星を復る

碌星らせん

星を復(かえ)る

「大人になったら、窒素の入った空気をたらふく吸うんだ」

 そう言い残して、弟は死んだ。ガス塞栓だった。

『今日の貴方の一日は、過去の誰かが夢見た一日』

 見飽きたアドバタイズ格言看板が居住区の壁面で明滅している。ファッキンシットだ。

 この手のこのスローガンが、わたしは大嫌いだ。もし、本当に過去の誰かとやらがいるのなら。それを捕まえて、わたしは問い質したい。「これが、お前達の望んだ夢なのか」と。

 少なくとも、わたしが今を生きる場所。この、夢に満ちた筈の宙の麓には。あまりにも死が溢れているのだから。


『未来を拓く力 きらきらコロニー 入居者募集』

 看板の表示が移り変わる。デフォルメされた小惑星。笑顔で星を掘る人達。大昔に流行ったフリー素材。画風を模写したAI合成の産物。そのチープ感が表す通りに。希望に糊塗して、人は人を宇宙に捨てた。


 チープな広告にも、相応のストーリー性はある。小惑星からの資源採掘。それに付随する人間の居住区。人口増加と環境破壊で限界の地球を支えるため作られた、外付けの生命維持としての宇宙植民地コロニー。行ったことがなくても、わたしは知識として知っている。人類の母なる星は、もはや老境なのだと。


 それでも、だからといって。あの広告が、嘗ての人々が語り掛けるように、宇宙の彼方に希望があるわけじゃない。小惑星近くの「コロニー」といっても、要するに、人口の少ない田舎の島国がポツンと宇宙に浮かんでいる、というイメージを持つのが正しい。学校で習った昔の言葉を使うなら、「限界集落」とでも言うべきなのか。


 あの「きらきらコロニー計画」も、とうの昔に放棄され、広告だけがああして残っている。広告というのは、見る人間の意志に働きかけるもの。広告が対象とする相手が自由になるリソースを持っているからこそ成り立つのだ。


 つまり、誰にも。生きるのが精一杯の植民地人コロニアルに、そんなものはないことに。間抜けにも作った後で気付いたのだろう。そもそもここには、水一滴、空気1リットルとて、タダのものなんてないのだから。


 いや。厳密には、タダに限りなく近いものはある。パネルとリアクターで無尽蔵に作られる熱と電気だ。だから、あの広告看板は、管理している人間がいなくなっても、こうして「昔の夢」を囁いているのだ。


 そうしてわたしは、広告看板に背を背けるように道を往く。本当なら、学校にいるはずの時間。仮想バーチャルにしろ現実リアルにしろ、登校をすべき時間。けれどわたしは、学校には行かない。星のどこかで働いている、一部の同い年の子供のように。採掘作業に従事することもしない。


 そう。ここには、無料なものなんてない。空気ですら平等ではない。時間ですらも。だから、わたしは。それに抗議するように時間を垂れ流している。


 穴だらけの小惑星。壊れかけの居住区と、空間を埋め尽くす混沌とした臭い。そんな生まれた時から当たり前の光景を。


「おかしい」と気づいたのは、一体いつのことだっただろう。


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 この資源小惑星の居住区には、構造材を節約するために酸素比率を上げて気圧を下げている区画が結構ある。大抵は、そういう場所にはわたし達のような「此処で暮らさなければいけない人」、あるいは「外で作業をする必要のある人」が住んでいる。


 一方、硬い岩盤で守られ、十分に窒素を充填された居住区には、たいてい、地球から来て地球に帰る人たち、それと、成長期が終わっていない子供が住んでいる。両方の行き来は簡単じゃない。血の中の窒素を、抜いたり入れたりしなければならない。だから、同じ星の上でも、ほとんど直接の交流はない。

 そして、更に細かいことを言うならば。この星の子供より。地球から来た大人たちの区画のほうが1気圧に近いのだ。


 あるとき、区画の経年劣化による減圧事故に弟が巻き込まれた。弟はまだ成長期が終わっていなかったから、宇宙線を防げる高圧側にいた。「減圧」といっても、わたし達が暮らす場所より少し低い気圧になっただけだったのに。弟は、あんな見当違いのことを言って死んでしまったのだ。宇宙は広大な筈なのに、弟が、人が、わたしが暮らせる世界は余りにも限られていることを、その時思い知った。


「みんなが、我慢をしているんだ」


 わたしの育ての親はそう言った。限られた世界を続けるために、みんなが何かを差し出しているのだと。


 だが、「差し出されたもの」は、どうなる。空の向こうへと運ばれていくのだ。弟が死んだ夜。家出をして、宇宙港に行った。そこでレールで打ち上げられる貨物を見た時に、そう思った。


 宇宙を往く天の道は、一本へと繋がっている。老いさばらえた、人類の母なる星へ。そしてその星すらも、此処からはろくに見えやしない。フレンネルのレンズで歪んだ景色の中では。母なる星は、一山いくらの点の一つに過ぎない。そんなもののために、わたし達は差し出し続けている。


 世界は狂っている。だが、何より狂っているのは、みんながそれを許容して、のうのうと生きていることだ。


 わたしがそう嘆いた時、大人たちが見せた表情をよく覚えている。「何を言っているんだ」というような、疲れ果てた表情。


 それから逃げるように、わたしはひたすら勉強をした。知識だけが、視野を広げてくれる。知識だけは、差し出してもなくならない。しかし、広がった知識は結局のところ。わたし達を閉じ込める檻の姿を、ただ克明に映し出しただけだった。


 資本主義にもとづく植民地の経営というのは、つまるところ経済格差の再生産と固定化だ。


 その結果が、今の場所。空気すら同じものを吸っていない牢獄。地球から切り離され、けれど生命線を地球に握られているわたしたちには、そのシステムを変える力はない。だから、逃げられない。わたしたちは、生まれた時から籠の鳥だ。


 そこでどん詰まりだった。そして、何より。自分と「同じ」人は、限られた世界のどこにも居なかった。知ってもどうしようもなかった。


 その時ようやく、わたしは大人たちの表情の意味がわかった。あの、疲れ果てた表情は。「知らなかった」んじゃない。「諦めた」のだ、と。そう悟ったわたしは、学校に行くのを止めた。


 そんなこんなで好き勝手をしていると、ある日、学校から身分剥奪の警告を受けた。「人間を遊ばせておく理由なんてない。学校に通うつもりがないなら、さっさと卒業するか辞めるかしろ」と。婉曲な言い回しを省けば、「働け」ということだ。


 無論、まだわたしには学ぶことが沢山あるし、そのためには時間が要る。弟が死んだことを理由にあれこれと交渉はしたけれど、この限られた世界では、肉親の死をダシにするにも限りがあるらしい。「反省」の課題をこなせば学業継続を認める、という条件を引き出すので精一杯だった。


 ただ、自宅学習で市民スコア(注:社会寄与度を数値化したもの。学生の場合、学業の成果・課外活動等によって与えられる)は並み以上に取っていたせいで学校側も困ったのか、情操教育という体で幾つかの選択課題が与えられた。


 曰く、奉仕活動をしてレポートにしろ、地域の歴史を調べろ(コロニーに歴史なんてあるのか?)、食べ物がどこからきてどこへ行くのかしらべてみよう。


 一番マシそうな課題は、「地球の人と文通してみよう」。但し、形式は旧式の文章メール。今時、そんなもので手紙を送っても、誰も使ってないだろうに。それとも、わたしと似たような犠牲者が、あの星にも居るのだろうか。


 電力が有り余っている都合上、他の星との通信は、別に規制されているわけじゃない。ただ、「成り立たない」だけだ。原因は、「光の速さの檻」。わたし達の住む場所から、地球まで。どんなに頑張っても数分以上のタイムラグが生まれる。


 それに、そもそも。ここで生まれたわたし達には、地球に話したい人なんていない。あと、うっすらと聞いた話では。地球ではわたし達以上に、「リアルタイム」の通信が好まれるのだそうだ。1秒の何十分の一かの遅延でも、文句が出るという噂も聞いたことがある。

 だから、わたし達にわざわざ連絡しようともしない。どうも、そういうことらしかった。


 それでも、地球と通信しよう。そう決めたとき、わたしは最初、罵詈雑言をぶつけるつもりだった。でも、やめた。どうせ相手もまともに読まないだろうし、評価にも響く。情操教育といえど、市民スコアと無関係じゃあない。そう考えると、馬鹿らしくなったから。


 だから、結局は模範の文面にアレンジを加えて、それでもスペルひとつ、改行ひとつに悩んで文章を組み上げた。中身を誰かに何度も読まれるのが我慢ならなかったので、自分で通信局に直接出向いて送信もした。


 返事は、なかなか来なかった。一日が過ぎ、十日が過ぎ、ランチの時に思い出して、それを「待っている」自分に気付いたころ。ようやく来た返事は、それはそれは酷いものだった。あまりにも酷すぎて、届いた晩は寝付けなかったほどに。


『遥か彼方に住む君へ。君と話ができて嬉しい』


 手紙の最初の文章は、そんな風だった。問題だったのは、もうその次の文章からだ。


『君達から見れば、地球はちっぽけな鳥籠のように見えるかもしれない。でも』


 鳥籠? 地球が?


「……いかれてる」


 思わず、そうこぼさずにはいられなかった。この居住区の何千万倍も広い世界に住んでおいて、それで「足りない」なんて。欲張りなんて次元じゃない。そんなのは、狂気だ。


『だから、君たちが羨ましい。人類の夢を背負っているから』


 違う。わたしは、わたし達は望んでいない。夢を背負う、といっても。多分、荷物を押し付け合って、負けた人間が背負わされるだけだ。わたし達が、差し出し続けているように。だからこれ以上、わたし達に背負わせるな。そう言いたかった。


『それでも。見える星空だけは、平等だ』


 わたしは、知っている。平等じゃない。大気と、地面。二つの邪魔ものがあって見える星空と、ここから見える星空が、同じであるものか。ちっぽけな光の点にすぎないくせに。


『人が死んだら星になるっていうけど、君達はもう既にそこに立っている』


「……これは、当たってるかも」


 人間の死体、日常の生ゴミ。分解した残り滓の一部は、宇宙に放出される。ただ、有機物は希少だ。処理工程を過ぎれば絞りカスのようになっている。それでも、まぁ、見ようによっては星と言えなくもない。


『だから、浪漫を忘れないで欲しい』


 そうして。そんな、壊れた広告みたいな言葉で手紙は締めくくられていた。一瞬、AIが書いた返信文かもしれないと疑ったが、間違いなく、わたしが直接地球に送った文章の返事の筈だった。どんな思考回路を通せば、どんな場所で育てば、こんな文章が書けるのか。まったく想像の範疇を越えていた。


 それでも、たった一通の手紙で、わかったことがある。それは、人は時に、「同じでない」ものに酷く鈍感だということだ。フリー素材広告と、言っていることは大差なくても。それが一人の人間の言葉となると、重みが違う。


 今回の手紙が想像を超えた体験であったことには間違いない。そしてそれは、想像を超えた人がいる、ということでもあり。


「……地球にも、色んな人がいるんだな」


 一晩経って考えてみれば、当たり前のことだった。あそこは、「ここ」の何億倍も広い世界だけれど。「ここ」の、いや、宇宙にいる全部をあわせた何万倍も人間が居るのだから。わたしの想像を超えた人だっているだろう。


 だから、それが「わかった」後は。この世界のどんな不条理よりも、どれだけ違う「当たり前」よりも。家族が死んだことより何よりも。その「出会う機会」が今は一番、羨ましくて。「出会う」といっても、ヘンな意味じゃないのだけれど。あまりにも違い過ぎて、逆に興味が湧いたのだ、と。比較的冷静になったわたしは思う。そして、


「地球に行くのには、どれくらいのスコアがあればいいんだっけ」


 思わず考える。わたしが、今ここにいること。そこに願いがあったのかどうか。

 そんなことは、もうどうでもいいけれど。もしも、それがあったのなら。わたしが願いでそこに行く、いや、かえることも。間違っていないはずなのだ。

「地球に行ったら、何をしよう」


 まずは、メールの送り主を、一発張り倒しに行こう。そして、それから。自分と「同じ」人を探しに行こう。単純な確率の問題だ。何万倍も人が居るのだから、「同じ」人はたくさん居るはずだ。そして勿論、違う人も。

 違うことは、悪くない。違うことを知らないままなのが気に障るだけだ。だからそうして。わたしの「当たり前」と、あの手紙の「当たり前」がすこしでもぶつかり合って、それが世界に広まるといいなと思った。


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 学校の授業なんて、いまどき真面目に受けてるヤツはいない。今の学び舎は、物を教える機能を外に出し尽くし、ただ毎日通って同じ人間と顔を合わせるだけの虚無。それを苦にした友達が、ドロップアウトして遠くに行くことも少なくなかった。


 まぁ、遠くと言っても、今どきはVRでいつでも話はできる。それでも、日々を一緒に過ごさなければ、人間関係は徐々に遠くなっていく。それをあたかも、自分の方が囚われているように感じることもある。


 多分、此処は牢獄なのだ。これからも毎日、刑期の残り日数を数える日々が待っている。それでも、この手の課題は進学に響くからって、先生に手紙を書かされたのがたしか半年くらい前。


 それも、誰に出すかもろくにわからず、確か、文章を考えるのが面倒くさくなって、大昔のテンプレを使って、思いっきりふざけて書いた。傍から見れば、美辞麗句を埋め尽くしたように見えるだろうし。どうせ、向こうも真面目に読んでなんていないだろうと思って。


 なら、なんでそんなどうでもいいことを覚えているかって?

 

 覚えている、というより今知った/思い出したのだけれど、理由は二つある。


 一つは、その手紙の返事が、生まれて初めて貰った女子からの手紙だから。そしてもう一つは。

 今、その手紙を受け取ったヤツに、頭を張り倒されたところだから。

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