奈良県むかしばなし・奈良島太郎

あをにまる

奈良島太郎(原作:浦島太郎)


 むかしむかし、海のない奈良県に、島太郎しまたろうという大学生が住んでおりました。


 苗字が島で、名前が太郎で、住所が奈良市なので、みんなは時折彼の事を奈良島太郎ならしまたろうという変なあだ名で呼んでいました。

 法学部の三年生である島太郎は、毎日朝早く近鉄電車に乗って県内の大学へ出かけ、何とか四年で卒業しようと必死になっております。

 しかし、彼は一年生の時から既に必修の単位を落としまくっていたので、卒業できるかどうかは割とギリギリでした。


 さて、ある日の夕方、コンビニでのアルバイトを終えた島太郎が帰宅のために近鉄西大寺駅へ向かっていたところ、道中、金髪のヤンキーたちが寄ってたかって何かを袋叩きにしています。

 島太郎がその様子をおそるおそる覗き見たところ、彼らにシバかれているのはなんと、四十五歳前後と思われる髭面のおっさんではありませんか。

 ヤンキーたちは皆口々に、「金を出せ」だの、「キャッシュカードの番号を教えろ」だのと叫んでいました。俗にいうオヤジ狩りというやつです。


「こりゃあひどい。ポリスメンを呼んであげよう」


 島太郎がすぐ近くの交番にいた駐在さんを呼んでやると、ヤンキーたちはたちまち蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出します。そして駐在さんはそのまま、逃げるヤンキーたちを駆け足で追いかけてゆきました。

 ふと見ると、顔が月面のようにボコボコになったおっさんは、涙と鼻水を全開にこぼしながら島太郎のほうを呆然と見つめています。島太郎は、


「どうぞ、これで顔を拭いてください。もう、変なのには絡まれないようにね」


 と言って、ハンカチを手渡してあげました。するとおっさんは泣きながら感謝の言葉を述べたあと、島太郎のほうへ大きく手を振って、秋篠川にかかる橋をどしどし渡ってゆきました。


 さて、それからしばらくたった、期末試験前日のとある日の事です。

 いつものようにバイトを終えた島太郎が、近鉄西大寺駅のホームで電車を待っていると、何やら背後から、「島太郎さん、島太郎さん」と呼びかける声がします。

 島太郎が振りかえってみると、その声の主はなんと、先日のオヤジ狩りに遭っていたおっさんではありませんか。


「ああ、あの時のおじさんじゃないですか。これはお元気そうで何より」


 そう言って島太郎が軽く挨拶をすると、おっさんはもじゃもじゃの頭をまた丁寧にぺこりと下げました。


「どうも、改めまして私、亀田と申します。この間は本当に助かりました。あなたがいなければ、私は今頃どうなっていた事やら。島太郎さんはまさに、私の命の恩人と言っても過言ではありません」


 いえいえそんな大袈裟な、と言いかけて、ふと、島太郎の頭にひとつの疑問符が浮かびます。


「あれ、そういえばどうして僕の名前を? 以前どこかでお会いしたことがありましたっけ?」

「島太郎さんは私の名前を覚えていないようですが、私はあなたの事をしっかりと覚えていますよ。それに、こう見えて私はまだ20歳なので、あなたよりもひとつ年下の大学生です」

「ああっ、思いだした! 君は僕が2年生のとき、第二外国語の再履修クラスで隣の席だった亀田くんじゃないか!」


 ぽんと手を叩いて合点した島太郎を見て、亀田はとても嬉しそうな笑顔を浮かべます。


「ははは。ようやく思い出してくれましたね。もっとも、あのクラスで再履修だった上級生は島太郎さんだけでしたが」

「これは驚いた。亀田くん、この1年半ほどの間に一体何があったんだい。その髭面はどこからどう見ても、平日の昼間からパチンコ屋にいそうな四十過ぎのおっさんじゃないか。なぜそんな急に老けたの?」

「ははは。他の皆からもよく言われます。まあ、色々ありましてね。最近は大学で就活用のスーツを着ていると、教授としょっちゅう間違えられる有様ですよ」


 そう言って、亀田はもじゃもじゃの頭をさすりながら、えへへと笑います。島太郎もかつてのクラスメイトとの意外な再会に、思わず顔がほころびました。


「さて、それはさておき、今日は島太郎さんにぜひ、何か先日のお礼をさせて頂きたいのです。突然ですが島太郎さんは、メイドカフェというところへ行った事がありますか?」

「メイドカフェ? 話には聞いた事があるけど、まだ行ったことは無いなあ。そもそもメイドカフェって、一体どこにあるの?」

「大阪の日本橋にあります」

「えっ、秋葉原じゃなくて、大阪にもあったの?」

「はい。あくまで私の調べですが、むしろ今までメイドカフェが開業した事がないのはこの奈良県くらいのものですよ。よければ先日助けて頂いたお礼にぜひ今から、島太郎さんをお連れしたいと思うのですが、いかがでしょう?」


 その亀田の提案は、島太郎にとって非常に魅力的なものでした。しかしひとつだけ、彼には心配ごとがあったのです。


「うーん。正直それはとても興味があるのだけれど、明日は必修科目の期末試験だからなあ。今日こそは家に帰って勉強する予定だったのだけれども……」


 島太郎はしばし、腕を組んで考えましたが、やがてふっと決意したように、顔をあげてこう言いました。


「けどまあ、少しくらいなら大丈夫か。明日の民法Ⅱ、まだノー勉だけど、家に帰ってから夜に勉強すればきっと間に合うさ。それじゃあぜひ、行ってみるとしよう!」

「決まりですね! ではさっそく、大阪難波行きの快速急行へ乗りましょう!」


 それから亀田と島太郎は、大和西大寺駅の4番ホームに停まっていた電車の中を突っ切って、3番線から難波行きの快速電車へと乗りこみました。

 電車が近鉄奈良線の新生駒トンネルを抜けると、その先には大阪平野の壮大な街並みに浮かぶ、幻のように美しい夕景が広がっています。


 やがて車窓に映る山々の緑が遠くなって、大きなビルの海が近づくと、二人は大阪市中央区にある立派な地下鉄駅へと辿り着きました。


「ここが日本橋駅です。次は、最寄りの恵比寿町駅まで市営地下鉄に乗りましょう」


 亀田の後をついていきながら、今度は大阪メトロの堺筋線に乗り換えて、次の恵美須町駅で電車を降ります。すると、そこはかつて島太郎が見たこともないような、とてもとても不思議な場所でした。街中のいたるところには目をきらきらさせたキャラクターの看板が無数にそびえ立ち、アーケードの電気屋に置かれたスピーカーからは、やたらテンションの高いアニメソングがけたたましく鳴り響いております。


 そして数分歩くと、島太郎たちはまるでおとぎの国から飛び出してきたような、とてもファンシーで可愛らしいお店の前に到着しました。


「さあ、ようやく着きましたよ。ここが私イチオシのメイドカフェ、その名も『竜宮嬢りゅうぐうじょう』です」


 と言うと、亀田は島太郎の背中を押して、店の中へとぐいぐい入っていきます。

 そして島太郎たちが入口をくぐると、この竜宮の店主である可愛らしいメイドの乙姫おつひめさまが、フリフリの服を着た他のメイドさんたちと共に出迎えてくれました。


「おかえりなさいませ、ご主人様。わあ、亀田さん、今日も帰って来てくれたんですね! あら、そちらのご主人さまは、とても久しぶりのご帰宅ですね。よければ当家のきまりごとをお忘れかもしれないので、改めてご説明しましょうか?」

「え、ええと、申し訳ない、こういう場所に不慣れなもので、話が見えないのだけれど、まず『ご帰宅』ってのは何なのかな。それに、僕はこの店に来るのは間違いなく初めてなのだけれども」


 初っ端から謎の異文化コミュニケーションに戸惑う島太郎でしたが、そこへ助け船を出すかのように、亀田がそっと耳打ちをします。


「島太郎さん、これは『世界観』というやつですよ。このお店は、館に仕えるメイドさんたちが、家に帰ってきたご主人様のために手料理を振る舞ったりしてくれるという設定なのです。自分の家なのだから、たとえ来るのが初めてでも『久しぶりなので色々とルールを忘れてしまった』と、そういう筋書きになっているのです」


 島太郎はその言葉を聞いてようやく、この夢の国の一端を理解しました。


「それはそれは、たいへん失礼した。じゃあ、折角なので、その我が家の決まり事とやらを、改めて説明してもらっても宜しいかな?」


 そう言うと、乙姫さまはスカートの両裾を優雅に軽く持ち上げながら会釈したのち、満面の笑顔とともにお店のシステムについての説明を始めました。


「かしこまりました、ご主人様。まず、当家の『ご帰宅料』はおひとり様千円となっております。それから、一時間ごとに『ご在宅料』の五百円を頂戴いたします」

「な、なんと、自分の家なのに、帰宅するたびにお金を取られるのですか。しかもいるだけで一時間おきに追加の金を徴収されるという、まるで住民税だ」


 聞き慣れないパワーワードの連続に、またしても驚愕の色を隠せない島太郎でしたが、再びそこへ亀田がそっと耳打ちをします。


「島太郎さん、そういう野暮なツッコミをしてはなりませんよ。これはいわゆるテーブルチャージ料というものです。ちなみにここでの飲食代は全て『材料費』、たとえ店内をハエが飛んでいてもそれは『妖精さん』という設定です。お金は全て私が払いますので、島太郎さんはそのあたりは気にせず、心ゆくまで楽しんでください」

「そ、そうかい。かたじけない。それじゃあ遠慮なく、ご馳走になるとしよう」


 そうして、島太郎たちは奥のテーブル席ヘと案内されました。

 島太郎が席へ座ると、可愛らしいメイドさん達が料理や飲み物を次々に運んできては、美味しくなる不思議なおまじないをかけてくれます。メイドさんが手作りしてくれたというオムライスは、ほんのり冷凍食品の風味がしましたが、そこには愛嬌のあるハートマークとともに、島太郎の名前がケチャップで大きく書かれておりました。


 更にしばらくすると、店内にリズミカルなアニメソングが流れ始め、メイドさんたちの歌やダンスのステージが始まります。

 それから面白いことや、ゆかいな事がたくさん続いて、亀田のいう通りここはまさに、極楽のような素晴らしい場所でした。

 最初は恥ずかしがっていた島太郎も、すっかりメイドさんたちとのお喋りが楽しくなってしまい、あともう一時間だけ、あともう一時間だけと上機嫌に過ごすうち、あっという間に五時間以上もの時が経ちってしまいました。


 すると、島太郎がメイドさんたちとお喋りをしているあいだ、長らくどこかへ行っていた亀田が席へと戻るなり、


「島太郎さん、そろそろお時間のほうは大丈夫ですか?」


 と、店内の時計を指さして言いました。

 ふと見れば、時刻は既に夜の十一時。

 そして島太郎はその瞬間、とある大事なことを思い出します。


(やばい。そういえば明日、必修科目の期末試験だった)


 すぐに島太郎は、店主の乙姫さまを小声で呼び止めました。


「乙姫さん、今日はたくさんお話をしてくれて、本当にありがとうございました。ですが僕はそろそろ、現実世界のマイホームへと帰らねばなりません」

「ええっ、ご主人様、もうお出かけされるのですか? せっかくなので、今日はこのまま最後までいらしてはいかがでしょう?」

「いや、流石に帰って勉強しないとヤバいので……」

「そうですか……ではぜひ、またのご帰宅をお待ちしておりますね。約束ですよ?」

「ええ、必ずまた来ますとも。約束です」


 メイドさん達との別れはたいへん名残惜しく、島太郎は後ろ髪を引かれる思いでした。

 しかし、スマホの乗り換えアプリを確認したところ、奈良までの終電は既にギリギリの時間です。やむなく亀田と島太郎の二人はお会計を済ませたあと、猛ダッシュで恵美須町駅へと向かい、そこから近鉄日本橋駅までなんとか戻って参りました。


 ですが、近鉄日本橋駅に着いた途端、島太郎は周囲の様子を目にして思わず仰天します。

 なぜか駅の構内は、とてつもない数の人々でごった返しているではありませんか。


 見れば、天井に吊られた電光掲示板には、【事故のため、上下線ともに運行終日見合わせ】という無情な文字が流れておりました。


「ぼくの単位、終わった」


 未だ一度も開いてすらいない教科書や参考書を丸ごと奈良の実家に置いてきてしまった島太郎は、この上ない絶望に打ちひしがれました。


「おやおや、タクシー乗り場も既に人であふれ返っていますし、これでは今日はもう、奈良方面へは帰れそうにありませんね。私は近くに住む親戚の家で、一晩を過ごすことといたします。島太郎さんはどうされますか?」

「もう、どのみち今からタクシーを待っても明日の試験勉強は間に合いそうにないから、諦めて適当に駅前の漫画喫茶かカプセルホテルに泊まることにするよ。ありがとう。今日はご馳走になった」

「いえいえ、どういたしまして。よければぜひまた今度、ご一緒しましょう。では最後に、島太郎さんに私からのお土産として、こちらの玉手箱を差し上げましょう」


 そう言うと、亀田は鞄の中から、紐で括られた小さな四角い箱を取り出しました。


「ん? その箱って、お菓子か何か?」

「いいえ、この玉手箱の中身は言うなれば、島太郎さんが過ごされた今日という日の『時間』そのものです。もし島太郎さんが今夜、本当に困ってどうしようも無くなったとき、この蓋をぜひそっと開いてみてください」

「何だかよくわからないけれども、とりあえず頂いておくよ。ありがとう」


 亀田と別れた島太郎はそれから、駅前の漫画喫茶で一晩を過ごすことにしました。

 漫画喫茶で軽くシャワーを浴びて、棚から持ってきた数冊の漫画を個室でパラパラとめくっているうちに、眠気がやってきました。腕時計を見ると、針は既に午前二時を回っております。


 そして、島太郎が卓上ランプの明かりを消して、椅子のリクライニングを倒し、そのまま眠りにつこうとした時のことです。

 ふと、亀田から帰り際に渡された、玉手箱が視界に入りました。


 島太郎は一瞬悩みましたが、好奇心が眠気にわずかに勝り、寝ぼけ眼をこすりながら、ゆっくりと紐を解いてみます。すると、玉手箱の中からは端正な文字がびっしりと羅列された、数枚の白いルーズリーフが出て参りました。

 さらに、箱の底には小さな付箋が貼られ、手書きのボールペンでこう記されております。


「明日の民法Ⅱの論述試験、予想問題と解答案を私なりに幾つかまとめてみました。要点を暗記すれば、なんとか欠点は免れるかもしれません。明日の試験、頑張ってくださいね。健闘を祈ります」


 ルーズリーフをぱらぱらとめくりながら、島太郎はふっと小さく笑いました。

 それからうーんと伸びをして、ドリンクバーへ一杯のホットコーヒーを淹れに向かいます。


 深夜、彼の手元に、再び卓上ランプの灯がともりましたとさ。

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