いつか知る青

佐藤 亘

いつか知る青

「おばあちゃんの目、青くてすてきねぇ」


 娘の言葉に蒼ざめた私は、即座に謝ろうと口を開いたまま、固まってしまった。


 加齢による脂質の沈着から、義母のような年齢の人に多く出る青い目の症状を老人環という。それを四歳の娘に説明するのも、日頃から老いを嘆く義母に対してその青い目の話は失礼なのだと叱るのも憚られ、何も言えなくなってしまったのだ。



 義母は美に執着する人だった。百貨店でブランド化粧品の販売員を長く勤め、客に勧める手前自分が綺麗でなければ商売にならないと、美しさの維持を怠らない販売員の鑑のような人だった。

 その努力は定年退職するその日まで続き、亡くなった義父は義母の美しさと仕事への姿勢を常々褒めていた。自他ともに認める程、飽くなき美への追及が義母の生き方であったのだ。


 そんな義母が、これまで培った化粧の技術や念入りな肌の手入れでも打ち勝てない、老化という抗えない事象に酷く嘆いていたのを私は知っている。知っているからこそ、娘の無邪気で無神経だった発言をどう諫めるべきか悩み、結果、この体たらくに至る。


「どうして素敵だと思ったの?」


 口を開いたのは義母だった。しゃんと伸びた背筋に、シミと皺はあれど怠らない保湿から艶のある肌。その肌を幼心に好きだと思っているのか、娘は遠慮なく紅葉手で腕の肉をつまみながら、「あのね」と言いつつ義母の膝に乗った。


「朝にね、おかあさんといっしょにアニメを見るの。それに出てる大好きな女の子と、おばあちゃんは同じ目の色なの」


 無遠慮につままれた腕の皮は、まだ元に戻らない。伸ばされる度にそっと直していた姿を以前よりよく目にしていた私は、ハラハラしながら日曜朝のアニメの話を語る娘と義母を見守った。


「その子は最初から青い目なの?」

「うん。青い目で、青い髪なんだよ」

「そう。でもその子は生まれつきで、私は生まれつきじゃないのよ」


 ああ。やはりあの言葉は義母を傷つけてしまったのだ。今からでも謝罪は遅くないだろう。そう思い、腰を上げて娘を引き取ろうとした私だったが、それよりも先に娘が義母の膝から飛び降りた。


「私もなれる?」

「……え?」

「青い目! おばあちゃんがなれたなら私もいつかなれるってことだよね?」


 だって私はおばあちゃんの孫だもん! と興奮して頬を赤くする娘に、義母はきょとんと目を瞬かせた。


「そうね……おばあちゃんの年齢になれば」

「やっぱり! おばあちゃんになったら私も青い目になれるのね!」

「嬉しいの?」

「嬉しい! だってとってもきれいだもん!」


 アニメのあの子の目も綺麗だが、義母の目の色もとても素敵で大好きなのだと、娘は語る。

 その言葉を聞いて大きく目を見開いた義母は、目尻に皺を刻みながらにっこりと笑った。


 私の目の前でしゃんと背筋を伸ばしていた義母は、みるみる背を曲げて小さくなり、娘をぎゅうと抱きしめる。


 娘はいつか知るだろう。幼い頃に憧れた少女と、祖母の青い目の本当の違いを。けれども、その時に同じく知るだろう。自分の無邪気な発言が、どうして祖母の満面の笑みを引き出すことが出来たのかを。


 つままれた義母の皮膚はまだ元に戻らない。だが、刻まれた年でしか出せない美を知った義母は、もうそんな事を気にする事も無くなるのだろうと私は思った。


「年を取るのも、いいものねぇ」


 そう言って笑み崩れる義母は、アニメの女の子にも負けない、世界で一番綺麗で可愛いおばあちゃんだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつか知る青 佐藤 亘 @yukinozyou_satou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ