第8話[夕虹日暈の決断]

「おーい、橡くーん!」

放課後、後ろの方から声をかけられ、そちらの方を振り返る。

すると、とある男子生徒が息を切らしながら、俺のいる所までやって来た。そして自身の身につけている眼鏡の位置を直す。

「探したよ、橡くんっ」

「お、夕虹くんじゃん。なんか久しぶりだな」

目の前にいる人物に声をかける。彼の名前は夕虹日暈ゆうにじひがさ。クラスは別々だが同じ学年の生徒で、現在はゲーム部の部長を務めている。

そこそこ整った暗い青みがかった緑の髪に眼鏡と、まるでガリ勉タイプの見た目をしている。実際彼も真面目で誠実的な人物でもあるので、あまり違いはない。


「どったの?部室じゃダメなことか?」

「いや、この話を陽の奴に聞かれると絶対面倒なことになるからな。だからササっと済ませたい」

そう言いながら、時折チラチラと周りを警戒している。何か重大なことでもあったのだろうか。

とはいえ、こんな廊下のど真ん中にいれば、いつ陽が来てもおかしくはない。早々に移動しようとすると––––––


「あれ、秋さん。部室に行かないんですか?」

「あ、白神さん」

「え」

気付けば、白髪はくはつパーカー女子が近くで俺たちの一見怪しいやり取りを、不思議そうに眺めていた。

夕虹くんが白神さんの存在を認識するや否や、俺にヒソヒソと小声で耳打ちしてきた。

「つ、橡くん。白神さんと知り合いなのか?………まさか、入部したのか。喫茶研究部に!?」

「まぁ、そうだけど……だったらなんなんだよ」

「いやいやいや、だってあの白神深冬さんだぜ?ここ最近うちの学校の男子共が注目している今話題のトレンド女子じゃんかよ」

「SNSかな?」

普段、部活等で一緒にいる機会が多いから感覚が麻痺していたが、彼女は今や校内のトピックのひとつである。その白神さんが謎の部活に入部しているのだ。彼が驚くのも無理はない。


そんな事はお構いなしに、ズイッと白神さんがさらに詰め寄った。それにより女子特有のふんわりとした心地良い香りがさらに濃くなる。

「なんか秋さんと夕虹くんが一緒にいるのって珍しいですね。というか面識あったんですか?」

俺と夕虹くんの顔を交互に見ながら訊ねる。


「前に夕虹くんがうちに相談しに来てたことがあってな。てか白神さんこそ、知ってるんだな」

「そうですね。同じクラスメイトですし。たまに夕虹くんがやってるゲームの話とか聴いてるよ。けっこう面白そうなんだよね〜」

「あはは…ありがとう」

照れくさそうに、頭を掻く。

……あ、なんだろう。今のやり取りを見てるとなんかモヤモヤする……。


ふと、ハッと思い出したように夕虹くんが話を戻した。

「待て待て!こんな所で油売ってる場合じゃない。陽に見つかると面倒だから、一旦こっちで–––––––」


「私が………なんだって?」

「………ひえ」


いつの間にか陽が既に背後にスタンバイしていた。こういう時の彼女は、打ち合わせでもしてんのかってくらいタイミング良いんだよな。長居し過ぎたのが原因でもあるけど。そして陽の隣に夏人もいる。もう夕虹くんに逃げ場は無かった。


「よぉし!新ネタ入りましたァ、よいしょ〜!よし夏人、足を持て」

「あいあいさ!」

「手際良すぎだろ。職人さんか?」

「は、離せっ!やめろっ引っ張るなぁ!」

ズルズルと引きずられる夕虹くんを見ながら、俺たちはそのまま部室へ向かっていった。


 ・ ・ ・


元幽霊屋敷の部室に入ればコーヒーの香ばしい香りが立ち込めている。既に霞くんが到着しており自分のコーヒーを作っていたようだ。


いつの間にか拘束から解放された夕虹くんが、すでに観念したのか、抵抗することもなく部室に足を踏み入れた。

「へぇ、初めて入ったけど、結構お洒落だなぁ……あ、ども」

カウンター内にいる霞くんに軽く挨拶する。

「見た目はあれだが一個下の後輩だ。仲良くしてやってくれ」

「ちょっと、陽先輩?」

そんな怒気を含んだ眼光はどこ吹く風といった様子で、陽はドカッと思いきりソファに腰掛けた。


「さぁさぁ、本題と行こうぜ日暈ひがさ〜。お前は何を悩んでいるんだい?」

「もう悩み聞こうとしてくる人の顔じゃないよそれ。めっちゃ圧かかってんだけど」

と言いながら、夕虹くんは陽と向かいのソファに座り込む。

「どうせお前のことだ。私に隠れてってことは恋愛相談とか、そっち系の話なんだろ〜?」

「え、ど、どうして分か––––––あ」

ニタァ〜と陽は悪い笑みをこれでもかと浮かべていた。

ホント性格悪いな、コイツ。


「い、いやいや。そういう話じゃなくて、あー、あれだ。どうしたらもっと身長伸びるかなーって」

「ちょ、どうして僕を見ながら言うんですか!しばきますよッ!」

突如飛び火を受ける霞くん。マジでドンマイ。


「まぁー、ここまで来たら素直に喋った方が良いんじゃない?こうなった陽はそう簡単には解放してくんないよ。それは日暈くんもなんとなく分かるっしょ?」

と彼の肩に手を置きながら、夏人が言った。

「………分かった。話す、話しますよ。とりあえず喉乾いたんでコーヒーお願いします。話はその後で」

半ばヤケクソ気味に夕虹くんはそう言った。


 ・ ・ ・


「そういやこの前、日暈くんの言ってた通りにゲームやってみたら能力のレベル上がったんだよ。マジサンキューな!もしあれなら今度一緒にやろうぜ。もっと色々教えてくれよ」

夕虹くんの背後から、身を乗り出すように夏人が話しかける。

「あぁ別にいいけど。けどはなだくんなら俺が逐一レクチャーしなくても上位ランク帯に行けるんじゃないか?」

「そう水くさいこと言うなよ。別に勝ち負けもある程度大事だけどさ、それよりも楽しくやるのが1番っしょ?楽しくできれば何事も後から上達していくもんだしさ。一緒にやったほうが絶対面白いって!」

ニッと夏人は人懐っこい笑顔を見せる。


確かに夏人の言う通り、楽しいという感情は、創造性を高め意思決定の速度を上げ、フロー状態に近い集中力を生み出すと言われている。ゲームやスポーツなら尚更なおさら上達の速さを加速するキーになるだろう。


夕虹くんは視線を泳がし、照れくさいのを誤魔化すように頭を掻く。

「……うん、分かった。じゃあ一緒にやろうぜ。……あと、ありがとな」

「おう」


そして俺の視線に気付いた夏人がこっちを見据え勧誘する。

「なんなら秋も一緒にやろうぜ。面白いぞ〜」

確か前に夏人が徹夜でプレイしてたゲームだったか。

COCコスモス・オア・カオスだっけ?面白いのか?それ」

「そのゲームにログインするとさ、1人ひとつ、ランダムに能力をもらうんだよ。それを使って他のプレイヤーと戦うゲームなのさ。頭使ったりもするし、結構難しいんだけど楽しいよ!デバイスがなければ一応部室に何台かあるけど貸そうか?」

さすがゲーム部。夕虹くんのいる部は、ゲーム部とは言ってもその主な活動はVRのCOCをプレイすることだ。VR世界を体験するデバイスもしっかり用意されているのだろう。


ありがたい申し出だが、俺は丁重に断ることにする。

「いや、俺はパスで。また別の機会にってことで」

「あーそうか。それは残念」

と夏人が本気で残念がる様子を示す。

別に俺がそのゲームをやった所で何か特別なことがあるわけでもないだろうに……。


そうこうしているうちに、霞くんがコーヒーを完成させたようだ。

「話を中断させるようで悪いですけど、コーヒーできましたよ」

「げ、意外と早い」

霞くんが持ってきたカップは、出来立てなのを証明するかのようにゆらりと香り高い湯気が立ち上っていた。

それを待ってましたと言わんばかりに陽は上機嫌になっている。

「さ、話を聞かせてもらおうか?」


その表情にげんなりし、受け取ったコーヒーを一口すすると、何か思うことがあるかのように黒い水面を見つめていた。

「………最近、ちょっと良いなって人がいてさ」

「で誰だいソイツは、さっさと教えなさい!」

「私もすごく気になります」

陽と白神さんが目をキラキラ輝かせながら詰め寄る。この2人マジで似たもの同士だな。それとも女子だからこういう話に対して敏感なのか?すげーな女子レーダー。飢えた獣でもこうはならないんじゃないか?

そして、ポツリと彼は白状するように言った。


「………時雨さん………」


「……え、時雨さんって、時雨小夜しぐれさよちゃん?」

確認するように夏人が再度訊ねると、夕虹くんは首を縦に振った。

それを聞くと陽は夕虹くんの肩にポンと手を置き、

「悪いことは言わない。諦めろ」

とそう言いのけた。残酷か。

「そんなあっさり!?」

「高嶺の花って言葉をお前さんは知らんのか?小夜ちゃんが高嶺の花それなら、お前はアスファルトに転がる石ころなんだよ」

「俺、植物ですらないのか!?」


「でも確かに男子に人気あると思うんですよね、小夜ちゃんって」

「うんうん。俺も少しだけ話したことあるけど、根は真面目で良い子そうだしね〜」

「そうそう!」

と白神さんと夏人の2人のほんわかした空気が盛り上がってきた。


それを横目で流しつつ俺は訊ねる。

「てかどうして最初、俺に相談しようとしたんだ?正直、こういうのはまるきり専門外なんだが?」

「いや〜最初はさ、同じ部のみんなに相談したんだよ。けど、あんまし参考にならなかったから、他に聞ける相談相手をと考えてたら橡くんだけだったんだよ。色々知ってそうだし、もしかしたらと思って。…まぁ陽に聞かれると絶対からかってくると思ったから内密に相談しようと思ったんだが……」

それで今に至るというわけか。確かに陽はこういうの、悪いようにはしないが面白がるタイプなのは間違いない。てか、サラッと流したけど、部員の人に話して参考にならなかったってひでーな。


「頼む、橡くん!好きな人に好かれる方法とか、モテる方法とかなんか知ってたら教えてくれ!」

「それ知ってたら俺自身、今頃友達100人、恋人100人作れてるだろ」

あ、なんか自分で言っててダメージ受ける。

そして突っぱねるように俺は言い捨てる。

「ていうか、そういうのは自分で考えてやれよ。外野で経験もない奴に聞いた所で気休めにしかならないんだからさ」

「気休めでもいいからさぁ〜」

と泣きついてくる。


彼はこんな感じだが、結局のところ恋愛というのは本人らがどう動くかで決まると俺は考えている。

恋愛は当事者の問題であって、俺たち外野があの手この手でアシストないしサポートをした所で本人たちが舞台ステージから降りればそれまでなのだ。逆を言えば、貪欲に自分の意志を貫けばチャンスはあるかもしれないし、可能性はゼロにはならないかもしれない。仮に自分の好きな人には、実は別の想い人がいたとしても、アタック次第ではどう転ぶかは分からない。

恋愛とは人間関係の延長線上の出来事であり、両者の人間関係が育まれない限りはその恋もそれきりなのである。


「そもそも夕虹くん、いつから小夜ちゃんのこと好きになったの?」

覗き込むように白神さんが訊ねる。その吸い込まれそうな赤い瞳に気圧され彼は一瞬たじろぐ。

「…初めて会った時から『ちょっといいな』くらいは思ってたよ。でもああいう子は俺には届きそうもないって思ってた。陽の言う通り、俺は辺境の石ころ同然だとも思った。でもある時さ––––––」

その時の光景を振り返るように彼は語り始める。


ある日、体育の授業中にバスケットボールが顔面に命中してしまい、鼻血を出してしまうという、それはそれは絵面的にはかなり悲惨なことになってしまったらしい。そんな中、夕虹くんを保健室へ連れて行き、手当てしてくれたのが彼女だと言う。


「その時思ったんだ。時雨さんは、そんな石ころの俺のこともちゃんと見てくれてるんだなって。普段話すわけでもないし特別仲が良い訳でもないんだぜ?マジで天使かと思ったよ。そう思った時にはもう……うわ、自分で言ってて気持ち悪いわ、今の俺」

「うんうん。青春してるなぁ」

ニタニタと夏人が腕を組みながらほくそ笑む。

「おい、その顔やめろぉ。くそ、だから言いたくなかったのによ…」

ぐぬぬと悔やむ夕虹くんの様子をよそに陽が俺に揶揄するように言う。

「で、それを聞いてうちの唯一のブレインこと秋さんはこれをどうするかね?」

「いや、どうするも何も……」

チラリと夕虹くんを見ると、捨てられた子犬みたいな顔をしていた。やめろ。そんな顔をするな。そうまで頼られるとそれに応えたくなっちゃうだろ。

俺は深くため息を吐いた。


 ・ ・ ・ 


結局、俺たちは夕虹くんの相談を受けることにした。各々がコーヒーを片手にそれぞれの席でリラックスしながら案を捻り出す。

「えっと、まず夕虹くんと時雨さんをくっつければ目標達成ってことでいいんだよな?」

夕虹くんが無言で頷く。


「……あー、とりまどうすりゃいいんだ?」

うーんと思案する陽の隣で夏人が「あっ」と何か思いついたように口を開く。

「じゃあさじゃあさ、日暈くんが超絶カッケー男になればいいんじゃね?そうなりゃ好きな子も振り向いてくれるかもよ」

「最初からカッコよかったらここ来ないって…」

と残念過ぎるセリフをため息混じりに呟いた。

俺はその様子を眺めながら、夏人の言葉の意味を考える。

「あ、もしかして今から夕虹くんを魔改造するってこと?」

「え、なにそれ怖い!?」

「いや、まぁ、そこまでのことはしねぇけど外見の印象はやっぱり重要だと思うんよ。まず人に好かれたいってなら清潔感は特に大事!不潔な身なりは好かれる以前の問題だしな」

「ふんふん、常識的な話だよな」

爽やか成分100%の夏人が言うと説得力があるな。


一口に清潔感と言っても様々だ。服装のシワや毛玉だったり、男子ならヒゲ、爪、ニキビ等が挙げられる。この辺りは最低限のことであり、TPOみたいなものだ。何かの記事で読んだが、モテない人の特徴を調べたとある調査では、『不潔で服装がだらしない』という項目が1位にランクインしたそうだ。しかもこれは、にも当てはまるとのことなので、いかに身なりを整えるのが大事なのかが良く分かる。


「それで言うなら精神的な印象だよな。やっぱコミュ力あって自己肯定感高そうなオーラ出てると『コイツできる…!』って思われやすいだろうしな。あれだ、余裕のある男っていう感じっていうんかな?」

「うわ〜、それは確かに。時雨さん、そういう人好きそうだしなぁ…」

夕虹くんの中では解釈が一致したらしく、うんうんと力強く頷く。

「ちなみに陽はそういう人に惹かれたりは?」

「私を落とすにゃ遠く及ばないな。チェンジで」

「ですよねー」


そんな陽の趣味はともかく、印象というのは重要なポイントのひとつには違いない。これはさっきの清潔感と同じことが言える。

特に第一印象はそのあとで評価を変えることが難しい。つまり、良い印象ならその評価を維持しやすくなり、逆に悪い第一印象はそれを維持し続けてしまうのだ。ある実験では、その影響は半年経った後でも残っていることが判明している。いわゆるハロー効果というやつだ。


「あとあれだよな。筋肉が多少なり付いてるとモテるっていうよな。シルエットも綺麗に見えるし健康的だし」

「あー確かに。逆に細身だったり猫背気味の骨格だったりすると、全然印象違って見えるよな」

「そうそう」


モテの要素には、必ずと言っても良いほど筋肉が求められる。少なくともガリガリの骨と皮だけみたいなやつは好まれにくいということだ。特に上半身の筋肉はしっかり鍛え上げることで、服越しでもその輪郭があらわになるため、女性目線からは魅力的に映るらしい。


しかし霞くんは納得いかない表情をしている。

「でも背伸びし過ぎると、逆に引かれるなんてこともありません?ナルシストっぽいというか……僕が女子の立場なら嫌ですけどね」

「なるほどな。さすがいつも背伸びする奴が言うと説得力あるなー」

「人の外見をとやかく言うのはNGですよ」

「まぁ、でも霞の言いたいことは分かるぜ。私、通学は電車使うんだけどさ、たまにいるんだよな。窓に反射する自分とか、スマホのカメラ機能使って、前髪とか直す奴。見ててイタイなって思うわ。誰もお前の前髪の位置なんて気にしねぇよって。なんつーか、そこじゃない感がすごいんだよな」

「アレだよ。モデルとかアイドルなんだろ、きっと」

「私はむしろそれを気にして直す理由を追求してみたいですね。あ、悪い意味じゃなくて興味本位なんですけど」


「あのーちょっと、皆さん、話ズレてません?このままだと『アンチ・ナルシスト・座談会』になっちゃうんですが……」

「あーそうだったな。えっとなんだっけ?日暈がアイドルデビューする話だっけか?」

「違うわッ。それはもっとイタくなる話でしょーが」

「まぁでも真面目な話、ここまでのは正直、不特定多数に好かれる方法であって、今回のターゲットは時雨小夜ただ1人。勝利条件は小夜ちゃんを落とす一択だ。実際の所、小夜ちゃんって好きな人とかいたりするのか?」

「うーん……。小夜ちゃん、あんまりそういう話しないんですよね。むしろ私の方に矛先が向くことが多くて…あはは」

「ほぉ、それはぜひ詳しく」

「おいおい、まーた話がそれてるぞ?」


ピンと頭の中の電球が光った。

「あ、それだったら、今度、時雨さんとそういう女子トークをしてさ、さりげなく聴きだせばいいんじゃないか?」

「おぉ、ナイスアイデア!」

「なんか探偵みたいですね、こういうの」

「言われてみれば確かに…」

霞くんと白神さんが互いにその認識に同意する。


彼の言う「探偵」という表現は、ある意味しっくりくる。以前、部員がまだ3人しかいなかった頃、それこそ探偵っぽい依頼をお願いされたこともある。〇〇先輩には彼女がいるかどうか訊いてきてほしいとか云々。まぁそんなことは今はどうでもいいのだが。


「とはいえハイリスクハイリターンでもある。これでもし仮に時雨さんが好きな人がいるって分かった場合にはどうする」

「まぁ、好きなそういう人がいるってなら大人しく引き下がるしかないよな。……でもチャンスがあるならやるだけやってみようとは思ってる」

どうやら本気で彼女のことを好いているようだ。眼鏡越しに見えるその瞳からはその真剣さが窺える。


「良いね。嫌いじゃないぜ、そういうのっ」

陽はいつもの不敵な笑みを浮かべそう言った。


 ・ ・ ・


「いただきまーす!」

カウンター席に座る4人の女子高校生が各々の前に置かれたスイーツにありつく。

「美味し〜っ!」

白神さんがケーキを頬張りながら、幸せそうに食べている。

その隣で時雨さんも一口。

「ん、美味しい…」

口元を押さえながら、感想をもらす。

「小夜〜。一口ちょうだい〜」

「もぉ、しょうがないなぁ。その代わりそっちのも一口だけ頂戴」

「えへへ、ありがと!」

と女子たちの和気あいあいとした雰囲気が部室内にこれでもかというくらいに充満している。ここが部室じゃなきゃカフェで普通にガールズトークしている女子高生達にも見える。……眩しい。

そして、なぜかこの会に1人、不純物が混じっていた。そう、俺です。


––––––時は数分前に遡る。


陽が「ケーキを皆で食べようぜ」という趣旨のもと、白神さん、時雨さん、皐月さんの3人を連れてきた。そしてなぜかさらに俺1人が、この場に招集されていた。以前、白神さんが2人を連れてきた時も、全力で空気になろうとしてた記憶が蘇る。こういうことを考えるうちは、喫茶店のマスターなんかには到底務まらないだろう。


一度、陽を2階に呼び出し小声で話す。

「おい、なんで俺までいなきゃいけないんだ?帰ってもいいか」

「え、や、コーヒー淹れる人居なくなったらお茶会にならんじゃん」

「うわ、なんか急に正論言われて少し腹立つな」

喫茶研究部で、後片付けまで含めコーヒーをドリップできる人物は俺と霞くんだけだ。しかし霞くんは今日お店の手伝いということでここにはいない。そうなると、コーヒーを淹れられる人物は俺のみとなる。


「…分かった。じゃあコーヒー淹れたら2階で–––––––」

「いやいや待て待て。お前も参加するんだよ」

けろりとした表情で言った。

「いやいや…それじゃあ女子会じゃなくなるだろ」

「参加させたい理由はたったひとつ、人間観察に関しては私よりプロだから。これ一択!」

「なんかあんまり嬉しくないな、それ」

それじゃあまるで俺が暇人みたいじゃないか。いや、そこまで間違っていない気もするけど。読書は俺にとって大事なことではあるが、他者から見ればまた違ったものに見えるのかもしれない。そういう意味では、暇人に見えても仕方のないことだ。

「まぁまぁ、これも経験の一貫だと思ってさ。それにさ、日暈の件、応えてやりたいんだろ。お前的には」

「………まぁ」


よく陽や夏人が部室に友人や相談者を連れてくる時があった。その時に俺へと向けられる視線は大なり小なり棘を含んだものばかりだった。

夕虹くんはいいやつだ。初めてうちの部に来た時も、彼は俺を見てもそういう含みを持った目を向けることはなかった………ように見えた。

だから、彼には報われてほしいと思っている。

夕虹くんの力になりたい。

「…分かったよ。とりあえず居るだけ居るよ」

「よし、じゃ、始めようか!」


–––––––そうしたやり取りが終わり、そして今に至っている。


多分女性専用車両に無理やり入れられたら、こういう感じなんだろうなと思う。俺は明後日の方向を見ながらむず痒しさを感じつつもガールズトークにそっと聞き耳を立てていた。


「こういう時はさ、恋バナをするのが定石だろ。私みんなの話聞きたいなぁ。ねぇ?小夜ちゅわーん」

「えぇ!?んー、でもぉ……」

頬を若干赤らめながらチラチラと俺の方を見る。そんな目を向けられると申し訳なさで冷や汗ダラダラなんだが…。

「あー私が呼んだんだよ。今コーヒー淹れられるの秋だけだからな。まぁ口は堅いヤツだから気にしないでくれ」

「あ、はは……お、お構いなく…」

正直今すぐにでも抜け出したいところだが、陽の目が怖いので大人しくしておこう。


「…まぁ、陽さんがそういうなら良いですけど」

どうやら穏便に済んだようだ。すげーな、陽の顔パス。こいつが許可すれば女子会に混ざれるのかよ。皐月さんもこれと言って特に気にしてない様子だ。白神さんは……少し驚いてるようで目をパチクリさせている。


「なぁなぁ、気になる男子とかいないのか〜?お姉さんに教えてくれたっていいじゃんねぇ〜」

「いやいや、今のところそういう人はいないけど…」

「えーそうなのか?好きなタイプの人がいない的な?」

「え、うーん、どうなんだろう?」

「あ、小夜ちゃんってどういう人がタイプなの?」

「あぁ、私も聴きたいなぁ小夜ちん」

「教えて教えて小夜〜」

3人にずずいと詰め寄られる。


「うえぇ、な、なんだろ……優しい人、とか?」

「そういうのはもうデフォじゃん。なんかこう明確な分かりやすいのはないのか?……じゃあ、晴ちゃん!なんかあるか?」

「えーとねぇ、あ、でもアウトドア系の人とかちょっといいなって最近思うなぁー。体育会系とかいいよね」

「あーね、ほどよく筋肉質なとことかなぁ。分かるわぁ」

「晴ちゃん、筋肉フェチとかそういう?」

「うーん、あんまり深く考えたことはないけど、無いよりは付いてた方がカッコいいなって」

「ま、確かになぁ。分かりましたか?秋ぃ」

「おい、急に俺に話題を振るな」


「んーでも、そういうので言うなら、私、年上の人とかはちょっと良いかなって思う」

「へー意外。同年代じゃないんだ?」

「うん。なんかこう精神的な支えというか、余裕のある感じがいいな〜って」

3人が「あ〜」とそれぞれが頷き、自分の発言が恥ずかしくなったのか、顔を赤らめ「やめてよ」と言いながら手で覆い隠す。

「あれだ。仕事バリバリこなせる系の人とか結構好きだろ?んで、家だとゴールデンレトリバー的な温厚な性格の感じとか」

「あー、うんうん。そういうの結構私の理想かも」

こくこくと頷き、それに合わせてポニーテールの髪も揺れる。


「ねぇねぇ。ちなみに陽ちゃんはどういう人がタイプなの?」

「えー私かぁ。けっこう理想高いかも。自分よりスペック高い人とかかな〜」

「それはかなり高くない!?」

3人が驚く中、俺は心の中から、今現在部活の助っ人に励んでいるであろう夏人に応援の念を送った。


「じゃあさじゃあさ。深冬みふちゃんはどーなの?どんな人タイプ?」

「え!?」

ついに矛先が白神さんへと向いた。白神さん超焦ってるし。

「ええっとぉ––––––」

チラリと俺と一瞬だけ視線が合い、反射的に顔を背けてしまう。

(…なんで今の流れで俺の方見たんだよ)

そういうことするから勘違いしそうになっちゃうんだろうが。

……もう視線を戻せないな。

今彼女は何処を見ているのだろう。


「––––––お、面白い人、とか?」


そういうと3人はそれぞれ頷きながら納得の表情を見せる。

「確かに一緒にいて楽しい方がいいもんなぁ。うんうん」

深冬みふちゃんらしい答えだね」

「うぅ、恥ずかし……」

頬を紅潮させながら、縮こまってしまう。



そしてその後は、陽も特に探りを入れることもなく、彼女たちの女子会は平穏に幕を閉じた。


 ・ ・ ・ 


翌日の昼休み、再び夕虹くんが部室に顔を出しに来た。理由は明白だ。

「それで、その……ど、どうだった?」

緊張しているのが、こっちにも伝わってくる。


女子トークを振り返るように陽は話を切り出す。

「私としては、好きなタイプに関しては日暈の努力次第だと思うな。あと、今のところ、好きな相手はいなそうだったな」

夕虹くんの表情から緊張が解け、僅かに緩んだ。

「ただ色恋沙汰に関心が強いかと言われれば、そうは感じなかったな。なんか今のままでも良いっていうか……秋はどうだった?」

「俺も陽とほとんど同じ意見だな。まぁ見た通りの人というか……」

「というと?」


「まず時雨さんは、恋愛というものを人生の重要な選択肢として考えてる可能性がある。端的に言えば重く考えてると言うか……。夕虹くんも時雨さんが遊びで誰かと付き合うような人ではないことは見てれば分かるだろ」

「そりゃ、まぁな」

俺はもっともらしく腕を組んで話を続ける。

「あくまで予想だけど、容姿よりも中身とかを重視する傾向があるのかも。例えば、一緒にいて楽しいとか落ち着くとか、悩みを打ち明けられるとかだったり」

「あーなるほどな…」

と納得する素振りを見せながら自身の眼鏡を触る。


「まぁ、いきなり恋人関係からというよりは、ある程度仲良くなって友人から恋愛関係に発展するみたいなのを考えているかもしれない。恋愛を重く見るなら相手を選ぶのも慎重になることもあるからな。そう言う意味では、夕虹くんは今告白しても不利な可能性があると思う」

「………」

しん、と静まり返る。その沈黙が長引くとなんだかペラペラ喋ってた俺自身が恥ずかしくなってくる。そう思っていると白神さんが口を開いた。

「すごいですね、秋さん。ホントに探偵みたい…」

「あぁそれな。俺もマジで思ったよ」


人間観察は俺の得意分野のひとつだ。コーヒーの苦味がなぜ良いのだろうと疑問に思ってた頃からやってたことだ。人を観察し行動に理由付けをして、そうして特徴を定義付ける。何も特別なことはしていない。シンプルに人をよく観てよく考えるだけだから誰にでもできる。


今回の場合は、時雨さんの性格と環境下から、彼女の好きそうなタイプを想像してみたというだけのこと。しかも俺が時雨さんに対して特別な感情を抱いてないというのもあって、希望的観測バイアスエラーが発生しにくく、より客観的に分析できるというのも大きい。


(こういう所が、冠会長から言わせればレッテルを貼り付けてるって言いたいんだろうな、多分)

前に会長と話した内容を振り返りながら俺は思った。


感心する夏人と白神さんの隣で、陽が皮肉っぽい瞳を光らせる。

「やー、そこまで分かっといて、実生活に活かせてないお前を見ているとなんだか悲しくなってくるな。世の中の不条理をそこに集めたみたいだ」

「ほらあれだよ。『好きこそものの上手なれ』だよ。本は好きだからよく読むし内容もスラスラ頭に入る。一方で人はそんなに好きでもないし、無理に関わりを作りたいわけじゃないから人間関係の形成が下手なんだよ」

「ポジティブな言葉なはずなのに、すげーネガティブな感じ」


「てか別に俺のことは今はいいんだよ。…そんで夕虹くんはどうする?引き下がるか?」

おそらくこの場の全員が、夕虹くんが引き下がると考えていただろう。俺もそうだが、陽もそこまでポジティブな報告を彼にはしていない。今回は分が悪いというのがこの場の判断だった。


––––––しかしそれらを提示されても彼はそうしなかった。


「俺さ、前に見たんだ。時雨さんが階段のとこで告白されてるの」

「え、そうなのか?」

思わず俺は言う。

てかあの人、ホントに人気あるんだな。夕虹くんも大変だ。

俯きながら彼は語る。

「俺、焦ってさ。まぁその時告白は結果的には振られてたからいいけど、ずっとこのモヤモヤ、というか蟠り…みたいのが残ってるんだ。友達と遊んでる時も部活の時もさ。そんなことがこの先何度もあると思うとその度に考えちゃうんだ。『もし時雨さんに彼氏ができたら』って……」

「………」

それをとやかく言う者はここにはいなかった。


夕虹くんは話を続ける。

「どうせこんな悩むんだったら、いっそ告白して振られれもしてスッキリした方が良いなって。当たって砕けるくらいが良いやって」

夕虹くんが顔を上げ、眼鏡の位置を直す。

それは彼なりの宣言だった。


「––––––だから俺、やるよ」


恋愛は当事者たちの問題であって、それがどう転ぶかは誰にも分からない。

これが夕虹日暈の選択だ。

スマホを操作しながら、陽は余裕の笑みを見せる。

「よし、場所をセッティングしてやる。おとこを見せる時だぜ、チェリーボーイ!」

ニカッと歯を見せながら笑った。


 ・ ・ ・


放課後、俺たちは部室に集まっていた。霞くんは今日お店の手伝いで不在だが、代わりに皐月さんが付いてきていた。


「よし、準備は完了した」

「んで、この後はどーすんの?」

「そうだな。私らは天から事の顛末を見守るだけだな」

人差し指を立てながら陽は意味深にそう言った。

「……どういう意味だ?」

2階へ上がる陽の背中を追いかけながら俺はそう訊ねる。


昼休みに陽がLTライントークで連絡していたのは時雨さんだ。部室の裏手側に来てほしいと彼女から頼みこんだのだ。

そしてすでにその場には夕虹くんが待機している。

そこまでは分かる。


そして、窓に近づきながら彼女は言った。

「さ、あとはあいつが漢を見せる時だ」

あれ、ちょっと、その位置って。

音を立てないようにそっと窓を開ける。

「しっ。そろそろだ」

陽が人差し指を立てる。


「あれ、夕…虹くん、どうしてここに…?」

窓の外から聞き覚えのある声が聞こえる。

ちょうど下では、時雨さんと夕虹くんが鉢合わせたようだ。

あの時、冠会長と話してた辺りの場所だ。

草木に囲まれてるお陰で、周りからは見えにくくなっているため、秘密の話をするならベストな場所だった。ただし俺たち、喫茶研究部がここを部室にするまでは、だが。


「それで話って……?」

時雨さんはそう訊ねる。

「………」

その質問に夕虹くんはすぐに返答しなかった。

俺たちは話は聴いているが窓から身を乗り出しその様子を見ているわけではない。白神さんや皐月さんはその現場を直接見たそうにしているが、もしそれがバレたら台無しなので物欲しそうな表情をしているほどだ。それでも彼が今の状況にガチガチに緊張しているのは想像に難くない。


数秒の間を置き、彼はついに口を開いた。

「俺––––––」

一呼吸分、間を置く。


「––––––俺さ。し、時雨さんのことが好きなんだ。…付き合ってくれ、ませんか」


一瞬の沈黙、聴こえるのは、葉っぱのざわめきと遠くで鳴るホイッスルの音と部活に励む若人の喧騒だけ。そこに広がる青春の1ページは、当事者である夕虹くんにとって、その一瞬は上の方から盗み聴いている俺たちより何倍にも長く感じてたことだろう。


「––––––ごめんなさい」


彼女は小さな声でそう言った。

「………」

二言三言ふたことみことほど何か言葉を交わし「それじゃあ、私行くね」と時雨さんはそのまま足早に去っていくのが聴こえた。

チラリと窓の外を確認する。

あとに残るのは、夕焼けに彩られ真っ赤になる林の中で途方に暮れた夕虹くんのみだった。その夕陽で赤く染まった背中はいつもより小さく見えた。


「あ、まって!」

皐月さんが自分の鞄を引っ掴み、パタパタとスカートをはためかせながら部室を飛び出し、時雨さんの後を追いかけていった。

俺たちもその流れに乗り、外にいる夕虹くんの所へなだれ込んだ。

俺たちに気付くと呆れたようにため息を吐く。

「……ここで待ち合わせをさせてたから、もしかしてとは思ってたけど、いたのか」


躊躇ためらいもなくバシッと陽が背中を叩く。

「漢を見せたな!ナイスファイトだったぜ!」

「こう言うのは、告白したあとが肝心だからな。まだこれからだぜ、諦めんなよ」

陽と夏人がそれぞれ労いの言葉をかける。

「––––––––ぁぁ」

彼は小さく呟くと眼鏡を外し、目に掌を当てギュッと瞑った。

「……今日はもう帰るわ。流石に疲れた」

と言いながら、とぼとぼと歩き地面に置いてある荷物を手に取る。

「……でも、色々ありがとな」

それじゃ、と彼も着々と帰路についた。その足取りは重く、さっきのが相当ショックなことが窺える。


「ま、今日の所はそっとしといてやるか。さ、戻ろ戻ろ」

やれやれと陽は呟きながら部室へと戻っていく。夏人も後にそれに続いていく。

「んじゃ、白神さんも行こうぜ––––––」

そう言いながら彼女の方へ顔を向けると、白神さんはさっき告白していた場所を、何か思うことがあるかのように見つめていた。

そしてポツリと言葉が溢れるように呟いた。


「––––––恋愛、かぁ…」


視線は向こうを向いたままだ。

会話としての言葉ではないことが分かる。

少し遠くを見つめるその目は、いつもの好奇心を剥き出しにする時に現れるキラキラとしたものだった。そしてその赤らんだ頬や耳朶じだは夕日で照らされたからなのか、自身の火照りからなのかよく分からない。

「………」

ふと、白神さんがこちらを気付き、視線が交錯する。

その紅玉色の瞳は、俺の心の中まで見透かすのではないかと錯覚するくらいに神秘的で美しかった。

「あ………えっと」

困ったように微笑むそのうっとりとした表情に、俺は一瞬怯んでしまう。


「…ほら、みんな部室行ったし俺たちも戻ろうぜ」

と部室の入り口へと視線を逃しながらそう言った。

そうでもしないと、俺の理性は何処かへ行ってしまいそうな気がしたからだ。

自分の心臓の鼓動が妙に早い。

夕暮れの涼しい時間帯のはずが、なぜか暑く感じてしまう。

背中部分のシャツが汗で張り付き気持ち悪い。


「………うん、そーだね」

彼女はそう小さく呟き、歩き出す俺の後に続く。

彼女の表情は見えない。

今、白神さんは何を想っているのだろう。



–––––––そうして煮え切らない想いを残しながら、俺たちは部室へと向かった。

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