おっちょこちょいな殺人犯

道に落ちている槍

殺人犯をのせたタクシー

 まさか、殺人犯を乗せる事になるとは夢にも思わなかった。

 タクシードライバーとして生計を立て始めてから、かれこれ四十年くらいになるだろう私だが、こんな経験は流石に初めてである。

運転手になる前は、ドラマや映画のわき役よろしく「目の前の車を追って!」とかいう女子高生が現れることを期待していた時期もあったのだが、ついぞ現れることはなく。

そしていよいよ定年間際。

このまま平々凡々な日々を送るのだろうと思っていた私に、まさかこんな非日常が訪れるとは想像できなかったのだ。


 後部座席に突如乗り込んできた自称殺人犯の中年男は、右手に持っていた包丁をギラリと見せつけ、ハァハァと整っていない呼吸のまま言った。


「三角公園まで、はぁはぁ。急げ」


 さてどうしたものか。

 良識のある大人であるならば、日本国憲法に則ってこの自称殺人犯を警察に突き出すべく、こっそり電話するなりしたほうがいいのだろう。ともすれば、バレないように警察署の前まで運んでやるのも悪くない。

 だが残念ながら、私はそういった良識よりも……知的好奇心を優先してしまう人間なのである。社会的に危ない人間を一人排除するよりも、この自称殺人犯がどんな罪を犯してきたのか、またどんな計画を持って殺人に及んだのか、その全貌が知りたくてたまらなくなってしまったのだ。

 なので私は、この男の言う事を素直に聞くことにした。


「はいよ。三角公園ね」


 車をゆっくりと発進させる。

 もちろん私はタクシー運転手だから、メーターもしっかり回す。

 しばらくしてから、ルームミラーをちらりと確認する。

男は殺人を犯してきたからか、やけに落ち着かない。右足を小刻みにガタガタ揺らし、右手の包丁を意味もなくいじる。額に汗がにじんでいるようにも見えた。

……にも拘わらず、この男は後部座席でキッチリとシートベルトをしめている。今日日わざわざお願いしても、頑なにシートベルトをしない客が多い中、律儀な殺人犯である。

 そんな姿を見ていると、いよいよ私の好奇心も最高潮に達してしまった。


「お客さん、今日はなんでまた殺しなんかしてきたんですか? 教えてくださいませんか」


 いよいよ耐えきれなくなった私の言葉に、男は豆鉄砲を食らったかのような顔をした。まさか質問されるとは思っていなかったのだろうか。

 男はしばらくもごもごと考えたあと、言った。


「……少しだけだぞ」


 そこから男は、延々と身の上話をはじめた。

どうやら自己顕示欲が高い人間らしく、自分がいましがた行った殺人という偉業について、本当は誰かに語りたくて仕方がなかったのだろう。

 男は私に事件の全貌について語る代わりに、ドライブレコーダーのデータを渡すことが条件だと言ってきた。タクシーは社内の様子を常時録画してある。なんらかの事件が起きた場合の証拠にするためだ。

本来この手の証拠はしっかりと保持しておかなければならないし、なんなら私はこのデータを警察に送り届けて、捜査協力を行う義務もあるだろう。

だがまぁ、私にそのような良識はなかった。

正確には、良識を知的好奇心が上回ってしまった。なので、男がすべて話し終わったらデータを渡す……と約束をすることとなった。


さて男の身の上話は、こうだ。


男は、市内の工場に努める一般的な労働者らしい。

実家暮らしで、趣味はネットゲーム。友人は画面の向こうにのみいて恋人はいない。

そんな彼は、毎日プレイしているネットゲームの世界に意中の女性がいるそうだ。男ばかりしかいないグループ内に現れた唯一の女性であり、誰にでも分け隔てなく優しく接してくれる女神のような存在なのだそうだ。

まぁ、所謂“ネトゲの姫”である。

男はそんな姫にお熱だった。毎日のように話しかけ、ゲーム内のアイテムを貢ぎに貢ぎ、いよいよ二人きりでお話しできほどの仲になったらしい。

しかしある日、事件は起こった。

姫と男のいるグループに新しく入ってきた新参者の男がいた。この新参者はどうやらニートらしく、その有り余った時間を投資したゲームの腕前は相当なものだったし、アイテムもがっぽり持っていた。ゲームの中で男は、新参者に敵わなくなってしまった。

そしてこの新参者も、例にもれず姫にお熱になった所が、男にとっては一番の問題だった。


「それから俺と新参者は、競うようにして姫に貢いだ」


……しかし、次第に姫は新参者と頻繁にひっつくようになってしまった。男はすでに姫から半ば見限られており、二人きりでお話しするという極上の報酬も得ることができなくなっていた。

ここで男は考えた。

新参者を殺してしまえば、また自分が一番姫に貢ぐことができる。そうなれば、また姫と二人きりでお話しすることができる……あわよくば付き合えるのではないか、と。

私は思わず笑いを堪えた。

この論理飛躍こそが、犯罪者のソレなのだろう。ルームミラーで見た、動機を語る男の目はキラキラと輝いていて、ああ恋は盲目とはよくいったものだなと思った。


「だから、俺は計画を立てた。バレないように新参者を殺す計画だ」


さて、以上の理由からいよいよ殺人計画を立て始めた男は、思っていたよりも用意周到に……かつ、そこそこ論理的に設計図を書き上げたようだった。


まず男は、自身がゲーム中に発する独り言を録音しておいたそうだ。

男は実家暮らしで、仕事以外の時間をほとんど自室に引きこもって過ごしている。ゲーム中に邪魔されるのを嫌う男は、両親が部屋に入ってこようものなら烈火のごとく怒りつけたらしい。結果、両親は男が独り言を発している間は、決して部屋に入ってこなくなったのだ。

これを利用し、録音した独り言をPCから大音量で流す事で、部屋の中に男がいると家族に思わせることができる。

自室は家屋の一階にある。窓からこっそり外へ出れば、両親は男が自室の中で大好きなゲームをプレイしていると錯覚してくれる。これが、アリバイ工作の一つ目である。

 ……と、ここまで雄弁に語ってくれた男だが、突如首をかしげてしまった。

 もしかして、事件を一から説明することのリスクについて理解してしまったのだろうか。そうであるならば大問題だ。ここまで聞いておいて、事の顛末を聞けなかったら、私は今晩から安眠することができなくなってしまう。

 だがそんな私の考えは、どうやら杞憂だったようだ。

 男が首を傾げた理由は、こうだった。


「録音した音声、ちゃんと流して来たんだっけ……?」


男は神妙な面持ちでそう言ったのである。

 そんなわけあるかと言いたいところだが、確かにこの男、ところどころ抜けている節がある。もしかしたら凡ミスを犯しているかもしれない。

 とはいえ、ここで躓かれてもらっては困る。

 私は男に気持ちよく語ってもらうために、励ます事にした。


「お客さん、大丈夫ですよ。そんな凡ミスするわけがないでしょう」

「そ、そうかな。その根拠は……?」


 面倒くさい。

 しかしどうも、男が自宅で録音した音声を流せたという根拠を示さなければ、今後の話が聞けないようだ。男はもはや、自分が犯したかもしれない凡ミスにとらわれてしまっている。

 仕方がない。

 私は答えた。


「お客さんの携帯に、誰かから連絡は入ってますか?」

「え? ……いや、誰からも連絡はないな……」

「ご両親が、もしお客さんが部屋にいないと気付いたなら、まずどこにいるか連絡しようとするはずです。そうでしょう?」

「あ、そ、そうか。確かに」

「連絡が携帯に届いてないということは、お客さんはしっかりと第一のアリバイ工作を行えたという証拠になります。安心してください」


 私は精一杯男の不安を和らげる論理を組み立てた。我ながらなんともまぁ穴のある激励だが、どうも男はこれで安心してくれたようだった。


「ありがとう運転手さん、気持ちが楽になった」

「いえいえ仕事ですから。ささ、続きをお話しになってください」


 さて、私は続きを聞かねばならない。

 まだ男の英雄譚も、序盤も序盤なのだから。


 さてアリバイ工作ができたら、次は新参者の元へと移動しなければならない。

 男は事前に新参者の連絡先と住所を聞き出していた。憎き恋敵ではあったが、男は我慢しながら新参者と仲良くするよう努めた。新参者はすっかり男を信用し、個人情報を漏らしてくれたのである。

 男は知った住所へと、まずはタクシーを使って移動を始める。

 しかし先に言った通り、タクシーにはドライブレコーダーが備え付けてある。いくらアリバイを完璧にしたとしても、これに映ってしまえば元も子もない。

 そこで男は、地元の個人営業をしているタクシー運転手を頼った。この運転手はどうもずさんで、車内の録画機能がついていない古いタイプのレコーダーのままなのだそうだ。さらに乗せた客の情報も記録していないときたものだから、足にするにはちょうどよかったというわけらしい。あとは、新参者の住むアパートから離れた駅前におろしてもらい、事前にそこに停めていた自転車を使って移動したそうだ。

 なるほど、用意周到である。

 男はまるで、宿題をうまくやったので褒めてほしいと思っている小学生のように、目を輝かせている。


「すごいですね、上手くアシを残さないように行動してるわけですね」


 太鼓をもってやる。

 お客様の話を盛り上げ、太鼓を持ち、楽しくお話いただくための心遣いをするのも、タクシー運転手の大切な技術な一つである。

 思惑通り、男は嬉しそうに鼻をふんふんとならしている。


「さて、次はいよいよ新参者のアパートに乗り込んだわけですよね。どうやって入ったんですか?」


 男は上機嫌で話を続けてくれた。

 新参者と仲良くなった自分の立場を利用し、一週間に数回は新参者のアパートに通っていたらしい男は、よく酒とツマミを買っていっては、二人で仲良く飲んでいたのだそうだ。

そして今日も、いつも通り酒とツマミを買っていくと、喜んで家に入れてくれたらしい。

 ここで男は、こっそりと睡眠薬も持参していた。

 これを酒に混ぜてのませ、眠らせてしまうことが目的らしい。


「俺の計画はこうだった。ドアにひもを括り付けて、寝てるアイツをそこにつるす。自殺にみせかけるんだよ」


 しかも、事前に成り行きで書かせた遺書もどきも用意しているというので、なかなかやり手である。刑事ドラマでたまに見るレベルの、しっかりとした犯行計画だ。


 ……だが、ここまで来てまた男の様子がおかしくなった。顎に手をあてて「あれ……?」と何度か呟いている。私は聞いた。


「どうなされたんです? どうやら完璧な計画じゃないですか。問題でもあったんですか?」


 その問に返ってきたのは、またも間抜けな言葉だった。


「いや……その、書かせた遺書……置いてきたっけ」


 私は口から出かかったため息を、すんでのところで押し戻した。

 そこまで計画しておいて、遺書を置き忘れるなんて事がありうるだろうか。

 ……しかし、この抜けている男なら可能性はあるかもしれない。旅行の計画を立て、しっかり荷物の準備もしたのに、なぜか歯ブラシを忘れてきた……という状況が、この男にはあまりにしっくりきてしまう。


「あ、あれ? 大丈夫……だよな?」


 男がまた思考の迷宮に捕らわれはじめている。

 三角公園までの道のりも、もう半ばに来ているので、こんなところで話を止めてほしくない。ここまで来たら一気に語り終えてほしいので、私はまたもや男を励ますことにした。


「お客さん、安心してください。今、遺書はもってますか?」

「いや……持ってないな」

「じゃあちゃんと置いてきていますよ。今もってないんだから」

「そ、そうかな……いや、そうかもな。そうだ。俺はちゃんと置いてきた」


 どうやら、納得してくれたようである。実際は家に置き忘れてきただとか、どこかに忘れてきてしまっただとか、いろんな理由が考えられる。だが男がそれを考慮しなかったので、わざわざ指摘してやることもない。


「さて、じゃあ続きをどうぞ。自殺にみせかけて、ようやく殺したわけでしょう?」

「そ、そうだ。酒でしっかり眠ったあいつを、俺はロープにひっかけて……それで、家を出たんだ」


 男は、新参者の部屋にはいった痕跡を丁寧に消すと、扉の前に置いてある鉢植えの下にあった合鍵を手に取り、それでしっかりと施錠したそうだ。合鍵の位置も事前に新参者から聞いていたらしく、スムーズに事が進んだ。

 これで男は、新参者が一人アパートの自室で首をつって自殺した……という環境を作り出すことに成功したらしい。


「これがその合鍵。明日勤務先の工場に行って、裁断機とかプレス機で原型が残らないようにする。完璧だ」


 男はそう言ってカギを私に見せてくれた。

 あとは自宅へ帰る際に、件の個人営業のタクシーがうまく見つからなかったので、仕方なく私のタクシーに乗った……という流れだった。仕方なく脅して、ドライブレコーダーの録画さえ回収してしまえば、これも問題ないと思っているようだ。

 なるほど。

 事件の顛末はこれで一通り聞くことができたようだ。なんというか、ごくごく一般的な殺人計画だった。探偵ドラマに出てくる犯人のような、エキセントリックかつ独創的なテクニックやトリックはひとつもなく……ただ事前にしっかりと計画して、それを実行にうつしだだけの単純なものだった。

 さて、ここまで聞いて私は……なんだか、一気に覚めてしまった。どうも“殺人犯を乗せている”という状況に浮かされていた気がする。話を聞き終えた瞬間に、冷静になってきた。好奇心が満たされてしまい、興味が失せたともいえる。


「へぇ、完璧ですね。で、もうすぐで三角公園ですからね。お待ちください」


 私は業務的な口調に戻り、そう言った。


 男はその態度に、なんだか不満そうな顔をした。右手に握られた包丁が、ぎらりと輝く。私はその包丁を見て……おや?と思った。

 先ほどの殺人計画には、この包丁が出てきていない。

 まさか私を脅すためだけに持ってきたわけではあるまい。第一、このタクシーに乗るのは本来想定外だったはずなので、そのために包丁を用意したとは考えにくい。


「お客さん、最後に一つ聞いても?」

「あ? なんだ」

「そのー、包丁ですがね。さっきの計画にでてきませんでしたが、何に使ったんです?」


 私の質問に、男は一瞬戸惑った顔をして、そしてハッとした。


「……間違えて持ってきちゃった」

「え?」

「新参者の家にあったやつ、間違えて持ってきちゃった……」


 男はバツが悪そうな、まるで学校に持ってきてはいけない物を間違えて持ってきてしまった生徒のような、そんな顔色へと変貌した。

 私は笑いを堪える。

 ここまで完璧にアリバイ工作もしたし、計画も順調にすすんだというのに、使いもしない包丁を被害者の家から理由もなく持ってきてしまっているのである。しかも、これだけで男の考えていた「自殺に見せかけた殺人」は瓦解する可能性があるというのだから、もう始末に負えない。自殺したはずの被害者の家からなぜか包丁が一本消えていたら、どう考えたって怪しい。

 こんな状況、笑わないほうが無理である。

 おっちょこちょいな男だとは思っていたが、これほどまでとは。


「ど、どうしよう……」


 男は先ほどまでの勢いが一気にそがれ、先生に叱られることが確定した悪ガキのようにぷるぷると震え出した。腕についた贅肉が、こまかく動く。


「どうします? 被害者のお宅まで戻りますか?」


 私の心優しい提案を、男は否定した。


「こ、これ以上時間をかけたら……両親にばれちゃうかもしれない……」

「はぁ。じゃあどうしますか」


 笑いを堪えながら、しょうがないなといった風で私は話を続ける。

 このおっちょこちょいな犯罪者が、窮地をどうやって乗り越えるのか、少しだけ興味が湧いたのだ。

 男はうんうんと唸りながら頭を抱えてしまった。


「お客さん、つきましたよ」


 さて、タイムリミットがやってきた。

 男が指定した三角公園の入口付近に、タクシーを止めた。運賃を表示している計器をいったん止めて、車内のライトをつける。

 ルームミラーで男の表情をちらりと見やる。汗がだらだらと出ている。

 どうも計画にない事が起こってしまったものだから、頭がこんがらがってしまっているらしい。男はひとつも動く気配がない。

 仕方がないので男の動きを待っていると、無線で連絡が入る。


『すいません、次いけますか? 四角駅でお客様がお待ちです』

「ああ、はい。ちょうど今会計中なので、終わったら向かいます」


 私もタイムリミットのようだ。次の仕事が舞い込んできてしまったらしい。

 私は後部座席の男に向く。


「というわけでお客さん、そろそろ降りてもらっていいですか?」

「で、でも……これ、どうすれば……」


 そういって包丁を私に向ける。向けるというか、見せてきた。

 私はため息をつく。しょうがない、この解法について私が教えない限り、この男はおりてくれないだろうから、適当に方便を並べてかえってもらうほかない。


「わかりました。お客さん、後部座席のね、シートの隙間にそれ入れといてください」

「……え?」

「仕事が終わったら、私が現場に返してきてあげますから。部屋に入るための合鍵も同じくシートの隙間にいれておいてください」


 私の言葉に男は……ぱぁと顔が明るくなった。


「ほ、ほんとですか?!」

「ええ、本当です。面白い話を聞かせてもらったお礼ですから」


 男は目をきらきらと輝かせ、まるで神様に救いの手を差し伸べてもらったかのように、笑顔でうなずいた。包丁と合鍵を、私の言う通りシートの隙間に入れ込むと、男はシートベルトを外し車外へ出た。


「ありがとう運転手さん。本当に助かるよ。このお礼はいつか必ずするよ」


 そういって男はしっかりと運賃を私によこした。

 やはり変に律儀で、真面目である。

 私は男に、笑顔で手を振った。


「姫さんと仲良くね」

「ありがとう、おじさん!! またいつか!」


 笑顔で走り出した男は、そのまま公園の奥の方へと消えていった。

 その後、私は振られた仕事を忠実にこなし、警察署へと訪れ、証拠品二点とドライブレコーダーのSDカードを警察に提供した。


 残念ながら私は、犯罪者との約束を守ってあげるほどの良識を持ち合わせていなかったようである。いや、この場合罪を告発してやることこそが、良識なのかもしれないが。


 後日。

 いつも通りの日常に戻った私は、カーラジオのつまみを回した。

 ニュースキャスターは平坦な声で、とある工場勤務の男が、知人宅へ不法侵入し捕まった、という事件の概要を説明していた。淡々と状況を語りあげると、キャスターは最後にこう締めくくった。


「なお、けが人はいませんでした」


 思わず、私は車内で大笑いした。


「お客さん。さすがに殺すのを忘れちゃだめだよ」


 昨夜の、真面目でおっちょこちょいな“自称”殺人犯の悔しがる顔が、目に浮かんだ。

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