第7話[霞を食う・そして仲間入り]
夕暮れ時の
先ほど部室に置いてた豆のストックが切れたので、その買い出しでもある。買った豆は明日にでも学校に持っていけばいいだろう。
「いらっしゃい…おぉ秋くん、よく来てくれた」
「こんにちわ」
鈴の音が鳴ると共に扉を開くと、マスター、四季晴明さんが優しい微笑みで迎えてくれた。
白神さんを先に行かせながら、温かみのある空間へと入る。今日はちらほらと他のお客さんもくつろいでいた。
「そちらのお嬢さんは初めて見るね。秋くんの彼女さん?」
「いやいやっ、同じ部活メンバーですよ。最近入部したんです」
「は、初めまして、白神深冬ですっ。こんにちわ」
少し緊張しているのか、声が上擦っていた。
ぎこちなくぺこりとお辞儀する。
「まぁ、ゆっくりしていってよ。秋くんはいつものブレンドでいいかい?あと、持ち帰りの豆」
「はい、お願いします」
「あっ、私も同じブレンドをお願いします」
「かしこまりました」
注文を済ませると、今回はカウンター席ではなく、その後方の対面席のひとつを選ぶ。
カウンター席に先客がいるという理由もあるが、マスターにこれ以上俺と白神さんとの関係性やらの話を振られた場合、俺の気が持たないのと、もう一つはカウンター側は外から丸見えなので、白神さんと一緒にいるのを知り合いや同じ学校の生徒に見られると色々マズイからだ。
俺も白神さんも校内では割と目立つ部類だ。俺の場合は悪い意味ではあるが。そんな2人が一緒にいる所を見られ噂でも広がれば、俺はともかく白神さんに迷惑をかけてしまう。SNSなら炎上だ。
その点、団体用の対面座席は外からは多少死角になっているので、バレにくいというのも大きい。
テーブルの足元には大きめのバスケットがあり、そこに俺と白神さんの鞄を入れ、お互いに一息つく。
「なんか『いつもの』で通じるのいいですよね。ちょっとかっこいいかも?」
「まぁ、けっこう好きで通ってるしな」
「確かに改めて見ると、お洒落な所ですね」
彼女が辺りを興味深そうに眺める。
白と茶色を基調とした、シンプルで落ち着いた色合い、アクセントとして緑の観葉植物、それらをさらに調和させる暖色の明かり、俺たち高校生には背伸びしすぎなくらいお洒落な店だとも思うが、慣れてしまえば居心地の良い穴場だ。
「秋さんが見つけたんですか?」
「まぁ、あるのは知ってたけど、店に入って通うようになったのは結構あとだったよ」
「あれ、そうなんですか?」
「ほら、なんか初めて入る店ってちょっと入りづらいじゃん。抵抗があるというか。で、ここにカフェがあるよって陽に話したら、すぐに行こうつって。……その後は、なんだかんだで行きつけの場所になった」
「あーそれは陽さんっぽいですね」
ふふっと小さく微笑みながら言う。
「…でも入りづらいっていうのは、なんとなく分かるかも?そういう時ありますよね」
「へー意外だな、白神さんはむしろ率先して行くタイプだと思ってた」
「気にはなりますけどね。でもいざ入るとなるとやっぱりドキドキしますよ」
「の割に、普通にうちの部室に来たりとかしてたけどな。初めて白神さんが来た時」
「いやいや、あれでも結構緊張したんですよっ!」
「でも、それができるってだけでも凄いよ。その行動力はもっと伸ばしていけると思うよ」
「…そんなに褒めても何も出ませんよ?」
ほんのり赤く染まる顔を、近くにあったメニュー表で隠しながらそう言った。
・ ・ ・
そうしているうちに、先ほど頼んだコーヒーがお盆に運ばれ到着した。
白神さんはというと、手元のメニュー表を目通ししながら「これ美味しそ〜」と目を輝かせていた。こういう風に見ると普通の女子高生っぽい。
「お待たせしました。ブレンド、2つね」
丁寧な仕草でテーブルに並べ置く。
「すみません、このチョコスコーンをお願いしても良いですか?」
「かしこまりました。少し時間がかかるけどいいかな?」
「はい、大丈夫です!」
そう言うと、今度は世間話をするといった風に話題を切り出す。
「そう言えば、マスターはこの店を1人で回してるんですか?」
「2年前に家内が亡くなってね、それから私1人でなんとか、ね」
マスターは表情を変えることなくスラスラと話しているが、これには流石に白神さんも自分の発言に自重したようだ。
「あ……そうだったんですね。すみません…」
四季晴明さんは軽く片手を挙げ「気にしないでくれ」と促す。
「でも今度、うちの孫たちが手伝いに来てくれるんだよ。それがとても楽しみでね」
「へぇ、そうなんですか?」
俺は思わず声に出す。
それに対し、うむと頷くマスターではあるが、どこか遠い目をしていた。
「若い子が入れば仕事の負担も減るし、それが孫たちであれば尚更嬉しい反面、私としては、あの子たちにはもっと青春を謳歌していてほしいとは思うんだけどね…」
そうして軽く息を吐くと、四季晴明さんは再びいつもの穏やかな笑顔に戻る。
「確か君たちも
その時のマスターは完全に、孫を可愛がるおじいちゃん、をしていた。
・ ・ ・
「おいひ〜!」
口に頬張りながら、幸福感を噛み締めている。その様子を手元のコーヒーをすすりながら眺める。
視線に気付いたのか、口元にスコーンのチョコをつけながら、こちらを見やる。
「どうかしましたか?」
「…いや、なんか、美味そうに食べるなって」
「むぅ、人を食いしん坊キャラみたいに……まぁでも美味しいのは間違いないですし……今度うちで作ってもいいかも」
口元のチョコに気付き、指で掬いペロリと舐める。
その仕草は妙に色っぽく感じ、そこから意識を逸らすように話題を広げる。
「……白神さんは、料理とかするの?」
「しますよ〜。普通に好きですし。でも新しい味付けに挑戦して、よく失敗して怒られることも多々ありますけど」
えへへ、とはにかみながら言う。
「なんか、らしいね。その光景、めっちゃ目に浮かぶわ。10回に1回は魔女レシピ再現してそう」
「もぉ〜!失礼な。私だってそんなこと、たまにしかしませんよっ」
「たまにはするのかよ」
せめて人が食せるもの作りなさい。
魔女レシピって言い方はマズかったかな?とか考えてた俺の気持ちを返してくれ。沼地の蛇一切れとか、コウモリの
「……まぁ、それはそうとして、半分食べます?」
「え–––––––」
聞き間違いかと思った。
しかし俺の鼓膜は正確にそれを聴き取っていた。
「いや…………いいのか?」
そしてその熱は次第に顔全体を覆う。
「あれ、食べたかったから、こっちを見てたんじゃないんですか?」
「…………まぁ」
それを否定すると今度は「じゃあなんで私の方見てたの?」とか訊かれそうだから、そういうことにしておこう。
白神さんがスコーンを手でちぎる。
「はい、あ〜んっ!」
「むぐ」
周りに他の人もいるってのにお構いなしでズイッと口にスコーンを突っ込まれる。
口内のものと恥ずかしさとを同時に噛み締め飲み込むと、僅かに残った理性で感想を振り絞った。
「…………美味いな」
正直、もう味とか分かんなかった。
「………なんか、餌あげてるみたい」
「
悪戯な笑みを浮かべる白神さんだった。
・ ・ ・
「9998……9999……」
俺と白神さんは本や雑誌を読んだりと部室で過ごすなか、陽はなぜか制服のまま腕立て伏せをしていた。
「……10000!」
と数え終わると、スッと立ち上がりスカートについた埃を払う。
その後、陽は額の汗を拭うような動作を見せた。
「ふー、いい汗かいたぜ!」
「いや、なんでその桁から数えるんだよ。10回くらいしかやってないだろ」
「もし私が腕立てやってる途中で誰かがやって来たとき本当に私が腕立てを1万回やってるように見えるだろ?その反応が気になってな」
「あーちょっと見てみたいですねー」
「だろ?」
「白神さん、同調しなくていいから」
などとくだらないやり取りをしている最中、コンコンと扉を叩く音が聴こえた。
「どうぞー」
扉が開くと、ひとりの男の子が顔を覗かせる。
背丈は少し小さめ、白神さんくらいだろうか。幼なげな感じを思わせる童顔と大きめな瞳、整った灰色の頭髪とそこから伸びる大きなアホ毛が特徴的で、青年というよりは少年という印象を受けた。
「えっと、すみません。喫茶研究部の部室ってここで合ってますか?」
上擦った声で少年はそう訊ねた。
「そうだけど……何用で?」
そう尋ねると少年は、声変わりも未完了のような高めの声で言った。
「入部希望です」
「おぉ!ここに来て新入部員、ようこそ喫茶研究部へ!」
真っ先にその言葉に反応した陽は、ドタバタと駆け寄り少年に挨拶する。
「でもごめんな、中学生の君はまだ早いんだよ〜」
「ちょっ!?僕はれっきとした高校生です。今年から一年ですよ!」
どうやらかなり、コンプレックスだったらしい。
ひとまず、彼を落ち着かせながら応接用のソファに座らせる。
「…それにしても、幽霊屋敷の中はこんな風になってるんですね。まるで本当の喫茶店みたいだ」
そわそわしながら、周りを見渡す。
「というか、マジで喫茶店だったらしいけどな」
「えぇッ、それはすごい……!」
少年が目を輝かせた。
その対面に陽が座り込む。
「とりあえず君、名前は?」
「
四季………その苗字には聴き覚えがあった。
「四季って、あの、マスターの孫!?」
「えっ、爺ちゃんのこと知ってるんですか?」
「まぁ、たまにあそこ行くしなー。近いし」
なぁ?と陽が振り返りながら同意を求める。
霞くんはドギマギした面持ちで俺たちの会話を聴いていた。
おそらく、おじいちゃんの店の評価を気にしているのだろう。
「………あそこ、いいよな。また今度みんなで行こうぜ」
「いいね。賛成〜!」
「私も行きたいです。前に食べたチョコスコーン美味しかったし!」
陽と白神さんがそれぞれ同調する。
それを聞いて、霞くんも安堵の息を吐いた。
その時、背後から扉が開く音が聴こえ、
「すまん!部活の助っ人に行ってて遅れた」
と夏人が顔を出す。
急いで来たのか、シャツもネクタイも乱れてて、肩にはブレザーを担いでいた。
そうして部室に入ると、ソファに腰掛けている来客がいることに気付いたようだ。
「あれ、悩み相談?俺もこの部の部員なんだ。縹夏人だ、よろしく!」
初対面の相手に臆することもなく、部活終わりの青年らしい爽やかな笑顔でそう挨拶した。
「………カッコいい」
キラキラと目を輝かせ、崇拝の眼差しで夏人を見つめる。
多分、理想と憧れの先輩像というモノを、夏人が有しているからだろう。
「先輩、僕、一生ついていきます!」
「えー、俺なんかした?」
困った表情で、俺たちに救援を求めていた。
「よし!これで喫茶研究部、全員集合だな」
気にすることなく、陽が高らかに呟いた。
・ ・ ・
霞くんの前に、淹れたての湯気が立つコーヒーを差し出す。
少年は、どうも、と短く礼を言い、手慣れた仕草でカップに口を付けた。
「……あ、うちの味だ」
「分かるもんなのか?すげーな」
「まぁ、爺ちゃんのブレンドコーヒーはよく飲むし、何より僕、あの味好きなので」
そう言いながらもう一口すする。
その様子を眺めながら、陽が話題を切り出した。
「どうしてうちの部に入ろうと?」
「……僕、憧れてる人がいるんですよ。うちの兄さんと爺ちゃんなんですけど」
カップをテーブルに戻しながら言った。
「今の喫茶きぶしは爺ちゃんが1人で経営してます。でも爺ちゃんだって、今は元気そうでも、やっぱりいつ倒れたっておかしくない年齢です。兄さんが大学に通いながら、爺ちゃんの店の手伝いをしてて、いつか店を継ぐそうなんですよ」
カップに浮かぶ黒い水面を遠い目で見つめる。
「…僕と兄さんは、あの店に小さい頃、何度も遊びに行きました。僕たちにとっては思い出の場所なんですよ。多分、兄さんはあの場所を失いたくないんですよ。でもそれは僕も同じです。だから僕も色々頑張らなきゃと思って。僕もあの2人みたいに、肩を並べられるくらいに追いつきたい」
そう語る少年の表情に俺は見覚えがあった。
自らの手でその世界を切り拓こうとする、新世界を望む顔。
「そしたら偶然、喫茶研究部って名前の部があることを風の噂で知って、喫茶店の勉強がてら、入部しようと思いました」
夢と目標を持った眼差しで、目の前の金髪の女を見つめていた。
(……すごいな)
本当にその兄とマスターに憧れて、その背中を追い続けているんだろう。
対面に座り込んでいる陽に視線を移す。
「…それで、陽さん的にはどうですか?」
「うん。思ってたより真面目な回答でびっくりした」
「おい」
「もっとこう、『喫茶店でPC片手に仕事する俺カッケー』とか、『お洒落カフェで勉強する僕超イケてる』的な意識高い系の鬱陶しいヤツだと思ってたからさ。体が縮む呪文とトッピングの罵倒を考えてたけど、どうやら必要なさそうだな」
「すこぶる最悪なヤツだな」
てか、メインが呪文で、トッピングの方が罵倒なのな。
陽が軽やかにソファから立ち上がった。
「けど、私はお前を気に入ったよ。……
「……はい、これから宜しくお願いします!」
ガシッと互いを褒め称えるような熱い握手を交わす。
そしてその熱が冷めるのもあっという間だった。
「そういえばここって普段、どういう部活動をしているんですか?」
そう訊ねる霞くんに対し、陽は曖昧に答える。
「あ?…んーまぁ…あんまり決まったことはしないな。普通に駄弁ったり、お菓子つまんだり、コーヒー飲んだりとか?たまにうちの生徒たちが来るから、悩み訊いて解決を促したり手伝ったりとかな」
「え……悩み相談部?」
怪訝そうな顔を示す。
まぁ、喫茶研究部って名前もこの幽霊屋敷が欲しいから名付けたって言ってたしな。
するりと、霞くんの方から陽の手を離す。
「ちなみに、コーヒーを淹れられるのは……」
そう訊く少年はジトリと懐疑的な目で見つめていた。
「まぁ、難しくはないけど、基本は秋1人だな」
「………」
「って、研究らしいこと、まるきりしてないじゃないですかッ!?」
あ、なんかデジャヴ。
「んだよ。失礼なヤツだな。背が一生伸びなくなる呪いかけるぞ?」
「な、なんですかその嫌がらせ。有っても生涯やらないで下さい」
「いやいっそ、開き直ってそういう路線で売ってこうぜ?ほら、試しに私のこと、お姉ちゃんって呼んでみ?」
「そのブロンドヘア
「ひえ〜怖っ」
茶化すようにそう言った。
「はぁ…真面目に入部を検討してた僕がバカみたいじゃないですかー」
「けどなー後輩。悩み相談だって、喫茶研究部の立派な部活内容で、研究対象でもあるんだぞ」
「なんでそうなるんですか?関係ありますかね、それ」
「はい説明よろ、ブレイン」
「その呼び方やめろ。……えっとつまり、カフェってのは飲食の場所であって同時に様々な人との交流の場でもある。気軽に話せる環境、ユーモアや遊び心が自然と生まれる空間演出、そういうコミュニティの環境作りこそが、この部の研究のひとつでもあるんだ」
社会学者、レイ・オルデンバーグは自著で、サード・プレイスが現代社会において重要な役割があることを論じている。
つまり喫茶研究部は、そういう社会的側面も研究の一環として捉えているというのが、陽の主張だった。
とはいえ、オルデンバーグの主張するサード・プレイスとは少し事情が異なる。自己主張の激しい陽の存在により、本来の定義である、中立的立ち位置を失いつつあるのと、2年生の間では、悪目立ちしている方である俺の存在によって、居心地の良い空間演出を再現しきれないという2点の問題だ。
実際、陽が呼んだ知り合いは、俺の存在に気づくと「なんでコイツいるの?」という虫でも見るような視線を送ることもしばしばある。なんか思い出すと悲しくなってきた。女子のそういう目とか、ガチトーンの悪口って、なんか男に言われるより傷つくんだよな。
「…だから、悩み相談もその部の一環だということですか。なるほど、それはまぁ一理ありますね」
しかし霞くんは、全面的には納得いかない様子だった。
「でもそれはそれとして、やはり詰めが甘いように思います」
ふぅと息を吐く。
「…分かりました。だったら僕がこの部の部長になります!」
「あ?なしてその結論に至った?」
陽の黄金の瞳がその眼光を躍らせる。
「僕が部長になって本当のカフェってやつを教えますよ」
「えーそれは困る〜!せっかくの遊び場が…!」
「いや、もう隠す気もないじゃないですか!?」
2人の掛け合いはまるでコントのようにテンポが良かった。
「俺はそれでもいいけどな。そっちのが喫茶研究部らしいし」
「私も面白ければなんでもいいですよっ」
俺と白神さんがそれぞれ言った。
「おい秋ぃ!私らの遊––––––じゃなくて、うちの部活に危機が迫ってる。どうにかしろ!」
「まずお前のおつむがどうかしてるよ。出直してこい」
「……この中で、コーヒーの知識に一番詳しいのは?」
視線が俺の方へと集まる。そして霞くんがこちらを見やる。
「では秋先輩、僕と勝負して下さい」
「え、勝負?」
「僕に勝てれば部長の座は諦めます。でも負けたらこの部は僕のものです」
「んーでも、勝っても私らにメリットなくないか?」
「あ、じゃあもし勝ったら、今度うちの店で買う豆、タダでいいですよ。代わりに僕が払うんで」
「まぁ…じゃあそれでいいか」
・ ・ ・
「勝負の内容は?」
「お互いに一問ずつ、コーヒーに関するクイズを出します。答えられなかったら即終了のサドンデス形式です」
「なるほど、オーケー」
「じゃあまず俺から」
「お、やる気だな秋」
「来い!ですよ」
「コーヒー生産量の多い国を1位から3位まで答えなさい」
「ちょ、なんで中学生の社会の問題みたいなの出してんですか!僕が中学生っぽいていう当てつけですか!?」
「え、いや、いきなり飛ばすのもアレだし、軽めのものからがいいかなって思って」
「いくらなんでも軽すぎるでしょ!?」
「確か1位はブラジルですよね?」
「あー流石に分かるか」
有名だしな。というか白神さん、霞くんより先に答えるのはNGでは?
「で、2位3位はそれぞれ、ベトナム、コロンビアですよね」
「おー正解」
どうやら、この程度では霞くんは満足しないようだ。
次は霞くんの手番だ。
「では問題です。…コーヒーには品種がありますが、その中で代表的な原種名2つを答えて下さい」
「えっと、アラビカ種とカネフォラ種…だよね確か」
「…正解です」
「え、なんですかそれ?」
白神さんがきょとんと首を傾げる。
「まぁ、あまり聞かないよな。…アラビカとカネフォラはコーヒーノキの品種名で、俺たちが普段飲む種類でもある」
もっとも、この部で飲むコーヒーは、喫茶店で買っているわりかし良い豆でもあるので、アラビカ種である可能性が高い。一方で、カネフォラ種の豆は生産量が多く安価であるため、低価格のコーヒー商品に使用されることが多いらしい。
なるほど、と白神さんは軽く頷く。
「よし、じゃ次、俺のターンだな。……コーヒー豆を保存する時に、気をつけるべきポイントは何か3つ以上答えてみてくれ」
「やはり舐めてますね、秋先輩。……高温を避ける、酸化防止、湿気を避ける、日光を避ける、…どうですか?」
「…正解だ」
「けっこう大変ですね」
「コーヒーが嗜好品ってのもあるしな。そうじゃないと味が劣化するのは確かなことだ。…まぁでも腐るわけじゃないから、そこまで過敏になる必要はないけど」
コーヒー豆は生鮮食品ではないため、賞味期限が過ぎても品質には問題はない。だが味には少なからず影響を与えるので、高温多湿を避け暗所に置いておくのが無難だろう。
「うへ〜、まさにコーヒーガチ勢だな」
そうツッコむのは陽だ。
「……よし次行きますよ!問題です。脱カフェイン処理方法をひとつでもいいので何か答えてみて下さい」
「え、デカフェのコーヒーって色んな方法があるのか?」
「ありますよ」
夏人の疑問に、澄ました顔で後輩は答える。
「んと…水抽出、でいいか?」
「……ちなみに処理方法は分かりますか?」
試すような口調で問いかける。
俺はその問いに正面から応える。
「あれだろ。生豆を水につけて、カフェインだけを抽出して、残りのは、また豆に戻すって方法だった気がするけど、どう?」
正確には、熱湯に浸し、カフェイン等の成分を抽出し、そのエキスをカーボンフィルターで濾過させ、カフェインのみを除去したエキスを再び生豆に戻す、というのが水抽出方法の全貌だ。
「……マジですか」
驚いたように目を見開く。どうやら正解したようだ。
「えっと、ちなみに他にもあるんですか?」
「んーまぁ、あるにはあるよ。有機溶媒抽出法とか超臨界CO2抽出法とか。でも話すとややこしいからまたいずれね」
「……答えられない、と思ってたんですがね。どうやら一筋縄では行かなそうですね……!」
霞くんの中で、スイッチが入ったようだ。
「よし、次行くか––––––!」
・ ・ ・
日が落ち、外が暗くなるまで、闘いは続いていた。
問題もそろそろ、50問目に突入する頃合いだろうか。20問あたりから数えてないので分からない。解答について白神さんが疑問を持ち、俺と霞くんが解説する時間も入れると相当な掛かり具合だ。
出題内容も様々で、産地や気候、抽出方法、歴史、カフェイン等、コーヒーに関することは殆どやり尽くしたと思う。互いにこれといって間違えることもなく。
ふぁ、と陽が大きなあくびをする。どうやら飽きてしまったようだ。
夏人も何がなんだかという顔をしている。
唯一、白神さんだけが、勝負の行方を真剣に見守ってくれている。
「……ここまで話したの、霞くんが初めてだよ」
「そのセリフ、そっくりそのままお返ししますよ。秋先輩」
互いに精神的な疲労も蓄積しているものの、何か新鮮な充実感を感じていた。
「すげーな。秋と知識で渡り合えるヤツ、俺、初めてみたよ」
「私もです」
夏人、白神さんが口々に言った。
「もう面倒だからさぁ、いっそ秋を、液体入ってる水槽に脳だけ浮かべてさ、そしたら研究っぽさが出るんじゃね?」
「発言が
「てかもうそれ、研究の趣旨変わってますし」
と俺と霞くんが、陽の言葉にツッコむ。
その後、2人して顔を見合わせる。
「埒があかないな……」
「……今回は引き分けということにしましょう」
「……だな」
互いに水を飲んだりと、一息つく。
しかし、熱い闘いが繰り広げられたものの、霞くんにはわずかながら陰りを残していた。
「……でもやっぱり、僕は、この部を素直に認めることができません」
陽が霞くんに近づく。
「後輩くん。お前はコーヒーを飲むとき、こだわりとかあるか?淹れ方とか豆の品種とか、まぁ、なんでもいいが…そういうのあるか?」
「え…まぁそれなりには…?」
「そうか……じゃあ例えば、私が今コーヒーを飲む時、牛乳と砂糖は必須、ついでに蜂蜜も少々、そういう飲み方についてどう思う?」
「別に僕は他人がどう飲もうと構いません。コーヒーは嗜好品です。僕には僕なりの楽しみ方があるし、他の人にはその人なりの嗜みがあると考えています。それを否定することはありません」
バリスタの卵としては百点満点の解答だ。
しかし陽は、それを見計らってたかのように目を光らせた。
「って考えるとだ。私らがこうやって活動していることも、その嗜みのひとつだと思わないか?」
あ、なんか流れ変わったな。
「な……何が言いたいんですか?」
「お前は今まさに、その人の嗜みをっ、私らの嗜好をっ、否定しようとしている。それが分からないのか–––––––!」
「なッ–––––!?」
霞くんの表情を見る限り、雷に打たれたような思いだったのだろう。今の彼は衝撃を受けたような顔をしていた。
完全に陽のペースに飲まれている。
てか「私ら」って言ったか?何気に俺らも巻き込んでるし。
そして霞くんはと言うと、
「くっ……確かに、陽先輩の言う通りかもしれません…!」
(えー……)
怒涛の急展開過ぎる。
自身の非を認めるように被りを振った。
「僕の考え方が甘かったです。……こういうのも嗜好のひとつの形かもしれませんね」
「分かればいいんだよ。君はまだ若い。経験を重ねてどんどん成長していきゃいいんだ。これからも精進したまえ、後輩くん」
「陽先輩……!」
最悪な上司だな。
霞くんも、こう、なんというか、哀れすぎるな。
しかしここで彼の目を覚まさせるとまた面倒なことになりそうなので、今は深くツッコまないことにし、白神さんと夏人共々、温かい目で見守ることにした。
–––––––こうして喫茶研究部は、新たな部員を手に入れた。
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