第6話[虚心坦懐・胸の内を明かす]

「秋さーん!」


新しい部室を手に入れてから数日が経ったある日の昼休み、いつも通り昼食を終え、クラスの生徒たちの立てる物音や騒々しい声を背景音楽B G M 代わりに本を読んでると、その中で後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。


振り返ると、教室の入り口前で手を振る白神さんが見えた。

一瞬だけ、その声に一部の生徒たちが反応し、白百合色しらゆりいろの髪をした少女に注目が集まる。その視線が集中した場所に今から向かうと考えると少し気が重い。かと言って無視を決め込むと、他生徒が寄りそうな可能性もあるので、パタリと本を閉じ、白神さんの方へ足を延ばす。


彼女のとこまで着くと、白神さんが口元に手を当てコソリと耳元で囁く。

「少し伝えておきたいことがあって…」


その言い方だと、俺は告白でもさせられるのではないかと錯覚してしまう。

錯覚したのは俺だけじゃない。


チラッと、白神さんから視線を逃すように周りを見る。

生徒達の注目した好奇の視線が何事かと、より関心を寄せてくるのが反応を見て分かる。

何か話したいことでもあるのだろうが、俺としてはこの人目は避けたい。

「…少し別の場所で話そうか」


・・・


生徒の騒ぎ声も遠くなり、人気ひとけのない階段の場所まで着くと、彼女と適切な距離を保ちながら要件を訊ねる。


「今日、友達が部室を見学したいって言ってて。一応秋さんに伝えた方がいいかなって思って。ほら、いきなりだと読書の邪魔になっちゃうかもですし…」

「あーそういう…」


白神さんなりの気遣いなのだろう。

別に俺としては、いつも陽が勝手に連れてきたりするから、こういうことにはだいぶ慣れたつもりだが、そういう心遣いも有り難いものだ。


白神さんに対し素直に感謝の礼を述べる。

「状況はわかった。ありがと、事前に教えてくれて。けど…ほら、あれだ、いちいちうちのクラスに来てもらうのもなんだし、その……」


自身の髪を手櫛で掻きながら俺は言う。

「連絡先交換しとかないか?」


またこうして部活の連絡事項を伝えることもあるかもしれないし、と付け加えるのを忘れる俺ではない。


「いいですよっ」

これは案外すんなりと了承してくれた。

正直、俺としてはすごく緊張していたし「断られたらショックで寝込みそう」とも思っていたがどうやらそれも杞憂に終わったようで一安心。


「これでよしっと」

無事、連絡先を互いに交換したことを確認すると、俺は彼女との間隔を空けながら、あれよあれよという間に退散しようとする。


「とりあえず、じゃ、またあとで…」

「あっ……はい、分かりました…?」


目をパチクリさせ、困惑する彼女を置き去りに、俺は歯切れの悪い言葉を残しながら足早にその場を後にした。


・・・


(なんだったんだろ、さっきの秋さん……)


その疑問を胸に抱えながら、そのまま自分の教室に真っ直ぐ戻った。


「お、戻ってきた!おかえり〜、深冬みふ〜」


先に気付き明るい声で迎えてきたのは、空色の短髪が特徴の皐月晴こうげつはれちゃんだ。運動が得意で、体育の時間はいつも楽しそうにしているのをよく見る。体格が小柄な所を度々気にしているがそれも微笑ましく思う。無邪気でおてんばな性格の女の子だ。


深冬みふちゃん、お昼一緒に食べよ?」


一方で優しい口調で話しかけてきたのは、時雨小夜しぐれさよちゃん。

晴ちゃんとは対照的に、落ち着いて大人びた性格の持ち主で、黒の髪に青色のメッシュ調の髪を束ねてポニーテールにしてるのが彼女のトレードマークだ。スタイルも抜群で女性らしい起伏もあるからか時折、晴ちゃんから嫉妬の目を向けられていることもしばしば。真面目で勉強もそつなくこなす、クラスのリーダー的存在だ。


ちなみに2人とも、私が心機一転のつもりで髪をバッサリ切ってイメチェンしたあの日に、最初に声を掛けてくれたクラスメイトでもある。


「うんっ」

そう言いながら、用意してもらった自分の席に腰掛け、お弁当を机の上に広げる。


「ありがと、深冬みふちゃん。わざわざ確認に行ってもらっちゃって」

申し訳なさそうに小夜ちゃんが笑いかけた。


「ううんっ。全然大丈夫、だよ………」

誤魔化すように、パクッとタコさんウインナーを口に放り込む。


はっきりしない口調から違和感を感じ取ったのか、晴ちゃんが心配した様子で尋ねてくる。

「んー、どうしたの深冬みふ?なんか悩み事?」


「うーん。最近、同じ部活の秋さんって人と話してたんだけど、なんか少し元気がなさそうに見えて……」


2人ともうんうんとそれぞれ頷きながら聞き耳を立てている。

それに合わせ、その時の秋さんの表情や口調を思い出しながら、ポツポツと打ち明けた。


他の人と話す時は普通なのに、私にだけはいま少しぎこちなかったり、私を視界から避けるようにそっぽを向いたりとか、なんとなく距離を空けてるように感じたりなどなど……。


僅かな違いでしかないが、よく観察しているといつもとは様子が違うのが私には分かった。


話を聴き終えると、晴ちゃんがニマニマと意地の悪い顔を浮かべる。


「というか深冬みふもけっこうその人のことよく見てるよね?」

「えっ、うーん…そうかなぁ?」

ご飯を頬張りながら首を傾げる。


「……もしかして〜深冬みふの好きな人って〜」

「えっ!?い、いやいや、別にそういうんじゃ–––––」


–––––ない、とも言い切れない、と思う。


……かもしれない。


…なんだろう。


よく分からない。


私が今の部活、喫茶研究部に入ったのは興味本位という理由もあるのだけど、それともうひとつ大事なこと、という生物にんげんを純粋に気になったからなのだ。


それが『好き』………なのかは、よく分からない。


顔が熱くなるのを感じながら、俯いてしまう。


「その橡くんってどんな人なの?」

小夜ちゃんが問いかける。


それに反応し、パッと顔を上げる。

「最初は寡黙で怖そうな感じだったけど、話してみると案外いい人………というか、そう、色々知ってる人!!」


「最後のとこだけ凄い推すね…」

「例えば、どんなこと?」

「うーん、最近だとー……」


・・・


新しくなった部室に顔を出す。


「秋さん秋さん!」

「来て早々どったの?白神さん」


秋さんは今からコーヒーを淹れる準備を始めたところのようだ。


「私の、頭、見て、ください!」

「ん…?」


不審に思いつつも、私が指差す箇所に彼の顔が近づく。


「……あれ、テントウムシ?」


「さっき鏡を見た時に、なんか頭に付いてると思って、よく見たらテントウムシだったんですよ。ちょっと見てもらいたくてここまで連れてきました!」


「腕白過ぎるでしょ、田舎の虫取り小僧か。…まぁ、なんでもいいや」


ちょっと失礼、と言いながら、私の頭上に手を伸ばす。髪を手で優しく撫でながらその小さな生き物を傷付けないよう掬い上げる。秋さんの手の感触がなんともくすぐったく、手が離れた後でも感覚の余韻が残っていた。


回収したテントウムシを自らの左手に歩かせ、それを見て何か気づいたようにこちらに視線を向けながら呟く。


「てか白神さんって虫平気なんだな」

「残念ながら危険な虫は触れないですけど、無害な虫なら」

「いや別に触んなくていいでしょ、なんで残念がるの?」


秋さんの手の甲を懸命に歩くテントウムシの姿を見て、ふと疑問に思ったことを口に出す。


「テントウムシってなんでこんなにカラフルなんでしょうね。こんな色してたら目立って天敵にすぐ食べられちゃいそうですけど。一際ひときわ目を引く綺麗な女性が、街中まちなかでガラの悪いお兄さんにナンパされるみたいな感じですかね?」


「なんで比喩表現がそんなに生々しいんだよ。アレか、テントウムシレディバグだからか?自分で言っててなんか恥ずいし…」

そう言いながら照れてる秋さんを見て、私も自然と表情が柔らかくなる。


「こういう派手な色は警戒色って言って、あえて目立つ色にして自分は毒持ってるので食べられませんよ、ていう警告のサインみたいな役割をしてるんだよ。テントウムシの場合は確かミュラー型擬態って言うらしい」


ほへー、と我ながらアホっぽい感嘆の声が漏れ出てしまう。

「あ、なんかテレビで見たことあります。確か蜂とかヤドクカエルとかもそうですよね。……んーでも、テントウムシって別に毒はないですよね?」


「まぁ一応、黄色い汁を出すからな。反射出血って呼ばれる防衛手段で、コシネリンっていうアルカロイド系の苦臭にがくさい汁を出すから鳥にはあまり捕食されないらしい。……先に言っとくけど、ばっちいから舐めたりとかしないでね?」


「しませんよ!私をなんだと思ってるんですか!?」

「好奇心の塊」

「むぅ、人を鉱脈の掘り出し物みたいに……」

「ならいいけど…。とりあえず、このテントウムシを外に逃してくるわ」

「はーい」


そうして私は、外に出る秋さんの背中を見送った。


・・・


晴ちゃんも小夜ちゃんもそれぞれ目をまんまるにし、ドン引きしてしまう。


「なんで深冬みふはそれを気になったの…」

「そしてそれを知ってる橡秋そのひともある意味凄い…」

「あはは…」


理解されないのはしょうがない。


私としてはビビッと直感的に気になったから聞いてみただけで特になんとも思わない。そう考えていると今度は「なんで私は直感的に疑問を持つんだろう?」と別の新たな疑問の種が出てくる。そうこうしているうちに、また違う疑問が浮上してくるのだからキリがない。


理解できないのは私も同じで、それと同時に私の興味が止まることなんて1ミリもないのも理解していた。


小夜ちゃんが何か思い出したように口を開く。


「あ、もしかしたら私知ってるかも、その人」

「そうなの?」


そういう割には、あまり浮かない表情だった。

「風の噂でね。…でも、あんまりいい噂ではないんだけど…」


なんでも、陽さん達と仲良くなった辺りから、少しずつ良くない目立ち方をし始めているらしい。


陽さんと夏人くんの間に入るお邪魔虫とか、実はあの2人に恐喝されて着いてってるとか、橡くんがあの2人の弱みを握っているだとか、そういう根も葉もない噂が渦巻いているようだ。


私はあの人たちを近くで見てきたから、真実でないことはわかっている。でもここだけの話、その噂はどういう形を成しているのかだけは少しだけ興味があった。今度、それとなく聞いてみよ。


「あぁ、思い出した!その人ならこの前図書室で見たよ」


前のめりになりながら晴ちゃんが思い出す。


「何か本でも探してたのかな?」

「んっとね、なんか受付の人と話してたよ」


受付……麻乃さんかな?

「ハッ、もしかしてその人のことが好きなんじゃ…!」

「え、うーん、どうなんだろう……?」


秋さんと麻乃さんかぁ……。


確かに趣味も似通ってるし、それはそれでお似合いに見える組み合わせだ。

けど2人の間でそういった素振りは見たことがない。特に麻乃さんは、秋さんよりむしろ陽さんにグイグイ詰めてる気がする。


「それにね〜受付の人、凄かった。その、胸部の装甲が。もしかしてその乳房ちぶさに釣られたのかも」


晴ちゃんが自分のを麻乃さんの胸と見立てて、両手でその丸みを強調しその迫力を表現している。そして自分の胸の無さを痛感し項垂れてしまう。

そこまでのワンセットを苦笑し眺めながら、思考する。


確かに麻乃さんのおっぱいは凄い(実証済)。あの質量と凄みなら、秋さんがそれ目当てに図書室へ行っても不思議じゃない!……かもしれない。


視線を泳がせながら、口元に人差し指を当てる。

(んー正直なところ、秋さんはそういう俗っぽいことには興味あるようには見えないんだよなぁ)


草食系というか、絶食系と表現すべきなのか。


そういうのに疎そう。


あの人、男の子だよね?


年頃の現役男子高校生だよね?


あ、なんか、私の好奇心がムクムク湧いてくるのが肌身で分かる。


「…でも気になるなら、本人に聞いた方がいいと思うよ。私達がいくら考えてもそれが本当の理由かも分からないし」

小夜ちゃんが表情を緩めながら、そう言った。


「…うん、そうだよね」

その言葉で、私は決心を固めた。


……!


・・・


鍵を開け、部室内に入ると、以前とは見違えた景色が広がっていた。


カウンターチェアが設置されていたり、広い空間には2人くらい座れそうな革製のソファが2つ向かい合わせで置かれている。その真ん中には木目の長テーブルまである。何も無かった本棚には、俺が持ち込んだ本や陽が置いた雑誌などが配置されている。あとここからじゃ見えないが、前に冷蔵庫や布団やらを業者が運び込むところを目撃したこともある。


陽が自分の家(?)からいらない家具を持ち込み部室に置いってったことで、より喫茶店らしさが表れていた。


相当、金がかかってるだろうに……。


夏までにエアコンも付けるとか言ってたな。


この部室、現在進行形で進化しているわ。恐ろしい。


「あーきさんっ!」


声と同時に軽く、トンッと背中を押される。


「っうぉ、って白神さんか。ビックリした…」

振り返ると悪戯っぽい笑みを浮かべた白神さんがそこにいた。

しかし彼女1人だけのようだ。


「あれ、友達は?」

「職員室に用事があるらしくて、もう少しすれば来ると思います」

「そうか……」

「はいっ」

「……………」


なんか気まずい。


白神さんはそう思ってないと思うが、俺の方は少し事情が異なる。


荷物を置きながら考える。


いやむしろ、これはチャンスかもしれない。

この状況をポジティブに、前向きに考えよう。

早いとこ自分の胸の内を明け、スッキリさせた方がいいかもしれん。

白神さんが、今の自分が良いと思ってるのか、どうなのか……。


と迷ってる間に、白神さんが質問を投げかけてきた。

「秋さんに2つほど聞きたいことがあるんですけど…」

「ん、なんだ?」


この口振りには聞き覚えがある。

また何か白神さんの好奇心をくすぐるものがあって、それについて俺から聞き出そうとしているのだろう。

まぁ俺の方は、そのあとでもよかろう。


「まず1つ目から!」

「よし、どんと来い」


「秋さんっておっぱい、好きですか?」


「……………はい??」


何言ってんだ、コイツ。


胸の内どころか胸のはなししちゃってるよ、この人。


いや、なんも上手くないし、むしろ不味いわ、社会的に。


どう答えてもバッドエンドしか見えてこない。


「えっと、てかどうして、そんなことを訊ねたの?」

「秋さんが麻乃さんと図書室で何か話してたっていうのを聞いて、それで……」

「なるほどなるほど––––––って、いやいや、それもおかしいだろ!?」


なんで俺が古月さんと話しただけで、そこから派生して胸の話になっちゃうわけ!?


やっぱおかしいだろ、絶対!


「いや、借りた本を返す時に古月さんに感想を訊かれて、それで話し込んだだけだよ」


だがしかし、そんなことでは白神さんは満足できないようだった。

「むむむ…」と膨れっ面でこちらを見つめている。


期待しているのか。


俺の解答に……。


こんな時まで、白神さんの好奇心旺盛さは健在だった。


「えぇっと………」

憮然として自分の髪を片手でかきまわす。

話題が話題なので、慎重に言葉を厳選する。


「じゃあ、なぜ世の中の野郎どもが、女性の胸が好きなのかって言うと–––––」


ジトリと白神さんが俺をやんわりと睨みつける。


その「あ、今自分の話題から逸らした」みたいな表情やめて。


「これは生物学的な話になるが、男が自分にとって良い女性パートナーを選ぶ時にお–––––胸の大きさを基準にしたことによって、その進化の名残りみたいなのが今もこうして続いてるって感じらしい。だから世の野郎どもは大きめの胸が好みってわけだ」


「で、なんでそれが基準になったん、ですか?」

頬が少し紅潮しているのが確認できるが、それでも臆さずに、ずけずけと精神的に詰めてくる。


こっちは冷や汗ダラダラだっていうのに。


「…これは女性が適切な脂肪をあえて目立つ箇所に蓄えることで、男性側に自分の子孫を残してくれる可能性が高いと思わせるための判断材料にしてるという説があるな。要は生殖能力の高さ、妊娠のしやすさ、子育てに必要な脂肪、これらの要素を持っているというアピール、合図シグナルとしてそういう進化を遂げたんじゃないかって言われてる。そこから、胸が大きい女性は魅力的であると直感的に見抜けるようになるわけだな。ホモ・サピエンスのオスは」


今、この現代社会において、流石に、胸の豊満さイコール子育て能力の高さ、と見る現代人も皆無なため、一般的に、魅力的に映る要因のひとつとしてうまく収まっている。


実際、ある実験で巨乳の女性にヒッチハイカーをしてもらうと、男性ドライバーは車を止めることが多かったという結果が出ているそうだ。


「……これで満足しましたか。白神さん」

「はい!ありがとうございます、秋さん!」


魂を削られるような思いをした。


俺は現役女子高生に、何を解説してるんだろ……。


そしてそれを話せる俺も、変態だと言われれば否定しえない。


や、性教育も大切なことなんだけどね。


保健の授業が、ちょっと控えめなだけで。


「こういうのは今度から自分で調べてね。俺の精神が持たないから…」

「あはは、こんな良い球返してくれる人なんて今のところ秋さんだけですし、それに反応もちょっと面白かったりして…?」

「あのー、本音出てますよ白神さん?」

「まぁそれでも、なるべく気を付けます」


かくいう俺も、白神さんとの会話を楽しんでいる節があるのは確かだ。そうじゃなきゃ、「自分で調べろ」の一点張りで突っぱねるだろう。


「それに、秋さんはおっぱいが好きというのも分かりましたし」

「チョット、どうして俺の話になっちゃってるの?」

「さっきまでの話の時、秋さんは私の胸元を2…いや、3回はチラ見してたのを確認してたので」

「やめて、そのリアルな数字やめて!てか、その、女性の胸部装甲の話になっちゃったら自然な流れで見ちゃうよ!不可抗力だよッ!!」


その慌てふためく様子を見て、涙が出るくらい面白可笑しく笑っている。

「あはは…ごめんなさい。秋さんのそういう所初めて見たのでつい……ふふ」


なんて恐ろしい子。


小悪魔的というより悪魔的所業だ。


ドッキリ企画でもここまでやらんだろ。


肝が冷えっぱなしだよ。


「どんだけ笑うんだよ…」

いやまぁ可愛いけど。


軽く白神さんが咳払いをする。

「けど、やっぱり私……」

クスリと微笑む。


俺の目の前にいる白髪の少女は、そうまるで、恋をしたヒロインのように、頬が紅潮していた。その火照りが俺にも伝播するように、自分まで気が変になりそうだった。


「秋さんのそういう博識な所–––––」

ガチャリと扉が開く。


「–––––私、凄く好きです!」


入り口の方に目をやると、2人の女子高生が唖然と佇んでいた。

「………」

「………」

気まずい沈黙の空気が、4人の心を冷やしていた。

「お、お邪魔しましたー」

「どうぞごゆっくり〜」


パタン。


「–––––待て待て待て!!」

明らかに誤解している名も知らぬ女子高生2人を、思い切り呼び止めた。


・・・


「それにしても噂の幽霊屋敷がまさか、こんなにお洒落た感じになってるとはね〜」


空色の髪が特徴的な女の子がキョロキョロと落ち着かない様子で眺めている。


あの後、なんとか2人を呼び止め、誤解を解いた。

あんなに慌てたのは、初めてかもしれない。

いや、まぁ、それより前のおっぱい談議を聞かれるよりは、断然マシだが……。


「えっと、改めて、橡秋です。よろしく…」

「私は皐月晴こうげつはれ!こっちは時雨小夜しぐれさよちゃん、よろしくね!」

「初めまして、橡くん…」

とそれぞれが個性的な挨拶を交わした。


この場に陽がいたら、さぞ大喜びだったろう。


「…コーヒー淹れるけど、飲む?」

「はいはいっ、お願いしま〜す!」

「んー私苦いの苦手だからなー。カフェオレってできるの?」

「あぁ、牛乳はあるから作れるよ」

「じゃあ、それとお砂糖たっぷりめでお願いしまーす!」

「…時雨さんは?」

「じゃあ、ブラックで、お願いします」

「了解」


そう短く受け応えると、少女たちの団欒を流し聴きしながらいそいそと準備を始めた。


・・・


「あ、美味しい」


時雨さんが一口つけると小さく感想を洩らす。


「それなら良かった」

「何か特別な豆でも使ってるの?」

「いや、別に特別なことはしてないよ。使った豆は、喫茶きぶしっていう店のブレンド豆。あそこのは美味いからよく買ってるんだよ」


「その喫茶店は近いの?」

「この辺り。えっと、駅前の近くって言えば分かるか?」

スマホの地図アプリを開き、喫茶きぶしの場所を示した画面を見せる。


「ありがとう、橡くん、今度行ってみるね」

「ハイハイッ私も行きたーい!」

元気よく片手を挙げながら言う。


「晴はもうちょっと大人しくなってからね」

「むぅ、いじわる」

「でもいいなぁ。私も大人っぽくなりたいな。小夜みたいに。スタイルも良いし、一部ふくよかだしね」


ドキッとしながら、俺の視線は白神さんの方へ向いていた。

もしかすると、この話題に乗じて、さっき彼女と話したことを再び引き起こすかもしれないからだ。


そんな白髪はくはつの少女は、俺の視線に気付きニコリと軽く微笑む。


それだけだった。


「………」


少し意外だと思った。


気を遣ってもらったのか、どうやら白神さんは、その話を持ち出す気はないようだ。


・・・


「あ、もうこんな時間……」


数時間ほど経つと、時雨さんが自分のスマホを確認しながら独語する。

そろそろ帰る?と隣の少女たちに目配せを送る。


「俺は片付けしてからここ閉めるから、先帰っていいぞ」


「そう?じゃあ、お言葉に甘えて…」

ひょいっと各々がそれぞれの荷物を持つ。


しかし、1人だけその流れに連動しない子がいた。


「白神さんは行かないのか?」

「私も手伝おうかなと……一応、部員ですし」

「…そうか、助かる」


扉を開け、一度振り返った。

「じゃあまた学校で。コーヒーごちそうさま。美味しかったわ」

「また遊びに来るねー、橡くんっ!」

「お、おぉ…」


また来るのか……。

しかも『遊びに』って言ってたぞ、あの子。


そっちに気をとられ、小さく「頑張ってね」と白神さんを鼓舞する2人の声には気が付かなかった。


・・・


「よし、んじゃ帰るか」


食器等の片付けも終え、部室を後にしようと鞄に手を伸ばそうとした時–––––


「–––––あのっ……もうひとつ、聞きたいことがあります」


横から白神さんが声を掛けてきた。

「秋さん、何か悩んでますよね?」

「………」


ストレートに言われた。


この前の夏人の時のように、はぐらかすこともできたが、その原因の一部である白神さんにそれをするのは少し気が引ける。


ずいっと物理的に距離を詰めてきた。


「結局、秋さんは何のことで悩んでたんですか?」

「うーん、まぁ……」


白神さんのその見透かすような紅玉の瞳から、ふいっと目を背ける。

しかし白神さんがそれを許さない。


さらに顔を覗き込ませる。

「教えてくれてもいいじゃないですか」

ぷくーっと頬を膨らませる。


「……分かった」

俺は観念して、話すことにした。


冠会長と交わした会話。


白神さんを少なからず誘導した責任。


会長に目を付けられたこと。


うんぬんかんぬん…。


白神さんは俺が語り終えるまで真剣に聞いていた。

「なるほど……そういうものの積み重ねで悩んでいたと言うことですか」

「理解が早くて助かる」


うんうんと、静かに頷く。

「気持ちはお察ししますが、まず先に私から言いたいことがあります」

「なんなりと」

まぁ言いたいことは予想がつく。


「私の話なのに、私抜きで勝手に話を進めるのはやめてください」


「……ごめん」


本人からすれば、ごもっともな話だ。

白神さんの話なのに本人不在で進んでいれば当然、文句の一つや二つ言いたくなるものだ。


怒気を含んだ強い眼光を走らせながら、俺に突き刺すように睨み付ける。


「私は別に誘導されたとか、洗脳されたとか思ってないですし、むしろ感謝しているくらいなんですから!」

ひと呼吸分、間を置く。


「もしあのまま1人だったら、私の人生は暗いままで終わってたと思います。暗い湖の底でもがくこともできず息苦しい生活を送ってたと思います。––––––でも今は違います。秋さん達と出会って、部活にも入って、友達もできて、ちょっとちやほやされたりなんかもして、私はこの青春を楽しんでいます。自分の見る世界が変わったことをとことん楽しんでいます!だから––––––」


彼女はそう言った。


でも少しだけ、寂しそうに–––––。


キュッと俺の制服の裾を掴む。

まるで親に逸れないようにくっつく子どものようだった。


「–––––私の気持ちを勝手に決めつけないで」


「…………ごめん」


俯いた彼女から出た低い声音に、俺はそれしか言えなかった。

その僅かな無音の時は、ひどく長いように感じた。


彼女の方からゆっくりと制服を掴んだ手を離すことで、その硬直から解放される。


少しだけ冷静さを取り戻した白神さんは軽く咳込み、気まずさの陰りを残しつつも、そのまま話題を進めた。


「…その件に関しては、とりあえずいいです。冠さんに期待されてるのは、まぁ、しかたのないことだとは思います。それに多分あの人は秋さんのような人を気にいるタイプだと思うんです」


「……どうしてそう思うんだ?」


そう問いかける。


その着眼点に俺は興味を持ったからだ。


「前に冠さんが部室に来たことあるじゃないですか。あの時、冠さん、わざと陽さんを挑発するように会話をしてたように見えたんです。……その時のあの人はなんだか楽しそうでした。だから突けば色々出てくる秋さんはあの人に気に入られるだろうなと思ったんです」


「言い方っ」


だが白神さんの推理はおそらく正しい。


実際あの人はこう言っていた。


『一石を投じるとあなたみたいなのは、複雑な波紋を帯びるから、つい面白くてね–––––』と。


あの人は周りにちょっかいをかけ、その都度それらの反応を楽しんでいる。俺のことを高く評価してくれるのも、反応が良いからなのだろう。不本意ながら。

そういう無邪気な所は本当に子どもみたいだ。


それにしてもだ。


(白神さんもよく周りを見ている…)


この子の好奇心は本当に怪物の如しだ。それに伴い、観察眼も人並み以上に優れている。何かに興味を持つということは、自分が興味を持てるポイントを見つけるのも上手いということだ。


「それにさっきも似たようなこと言いましたけど、秋さんは頭が良くて、色んなことを知ってて凄いと思うし尊敬してます。……でもだからこそ、その分、色んなことで悩んだり苦しんだりすることもたくさんあると思います。でもこの部活には、私や陽さんや、夏人くんがいます。困った時はお互い様ですよ。悩みを聞いて解決へ導くのがこの部の方針でしょ?」


自分の中の枷が外れた音が聴こえた気がした。

そうか、考え過ぎていたのか……。


「あと気のせいかもなんですけど………私のこと、避けてません、でしたか?」

訊いた本人も、自意識過剰かもしれないと感じているのだろう。幾分か辿々しく確認してきた。


「あーいや………概ね合ってる」


これも白神さんの観察眼の賜物だろう。

俺は正直に白状することにした。


「白神さんこの前、髪切ってイメチェンしたじゃん」

「んー、そうですね?」


「白神さんが、その、か……き…………なんか良いなって思って」


「………」

白神さんはポカンとしていた。


言ってて、こっちが恥ずかしくなる。死にそう。

「可愛いな」とか「綺麗だよね」だとか言うと、露骨すぎてキモいかなと思っての言葉選びなんだけど言い訳云々(早口)。


「や、別に変な意味じゃなくて–––––!」


こうやって言い訳並べ立てることがもうホント情けない。

こっちがあたふたしている間に、白神さんが髪を掬いながら返答する。

「そ、そーですか……?」


そういうことを言われると思ってもみなかったのか、少し面食らった顔をしている。というより照れているようにも見えた。


「少し意外でした。秋さん、そういうのに無頓着だと思ってたので………あ、でも、もしそうなら、私のおっぱい見ませんもんねっ」

「いやもうその話は蒸し返さなくていいから」

そのツッコミに白神さんは破顔した。


しかし、その後、

「けど–––––」


彼女に似つかわしくないくらい少し大人っぽく、ふわりと微笑んだ。


「––––––ありがとうございます」


そう言ったあと、落ち着かないのか自分の髪をいじりながら話す。

「初めてこの髪型で登校したとき、秋さん、感想くれないから、ちょっと不安でした」

「俺が言わなくても、周りの奴らの反応見てれば白神さんのそれが良いってことくらいわかるでしょ」

「むー、そうじゃなくて…」

「あははっ」

ふてくされ不機嫌になる白神さんを見て、おもわず笑ってしまう。


よかった。


彼女がここまでの変貌を遂げたのは、勇気もそうだが、安心感というのもある。この部活が彼女の最後の砦なのだ。


人は失敗を許される環境下だと、パフォーマンスを発揮しやすくなる。

せめて白神さんの気に入ってるこの場所は失われないようにしないといけない。

俺が白神さんに気持ちを伝えて、この環境を壊すようなことはしちゃいけない。



俺の中にあるには、俺自身もう少しだけ気付かないフリをしておこう。


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