第25話 魔女、黄昏④

 荷台ががたんと大きく揺れて、ノルベルトは目を覚ました。

「お、起きた?」

 荷物と荷物の間の狭い空間で顔を上げるとラフが長い脚を窮屈そうに折りたたんで座っていた。ノルベルトも同じ姿勢で彼の正面に座らされている。ノルベルトが身じろぎすると節々がずきりと痛んだ。加えて、なんとなく全身がだるいような気もする。

「…………」

 いや、これは荷台で揺られ続けたからであって、どうか昨夜体力を消耗するようなことを目の前の彼としたからではありませんように。

「期待外れで悪いけど、寝込みを襲う趣味はないんだな、これが」

「いや期待はまったくしてないんだけど」

 そこでノルベルトははたと気づいた。

「…… もしかして、いや絶対ないと思うけど、お兄さん俺のこと戦力じゃなくてそういう要員として見てる?」

「…………………… そんなわけないだろ」

 思い切り目を逸らしながら言われて信用できるわけがない。ノルベルトの軽蔑したような視線に気がついたのか、ラフは慌てたように言った。

「あのー、ちょっと元気をわけてくれるだけでいんだよ、究極お兄さんは寝転んでるだけで。むしろそれで」

「いいわけなくない?」

「なんで? 俺のこともう嫌いになった?」

「もう嫌いというよりもう怖いよ」

「どこが? こんなに優しくしてるのに、嫌になるタイミングあった?」

「その恋人同士の別れ話みたいなテンションやめてくんない」

「まだ俺のこと好きなんだろ?」

「まず好きだったことがないんだよ」

 できうる限り冷たく突き放し続けていると、ラフはふっと噴き出した。本気なのかそうじゃないのかわからない。

 ふいに景色が明るくなってノルベルトは顔を上げた。木々の合間を縫うように続いていた街道が開けたところに出たのだ。先の方には川のあちら側とこちら側をつなぐ大きな橋があり、手前の関所では騎士団が厳しく検問をしている様子が見える。知っている顔がないといいが。

「…… 悪いけど俺、ほんとに剣ふるうことしかできないよ。今までの人生でそれしかやってこなかったし」

 考えたくもないが、男の言葉が万が一本気だった時のことを考えて一度きっぱり否定しておく。騎士を前にして怖気づいたのかもしれない。ノルベルトの内心を知ってか知らずか、目の前の男はにやっと唇の端を持ち上げた。

「優しいなー、お兄さん。こんな男に律義についてくることないのに」

「いや、目の前のお兄さんに脅されて無理矢理乗せられただけ」

「そうだった」

 ラフは荷馬車が関所の手前まで来ると、御者にひとこと告げて荷台を降りた。続いて荷台を降りるノルベルトの頬にぽつりと水滴があたる。雨だ。先を見ると、薄暗い雲が空を覆っている。ノルベルトはマントのフードを深くかぶりなおした。横で同じようにフードを頭にかぶせたラフに向かって、ノルベルトは口を開く。

「一つ参考までに聞きたいんだけど、探し物って人? 物?」

「何? ようやく俺に興味持ってくれた?」

「いや、比較的物よりも人の方が短期間であちこち動き回ったりしてこっちのリスクが上がったら嫌だなと思っただけ」

 もういちいちげんなりするのも疲れたが、話しているといくらか緊張がほぐれた。検問でぼろを出したくない。

「…… 身内が霧魔にやられてね。別に珍しい話でもないだろ。身内のかたきとるまでは死ぬに死ねないって、そんだけ」

 それを聞いて、いろいろなものがすとんと腑に落ちた。

 彼の陰のある表情のわけや、どこか自暴自棄になっている態度に対して。

 べつに珍しい話じゃない。彼の言うとおり、親兄弟が霧魔に殺されてしまい天涯孤独の身になったなんて話は、魔王大戦のあとに霧魔が異常な繁殖を始めて以降、よくある話だった。親のかたきを取るために騎士になったという奴だって騎士団には大勢いた。

 ただ。

(身内のかたきとるまでは、ね……)

 それはつまり、それが終わったら死ねるってことで。

 ノルベルトはああ、と思った。

 男の、いつ死んでも構わないというような顔に感じた既視感の正体。それはきっと、ノルベルト自身だ。自分としたことが、勝手に共感して、期待した。呆れる。子どもの時から馬鹿なのが変わってない。

「…… その霧魔の特徴を教えてくんない? 俺が間違えてやっちゃわないとも限らないでしょ」

「絶対ありえないから大丈夫」

 聞き返す前に、騎士が通行証の提示を求めてきてノルベルトはラフの背後で口をつぐんだ。



「―― じゃ、俺は出るけど」

 関所を越えてからほど近くにある町で宿をとってしばらくするとラフは外套を羽織って立ち上がった。

「いい子にしてろよ。知らない人が来ても部屋に上げないように」

「俺のこと五歳だと思ってる?」

 幼い子どもに言い聞かせるかのような言い方に言い返せば、男は存外穏やかに笑んだのみで部屋を出た。ノルベルトは面食らってしまってそのまましばらく茫然とした。…… 調子が狂う。

 耳の後ろを掻きながら窓に近づいて、ラフが出ていったであろう方角を見た。雨の中にそれらしき背中が見える。しばらく見つめたが、男が気づく気配はなかった。ノルベルトは深いため息を吐きながらベッドに身を投げた。

 変な男だ。一番は、遊んでいるようでいながらそれが真の目的ではないかのような違和感。目の前でこちらを誘う言葉を吐きながら、心はまったく別のところにあるかのような。

 こつこつとドアを叩く音がして、ノルベルトは目を覚ました。いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。何か言っているように聞こえるが、降りしきる雨の音にかき消されてよくわからない。ノルベルトは起き上がって窓を閉めた。

「どなたかいらっしゃいますか」

 いくらか歳のいった男性のような声だった。ややかすれているが、老人と呼ぶほどでもない。

「…… 何ですか?」

 嫌な感じがした。暴漢というふうでもない、むしろ穏やかそうな、紳士風の話し声であるにもかかわらず妙に不安を感じてノルベルトは壁に立てかけた剣を取った。

「ここを開けてくれませんか」

 ノルベルトは答えない。

「好い匂いがする。あの子の匂いだ」

 ―― あの子?

 眉をひそめたその瞬間、ドアが力強く叩かれた。

「あの子の匂いがする。好い匂いだ、あの子の匂いか?」

 ぞくりと悪寒が走った。同時に、既視感。逃げるべきだ。

 窓へと後ずさりするそばで、ついさっき閉めたはずの場所が開いた。

「お、言いつけ守ってたな」

 よしよしと言いながら狭い窓から器用に入ってきた男は、金髪の下でにやりと笑みを浮かべた。部屋の外からはがりがりとドアに爪を立てるような音が聞こえてくる。

「…… 思ったより効いてるっぽいな」

 呟く男の姿に、ノルベルトはぎょっとした。着ている服も血まみれで、ところどころ破れている。

「あんた、それ……」

「返り血。何、心配してくれんの?」

 違う。返り血なんかじゃない。この血の量。憔悴具合。戦況は、とても良いとは言えないはずだ。

「これ依頼料」

 男はおもむろに袋を懐から出すと、ノルベルトの胸へと押しつけた。

「は?」

「朝には多分全部終わるから」

「いや、ちょっと……!」

 ノルベルトは思わずそう言って背中を向けた男の腕をつかんだ。

「何」

「だってあんた……」

 どう見たって、どう考えたって行って戦える状態じゃない。なんとなくわかる。生きて帰ってくるつもりなど到底ないこと。自身の内側からふつふつと妙な感情が湧いてくるのを感じていると、ふいに男の方から反対に腕をつかんできた。え、と思うより先に、口を喰われた。こっちが面食らっている隙に男は口を放し、ぽんと腕を叩いた。

「ありがとな」

 なにが、とかいう前にやはり男はさっさと部屋を出ていった。しばらく呆然としたあとはっと我に返って窓に取りつくが、どういうわけかまるで開かない。さっきは問題なく開いたのに、わけがわからない。身をひるがえしてドアにも手をかけてみるがびくりともしない。力任せに殴る、蹴る、押す―― 何をしても開かない。外を通る人影に向かって呼びかけるも反応がない。術の類か? 頭がくらくらする。口の中に血の味がしてきた。ノルベルトは奥歯を噛みしめた。許せない。

 何度か体当たりを続けていると、ふいにすんなりドアが開いた。その意味は、術を使わないノルベルトでもわかった。宿のロビーから出ようとすると、女将が止めてくる。

「お客さん、今外へ出ない方がいいよ。山の方から霧魔が出てきて、今ギルドの人が――」

「それって金髪の男?」

「ええ?」

「そのギルドのひと! 俺と同じくらいの背丈の金髪の男かって――」

「あ、ああ、そうだけど」

 女将の返事を聞くなり、ノルベルトは外へ飛び出した。瞬間、どこかから尋常でない爆発音が聞こえる。ノルベルトは辺りを見回し、歯噛みした。雨で視界が悪い。町の造りを把握しておくべきだった。

 間もなくして、大きな水飛沫の音が聞こえてくる。

 ―― 河か。

 瞬時に判断して走る。

 どうにか橋の近くまで駆けつけると、河を流れていく体がふたつある。片方はラフだ。ノルベルトは一も二もなく橋から乗り出して男の腕をつかみ橋の上へ引き上げた。

「おい! 目ぇ開けろ! おい!」

 肩をゆさぶって大声で呼びかけるが、なんの反応もない。先ほどからふつふつと湧き上がる感情が、今ではもう煮えたぎるほどのものになっている。

「目をあけろよッ…………」

 なんだ、これは。

 静かに横たわる男の肩を握りしめ震えるノルベルトの後ろに、何者かの気配がした。とっさに振り返ると、その人物は不思議そうな顔で首を傾げた。

「あれ? そいつ死んでるんじゃないの?」

 不思議な声だった。

 長いマントで隠れた全身からフードを取り払うと、朝焼けの色をした髪が中から溢れ出た。そしてラフのそばにしゃがみこみ顔を覗き込んだ。

「生きてるっちゃ生きてるけど…… んー、困ったな。放っておいたらそのうち死ぬかね」

「…… 生きてる……?」

 謎の人物のつぶやきを、ノルベルトはなかば呆然とした状態で反芻した。

「生きてんの、このひと」

 ノルベルトの問いかけに目の前の人物は膝を抱えたまま言った。

「ああ、あんたが今のこいつの命綱か」

「命綱? 俺が?」

 眉をひそめて問いかければ、彼―― 否、彼か彼女かすらも、その容貌からは判別できない―― は、眉を上げて答えた。ノルベルトは自身の呼吸が上がるのを感じた。

「あんた、もしかしてこの男が息を吹き返す方法を知ってる――――?」

「そりゃ知ってるけど、それを教えたら私があいつに怒られちゃうからなあ。ま、いつものことなんだけど。…… あんたは、ずいぶん執着するんだね?」

 この男に、と聞かれて、ノルベルトは初めて、己の気持ちを自覚した。

「だって…… 許せなくて、俺……」

 あまりに傲慢で、子どもっぽくて、独りよがりな、これは。

 それは、確かに憎しみだった。

 なかば呆然と口にした瞬間、相手は弾かれたように笑い出した。

「いいよ、いい。愛と憎しみは大好物だ。好物のためなら、怒られるのなんてわけはないね。いいさ、教えてあげよう」

 にやりと笑った顔がまるで、おとぎ話に出てくる悪い魔女のようだった。そこでようやく、ノルベルトは雨が止んでいることに気がついた。立ち上がった彼の背中に、燃えるような夕日が、ノルベルトを責めるように輝いていた。

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死にぞこない交響曲-親愛なる××へ、刃を研いで- 水越ユタカ @nokonoko033

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