燦然(さんぜん)と輝く鐘楼の光

 よろめきながら本堂に戻った新九郎は、正面の大きな阿弥陀あみだ像を見て、息をのんだ。

 堂宇どううと同じく風雨にさらされ、色あせた仏像のひろやかな胸には、まるで背後から一息に突き刺されたような、大きな深い穴が開いていた。

 傷口にも似たその穴からあふれた赤銅しゃくどうの筋が、台座に向かって幾条いくじょうも流れ落ちる形で固まっている。

「おい……これは……これって……し……信じらんねえ……」

 呆然ぼうぜんとした真咲の声が遠く聞こえる。

 妖魔あやかしの仲間と思っていた老僧こそは、六桐寺りくとうじ本尊ほんぞん阿弥陀仏あみだぶつ化身けしんだったのだ。

 寺に貢献し、寺で死んでいった優しい尼や里人たち。

 そして勇敢だった阿守あもり将士しょうしたち。

 かつてこの寺を愛した人々が怨霊となってさまよう姿に、心を痛めた本尊が、ついに老僧の形を取って外界げかいの人々に救いを求めたのだろう。

鐘楼しょうろうに光輝く仏の図·····この最後の絵を見て解ったんだ。いにしえの高僧によってもたらされたかねこそが、怨霊をしずめられる唯一のほうだと。」

 立ち尽くす新九郎の横顔に、凌介が静かに話しかけた。

「行きに日暮れの鐘が聞こえたよな。もしかしてあの老僧がいていたのかも知れない。でもだめだった。死人しびとたちには聞こえなかった。鐘には現世の人々が行う供養くようの意味がある。彼らの魂に聞かせるには、俺たち生身の人間の手でく必要があったんだ。鐘撞かねつじじいは、だからあんなに懸命けんめいに由来を説いて、いつも本堂に出たんだね。」

 結局、過去にここを訪れた旅人の中に、無事に鐘を撞けた者はいなかった。皆、あのすさまじい怨霊の餌食えじきとなってしまったのだ。

 ところが何かのはずみに外界に六桐寺りくとうじの噂がこぼれ、それが怪死した奥方のきり化粧台けしょうだいと結びついた。そして備中守びっちゅうのかみが命を受け、三人の武人を寺に寄越よこした。

 怨霊の刃に立ち向かう力を持った武人たちを。

 その前には旅の絵師が、鐘の秘密を描いた冊子を無事に奉納ほうのうして去っている。

 冊子と武人。どちらが欠けても鐘がかれることはなかった。思えばこれも、本尊ほんぞんが招いた不思議なえにしだったのかもしれない。

「和尚さんが言ってた。と。そういうことだったのか。始めからはっきり言ってくれりゃ良かったのに……。」

 新九郎が、じっと本尊を見つめながら言った。

「神仏がおれたちに語っていい事柄には、きっと制限かぎりがあるんだろうよ。だけどあの坊さんは何としても皆を救ってほしかったのよ。最初この寺に着いた時、真っ先におめえが拝んだろ。だから、おめえにすがりに来たんじゃねえのかな」

 珍しくまじめな真咲の声にかすかに笑うと、新九郎はぎこちなく背筋を伸ばし、本尊に向かって両手を合わせた。

「俺の一族は信心深くてな……。ありがとう、和尚さん。いや、ご本尊様。あなたに助けてもらった命、大切にするよ」

 少しうるんだ声が、ぽつりとつぶやいた。



 朝日が照らす山中に、馬のいななく声がして、一隊の人馬が、にぎやかに境内けいだいへと入って来た。

 本堂から出てきた三人に、先頭の備中守びっちゅうのかみが、仰天ぎょうてんした声を投げる。

「おい、どうしたお前たち、ぼろぼろじゃないか。なんだいさ、胸、どうかしたのか。怪異は払ってくれたか? ん ?」

 気が抜けて思わず笑い出す凌介。

 半泣きで魂が抜けたような新九郎。

 そしてこの上なく凶悪な仏頂面ぶっちょうづらの真咲が、三人を代表して、重々しく口を開いた。

鏡台きょうだいはなかったぜ……」

「なんだと? お前たち、よく探してくれたのか?」

「この寺の本尊様がそう言ったんだから、ねえんだろうよ」

「なに? 本尊様がそう言った??」

 一瞬沈黙。

 そして……

「もう少しでおっぬとこだったぜ! もう金輪際こんりんざい! 備中オヤの依頼は受けねえッッッ!!」

 真咲の絶叫が、晴れた大空にどこまでも響き渡った。



                             

          【呪いの鐘撞堂・完】

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呪いの鐘撞堂(かねつきどう) 甲路フヨミ @miyamakasumi

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