第44話 付き人ヒヒナの暴走

 これだけの絵が描ける人なら、ラルクの絵を描いてくれないかなぁ。

 手描きだと時間がかかるし、今は聖女の絵で手いっぱいで難しいだろうか。


 そこここに立つ他の客を見るに、彼らは真剣に聖女の絵を吟味している。

 寄付金の目途がつかず、会えない人達にとっては希望の光なのかもしれない。


「あの」


 見ていた方と反対から声がかかって。

 私はそちらへ目を向けた。


 そうして、目を見開いた。


「その絵は……買わない方がいいと思います」


 その人は、小さな小さな声で、私だけに聞こえるように囁いてくる。


 私が驚いているのを見て、気まずそうに口を噤む。


 いえいえ。

 言われたことで驚いているんじゃないのです。


 貴方はこんなところに居ていい人じゃないのでは!?


 私は咄嗟に少女の手を取り、走り出した。

 鳥人の腕力なんてたかが知れている、けれど彼女は抵抗せずについてきてくれた。助かった。



■□



 今、私達は中央公園の広場で、シートを敷き、大道芸が始まるのを待っている。

 場所をとって準備を始めた全身真っ黒な衣装を着た虎人を目指して人が集まるのを見て、早速、席を取ったのだ。

 売り子からシートを買う担当と、おやつ担当に分かれた。


 あの後、路地裏に逃げ込んでから、声を掛けてきた事情を聞いてみると、青年は教会から許可を取っておらず、私があの絵を買って飛び火してはいけないと思って止めてくれたということだった。

 買うつもりはなかったのだけれど、彼女と接点が出来たのは好都合だったので、お礼を言ってお互いに名乗り合った。


 そして、変身魔法で彼女の髪と瞳の色を変えた。平凡な赤茶の髪とはしばみの瞳だ。髪の長さも普段は肩まであるストレートだけれどゆるふわパーマショートボブに。兎耳は特徴的なので、狐耳に。


 捜索の手をかわす手伝いをするのはどうかと思ったけれど、彼女の存在が知られるとそれこそ大変な騒ぎになるので、こうするしかなかった。


 彼女はとても驚いていたけど、これなら絶対に誰にも見つからない、と嬉しそうに笑った。


 これまで常に誰かの目があって、自由がなかったのだろう。それもそのはず。

 私に声をかけてきたのは、聖女ニコルス、その人だった。


 それから二人で洋服屋さんを見て、ニコルスには着替えてもらった。彼女は最初、丸い帽子に髪と耳を入れ、黒縁眼鏡をかけてオーバーオールを着ていた。教会に寄付された物の中から咄嗟に選んだものだそう。

 眼鏡は度が入っていて合わないし耳が聞こえづらくて危ない上に、服のサイズが合っていなくて動きにくそうだったので、全部取り替えた。


 今は黒いカットソーに生成りの厚手ハーフパンツとモンスター素材のスポーツシューズを履いている。


 靴は、革と布の中間のような硬さの素材で足首まで包んで、そこに紐を通してきゅっと締める模様。見た目より伸縮するのでフィットする上に軽くて丈夫で蒸れないらしい。

 底は例のスライム素材(めんどくさいので今後はこれをゴムと言おう。翻訳魔法が仕事してくれるはず)。


 これは彼女が一目惚れしていたので奮発して良い物を買ってあげました。やたらと遠慮していたけど、靴はいいものを一つは持っているといいと思います。

 現代知識チートはしないと決めたけど、ジーンズとスニーカーを作りたいともだもだしてしまった。きっと似合う。


 私も念のため変装した。本来の姿が何とどう繋がって情報源となるか分からないから。

 すれ違っただけの人が何を着ていたかなんて誰も覚えていないので、服は変えていないけど。

 髪に目が行くように背中まで届くロングにし、黒髪青目に変え、目立つ羽根も見えないようにしたので、小柄な人間に見えるはず。


 これなら長い黒髪と青い目の印象が強くて、顔が殆ど記憶に残らない。普段の私の姿とは繋がらないだろう。


 ちなみに二人とも変身魔法は幻覚だ。細胞変化のレベルは身体に負担がかかるので。


「それで、どうして一人で出てきたの?」


 聞くと、嬉しそうにフレッシュジュースを飲んでいた彼女の表情は翳る。


 予想通り、彼女は付き人のヒヒナと口論になって教会を飛び出してきたのだった。


 彼女の訴えによると、そもそものきっかけは、ある信者が騙されたと言って教会に乗り込んできたことらしい。すぐに警備に取り押さえられたそうだけれど。


 ニコルスにはその女性の悲鳴のような叫びが忘れられないのだとか。


 その女性の夫は、難病と言われる病にかかっており、あらゆる医者や回復魔法師に匙を投げられた。そこで教会が声高にうたう聖女の奇跡に縋ったのだという。


 ニコルスはそんなことは知らされていなかった。


 教会まで担架で運ばれたその人を見た時、随分とつらそうなのに無理を押してくるとは信仰の厚い方なのだと思い、覚えていたそうだ。


 言われるままに、祈りを捧げた。


 その方は神聖なる白い光に包まれたが。

 顔色も様子も変わることはなく。

 不安そうに目を向けられる理由が分からなかったけれど、担架はすぐに外に運び出された。


 だから、その時付き添っていた夫人が乗り込んできて、自分を罵った時。

 本当に何が何だか分からなかったと。


「詐欺師だって言われて…」


 ニコルスは、膝を抱えて座りながら、目に涙を溜めた。

 シークレットのお陰で、こんなに人が居る場所でも二人だけの話ができる。


「聖女の奇跡で病が治ると言われて、家財も何もかも売り払って、全財産を寄付したんだって。

 でも、ヒヒナは、寄付は聖女の祈りを受けるためのもので、病を治す対価ではない、信者が勝手に勘違いしたのだと言ったわ」


 勘違いするような言い回しをしたのだろうな、と私は聞きながら思った。


「それでも、返してあげるならまだ良かったのだと思うの。だけど、寄付は身を清めるために俗世から切り離すもので、戻すことは出来ないんだって。何言っているのか分からない」


 よく回るお口ですわね。


 宗教がまともかそうじゃないかを判断するのは、一般的に、そのトップが金の亡者かそうでないか、くらいしかないと思う。

 他者を傷つけるかどうかは、そもそも法律に触れるからこれは論外として。


 トラキスタは守護者や精霊を敬う概念はあるけど、これまで宗教がなかったから、その辺りの道徳が固まっていないのかな。

 ヒヒナは調子に乗って暴走してると見える。


 でも、妙な違和感があるなぁ。

 ラルクに聞いてもらわないと、それがなんなのか自分じゃ分からない。

 彼に聞いてもらうと頭の中が整理できてすっきりするんだけど…。


「あ、始まるみたいよ」


 ニコルスが無理してか少し明るい声を出した。


 今は彼女を元気づけるのが先だ。

 心と身体をケアしないと、どんどん深みにハマってしまうだろう。



 準備を終えたらしいその人が大仰な礼をする。しなやかな虎の尾が揺れる。

 四方に黒い箱を置くだけだった。一体あれで何をするつもりなのだろう。


 しかし彼は一言も発しない。

 注目を集める中、その人はニヤリと笑むと、突然、


 周囲からざわっとどよめきが起きる。

 それもそのはず、そこには何もないのだから。


「パントマイム…」

――――リーチェは知ってるの?」


 これは私の偽名。私は頷いた。


「見るのは初めて。そこに壁とか物が本当にあるかのように見せるパフォーマンスだって」

「わぁ……すごいね」


 ニコルスはさっきまでの憂鬱が吹き飛んだようで、目を輝かせて見入っている。

 これは彼に感謝しないと。


 彼は階段を昇りながら不安そうに左右を見て、両手を伸ばして壁を確かめている。


 と、ぐるんと階段の上下が入れ替わった。


「っ」


 ニコルスが息を飲む。

 それはそうだ、さかさまなんて。


 彼は落下しそうになって慌てて両手足をバタつかせるけれど、足はちゃんと階段に着いたままだ。本当に凄い、どうなってるのこれ。


 ふわ、と足が階段から離れた、と思えば、またぐるりと上下が入れ替わる。


 彼はほっとしたように胸を押さえて階段に膝を着く。

 観客がわっと沸く。


「階段を見えなくしているとか?」


 誰かがぼそりと呟いた。

 すると、彼はそちらへ猫族特有の悪戯な視線を向け、あるはずの階段に手を伸ばすとそれは簡単に突き抜ける。

 ひらひらと泳がせて掌を見せてから、ないはずの床に手を着いた風情で、ひょいっとまるで棒体操のように下半身を宙に下ろし。観客が驚くのもつかの間、全身の力でぐんっと勢いよく回転する。

 さすが虎人、しなやかな筋肉が流れるような動きを生み出し、幾度も回転する動きにみんな見惚れている。


 とたん、急に階段が消えたように、すとんと地に降り立てば、一気に増える姿。


 再びどっと観客が湧いて、拍手が波のように起こった。

 その拍手に笑顔で応えながら、その三つの影はダンスパフォーマンスを始め、どう見ても同じ姿なのにタイミングをずらしてはぴたりと合わせる。

 なのに尻尾の動きだけは全員違うのだ。


 大喝采。


 帽子を持った子供が観客の前を歩いておひねりをもらっている。

 私もバッグに手を入れて硬貨を取り出した。ニコルスが沈んだ顔をしたのを見て、目配せしてこっそりと手に硬貨を握らせる。

 まったく、身を削っているのは彼女なのに、その懐に一銭も入らないというのはどういうことなのか。


 硬貨を入れたら少年は目を輝かせてお礼を言った。きっと彼の子供なのだろう。髪の色や面差しがよく似ている。


「…――――リーチェ、何もかも、ありがとう」


 ニコルスは申し訳なさそうにしている。服代から何からみんな私が持ったことを気にしているのだろう。


「大丈夫、教会からしっかりもらうから」


 ニコルスは、寂しそうに笑った。

 教会には何も期待していない。彼女の表情はそう言っている。


 けれど、そろそろ彼女を帰さなくては。

 何の下準備も出来ていない状況で誘拐騒ぎになっては私達に後ろ暗いものができてしまい、いざという時に動きにくくなってしまう。


 立ち上がろうと、した時だった。



 肩に、手がぽんと置かれた。

 今度は気が付かないはずがなかった、私は周囲に気を配っていたのだから。

 思わず振り返ると。


「…っ、」


 私の隣で、ニコルスが息を呑んだ。

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