後日談

第37話 「裏切ったら」

 清華せいか高校の裏手にある旧校舎、二階の奥にある教室には、一人の青年と女性が住み着いている。


「ねぇ、なんか。こう、なんかさぁ」

「なんですか、月海さん。何か言いたい事があるのなら言ってください」


 青年──月海は、窓側に置いてある椅子に腰を掛け、目元に赤い布を巻き顔を両手で覆っており。

 女性──暁音は彼の行動が理解出来ず、首を傾げながら問いかけていた。


「いや、なんで、こんな、なんで」

「あの、なんでしょうか。本当に、わからないです。顔を覆っていないで、教えて頂けませんか? 何をそんなに唸っているのですか」

「今の現状に頭を抱えていたんだよ。君は、今の状況に納得しているの? 君はもう逃げられなくなってしまったけど、それでも、君自身が納得のいく結果を出せていないのなら、ここで軌道修正していく事も可能。今ならまだ、間に合う」

「私が後悔、ですか? 現状に? するわけが無いじゃないですか。逆に、貴方と共に居れない時の方が辛く、悲しかったです。邪魔だったんじゃないか、私はいらない人だったんじゃないかと。不安でたまりませんでした。なので今、私はすごく幸せですよ」


 包み隠さず話す暁音に、月海は深いため息を吐き頭を抱えてしまう。

 そんな彼を、肩を竦め見下ろしていた暁音は、ふと。何かを思い出し、声をかける。


「あの」

「なに?」

「ものすごく聞きにくいのですが、気になる事がありまして、聞いてもいいですか?」

「内容もわからないのに質問されても、正確に答えられるわけないでしょ。言ってみなよ、答えたくなかったら普通に無視するから」

「…………無視はしないでいただけると嬉しいのですが、まぁいいです。では、聞きます。貴方は、私の事、好きですか?」



 ――――ガタンッ!!



「――っえ?」


 暁音の言葉を耳にした瞬間、月海は動揺で椅子を傾けてしまい、床に転げ落ちる。腰を強くぶつけてしまい、すぐに動くことが出来ず蹲る。

 数秒動かず痛みに耐えていると、手が差し伸べられた。顔を上げると、心配そうに眉を下げ「大丈夫ですか」と問いかける暁音の姿。


「…………馬鹿なの?」

「もう一人の貴方に聞かれたことを、そのまま貴方に聞いただけなのですが…………」

「俺に記憶はない」

「そうですね。でしたら、私がどのように答えたかお伝えしたら、貴方も答えてくれますか?」

「なぜにそうなる。というか、なんで知りたいんだよ。知って、どうするつもりなの?」


 警戒するように問いかける。

 今まで、何度も信じていた人に裏切られてきた月海。信じても、また裏切られてしまう。そのような思考が頭を過り、体を震わせた。


「どうするとは、もう一人の貴方に聞かれませんでした。どうしましょう」

「もしかして、何も考えていなかったの?」

「はい。私は、おそらく貴方が好きです。貴方が居なければ、私は不安でたまらないと思います。ですが、気持ちを伝えたからと言って、今までの行動が変わるとは思っていませんでした。どうすればいいでしょうか」


 手を差し伸べながら問いかける暁音。無表情は変わらずで、淡々と問いかけている。そのため、月海も答えに困り口を噤む。

 何か答えを出さなければと気持ちが焦り、口を何度か開け言葉を発しようとするが、喉が絞まった様に声が出ない。

 

 一粒の汗が月海の頬を伝った時、暁音が彼の名前を呼んだ。


「…………月海さん」

「何」


 手を戻し、月海と目を合わせるためその場にしゃがみ顔を覗き込む。つられるように、赤い布の巻かれた目元が彼女に向けられた。


「今すぐ、答えを出さなければならないわけではありませんよ。答えられなかった質問の場合、無視すると言っていたではありませんか。答えられないのでしたら、答えなくていいです。私も、必ず答えてほしいという訳でもありませんので」


 抑揚がなく、感情を読み取る事が出来ない。無表情で、感情がない人形のように見える暁音。だが、その瞳には今まで感じなかった生気を感じられる。

 目には光が宿っており、目の前にいる月海を見据えていた。


「そう、それなら今すぐに答えることは出来ない。でも、君がもう一人の僕ばかり頼りにするのは面白くない」

「え?」

「確かに、もう一人の僕の方が頼りになるし、物怖じしないし。なんかあれば君を守れるだろう。でも、本来の僕は僕なんだよ。元々は、僕一人だったんだ。もう一人の僕は、僕じゃない」


 取り乱したように、次から次へと否定の言葉を言う月海。突如、なぜそのような事を言いだしたのかわからず、暁音は眉を顰め手を伸ばす。彼の肩を掴み、安心させるように声をかけた。


「大丈夫、大丈夫ですよ、月海さん。貴方は貴方です。他の誰でもない、月海さんです。私は、今の月海さんも好きです。もちろん、もう一人の貴方も。私はお二人が、大好きです。私は、大好きなんです」


 肩を掴んでいた手をゆっくりと動かし、月海の背中に回す。自身の温もりを月海に伝えようと、優しく抱きしめた。


 月海は抵抗しようと身動ぎするが、伝わる温もりにより波打っていた心臓が落ち着き始める。そのため、振り払おうと動かした手は行く当てを失い空中をさまよった。彼のそんな手に気づき、暁音は優しくさ迷う手を握り、自身の頬に当て擦り寄る。


「月海さん、今の貴方は人の感情を察し、人のために動ける優しい人です。もう一人の貴方にはない、温かい心を持っている人です。人の気持ちを察する事が出来ない私からしたら、貴方は本当に素敵な人。私の、好きな人」


 暁音の温かく、優しい言葉。今までの人生で、一度もかけられたことがない言葉。

 心の底から湧き上がるような、形容しがたい感情に戸惑う月海。目じりが熱くなり、思わず彼女の肩口に顔を埋めてしまう。


「月海さん?」

「君、本当に僕の事好きなの? 裏切らない? 君は、昔の人達みたいに、気持ち悪いからと、殺そうとしない?」


 か細く、籠っている声。聞き取りにくく、油断すると聞き逃してしまいそうな声。だが、暁音の耳にはしっかりと届き、薄く笑みを浮かべ答えた。


「貴方が居なくなるのなら、それは、私の死を意味します。貴方が死ねば、私も死にます。貴方が居なくなれば、私の生きている意味はないので」

「君、本当に馬鹿だね。馬鹿すぎて、本当に…………」

「嫌、でしたか? 月海さん」

「…………嫌、という気持ちはない。でも、わかんない、わかんないよ。あぁぁあ、これ、どうすればいいんだ、わかんない!!」


 冷静な口調から、急に荒くなる。突如暴れ出した月海に、暁音は驚き思わず体を離してしまった。

 解放された月海は自身の身体を抱き込み、体を震えさせる。


 今まで感じた事がない感情の高鳴り、早くなる心拍数。体が熱くなる感覚に戸惑い、混乱し。どうすればいいのかわからず、月海は自身の身体を摩る。


 暁音もどうすればいいの変わらず、唖然としていた。

 彼女自身、今の気持ちを全て理解しておらず、何を言えばいいのかわからない。一瞬、もう一人の月海を出した方がいいかと頭を過ったが、すぐにかぶりを振りその考えを消し去る。


 今は、表人格の月海が取り乱しているため、今の月海が解決しなければならない。暁音はそれを、焦り始めてしまった頭でしっかりと理解し、眉を吊り上げ歯を噛み締める。

 胸元に手を持って行き、覚悟を決めたように拳を強く握った。


「月海さん――……」


 彼から離してしまった手を、再度前に伸ばす。暁音は月海の頬に両手で触れ、ぬくもりのある、優しい手つきで。彼の目元に巻かれている赤い布を、ソッと解いた。


 現れたのは、恐怖で歪む、左右非対称の瞳。初めて見た時は、星がちりばめられていると錯覚してしまうほど綺麗だと思ってたのに、今は黒ずみ、恐怖で埋め尽くされていた。


 暁音と目が合い、気まずそうに顔を横に逸らす。だが、すぐに暁音によって戻されてしまった。


「ちょっ、なっ――……」


 文句を言おうとした口は、暁音によって塞がれる。


 唇から伝わるのは、柔らかい感触と温かい感覚。体には痺れるような感覚が走り、何が起きたのかわからない月海は目を見開き驚くのみ。


 二人の時間が動き出したのは、暁音がキスを落とした数秒後。彼女がゆっくりと離れ、まだ驚きで固まっている月海を見下ろした。


「月海さん、落ち着きましたか?」

「え、あ、え?」

「ふふっ、月海さんもそんな風に慌てたりするのですね。なんだか、可愛い所があるんだなぁと。今よりもっと、好きになってしまったかもしれません」


 口元に手を当て、控えめに笑う。そんな暁音に、月海はポカンとし何も言い返さない。だか、すぐにハッと気を取り直し、自体を理解した頭は自然と顔を赤面させる。

 顔をリンゴより赤くし、いつもより少し高めの声で叫び散らし始めた。


「ば、ばっかじゃないの!?!? 何しているの!? き、君はそんな 大事なものを僕になんて。何を考えているんだ!! 初めてじゃないのか!?」


 口元を押えながら文句を言い放つ月海。暁音は、そんな彼の言葉に冷静な口調で答えた。


「初めてではないですよ」

「へ?」

「初めては、もう一人の貴方に奪われました。いきなりだったためさすがに驚きましたが、嫌ではなかったです」

「君って、本当に自分の事を安く見過ぎじゃないの」

「いえ、自分を安く見ているのではなく。これは、おそらくの話になってしまいますが、相手が貴方だからかと。貴方以外でしたら、どうなっていたかわからないです」

「君が言うと、シャレにならないんだけど。今は普通にもう一人の僕と一緒に夜、色んなことを楽しんでいるみたいだし」

「楽しいというか、役に立てているのが嬉しいのですよ。そんなことより、月海さん」

「な、何」

「私と貴方は相思相愛、と。私は思いたいです。なので、お試しでもいいので、私と付き合ってくれませんか?」

「…………ん?」

「私の彼氏になってくれませんか? あ、ちなみに、これは貴方にしか言っていませんので、安心してください」

「いや、安心って、え、な、んで?」

「好きだから、付き合いたいと言ってみたのですよ月海さん。ですが、今すぐ答えられなければ大丈夫です。待ちますので」


 目の前に座る月海と目を合わせ、真っすぐな瞳を向け返答を待つ暁音。

 見つめられている月海は言葉を詰まらせていたが、無意識に触れてしまった唇の感触に、先ほどの光景が頭を過り頬を染める。

 眉を下げ言葉に困っていたが、覚悟を決めた月海は、ゆっくりと口を開き暁音の言葉にお返事をした。


「裏切ったら、殺すから」

「っ、ふふ。喜んで」


 彼の返答に、今まて見た事がない程のやわらかく、嬉しそうな笑顔を浮かべ、暁音は再度、月海に抱き着いた。










 赤布の言葉 〜悪魔憑きの少女と盲目青年〜 end

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤布の言葉 〜無感情少女と盲目青年〜 桜桃 @sakurannbo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説