第9話[互いの観察・それぞれの気付き]

夕虹くんの恋愛相談があってから数日が経った。


数分の休み休憩の合間、自分の机で軽く読書を嗜みながらその片隅で数日前の出来事を振り返る。


あの青春の一幕があってから夕虹くんと時雨さんは、表面的にはいつも通りに過ごしていると同じクラスの白神さんと皐月さんが教えてくれた。皐月さん曰く、まるで告白なんて最初からなかったんじゃないかというくらいには、だそうだ。しかし、2人が顔を合わせたり軽く挨拶を交わせば少しぎこちなくなるらしく、夢ではないことが分かる。まだ2学年も始まったばかりの頃合いだ。今後、あの2人の関係性がこのまま続くのか、それとは別に、新たな変貌を遂げるのかは本人たち次第だろう。


それはそれとして、最近、俺自身の心情にも少し変化があることに気付いた。

白神さんへ向ける俺の個人的な感情が日に日に大きくなっていたのだ。

彼女自身、よく部活には顔を出すため一緒になることも少なくなく、それにより打ち解けやすくなっているのも否定はできない。

だがしかし、この結論に何より自分が納得していない。

おそらく一番の要因は、あの夕暮れの中で見せた白髪はくはつの少女の表情がその一つの可能性として挙げられるだろう。


『––––––恋愛、かぁ…』


他人事のように言いながらも、それだけではないような含みを持った物言い。

彼女にとって何か面白いことがあった時にしか見せない、彼女の美点とも言える星々を散りばめたように輝いた紅玉石の瞳と、年相応の白くきめ細やかな肌にうっすらと赤らんだ表情。夕焼けに照らされ、より神秘さを増した彼女とそれを彩る夜空の訪れを告げるだいだいの光景が脳裏から離れない。


そしてその白神さんの独り言のような呟きに、その言葉に不思議と、自分自身が自然に納得してしまっていたのだ。


「おーい秋〜。次、移動だぞ」

その声に思考の世界から現実へと引き戻される。

振り向くと、夏人が自分の筆記用具と教科書を手に抱えながら声をかけていた。

教室の入り口には、陽と古月さんもいる。どうやら俺は時間を忘れてみんなを待たせてしまったようだ。

「あぁ、悪い。ちょっと準備まだ終わってないから先行っててくれ」

「ん、そうか?…じゃあ俺らは先に行ってるぞ」

「あぁ」

そう言い終えると、夏人はかけ足で陽たちと合流し、そのまま教室を出ていった。

俺はその背中を静かに見送る。

「…………あれ」

自分の自然的な振る舞いに、一瞬だけ違和感を覚えた。

(……なんで、今みんなのこと避けたんだろ………)

その時の俺は、顎を手で撫でる感覚がいつも以上に感じられた気がした。




…教室を後にし、次の授業の行われる場所に向かおうとした矢先、廊下の向こうから見知った顔の女子生徒が目に映る。

(あ…白神さんだ)


同じ学校、同じ学年、こうした偶然の場面はけして珍しくもない。

もしここに陽がいれば、尻尾振る犬のようなテンションで、白神さんに抱きつきにいっただろうことは想像に難くない。

俺は100%そんなことはしないが。

移動のこともあり、立ち話でなく軽く挨拶でもと考えてると、それよりも先に互いの目と目が合った。


白神さんは俺が移動することを察してか声をかけるわけでもなく、ふわりと笑みを浮かべながらヒラヒラとこちらに手を振るだけに留まった。

「………」

俺は迷ったすえに、控えめに手を振り返した。

振り返したというよりは「気づいたよ」というサインのような感じではあるが。


なんだか秘密の挨拶みたいで、俺としては少し恥ずかしい。白神さんは満足した様子だったが。

いたたまれない気持ちに駆られ、平静を装いつつ早々にその場から立ち去った。


 ・ ・ ・


最近、白神さんは俺がコーヒーを淹れる様子をよく眺めていることがある。カウンター席に突っ伏しながら近くで覗き込むようにだ。

「……見ててそんなに面白いか?」

お湯が注がれコーヒーの層を通過し黒い液体が重力に引かれ落ちていく。初めて見る人にはまるで濾過の実験のように見えるのかもしれない。そう言った意味では見ていて面白いのかもしれないが…。

彼女はテーブルに顔を突っ伏したまま、ふにゃりと柔和な表情をしながら応えた。

「なんていうか………なごむ」

「んん…」

(…白神さんの言うことは時折難しい)

ポタポタとドリッパーから垂れるコーヒーと黒の波紋を見つめながら俺はそう思った。


コーヒーを淹れ終わり、ふと自分の持つドリップポッドを見ながら、あることを思いつき目の前にいる白神さんに提案してみる。

「…たまには、白神さんがドリップしてみるか?」

それを聴くや否やすぐにパッと顔を上げる。

弾かれたように立ち上がった純粋無垢な少女は、嬉々として瞳を輝かせていた。

「やってみたいっ!………です」

思ったよりも大きな声に白神さん自身が驚き「えへへ」とはにかむように笑った。それでもなお彼女の瞳の奥にはあの輝きが踊るようにちらついていた。

「……そうか」

釣られるように自然と自分の表情も緩んでいくが、俺自身は気付かない。

白神さんのこの表情かおを見るたびに、なんだかあたたかい気持ちになる気がする。何故なぜだろう。でも悪い気分じゃない。




…重さを計り豆を挽きペーパーフィルター内に粉を入れるまでは問題はない。白神さんもよく見ていただけあって、コーヒーを作る手順はある程度把握しているようだ。

しかしこの次のお湯を注ぐ工程が意外と難しい。


お湯を注ぐ最初の工程、蒸らしを行い、コーヒー粉がお湯との化学反応で膨張し、ドームを形成する。そこから数十秒ほど待ちその後さらにお湯を投下する。適量まで抽出したら完成……と言葉にすれば単純な作業のように聞こえるが上手くこなすには意外と難しい。力加減に慣れていないためかポッドからお湯が出過ぎてしまいコーヒー粉のドームが形を崩してしまう。

「んむむ……」

白神さんが持つドリップポッドがプルプルと震えている。そのせいで水の出も細く太くと不安定になっている。


本人は慎重に淹れているつもりなのだろうが、思い通りにお湯が出ないのか、その表情は固い。そして最後のお湯の投擲が終わった。

「んー…難しい。秋さんがいつもやってるように行かない……」

「まぁ、最初はこんなもんだと思うよ。実践あるのみだね」

言いながら、カップにコーヒーを移していく。


そして白神さんに手渡すと彼女はすぐカップに口をつける。

しかし淹れたてのコーヒーだったため小さく「あち」と呟きながら離す。そして息を吹きかけ少し時間が経ってから再び口をつけた。

「味は…………思ったより美味しい…?」

「まぁ、たいていは豆の状態さえ良ければ、素人からすれば味は大して気にならないからね。…こんなこと言ったら霞くんに怒られるかもしれないけど」

互いにクスリと笑う。

もう一口ほどコーヒーをすすったところで白神さんが口を開く。

「そういえばさっき気になったんですけど、どうしてお湯を注ぐと粉が膨らむんですか?」

「あぁ、それはコーヒー豆の中の二酸化炭素が––––––」

白神さんが興味を持ち、その疑問を打ち明け俺がそれに応える。

こんな、なんでもないような日々がずっと続いたらいいと心から思う。

(……和む、か)

今だったらその意味が少しだけ分かるかもしれない。



––––––その日、白神さんが初めて淹れてくれたコーヒーは、いつもより美味しく感じられた。


 ・ ・ ・


その日は、5月も始まって間もないというのに珍しく夏場のように暑かった。澄み渡った快晴、照りつける日差し、気温も高いというのもあり、ほとんどの生徒がブレザーを脱ぎ上半身シャツ1枚で過ごすという光景が校内で見受けられた。

それは放課後になっても続いていた。

俺は額に汗をかきながら部室へ足を延ばす。かつては喫茶店だった曰く付きの部室に訪れると、周りの草木も日光に照りつけられ青々しさが増しているように見える。

施錠を外し中に入ると、むわっとした蒸し暑い空気が俺を出迎える。ひとまずエアコンを付け、室内を冷やしつつアイスコーヒーを淹れる準備を始める。

コーヒーをドリップしながら今日は何の本を読もうかと考えていると、ギイと扉が開き、暑さのせいなのか疲れたような顔をした白神さんがやってきた。


「あ、秋さん、こんにちは。…今日は暑いですね」

「おう、白神さん。…アイスコーヒー飲むか?今淹れてるとこなんだけど」

「ハイ〜。お願いしま〜す」

と言いながら、彼女はカウンター席に溶けるように腰掛けながら一息つく。

その額にはじんわりと水玉の汗が浮かんでおり、それが外の気温の高さを物語っている。


その時ふと、今の彼女の服装に俺は少し疑問を持った。

「…そういや、白神さんっていつもそのカーディガン着てるよね。暑くないのか?」

と俺は『その場の思い付き』という風な感じで訊ねてみた。

白神さんの特徴とも言うべきそれは、オールシーズンで使えそうな薄すぎもせず厚すぎもしない、初めて会った時から来ていたフード付きの代物だ。とはいえ炎天下の夏や、今日のような暑さの日に着るようなものでもない。それでも羽織っている理由が俺としては少し気になった。


白神さんは「あー…」と自分の着ているものを見ながら苦笑いで応える。

「いつもの癖で……。元々は顔を隠すために来ていたんですけどね……」

「顔を…?」

俺がそう疑問を持つと、彼女は今着ているカーディガンのフードを両手で持ち上げ、…暑いだろうに深々と被って見せた。

「こうやって被って……前は髪ももう少し長かったから、さらに顔を覆えば視界がほとんど見えなくなるんですよ。そうすれば周りのものに目移りすることもほとんど無くなるので」

「……なるほど」

と俺は白神さんの言わんとすることを理解する。


白神深冬しらかみみふゆは好奇心旺盛な女の子だ。

元々彼女は、自分の性格的気質に悩み『普通で在りたい』という願いから喫茶研究部を訪れていた。もっと具体的に言えば『好奇心を無くす方法』を探していた。今はその問題は解消されたが、物理的に顔を隠す…というより視界を狭め興味のありそうなものを自分から遠ざけることが当時の白神さんにとっての解決法の一つだったのだろう。


スルリと被ったフードを外し乱れた白銀の髪を軽く直しながら、暗い話をしたことを詫びるようにツラツラと言葉を並び立てる。

「あ、でもでもっ、今は普通に好きで着てますよ!パーカーってフワフワしててなんか可愛い感じがするので!」

「あ、あぁ、そうか…」

一応ファッションのひとつとして気に入ってるということなのだろうか。あまり服装のオシャレ云々うんぬんについてはよく分からないので、つい曖昧な返答をしてしまう。


「でも流石に夏は暑くなかったか?その時はどうしてたの?」

「…いや、まぁ…ホントに去年は大変でしたよ………」

と言いながら彼女は遠い目をしていた。

被ってたのか、それ……。

「ん〜、今年はどうしようかな。着ないっていうのも味気ないですし……」

名残惜しそうに着ているものを見ながら、顎に手を当て「むむむ…」と考え込む。

そして何か閃いたようだ。

「こうすればちょっと涼しくなるかも!」

そう言って突然、白神さんは羽織っているカーディガンを脱ぎ始めた。


「ぇ–––––」

俺は白神さんの行動に驚き、反射的に目を背ける。

目を逸らした後に入ってくる聴覚的情報は白神さんの方から発せられる衣擦れの音のみだった。というよりかは意識がそちらに集中していると言うべきなのか。

(……落ち着かない)

今自分がどんな顔をしてるか分からないが、陽や夏人がいれば揶揄からかわれていただろう。免疫のない年頃の男子おれからすれば刺激が強すぎる。


「…よし、これだったら涼しいかも。……どうですか?秋さん!」

俺はおそるおそる視線を向けると、先ほどまでとは違う身なりをした白神さんがそこにはいた。

まず最初に目についたのは、上半身がシャツ1枚という涼しげな格好になっているところだ。そしてさっきまで着ていたアウターは自らの腰に巻きつけAラインを表しており、全体的にラフな着こなしとなっていた。

白シャツ絶妙な生地の薄さと、今日の暑さで汗ばんでいることもあり、白神さんの白肌をうっすらと透かしており、その色っぽさに当てられ俺の理性が真夏の氷のように溶けていくのを感じる。さらに華奢なのはもちろん、女性らしさを表す胸元の膨らみや体のラインが今までよりも分かってしまうのがより目の毒だ。

白神さんの動作に合わせて、スカートと巻きつけられたカーディガンがフリフリとリズミカルに動き、無邪気で女の子らしい躍動感が表れている所がまた可愛らしい。

今までと違う白神さんの装いに、俺の心臓の鼓動が速くなっているのが分かる。とはいえ「どうですか?」と訊かれたのだから、何か感想を言わなくてはと必死に脳みそを働かせる。


「まぁ………えっと……いいんじゃないか………?」

スーッと視線を逸らしつつそう言った。脳みそを働かせるとはなんだったのかってくらい大した言葉が出てこなかった。

そんな俺を白神さんは、胡乱うろんげな目付きで見つめる。

「…………えっち」

「え、いやいや、なんでそうなるんだよっ」

俺がそう言うと白神さんは、

「ふふっ、冗談ですよ?」

と可笑しそうに笑った。

「…ったく」

口振りから察するに本気で疑ったわけではなく、ただ俺のことをからかっただけのようだった。悪戯っぽい表情をする彼女に対し毒づきながらも、そんなやり取りが楽しいと感じてしまう。


––––––これで確信した。


俺は疑いようもなく、どうしようもなく、白神深冬しらかみみふゆのことが好きなのだ。


 ・ ・ ・


「…………ふぅ」

読書に集中できない今の自分に落胆するよう溜め息を吐きながら、本を机の上に置き中断する。こんなことは珍しい気がする。

自室の時計を見ると、時刻は午前0時を過ぎていた。


(明日も学校あるし、そろそろ寝ないとな。…何故か陽も『絶対部活来いよ!』って妙に張り切ってたし、なんかやるんだろうなぁ、きっと。………けど)

椅子の背もたれに上半身の体重を預けながら、俺は読書に集中できない原因の正体について考えていた。

とは言っても原因は分かりきっている。

白神さんのことだ。


(最近、変だな、俺。何かと白神さんのことばかり気にかけてる…)

変とは言いつつも、それが正常な思考であることに違いはない。好きな子のことを考えるくらい珍しくもない。運良く好きな子と会話を募らせることができても、その後で1人反省会を開くのもよくあることだ。実際のところ、今の俺がまさにそれだ。


一目惚れだった………のかもしれない。

どうだろう…?


俺は運命なんてロマンチックなものは信じていないが、もしそれがあるとしたらそれはあの時部室に初めて相談にやってきた白神さんと出会った時だろう。ほんの些細なきっかけだった。しかも最初の頃と今とで全然印象違うし。でもそこも良い。思ってたよりもフレンドリーというか、話しやすい人だなと感じた。俺の長話にも付き合ってくれるし本人も楽しそうに聞いてくれるから、ついつい話し込んだりして。こうやって彼女の美点を次々と発見していく様は、スタンダールが言うところの結晶作用というやつだろう。


けどそんな彼女にも悩みがあって、あの公園で色々話し合ったりして。前を向くようになった白神さんは自分の世界が変わり、それに影響されてか俺自身も知らず知らずのうちに変化していた。

(冠会長の言葉を借りれば、俺の人生はすでに狂わされていた、のかな)

『人の内側に介入するということは、結果はどうあれ、その人の人生の歯車を狂わせるということになるわ』


(その通りだ…)

最初は陽と出会って。

『世界を変えないか』

そうして俺の心に熱い何かが湧き上がった。

喫茶研究部を立ち上げて、夏人や霞くんとも話すようになって。

白神さんをスキになって。


そういった人との縁は、相互作用的に周りの世界から影響を与えられ、そして周りの世界に影響を及ぼした。

そして、今の橡秋おれがいる。

みんなに変えられたのだ。

本当に感謝しても仕切れない。


けどそれは、深い繋がりのようで実際は脆い。人間関係なんて濡れた用紙のようにあっさりと破れてしまう。

それは過去の俺自身が証明している。


『––––––お前とは絶交だ』


怒りと失望をぐちゃぐちゃに混ぜたような暗く澱んだ目。

深いと思っていた繋がりそれはあまりにも儚く、呆気なく壊れてしまうものなのだと当時の俺は知ってしまった。

理解してしまった。


(こればっかりは変わることはなかったな…)


怖いんだ。


白神さんには、ああも説得した手前、自分が情けない。

俺は椅子から立ち上がり、窓の方へ歩み寄る。


俺はこの関係を失いたいとは思わない。

この居場所を壊したくない。

もし白神さんにこの想いを伝えて断られたとき、彼女にとって部活ここが居心地悪い場所になってしまう。

自分が傷付くだけならともかく、白神さんまで巻き添いになってしまう。

それだけは絶対に駄目だ。


カーテンを少しだけ開け見慣れた景色をぼんやりと眺める。

そこに広がる夜景は普段と全く変わらず、町の眠りを再現するかのように静寂と暗闇を演出していた。夜空にはちらほらと星々が輝いている。

「………難しいなぁ」


自分がまだまだ未熟で青くさい子どもであることを、これでもかというほど痛感した。


 ・ ・ ・


5月だというのにいまだ外も暑い中、部活動も終わり私は真っ直ぐ帰宅した。

「ただいま〜」

と言い靴を脱ぎはじめた辺りで、リビングの方からお母さんが声を掛けてくる。

「おかえり〜深冬。…帰ってきて早々悪いんだけど、夕飯作るの手伝ってくれないかしら?」

「はーい、じゃあ先に着替えてくるね」

そして自室に入り、汗ばんだブラウスやスカートを脱ぎ動きやすく汚れてもいい私服に身を包む。

脱いだ衣類をハンガーに掛けようとした時、ベッドに置いたカーディガンが目に付き、さっきまでの出来事を思い出す。


私のちょっとした思いつきで、羽織を腰に巻きつけ、いつもと違う着こなしを施し彼の反応をうかがってみたのだ。

『…ったく』

そう言いながら、隠すようにそっぽを向き顔をほんのり赤らめる秋さんの横顔が頭の中で再生される。

「………あんな顔もするんだ」

(初めて会った時はもっと無愛想な人かと思ってたけど…)


むしろ全然饒舌に喋るし、普通に笑ったり、怒ったり、悩んだり、照れたり………色んな表情が秋さんから見てとれる。

それは私の好奇心をこそばゆく刺激し、さらにさらに彼のことを知りたいという深みにハマってしまう。


(そういえば、前に秋さんに近付いた時も顔赤くしてたっけ…)

自室を後にしキッチンに向かいながら「その時の話題はなんだったかな?」と少し高揚した心持ちで振り返っていた。


 ・ ・ ・ 


––––––確かあれは、記憶に関する話をした時だ。


「人ってどうしたら頭が良くなるんでしょう?」

「…いきなりだな」

私の座るカウンター席のちょうど向こうにいる秋さんが虚をつかれたような反応を示し、読書の手を止める。

なんの前触れもなかったので驚かれるのも無理はない。でもそんなことはお構いなしに私は話を続けた。


「前に小夜ちゃんと晴ちゃんと私の3人で勉強してたんですよ。その時に晴ちゃんがそんな話をしてて私も少し気になったんですよね!そんな方法があるのかなって」

秋さんは「ふむ」と頷きながら本の間にしおりを挟み自分の近くにそれを置いた。

「頭を良くしたい、かぁ。…勉強会でその話が出たってことは、テストで高得点を取りたいとかそういう話だよな。であれば記憶力とか読解力とかの話になるのかな。人に教えるつもりで勉強するっていうのも全然良いと思うけど………」

顎に手を当て思案顔になる。

ここ1ヶ月ほど秋さんのこういう場面は何度も見ているから分かったことだけど、おそらく秋さんの考える時の癖なんだろうな。といっても珍しい癖でもないとは思うけど。…よくよく考えてみたらなんで考える人たちって顎に手を当てるんだろう?なんで『考える人』のポーズを取るんだろう?


「…記憶力を鍛える方法として有名なのは、殿っていうのがやりやすくてオススメかも」

「記憶の、宮殿?」

宮殿、宮殿か〜。真っ先にイメージしたのは洋風の立派なお城、みたいなものだけど。ヴェルサイユ宮殿みたいな?世界史の資料集に載ってたっけ。一度でいいからああいう所に住んでみたいな〜…あ、でも広すぎて道に迷いそ…じゃなかった!記憶力を上げる方法だから場所のことじゃないよね!


「そう。自分の頭の中で何か……例えば、自分の部屋とかをイメージして、その思い描いた空間に自分が覚えたいことを置いてくっていう方法なんだよね」

「ふんふん。なるほど…!」

コクコクと納得した素振りを見せる。

その様子を確認した秋さんは「うーん…」とキョロキョロと辺りを見渡し、しかし手頃な何かが見つからなかったのか、「これでいいか」とさっきまで読んでいた自分の本を手に取る。

「例えば、本屋さんで買いたい本があったとして、買う前にその本のタイトルを事前に覚えたいなって時は、記憶の宮殿を使って頭の中のイメージで買いたい本を自分の部屋に置く想像をする、みたいな」

そう言いながら、持ってた本をカウンターの上に置く。

「……えっとつまり、私が例えばを記憶したい時は部屋の中にりんごを出現させるみたいな感じですか?」

「そうそう」

満足そうに彼は頷く。


分かりやすい説明に感謝し、私は色々脳内で今度のテストの範囲を使って記憶の宮殿法を試してみた。…しかしある問題に直面しその疑問点を打ち明ける。

「…けどこれ、数字みたいな概念的なものだったり、そもそも室内に収まらないものとかには使えないんじゃ…?」

そう尋ねた。

しかし彼はその質問を想定してたのか、顔色を変えることなく私の疑問に応える。

「そういう時は別のものとかに変えるのもいいと思うよ。例えば数字とかだったら紙に書いて置くとか、デカいものとかはフィギュアにしたり写真に収めるとか」

「あ、そっか…!」

部屋に置くといっても所詮は想像の中だ。だったら概念的なものでもそれをイメージしやすい物質ものに変換してしまえばいいんだ。

私はワクワク感に満たされながら、秋さんにお礼を述べる。

「こんな方法もあるんですね。ありがとうございます、秋さん!今度みんなにも教えてみます!」

そう聞くと彼は柔らかい微笑を浮かべた。

「うん。参考になったのなら良かったよ」


そんな彼の表情を見ると、まるで感情が伝播するように私まで嬉しくなってしまう。

(本当に秋さんは凄いなぁ……)

秋さんの話はとても面白くて私は好き。陽さんや夏人くんは途中で飽きてしまうらしいのだけれど。普段の仏頂面からは想像もつかないような高揚感で赤く染まる頬とキラキラと子どものように輝かせた瞳で、楽しそうに話す秋さんの活き活きとした表情が私は好きだった。


私に新しい視点せかいを見せてくれる。私にとっての宝石箱。

あの頭の中に、興味を注がれるキラキラの宝石がたくさん詰まっているんだと思うとちょっと不思議な気分になる。知識って面白い。

もし情報が触れられる物質ものになったとしたら、この部室内を満たし大洪水を起こしてしまうんだろうな、と馬鹿げた妄想をしてしまう。


(……脳?)


ふと、私は秋さんの頭部が気になった。

こういう時の私の行動は至極単純だ。なんていうかこう、脊髄反射的な。

カウンターに「よいしょ」と身を乗り出し、ぽすっと自分のおでこと秋さんのおでこをくっつけた。彼の……というより互いの熱と吐息を肌身で感じとれるほどの距離感だ。不意を突かれた相手は一瞬何が起きたか理解できなかったようだ。


「な–––––––!?」

顔を真っ赤にした秋さんは驚くような速度で後ずさり、ガタンと背後の棚に思いきり背中と頭をぶつけてしまう。

「あ––––––ごめんなさい!大丈夫ですか!?」

ぶつかった衝撃音で我に帰り、慌てて彼の安否を確認する。

秋さんは頭を手で抑えながら話す。

「いや、大したことはないから気にしないでくれ。……それよりなんで急に近づいたんだ?めちゃビビったぞ」

「えっと…今の話聞いてたら秋さんの頭部が気になっちゃって。個人によって頭の良さが変わるなら、脳の大きさにも変化があるのかなって」

「……まぁ、そんなことだろうと思ったけど。白神さんらしいっちゃらしいな」


そう言いながら落ち着きを取り戻した秋さんは両の手で握り拳をつくり、それを向かい合わせにして見せた。

「だいたいこれくらいのサイズが人の脳の大きさって言われてるらしい。…けっこう小さいよね」

「え、そうなんですか!?」

思わず自分でも拳をつくり合わせてみる。そしてそれをまじまじと見つめた。こんなちっぽけなものに私たちの記憶情報が収まってると思うと不思議でたまらない。

秋さんは私の握った拳をその鋭い瞳でひとしきり見つめたあと、とくとくと語り始める。その語り口はいつもより速く感じた。

「あまり脳の大きさに違いはないらしいからな。記憶力競技メモリースポーツチャンピオンの選手の人と、一般の人の脳の構造や機能について調べた実験じゃ、明確な差はなかったそうだ」

記憶力競技メモリースポーツ?」

聞き慣れない用語に対しクエスチョンマークが浮かび上がる。

「記憶力で競い合う競技のことだね。数字とか単語とかトランプのカードなんかを使ったりしてやるんだよ。例えばトランプの山札があったとすれば、それを上から順に記憶していって、一定時間経過したらもう一組のトランプの山札を使って最初に見た山札と同じように並べて最後に合ってるかどうか答え合わせをする、みたいな」

「うわ〜、すごく難しそう…」

思い浮かべるだけでも頭痛がしそうな内容だ。私がやってもせいぜい数枚くらいしか覚えられないだろうことは想像に難くなかった。


「…要は記憶力競技の選手の人たちが、特別な脳を持っているわけではないって話だね。努力や経験で埋められる所も多少なりとあるってことだと思う。…それでもかむり会長みたいな稀有な存在ひともいるだろうけどさ」

「確かにそうですね」

超記憶症候群ハイパーサイメシアである冠さんは、私たちとはまるで違う世界の中で生きている。彼女にかかればこの手の競技も、もしかすれば簡単にこなせてしまうのかもしれない。


「………それと、今の話とは関係ないんだけど、さ…」

「はい?」

目の前に映る彼は、いつものクールな印象が崩れているように見えた。口元を手で覆い表情を隠すようにしながら辿々しく口を開く。

「その、なんだ。……いきなり近付くのはちょっと………心臓に悪いから」

顔を紅潮させながらそう言った。


 ・ ・ ・


夕食を終え入浴も済まし、部屋着に着替え、まだ僅かに火照ったその身体で自室に戻り、ベッドの上に腰を下ろし一息入れる。


部屋に置いておいたスマホを取り出し電源を入れると、陽さんから通知が届いているのが分かる。どうやら明日、部室で話したいことがあるらしく、放課後に集合できるかの確認らしい。


(こうやって確認するのは珍しい。何か大事な話でもあるのかな…?)

液晶を軽やかにタップし、『行けます』という旨を送信する。

「これで、よしっと」

向こうに送信されたことを確認し電源を落とす。


明日も部活かぁ、と私は一足先の未来へと胸を膨らませる。

この部活は楽しい。私的な表現をするなら宝箱の一つだ。

私からすれば他人の悩みというのも、不謹慎かもしれないけど言ってしまえばとても興味深いものだ。人によって悩みは変わる。その姿形は三者三様、全然違う。それは未知の世界であり、その人の形成する世界の断片なのだ、と最近の私はそう思っている。それらを間近で見れる喫茶研究部はまさに私にとっての宝石箱そのものだ。

と言っても当然、毎日誰かがやって来るわけでもないし、その時は秋さん達との雑談に花を咲かせるのが今の私たちの日課だ。


(明日、秋さんもいるのかな………)

(あれ)


気付けば彼のことを考えている、そんな自分に違和感を感じる。無意識だったとはいえ、彼の一見無愛想な表情が脳裏に浮かぶ。

(秋さん……部活……学校…………)

そしてそれに紐付いてかまで呼び起こしてしまった。




…この前、学校の廊下でたまたま秋さんとすれ違ったことがあった。

(あれ、秋さん。次の授業、移動教室なのかな?)

そう考えながら見つめていると、向こうも私に気付いたらしく目が合う。私は挨拶のつもりで彼に手を振った。

秋さんは少し戸惑っていたものの、不器用そうに小さく手を振り返してくれた。その表情は少し照れているのか、頬がほんのりと赤くなっていた。

そして踵をかえすと、行くべき方向へ足早にそそくさと行ってしまった。


(…なんか可愛い)

クスリと小さくほくそ笑む。

そんな私の横を、男女のグループが通り過ぎる。彼らは秋さんの方をチラ見するとクスクスと笑みを浮かべていた。私のとは違う冷ややかな笑みだ。

「あいつ、なんかめっちゃきょどってなかった?」

「あー、あれでしょ。朱城さんと縹くんとよく一緒にいる奴っしょ?確かつるばみくんだっけ?なんか無愛想で気味悪いよね〜」

「マジそれな。何考えてんかも正直分かんないしな。…確か喫茶研究部って部活で活動してんだっけ。噂では悩み相談室、的なことをやってるらしい」

「え、でもそれあの橡くんもいるってことでしょ?縹くんならまだしも、あんなのに相談とかムリムリ!だったら死んだ方がマシだって!」

「んだよお前、夏人狙いかよ〜!」

ギャハハと笑い飛ばしながら、そのまま教室の中へと入っていった。


「………」

私は今、どんな表情かおをしているだろう。

怒りか悲しみか、けど苦しいのは分かる。きっと今の顔を秋さん達に見られたら心配をかけてしまうだろう。

『風の噂でね。…でもあんまりいい噂ではないんだけど…』

小夜ちゃんの言う通り、秋さんの印象は周りから見てあまり芳しくない様子だ。けど実際に対面してみると全然違くて。

小夜ちゃんも晴ちゃんも、秋さんと喋った後で最初に抱いた人物像とは違ったと私に話してくれた。多分、気を遣ってくれたのかな。

(秋さんはみんなが思うような人じゃないのに、な……)

私が何か力になれれば良いのだけれど、今の私に何ができると言うのだろう。

校内の廊下の中、私は途方に暮れたように外の光が差し込む窓の方を、ただ茫然と眺めることしかできなかった。




––––––私は悪い記憶を払拭する様にかぶりを振り、そのままベッドの方へと身を預けるように倒れ込んだ。

そしてそのままゴロンと仰向けになり、見慣れた天井を無意味に眺める。

そして考えた。


私は、秋さんに助けられてきた。

私が、私のままで良い理由をくれた。

新しい世界を教えてくれた。

私は彼から、色んなものを貰った。

心が、優しい温もりに包まれるのを感じる。


こんな時、何か恩返しができたら––––––


(………いや、多分、それは違う)

チクリと胸が痛む。そして冷や水を被せられたように頭が冷えていく。

それはきっと、私にとっての都合の良い理屈エゴだ。私がただ秋さんと近くにいたいってだけの理由作りでしかない。


以前私はみんなと一緒に、夕虹くんが小夜ちゃんに告白する所を見届けてたことがあった。夕虹くんにとってはちょっぴり残念な結果になってしまったが、私はあの時、ある気付きを得たのを覚えている。


『––––––恋愛、かぁ……』


思わず口に出してしまうほどだった。

あの告白を見たことによって、私の気持ちが今ならちゃんと理解できた。納得いく形になった。


私はあの公園での出来事の時から、秋さんのことを気にはなっていた。でもそれは私の中の好奇心がくすぐられたのだとばかり思っていた。いつものことだと。…いや、その頃は本当にそうだったのだろう。けど最近は、色んな人とコミュニケーションを取るようにはなって、どうやらそれらのとは少し違うということに気付いた。


––––––もっと特別な感情。


(秋さんのこと、好きなんだ……)

今、私はどんな表情かおをしているのだろう。

しかし見なくてもある程度の想像はついてしまう。

(頬が熱い)

でもそれは湯上がりのそれとは少し違う。

(胸がドキドキする)

特別な想いを理解することで、その答えにまず身体が反応してしまう。

そして私の世界は、新たに一歩を踏み出そうとしているのを私自身、予見していた。

(……こんな顔、見せられないよ)



––––––私は生まれて初めて、恋をしていた。


 ・ ・ ・


想像してしまった。

重ねてしまった。

もし、あの告白の場面が小夜ちゃんと夕虹くんではなく、私と秋さんの組み合わせだったら……なんて馬鹿な妄想をする。

そう考えるだけで、顔の火照りがだんだんと増していくのが分かる。


『ごめんなさい』


小夜ちゃんの申し訳なさそうな、押し出すような声が私の脳裏にチラつく。

橙色に染まる林の中、夕虹くんの途方に暮れた姿。今でも鮮明に思い出せる。


もし、あそこにいたのが私で。

あの場から去っていったのがだったら。


…もし断られたらと思うと––––––

『––––––ごめん、白神さん』


そこで途切れた。

「––––––––………夢?」

目が覚めると馴染み深い見知った天井が視界に入る。寝た姿勢のまま、眠る前に横に置いておいたスマホで時刻を確認するとちょうど午前3時を回っていた。


寝苦しかったのか、少しだけ体が汗ばんでいる。ペタペタとひたつく服の感触が気持ち悪い。


家族を起こさないよう、なるべく音を立てないようにそっと部屋から抜け出し、キッチンまで移動する。冷蔵庫からペットボトルに入った冷たいお茶を取り出しコップに注ぎ、コクコクと喉を鳴らしながら一気に飲み干す。

「………」


もし秋さんと恋仲の関係になれば、それはきっと新しい世界をこの目で見ることができるのだろう。


もっと色んな秋さんが見てみたいな。

私は彼のことをほとんど知らない。


そう思う私は欲張りかな。


けど少し怖かったりもする。深入りすることによって、もしかしたら秋さんに避けられるかもしれない。…いや、最悪嫌われるのかもしれない。


でも私が前を向けるようになったのはあの人がいたからなんだ。

だから、今度は私が……。


「頑張るぞ〜…」

静かに自分を鼓舞する。


そんな恥ずかしい醜態を家族に目撃されるまであと5秒––––––


 ・ ・ ・


「ふぁ……」

重たいまぶたと泥のように鈍い脳をどうにか働かせ、そんなこんなで気付けば放課後を迎えていた。生徒たちは各々帰り支度をしながら話したり、部活の準備などで教室内で賑わいをみせていた。

陽は鍵を取りに行くために職員室へ一目散に向かっていった。取り残された俺と夏人は、荷物をまとめ一足先に外にある部室に歩を進めた。

「……秋?今日はなんかずっと眠そうだな。寝不足か?」

ヒラヒラと俺の前で手を振る。

「ちょっと考え事してたらな」

「ふーん………あ、もしかして白神ちゃんのことか〜?」

「うるせ」

とニヤニヤしている夏人を細目で睨みつける。

おそらく夏人のことだから適当に言っているだけだろうとは思うのだが、いかんせん的外れというわけでもないので内心ハラハラした。




…部室前まで来ると既に霞くんも到着していた。俺たちの存在に気付くとぺこりと一礼する。

「こんにちわ。先輩方」

「よっす」

「…もしかして、霞くんも陽に連絡を受けて?」

「言ったろ。全員集合だって」

「あ、陽先輩」

霞くんの視線が背後の方に向いたので振り向けば、穏やかな春風に金色の髪を靡かせた陽が現れた。

「……あれ、深冬ちゃんは?もういるもんだと思ったが……」

「白神ちゃんなら、もうそろ来るんじゃね?………あ、ほら」

と遠くを見据えると、確かに見覚えのある人影が校舎から出てきたのが確認できる。その足取りは少しふらついていて、というよりなんだか綿毛のようにフワフワしており文字通りそのままどこかへ飛んでいってしまうのではないかという危うさを感じられる。

「深冬ちゃーん!!」

「むぐ」

待ちきれなかった陽が弾けるように駆け出し白神さんに抱きつく。そんな勢いで飛びつかれ、華奢な体躯の白神さんが無事なのかどうか一瞬ヒヤヒヤしたが、どうやら穏便に済んだように見える。

「ふわぁ、陽さん。こんにちわ〜」

まるで干したての布団に抱かれたかのような、ほんわかした白神さんが陽の肩から顔を少し覗かせる。その目はなんだか虚ろで、夢幻の世界に思いを馳せているような様子だ。

……というより、

「もしかして白神さんも寝不足……?」

「––––––………んん」

その瞳の中に俺の存在が入るや否や、目をパチクリさせ次の瞬間、

「………ゎ!?」

爆ぜるように陽の胸から勢いよく離れた。

原理は不明だがどうやら今ので目が覚めたらしい。そんなに変な顔でもしてたか、俺。ほんの少し傷ついた音が胸の内から聴こえた気がした。

「えっと………おはようございます」

一方で白神さん、そんなことは露知らずついさっきまでのやり取りが恥ずかしかったのか、白肌の中に薄くピンクに色づいた顔でそう再び挨拶した。彼女の赤い瞳は俯き、こっちとはまるで視線が合わない。

そんな白神さんの様子に俺はふっと苦笑する。

「…もう、こんにちわの時間だけどな」

(大丈夫……自然に振る舞えてる)

顔に出なくて良かったと俺は思った。

いつもの和やかな空気が流れるのが肌身で感じる。

俺は心から安堵した。




部室に入り、各々が自分のペースでくつろぎ始める。今日は霞くんがコーヒーを淹れてくれるとのことなので、今回俺は邪魔にならないようカウンター席の方に腰掛ける。その隣では白神さんが腰掛けている。

「…勿体ぶるなよ、陽!結局のところ、なんで俺ら全員を集めたんだ?」

夏人は今座っているソファの位置から、室内をうろうろと彷徨う陽を視線で追いながらそう切り出した。

陽の足取りがゆっくりになり、やがて止まる。

「んーそうだな。そろそろいい頃合いだろう……」

と陽はわざとらしい口振りだ。

皆の視線が彼女に注目する。

そしてそれを歓迎するように陽はいつもの不敵な笑みを浮かべる。こういう時の彼女はいつだって誰よりも楽しそうだ。

そして言った。

「––––––次の週末に、喫茶研究部は合宿を始める!」



––––––波乱の予感がする。そんな思いを秘めながらただ呆然と陽を見つめていた。


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