第10話[喫茶研究部・合宿・前編]

土曜日。合宿当日。

「眩し……」

学校指定のジャージを身に包み、いざ外へ出ればあまりの快晴ぶりに思わず顔を覆うように手で傘を作り日差しを遮る。雲ひとつない青空に程よく照りつける太陽。日光を浴び続けるアスファルト。心地よい涼しげな風。もう少し気温が上がればスポーツドリンクのCMの一本でも作れてしまいそうな良い天気だ。


ゴールデンウィークも何事もなく過ぎ去り、とうとうこの日を迎えた。休日に来る学校というのもなんだか新鮮な感じがしてソワソワする。「合宿ってちゃんと今日だったよな?」と度々予定を見返すのも3度目だ。我ながら心配性だ。


 ・ ・ ・


「あんまりハメを外しすぎないようにな」

冗談まじりに言いながら部室の鍵を手渡す男性は矢波葵やなみあおい、喫茶研究部の顧問でうちのクラスの担任教師でもある。

日に焼けた褐色肌、シャツ越しでも分かる細すぎない健康的な体躯、年齢も俺たちとそう離れているわけでもなくむしろ教師としては比較的若い方だ。偏見だが見た目だけならサーフィンとか上手そうだし海の家とかで働いてそう、てかそういうのが似合いそうというのが俺から見た印象だ。

生徒との距離感もそれなりに近く、その気さくな所と、生徒とほとんど同じ視点から話せる若手教師ということもあってか、校内生徒…これは容姿の要因があるだろうがとくに女子生徒からの人気が高い。


「どうだ?新しい部室は?」

「えっと、まぁ、悪くないですね…」

飾り気に努めることもなく小さく会釈する。

「学校側も、あの幽霊屋敷の扱いには手を焼いてたからな。朱城の機転でうまい具合に有効活用できて何よりだよ」

やれやれと肩をすくめる。


「しっかし……その場のノリみたいな感じで半年もしないうちに解散するとばかり思っていたんだがなぁ。それが今では部員が2人も増えてるし、大したもんだよ」

「…そう、ですかね?」

と今までの過去を顧みながら、内心、首を傾げる。

特別な事は何もしていない。何故か特別な人間は集まってはいるが。むしろ、その部活はこの中に俺が入っていいのだろうか、と肩身の狭さを突きつけられる。


「そういえば、先生も今日泊まりなんですよね。寝床、俺らと同じ部屋でいいですか?」

「ん、いや、先生は車中泊でいいかな」

予想外の言葉に俺は目をパチクリさせる。

「部室で寝泊まりすればいいじゃないですか」

それを聞くや否や矢波先生は目を細め、教師の顔付きになる。

「先生がいると萎縮してしまうかなっていう俺なりの気遣いだよ。せいぜい若いので楽しんでくれ」

「はぁ…」

矢波先生もどちらかと言えば若い側の部類だろうに。そしておそらく、陽たちは先生がいた所でいつも通りだろう。しかし、そう気を使われると返す言葉も出なかった。


「けど、もし寝付けなかったら一階のソファを勝手に使わせてもらうよ」

「それは全然構いませんけど…」

職員室の時計を確認すると、時間もちょうど良いので「そろそろ行きますね」と先生に告げる。事前に陽たちに連絡を送ったので今頃部室前で待たせていることだろう。

去り際に矢波先生が「余計なことかもしれんが…」と前置きを据えて話し出す。

「高校生活なんてのは長いようであっという間だからな。後悔のないよう、いい思い出しっかり残してこい。人生の先輩としてのアドバイスだ」

その目は、どこか懐かしむような穏やかな表情に見えた気がした。


 ・ ・ ・


「後悔のないよう、か……」

先生に言われた言葉を反芻しながら、部室に向かうと時間通り4人とも揃っていた。

合宿、もといお泊まり会とはいえ部活動という名目上、全員、学校指定ジャージを着用している。


「おっすー秋!」

「ほい、部室の鍵」

挨拶を交わす陽に鍵を投げ渡す。弧を描いて飛んだ鍵を何なく手に収めた陽は「サンキュ」と言いながら部室の施錠を解除する。


放課後にやるいつものやり取り。なのに体中がゾワゾワする。胸の奥からビリビリとまるで微弱な電流が流れるような感覚。


(…いや、いつも通りではないな)

今回は合宿。普段、読書にしか興味がない俺からすれば、一生に一度あるかないかの一大行事ビッグイベントだ。

こういう行事は全くの未経験というのもあり、なんだか落ち着かない。心なしか服の下が汗ばんでいるのが分かる。それはこの暑さによるものか、それとも精神的な要因なのか…。


「どしたん?秋。緊張でもしてんのか」

いつの間にか隣に立っていた夏人が、俺の肩に手を置きながら軽く声をかける。

「あー…まぁ…」

見事に確信を突かれる。何か言い返そうかとも考えたが特に思いつかず口籠る。


「期末試験でもないんだし気楽に行こうぜ!」

「おい夏人、その話はやめろ。耳がいてーわ」

近くで聞いてた陽が苦虫を噛んだような顔をする。

「おいおい、陽は別に問題ないだろ。いつも上から数えた方が早いとこにいるんだからよぉ」

「はいはい、2人とも一旦落ち着いて下さい。今コーヒー淹れますから」


そう言いながら3人は部室へと入る。その後ろ姿を俺は観察する。

陽と夏人は互いに悪態を吐きつつもいつもより気が緩んでいるように見える。後に続く霞くんもだいぶこの部活の空気に馴染んだ様子だ。

一方で白神さんは、と俺の数歩先にいる彼女の小さな背中を見る。しかし表情が見えないため何を考えているのか分からないな、と考えていた矢先、くるりと彼女が振り返る。

「なんか、いいですね。こういうの…!」

「………」

そう彼女は言った。

萎縮している俺とは対照に、目を輝かせ頬が高揚している。表情は快活でキラキラしていて、その姿は晴天の太陽よりもずっと眩しい。

同じ世界にいるはずなのに、見えている景色、感じている現実、その全てが違う。読書だけでは学ぶことができないモノがそこにはあった。

「……確かに」

ふ、と自然と口元が綻ぶ。


「おーい2人とも!みんなで記念写真撮ろうってさ!」

「はーい」

「あいよ」

俺たちは足早に、かつて幽霊屋敷などと呼ばれていた部室に入る。もうこの建造物からは不気味さなど感じられない。いつの間にか、最初に感じた緊張感も和らいでいた。皆カウンターの位置に集まっていてその輪の中に入る。


「んじゃ、撮るぞ––––––!」


「––––––はい、チーズ!」

シャッターを切る。

「さて、どうかな?」

皆でスマホに群がり撮ったもののできを確認する。

表情がいまいち、良い感じ、撮り直す、画質が云々うんぬん等、各々が撮れたものを見、口々に思ったことを口にする。


俺は多分、この日の事を忘れることはないだろう。


 ・ ・ ・


コロコロと水の転がる音が部室内に響き渡り、コーヒーがドリップされている。霞くんはキッチンカウンター、その向かいのカウンター席には俺と白神さん、さらにその後ろのソファには陽と夏人が、それぞれお気に入りの定位置でくつろいでいる。


俺は振り向き、背後のソファにどっかり腰掛けている陽に声をかける。

「––––––でこうやって合宿という名目で集まったは集まったけど、実際のところ何かやる事とか目的みたいのはあるのかい?陽さん」

「あ?ないよそんなの」

「ないのかよ」

「ないんだ…」

俺とその隣にいる白神さんがほとんど同時に呟く。


「…強いて言えば親睦会みたいなもんだな。今年は2人も新入部員が増えたんだ。このメンバーで今年は色々活動してくんだから改めてよろしく〜、的な?みたいな?」

「いや、最後らへんてきとーになってんぞ」

すっとぼける陽に対しさすがに夏人もツッコミを入れる。

「まぁ簡潔に言えばパーッとやろうやってことなんだが」

「てっきりみんな集めて生徒会をどう潰すか作戦会議すんのかと思ってたから、そっちよりはよっぽど健全だけどな」

「ぶはっ…確かに」

「おい私をなんだと思ってるんだ」

より具体的に言えば生徒会長、冠雪かむりゆきをどう潰すかの作戦会議なのだが、それを言い出せば面倒なことになりそうなのであえて名前は出さないことにした。


不意に陽が真面目な顔付きになる。

「いいか?今の私らは青春の上に生きている。けどいつかはこの学校も卒業しそれぞれの道に向かってく。進学だったり就職したりな。まーそんな実感はないし今この瞬間が永遠に続くとすら感じるがな」

永遠…確かジャネの法則とかだったか。


「今楽しめることはできるうちにしときたいし、楽しむからには全力でやる。ぶっ壊れるまで身体を動かしオーバーヒートするまで頭を使う。よりアクティブに、よりクリエイティビティに。ただ決まりきった事柄を機械的に繰り返す学校生活よりは健全で青春っぽいだろ?私が言いたいのはそういう事だ。だからパーッとやるってこった」

彼女の人を惹きつける演説力に白神さんと霞くんは「おぉ」と感銘の声を洩らす。言い切った後、小声で「生徒会ぶっ潰し作戦会議も有りだなぁ…」と呟いたのも俺は聞き逃さなかったが。


陽の考え方は、人間の幸福とは何か?という問いへの回答に近いように思える。その答えは色々だろうし曖昧さも解釈もあって様々だが、生きている喜び、或いは人生の楽しさにフォーカスすれば主に3つに集約される。それは『遊び心』『人との繋がり』そして『フロー状態』だ。遊び心とはどんな状況でも結果を気にせず楽しめる精神の意、フローは心理学用語で完全に集中していて時間の経過すら忘れて夢中になっている事を指す。スポーツでいうゾーン状態と同じだ。人との繋がりはそのままの意味だがSNSには注意したい。使い方次第では孤独感が生まれることもしばしば。俺も部活動する前は夜中にスマホ見てたりして虚無感味わうことがあったな。

ともあれこれらの要素が重なると真の楽しさのようなものが生まれると言われている。陽は人生の楽しみを見つける天才だったか…。『実に陽らしい』この場の誰もがそう思ったに違いない。

俺と夏人は、の意味合いが少し異なるが。

「…なお本音は?」

「部活動してますアピールしといて今後の活動に活かそうかと」

「現金なやっちゃなー。さっきまでの感動返せコラ」

呆れた様子で夏人がツッコンだ。


 ・ ・ ・


「ほら、コーヒーできましたよー」

「ありがとう」

湯気が立つコーヒーが人数分配られる。流石に喫茶店で手伝いをしているだけあって手際が良い。コーヒーも出来たての状態でカップからは一滴も溢れた様子もない。その後の使い終わった器具の片付けもスムーズだ。

コーヒーカップに口を付けるといつものと違うことが分かる。

「……なんか今日のコーヒー、いつもと違う?」

「よく分かりましたね、先輩。…それで味の方はどうですか?」

「うん、普通に美味しいよ。新しい豆とか?」

そう言いながら再度口を付ける。香りは控えめだが口の中で風味と適度な苦味が広がる。後味もしつこくなく喉に残ることもない。

「実は最近、自分なりにブレンドコーヒーを作ってて、今回のはその試作品です」

「へぇ、すげぇな。試作品でここまで美味しいのか」

「ありがとうございます夏人先輩」

と笑みを浮かべる霞くん、しかしその笑顔はどこかぎこちない。

「……でも何で急にオリジナルブレンドを?」

霞くんの持つコーヒーカップが僅かに揺れる。それに合わせて真っ直ぐに立つ湯気も動きに合わせて揺らめいている。「そうですね」と小さく呟くとカップをテーブルに戻す。どうやら彼の中で何か心境の変化でもあったのかもしれない。小さな体躯からは、いつもより大人びた印象を感じる。

「…僕は先輩方のように悩み相談とかできないし、それが部の活動内容というのも今でも完全に納得したわけでもありません」

「お?またコーヒークイズバトルが始まんのか?」

「陽、お前は黙ってなさい」

手際よく夏人が陽の口を塞ぐ。


「けど、爺ちゃんに言われたんです。『喫茶店はコーヒーを淹れるだけが仕事じゃない。お客さんと向き合い、人々にとっての第3の場所を維持させることが重要だ』って。それを聞いて目が覚めたんです。そんな当たり前のことに気付かないなんて僕はなんて馬鹿だろうって。最初に秋先輩が言っていたのを僕は聞いてたはずなのに……」

確かに出会ったばかりの頃の霞くんは、コーヒーを淹れられる部員が俺しかいないことに怪訝そうにしていたのを思い出す。説得を試みたが完全には納得してなかった。だから部長の座を賭けて勝負をしたわけだしな。

「そしてこうも言われました。『色々な経験をしなさい』って」

美味しいコーヒーができても、それをどう美味しいかを伝えるコミュニケーション能力ができなければ、そのお店には誰も来ない。そして誰も来ない喫茶店はすぐに無くなる。その店は人々の第3の場所にはなれない。接客、経営、自店の強み、お店の味、そして様々な経験があって初めて喫茶を営むことができる。お爺さん…マスターの言葉だ。

それを言われて彼……霞くんはどう感じただろう。希望か絶望か、おそらく、そう明るいものではない。しかも身内に告げられたのだ。精神の負荷はけして軽くはないはずだ。

俺は慎重に言葉を選びながら話す。

「……マスターはマスターなりに店を営むとはどれほど大変なのかを伝えたかったんだと思う。けっしてその道を諦めさせようとしているわけではないと思うよ」

まぁ要らぬお節介だろう。霞くんの方が俺よりよっぽどマスターの人柄を理解している筈だ。その道から遠ざけようなど微塵もないことは誰よりも分かっているだろう。

…しかし、それでは何故、オリジナルブレンドを作ったのかの説明にはならない。いや、霞くんの言ったそれが答えなのだ。


「さっき言ってたマスターの言葉、『色々な経験をしなさい』。……つまり、その一貫でオリジナルブレンドを?」

それに対しコクリと頷く。

自分でも安直な考えだと思いますが、と付け加えながら話を続ける。

「…僕は爺ちゃんが作るコーヒーが一番美味しいと思ってます。もちろん今でも。けど爺ちゃん自身はそれを納得してないんですよね。ずっと理想の味を追い求めているんですよ。まぁそれでも理想のコーヒーは生涯淹れられないだろうと言ってますが…あはは…」

とどこか寂しそうに苦笑する。

「その時思ったんです。爺ちゃんが納得していないコーヒーを守り続けるのはおかしいって。多分、思考停止ですね。僕は失敗を恐れてたんだと思います。それに気付いて考えを改めました。僕は爺ちゃんの作る以上の……いえ、僕の理想のコーヒーを淹れようと。今日のブレンドはその第一歩の一杯です」

その眼光からは強い決意のようなものを感じた。


そっか、と夏人が最初に口を開く。その表情は柔らかい。

「……応援してるぜ、霞!俺たちにも何か手伝えることがあればすぐ協力するからな!」

「はい!これからは先輩方からも色々学ばせてもらおうと思います。改めて宜しくお願いします!………その、たまに失敗するかもしれませんが……」

ぺこりと頭を下げる。

自分の理想の味には近付けても、おそらく再び理想は遠のいてしまう。理想を追い求めるという事はそういうものであって、それは生涯あり続けるだろう。それが苦難の道なのは間違いない。分からないことも沢山あるだろう。だが彼は歩き続けるのだろう。

「息子がこんな立派に育って、お母さん嬉しいよ〜、あだッ!?」

陽の頭に夏人の手刀が直撃する。



––––––こうしてようやく、四季霞は改めて喫茶研究部員となった。


 ・ ・ ・


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アオカフェ(プロトタイプ) @Taichi1113

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ