起きたみたいだな」
五件くらいそんな電話があった
場所は広州から北京まで北から南まで
いずれも自分がお金が無い裸一貫の時期にゲストハウスで知り合った友人だった
そして全員
「今は日本は危ないから中国にいたほうがいい、そして、上海ばかりにいないでたまには俺の地元に遊びに来てくれ」
お金が無い時に食べていた 5 元のチャーハンの所に行ってみると
顔を覚えていてくれてそして心配してくれた
中国は、、、、暖かい
そう思うと俄然元気が出てきた
その中で
上海に住んでる日本人はと言うと、全てがそうではないがひどかった
上海に住んでる人は関西、九州の人間が 6,7 割を占めるのだが
関西人はひどかった
「東京の方で地震があったみたいやなははは、で昨日の KTV の女がなー」
「これから東京の経済が悪くなって大阪が日本の中心になるんやないか?」
「なんで関東の人間はずっと関東におるんやろ ?」
街で、色々な所で聞こえた声である
喧嘩する気も起きなかった、ただ同じ日本人として悲しさだけが胸にこみ上げてきた
「中国人の事マナーが悪いとか、汚いから嫌いとかいっときながらどっちがマナーが悪いんだ?」
と突っ込みそうになった。
それなら東京に行ってやろうじゃないか
そして一ヵ月後
人数は二人に減ったが東京にyack、馬、お客の三人で向かった。
滞在期間は一週間
その時の東京は四月、普通に元通り電車も動いているし、全然危険な感じではない
久しぶりの、、、、、日本
yackも感動だった。
今までの当たり前がすごく美しく見える
列にきちんと並ぶ、道路はきれい、電車もマナーがいい。
東京の自分の知り合いを紹介し、浅草や上野等をまわり、秋葉原を観光し
酒を飲み、色々と話した。
そのお客と馬は大満足で上海に帰り、お客は東京の品川区の物件を購入した。
感動だった
ただその後現地にいる中国人に不動産は売れなかった。
資金はあったのでそれと Z ビザが切れてきたのと、色々と上海に来てから
お金お金と生活が忙しかったので、yackは色々とゆっくり休むと決めた。
2010 年から 2011 年前半が一番上海が勢いがあり、夢があり、熱かったと今でも思う
3LDK の事務所住宅を一人見渡すyack
「思えば裸一貫でここまで来て、日本で住んでた自分の家の三倍以上の広さに住めるなんてな」
一人つぶやく
そうこの家は別に会社の手当てで住んでいる訳ではないし、生活も自分の力で勝ち取ったのだ、
生きてるというのはこういうことだなだ感じる。
パソコンに向かいビザ関係について調べていた。
思えば中国も全然上海以外堪能していない、北のほうは旅行したことがあるけど
南は無いな、この際香港まで少し旅行するかと思い、まず南下福建省の友人の家を訪ねる。
この時はもう語学は大丈夫になっていた
久しぶり !
女性の友人で上海万博の頃に知り合った、福州、アモイと車で色々案内してもらい遊んで別れる
次はもっと南で広州
久しぶり !
彼女も上海万博で知り合った
広州はもちろんのこと、深せん、香港を回る。
その他でも重慶、大連、北京、青島、義鳥
など色々回った
旅の中で思った事は、どこにいても知り合いがいて居場所がこの中国ではあると感じた。
料理の話をすると重慶は料理が辛く、福建省はあまり料理自体旨くなく、大連、青島は海鮮が美味しくそして一番全てを総評して一番料理が美味しかったのは広州だった。
そして上海に戻る
毎週日曜日に交流会を開いているので参加してみた。
そして毎週自分の家で学生、社会人などなどを集めホームパーティを開いた
まぁそんな感じのゆるい毎日を過ごしていた。
その時の現状は稼いでいるわけでも無く稼いでいないわけでもなく
ただゆるい生活
「そうだ、日本に帰ろう」
もう上海に人脈はある、語学も出切る、上海で培った経験を日本でも生かせないか、、、?
と考えた
26歳yack
二年の経験を日本で生かしてみたい、日本で金持ちになりたい、中国を通して日本でも人脈を作りたい、、!!
そして日本に帰る片道航空チケットを取った。
ここまで私の話だけをしたが、私が上海で特別変わってたと言うわけではない、上海の街に後ろ盾が無く来ている人は皆弱肉強食の中でもがいてる、騙す、搾取する、脅す、日常茶飯事である。
電話張でも 2010 年の日系企業と 2011 年の日系企業名前が載ってる会社の名前が違いすぎる。
出張とかで来る人以外人間が濃すぎる
知っている限りで書いたがこういう社会なのだ。
ただ上海は、いや中国は裸一貫で何も持たないで来た人は強い。
飛行機に乗るとき朝の便だったので徹夜してそのまま行く際に
友人の M は付き合ってくれた
M「帰っちゃうんですね、だけどなんかすがすがしそうですね」
yack「いやーこれほどまですがすがしく上海から日本に帰る奴恐らくいないぜ?なんせ人の流れが激し過ぎる街だからなははは」
そして飛行機に向かう
電車の中で色々な思い出が出てくる、、、、、、
色々な人がい港町上海、出会いも別れも人の流れも世の中の流れも速い街
色々な夢や切なさが交錯しており、一言では表せないが
街の中心に流れている川、黄浦江のような感じ、汚くうねっており、そして川辺は高いビル
そんな感じだった
飛行機の窓からその川を見下ろしてyackは日本での生活に逆に希望を沸かせていた。
追記
こんな文を書いておきながら、こんな経験をしときながらだが、
私は上海の街、中国という国は大好きである。
まず何も持たない自分を受け入れてくれた、そして一人一人形はあれど思い行くままに
皆正直に生きており、エネルギーがある。
この後東京で日中交流会を開いたり、中国に興味のある日本人、日本人の友人を作りたい中国人をつなげる活動をした。
自分が上海にいる頃
「日本に忘れられてないかな、、自分」というどうしようもなく寂しい思いに駆られることがあったので、上海に住む日本人は孤独を抱えてるだろうと思い、
それなら「居場所」を作ろうと言うことで作った。
池袋に広めの家も借り、ゲストハウスも作った。
理由は自分が上海に来て一年経ったとき、帰るのは片道航空券代一万五千円だが
実際帰るとなると部屋を借りたり、仕事を探したりで都会に家が無いと
最低でも 40 万以上必要になるからだ
上海に行くときは十万でも何とかなったが、日本に帰るとなると物価の違いで帰りづらくなる。
そこで最初の賃貸を安く出来ないかと思い作った
友人を上海から帰りやすくする為だ。
全て過去の自分の様な人や友人M みたいに日本を追い出されて帰れなくなった
同士が助かるビジネスをしている。
これからの時代不況や未来が見えないとかあるが
日本にいる若者が少しでも自分が人に希望を与えられたら、勇気付けられたらと
考えている。
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