第24話 魔女、黄昏③
意識がとおのく。
「こんなとこで寝るなよ、お兄さん」
頬をぺちぺち叩かれるも、薄らいでいく意識には勝てない。
どさりとその場に倒れた体を、男はしげしげと眺めた。顔色は悪いが死んではいない。筋肉もしっかりとついていて、体は頑丈そうだ。
「すみません、このあたりで若い男を見ませんでしたか、黒髪で、背が高い」
表通りからそんな声が聞こえてくる。騎士だ。男はノルベルトを見た。若く、黒髪で、背が高い。少し考える。
「所長、これ持って帰るの手伝ってくんない」
「はあ?」
所長と呼ばれた女性は、表通りに聞こえないように抑えつつも素っ頓狂な声を上げてみせる。
「騎士団に追われてる奴をか? わざわざ? 確実に面倒なことになるぞ」
「もうなってる」
「ラフ、お前って奴は本ッ当に可愛さのカケラもなくなっちまったよな」
ラフと呼ばれた男は、金髪の奥にある目を細めてにやっと笑った。それを見て、所長は苦々しく顔を歪ませる。
「まったく、なんでこうなったんだか」
所長は捨て台詞のように言いながら部屋を出た。
頭上で繰り広げられるやりとりの騒がしさにノルベルトは眉をひそめ、ゆっくりと目を開けた。
「よう、お兄さん。気分はどうだい」
ノルベルトはラフの姿を見た途端、勢いよく起き上がった。そして慌てて辺りを見回したので、ラフは察してベッド横を指さした。
「剣ならそこ。んでここは派遣所の二階。あんた下の路地で倒れたんだぜ」
「派遣所……」
「あれ、あんたここがどこだかわかってない? ―― つってもこんな街に名前なんてないけど」
ノルベルトに説明しつつ、窓辺に腰かけたままラフは窓を開けた。
「ここはギルドの総本山…… ほら、そこに連合本部の旗が見えるだろ」
ノルベルトはぼんやりとしながらそうか、と呟くと
「助けてくれてありがとう。それじゃ」
と言って剣を取り立ち上がった。
「おいおい、ちょっと待てよ」
ラフは急いで立ち上がると、部屋を出ようとするノルベルトの前に立ち塞がった。
「助けてもらっておいて、ありがとうの一言で終いか?」
「あー…… っと、申し訳ない、あいにく金も金になりそうなものも持ってない」
「別に、体で払ってくれりゃいいよ」
「…………」
一瞬あらぬことを考えた。
「霧魔の討伐? 場所は? それとも護衛? 悪いんだけど俺、今先を急いでて――」
「半分合ってるけど」
ラフは一歩進んで、ノルベルトとの距離を詰めてきた。ちょうど同じくらいの背丈らしく、ノルベルトが見下ろすことも見上げることもなく視線が絡む。ぞっとするような美男だった。
「…… 俺お兄さんのことけっこう好みなんだよな」
途端、ノルベルトは激しく咳き込んだ。
「何…… なに言って…………!」
「そのままの意味なんだけど」
そう言う彼の声が、さっきまでの飄々とした風では全然なくて、かといって人肌を恋しがる風でもなかったので、ノルベルトは男の顔を見た。何かに絶望しているような―― 否、そんな顔は下町でいくらでもあった。まるで、いつ死んでも構わないとでも言っているような顔。それを、いつかどこかで、見た覚えがある。
と、そこまで考えたところでノルベルトの腹がぐうと鳴った。
「とりあえず飯だな」
「俺はいい。もう行くから」
ラフが身をひるがえした隙をついて横を通り過ぎようとするが、すんでのところで剣の鞘をつかまれる。細身で油断していたが思ったより力が強い。そのままぐいと眼前に持ち上げられる。
「対霧魔用。帝国騎士団御用達だ。こういうのは一番最初に布にでもくるんでおくもんだぜ、色男さん」
「…… ご忠告、どうも」
短く答えつつ、どうにかこいつから逃げる術を考えている間に向こうが先に口を開く。
「外にはまだ騎士団がうろついてんだよなあ」
「…………!」
「ここってわりと街の隅でさ、だれかに通報されたら逃げられないんだよな」
「…… 恐喝だ……」
「あれ? ラフじゃん。今日いないと思った」
階下へ降りるなり、金茶色の髪をした男が声をかけてきた。一階は酒場になっているらしく、晩酌する冒険者風情で溢れかえっている。
「デカい犬拾ってた」
「デカ犬くんは名前何くん?」
「ベルくん」
「勝手に名前つけないでくんない」
冗談交じりの会話にノルベルトが割って入ると、ラフはだって、とノルベルトが今しがた上着で包んだ剣を指さした。
「鞘んとこに彫ってあったぜ、ほとんどかすれてたけど。あ、ビールふたつちょうだい」
ラフは近くにいた女給に注文するとカウンター席に腰かけた。
「ていうか、俺が真面目に名前聞いても教えてくれないだろ、お兄さんは」
「…………」
ノルベルトは憮然とした顔で空いた席に着いた。
「さっきの話に戻るんだけどさ」
ジョッキが運ばれてくるとともにラフが声のトーンを落として切り出した。
「あんたには俺の旅に同行してほしいわけ」
「…… 旅?」
「旅っつーか、探し物? 探すのはこっちで勝手にやるから道中の戦力としてだけついてきくれりゃいいし、方向的にはこっから南になるからあんたは帝都から離れられる。悪い話じゃないだろ」
「関所は?」
南へ行く途中の河を横断するための橋の手前には関所があって、騎士団から発行された通行証がないと通れない。
「ちゃんと偽装済み」
ラフはご心配なく、と言いながら上着の内ポケットに入れた通行証を見せてきた。実際に発行されるそれとほとんど相違ないように思える。ノルベルトが思わず感心すると、ラフはにやっと笑って「決まりだな」と言った。
承諾したつもりはないが、かといって行くあてもない。ほとぼりが冷めるまで帝都から離れられるのもありがたい。―― が、なんでこの男は自分に声をかけたのか。この辺りを探せば同行してくれる相手はいくらでも見つかるだろうに。
ノルベルトは隣でビールを呷る男の横顔を見た。どこかで見たことがあるような気がしてならない。
「…… 俺とあんた、どっかで会ったことある?」
「ん?」
「なんか初めて会った気がしないんだけど」
ノルベルトが尋ねると、ラフはビールを飲んでいた手を止めて頬杖をつきながらノルベルトに向き直った。髪が額にかかっているせいでわかりにくいが、くすんだ金髪の隙間から見つめられれば、寒気が走ってしまうほど美しい男である。ノルベルトは何となく居心地の悪さを感じて、自身の目の前にあるジョッキに手を伸ばした。
「それってさっきのの返事?」
「さっき?」
「俺がベルお兄さんのこと好みだなって話」
思わず咳き込んだ。
「ち―― ちがう。絶対に違う」
「俺、けっこう上手い方」
「聞いてないし」
妙に生々しい手つきで主張してくる男から目を背けつつ酒を呑み進めていると、ラフはふと表情を変えて店の外を見た。何やら騒がしい。そう思っているうちに店の扉が開く。
「おい! 聞いたぞ!」
若い男性だ。彼は顔を真っ赤にしながらまっすぐラフのそばにやってきたかと思えば、今にもつかみかかりそうな気配で叫んだ。
「俺以外とは切ったって言っておいて、他の男とも会ってたらしいじゃないか」
えっ、なにこれ修羅場?
「そりゃお前…… そうでも言わなきゃお前がヤらせてくれなかったからじゃん?」
ノルベルトは今度こそ盛大にむせたが、周囲はこの修羅場の方に注目していて誰にも見向きもされなかった。
「俺に言った言葉はみんな嘘だったってことか?」
「いちいち全部本気にすんなよ、生娘じゃねえんだからさ」
「俺はただ――!」
「あーもう面倒くせえな。なあ、いつものちょうだい」
ラフは心底面倒くさそうに頭を振って立ち上がり、カウンターの奥に向かって言うと、手にしたジョッキを呷った。
「じゃあこうだ。俺とお前で飲み比べをして、負けた方が勝った方の言うことを聞く。俺が先に潰れたら煮るなり焼くなり好きにすりゃあいい」
簡単だろ、とラフが言い終わるとともに、中央のテーブルへショットが運ばれてくる。すると離れた席にいた者たちが次々に立ち上がり、我先にといった様子で中央のテーブルを遠巻きに囲い込むように並んだ。何事かとノルベルトが戸惑っているうちに人だかりはすっかり完成されてしまって、ノルベルトは外から見る羽目になる。ノルベルト自身の背が平均より高いのと、向こうもそうであるらしく、大まかな様子を知るのにはあまり困らない。
初めにラフが一杯、勢いよく呷った。
「やるの? やんないの?」
その挑発を皮切りに、男は荒々しくショットグラスをつかむと一息に喉に流し込んだ。周りから面白がるような声が上がる。
一般的なルールにならってラフと相手の男はそのまま交互に飲み続けていたが、何度目かで相手の男の手が止まった。
「思ったより早かったな?」
涼しい顔のラフとは裏腹に、男は首まで真っ赤になってしまっていた。
「なんでだよ…… 好き合ってたんじゃないのか、俺たちは……」
「そりゃあんたの勘違いだ」
食い下がる男に対しラフは冷たく言い切った。
「次は俺だ。いいだろ?」
人だかりの中から名乗りが上がる。ラフやさっきの男よりは少し年かさの男だ。
「いいよ。楽しませてくれるんなら」
そうして二人は先ほどと同じように順番に飲み続けたが、ラフはほとんど顔色を変えないまま相手が潰れてしまった。それからも続けて何人か挑戦したが、ラフはようやく赤くなりはじめた程度で、音を上げそうな様子はまったくない。しかし、量としては大分飲んだはずだ。
「なあ、ちょっと」
ノルベルトは人ごみをかきわけて、ついさっき声をかけてきた金茶色の髪の男に声をかけた。
「あれ大丈夫なわけ?」
彼はノルベルトに気づくとああ、と口にした。
「平気だよ。一晩で開けていいボトルの本数決まってんだ。前にそれで所長がキレて、決めた数しかここに置いてないんだ」
「あ、なるほど……」
「それにあいつ、とんでもないうわばみだから心配するだけ無駄だぜ。あいつを潰したことがあるのは過去に一人だけだって噂だし。―― ほら、あのボトルで最後」
もうないよ、と彼が言った瞬間、群衆の中からボトルを幾本も持った男たちが現れて、テーブルに置いた。
「たまには無制限でいこうぜ」
「…… へえ」
ラフはテーブルに並んだボトルを見て薄く笑みを浮かべた。
「サプライズってわけだ」
ノルベルトは思わず隣の男を見た。彼もまた、まずいな、と歯噛みした。
「今夜は所長が連合の会合に行ってて帰ってこない……。いや、もともとあいつの自業自得といえばそれまでだけど……」
気づけば動き出していた。
人だかりを無理矢理割ってラフのそばまでつかつか歩いていくと、彼の手からショットグラスを奪い取って飲み干した。
「一人に対してこんな大人数で何とも思わないの、あんたたち」
周囲は突然の出来事にあっけに取られていたが、ラフが初めに口を開いた。
「邪魔しないでくれよ、お兄さん」
「あんたもあんただよ、ラフくんだっけ?」
ノルベルトはあえて酔っぱらったふりをしてラフに突っかかった。
「あんたさっきまで俺に好きだの好みだの言いまくってたじゃないか」
酔っ払いのふりは得意だ。
「それが何? 次から次へと、いちにーさんしーよんごー…… ごにん! 五人も!」
「六人な」
四を二回言ってるよ、と的確に突っ込んでくるラフに詰め寄りながら、男たちが出してきたボトルを手に取る。
「故郷も親も友達も霧魔に殺されて、なんとか職につけたら仲間に彼女寝とられるし……」
「あ、ちょ……」
声が上がるのも無視してボトルの中身を一気に呷った。流石にくる。
マスターの酒場やら騎士団やらで盗み聞きした話を組み合わせて、いわゆる可哀想風の話を作り上げるのは簡単だった。整合性がとれているかは疑問だが、酔っぱらいの話と思えばなんとかなるだろう。
「やっとのことで関所をこえたらなんか変な男に騙されるし……」
と、そこで酒場の扉が荒々しく開いた。誰かの怒声が聞こえる。ノルベルトの記憶はそこで途絶えた。
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