わたくしと陛下の政略結婚

真朱マロ

第1話 わたくしと陛下の政略結婚

 深夜にうなされて目が覚める。

 とても怖い夢を見た。

 首筋にまとわりつく汗を手でぬぐう。

 恐ろしい夢だったのだが、目が覚めてみるとその内容を思い出せなかった。


 フッと息を吐きだして寝具に身をうずめ、リディアナは再び目を閉じる。

 ざわめく気持ちをなだめるのは難しいけれど、こんな夢を見る理由もわかっている。

 明日、隣国の国王へと嫁ぐからだ。

 得体のしれない夢を見るほど、不安に思う自分にそっと苦笑した。


 明日、住み慣れた王城を旅立って嫁ぐ予定の隣国とは、長年にわたって国同士の仲が冷え切っていた。

 国境の鉱山地帯を巡って、隣国とは長い緊張状態を強いられていたのだ。

 ついでに言うと、大きな動きはないものの、領土の所有権や地下資源を巡っての小競り合いも年中行事であった。

 オーバル国とローソルト国は、相手が仕掛けてきたら返り討ちにするつもりで、常に相手を意識し続けてきたから、友好的な感情が育っていない。


 しかし、ここで情勢が変わった。

 北のディディル国が、近隣へと戦をしかけ始めたのだ。

 ディディル国の国民はいわゆる戦闘民族で、武力に特化している。

 冬になると雪に閉ざされる国土は食料の自給率が低く、飢えないためにも領土を広げるために南下してくるのも当然で、今はまだ二つほど国を挟んでいるがオーバル国とローソルト国にも迫っていた。


 ディディル国という非常に強い共通の敵を前にして、両国の国王の決断は早かった。

 力をあわせれば確実にディディル国を退ける確信があったので、長年の確執や互いの矜持よりも、国民の命や尊厳を優先したのである。

 常ににらみ合っていたので、相手の武力も技量も熟知しているため、最良の共同戦略を立てやすいことも同盟を結ぶ後押しになった。


 それぞれの国民も支持する同盟ではあったが、すんなり相手を信じられるかと言えば、それはまた別の話である。

 積年の不仲を払しょくするためにも、王族同士の婚姻が結ばれる事が、条文に盛り込まれたのも当然の事だろう。


 つまり、正真正銘の政略結婚である。

 リディアナはローソルト国王のテオドールの元へと嫁ぎ、テオドールの妹姫である第一王女がリディアナの兄へと嫁ぐことが決まった。


 幸いにも互いに年齢の巡りも良く、国内でもめるような婚約者も存在しなかった。

 王太子とリディアナの婚約者を決める際に、王室直属の先見の魔術師が星の巡りが悪いと予見し、ずっと空席のままだったのだ。


 だから、リディアナも突然降ってわいたような縁談に、驚きはしなかった。

 先見の魔術師の予見で「姫様が二十歳になる前にお相手は見つかるので、空席を維持してください」と言い切られていたので、その確かさに感心したぐらいだ。


 とはいえ、この婚姻に両手を挙げて歓迎する気持ちにもなれなかった。

 自国であるオーバルの事情は分かっても、相手方のテオドール王の事情は分からない。

 今までの関係上、手にしている情報が公にされた当たり障りのないモノばかりで判断しようがない。


 リディアナより三つ年上のテオドールは、近隣では最も若い王である。

 三年前に父王が体調を崩し、そのまま急死したので、急ぎ即位したと聞いている。

 そして兄二人も、父王の崩御の前後二年で病死していた。

 騎士団に属していた第三王子のテオドールが即位したのは成り行きでもあるのだが、短期間に王族の死が集中していることで、そこに何かがあったのではないかと噂されているのだ。

 

 しかし。噂は噂だと、リディアナは思う。

 それと同時に、噂になるきっかけもどこかにあるとも思う。

 真実は、会ってみなければわからない。


 それでも、ローソルト国にたどり着くまで、得体のしれない不安はついて回りそうだった。

 当分の間、不安で眠れないかもしれないわ……などと思っていたリディアナの予想は、完全に外れた。


 大陸共通の、他国に嫁ぐ際の閨作法を綴った書を、旅立つ際に母から渡されたのだ。

 ついでに先見の魔術師からも「先手必勝。ヤラレル前にヤッテおしまいなさい。恥じらいは母のお腹に忘れてきたと思い、作法どおりに行動すれば幸運が訪れます」という、なんとも言えない手紙をもらった。


 ヤラレルとは? ヤッテおしまいなさいとは? と謎だらけの気持ちで、母からもらった閨の書を開いて、瞬きも忘れて目を見開き、数呼吸あとでおもむろにそのページを閉じた。

 え? え? と戸惑いながら深呼吸し、再びそのページを開いたリディアナは茫然としながらページをめくり、熟した林檎より赤くなりウロウロと目を泳がせる。


 それは今まで蝶よ花よと大切に育てられ、色恋から隔離されていたゆえに「手をつないで同じ寝台で横になりさえすれば赤ちゃんが生まれる」と信じていたリディアナにとって、非常に過激な内容の数々が記されていた。


「わたくしが、これを実行しますの……?」


 誰か嘘だと言って。という気持ちでいても、閨の書には生々しいあれやこれやが、図解されている。

 暗記が望ましい所には赤いラインも引いてあり、それを見つけるたびにリディアナは「ひぃ!」とか「ひゃわわ!」とか「ぴゃぁ!」などと王女らしからぬ悲鳴を上げてしまう。

 誰かに相談しようにも同じ馬車に乗っているのは、母である王妃にも数々の指南を与えた実績を持つドッシリと構えたベテラン侍女長なので、ひとつ聞けばみっつぐらい深掘りされた閨ごとを教えられ、白目をむきそうだった。


「姫様、よろしいですか。わたくしどもは姫様を送り届けたら帰国します。ただ一人で嫁ぐ意味をよくよく考え、最優先でテオドール陛下を骨抜きにするのです」

「骨抜き!?」

「聞くところによるとテオドール陛下は武勇に優れたお方。女性を玩ぶどころか関わることもなかったという堅物ですから、可愛らしい姫様の魅力でデレデレのメロメロに堕として、この同盟を成功に導かねばなりません」

「デレデレのメロメロ?!」

「ええ。そのためにも、ローソルト国の王城にたどり着くまでに、愛の達人にならねばなりませぬ」

「愛の達人!! わたくしが?!」

「姫様なら出来ます」


 ニッコリ笑顔なのに目が欠片も笑っていない侍女長に、思わず腰を上げて馬車から逃げ出そうとしたリディアナだったが、襟首をつかまれて座席に戻される。

 馬車はガタゴトと音を立てて移動しているので、幸いにも外に悲鳴が漏れることはない。

 プルプルと震えて涙目になり、頬を真っ赤に染めたリディアナの「わたくしには無理ですわー!」という叫び声はないものとして、馬車が移動している期間中、侍女長の蜜なる講義は強行された。


 わたくし……もう、お嫁には行けませんわ。

 

 そんな気持ちでローソルト国の王城を目指すリディアナだが、実際のところお嫁に来た身である。行き先ははっきり決まっていたため、気弱なつぶやきを聞かれた侍女長には、あきれ顔で「しっかりなさいまし!」とお尻をペチンと叩かれてしまった。

 こうして、リディアナは不眠に陥ることもなく旅を続け、ローソルト国の王城へと入城したのである。


 さて、少し時をさかのぼる。

 夫となるテオドールは、同盟の条文にある婚姻の文字に、非常に渋い顔をしていた。


 元々第三王子で、王位継承権も低かったのだ。

 それがどうだ。第一王子は手癖が悪く、城の侍女やメイドを節操なく玩び、挙句の果てにその相手に取り囲まれ、閨中にめった刺しにされてこの世を去った。

 第二王子は友好国に外遊に出かけることが多かったが、なんだか回数が多くないか? と疑問を持ち始めた頃に、あっさり出奔して行方不明になったので病死扱いとした。

 心を砕いて二人に接していた父王は一気に憔悴して、ある日、執務の最中に倒れてそのまま亡くなった。


 こうして、騎士として生きいずれ公爵として王籍を離れるつもりだったテオドールは、父王が亡くなったその日、唐突に即位してしまった。

 その日から、周囲の助けを借りながらがむしゃらに執務をこなし、国のために出来る事を考え、最善は何かを探して行動してきた。

 気が付けばあっという間に三年が過ぎ、妹姫の婚姻相手を探さねばならないと思いいたったところで、宰相に「国王である自分自身をお忘れでは?」とザックリ言葉の刃で心を刺されてしまった。


 騎士団に所属する時間が長かったため、声が大きく動きに優雅さが欠けるテオドールは、国王という地位はあっても、威圧感が強すぎると貴族令嬢からは不人気だった。

 顔立ちも悪くはないが、目つきは悪い。


 さて、どうするか?


 そんな時、持ち上がったのが隣国との同盟で、決まると同時に宰相が動いた。

 ササッと条文に「それぞれ、相手国の王族と婚姻を結ぶ」の一文を付けたし、テオドールに向かって「良かったですね、結婚相手が決まりました」と実に良い笑顔を見せたのだ。

 相手がどんな人物か尋ねると、宰相は「二十歳に手が届きそうなのに婚約者すらいない王女だから、性格には難ありかもしれませんがとりあえず美人らしいですよ」となんとも不安を誘う発言をした。


「性格に難ありだと、我が国が困るのでは?」

「これから戦争が起こるかもしれないのだから、素直で可愛い小娘は役に立たんでしょう。強く逞しくふてぶてしく癖がある人物が好ましいですね」

「……それは、かなり嫌だな」

「陛下の魅力を見せつけながら、デロデロに甘やかして、陛下の前だけで素直で可愛い妻になるよう、手綱を取ればよろしいでしょう」

「無茶を言うな」

「無茶ではありませんよ。ちょうど良い教材がありますのでどうぞ」


 こうして、テオドールは男性用の閨の書を手に入れた。

 ニヤニヤする宰相の前でペラペラとその書をめくり、あまりの生々しさに「は?」とか「おい」とか「待て、コレは……え、本気か?」などと声を漏らしていたが、小一時間もすると遠い目になり無言になる。

 愛妻家であり子供が四人も存在する宰相はテオドールの肩をポンと叩き「簡単でしょう?」と笑ったが、テオドールは「そんなわけがあるか!」と叫んでしまった。


「お、俺に、こんな破廉恥な真似が出来るわけないだろう!」

「破廉恥だ? これが普通ですよ」

「嘘をつけ、嘘を! こんな普通があってたまるか!」

「出来る出来ないに関係なく、先手必勝。ヤラレル前にヤッテおしまいなさいって奴ですよ、陛下」


 こうして、宰相の手によって特別講義も始まり、テオドールもリディアナと同じく閨の書を暗記することとなった。

 こうしてテオドールは、図解ひとつで赤くなったり前かがみになったり、思い余って鍛錬場で剣をぶんぶん振り回して頭を冷やしたり、実に羞恥に満ちた学習を重ね、リディアナの入城まで時間を過ごしたのであった。


 さて、そんなこんなは知らぬまま、リディアナが入城を果たし、テオドールと対面する日がやってきた。

 謁見の場に現れたリディアナは旅装束を脱ぎ、華やかなドレスをまとっていた。

 栗色の髪に若草色の瞳をしたリディアナに、クリーム色のドレスは良く似合っていた。光の加減によっては真珠のような光沢が美しく、まるで花嫁衣裳のようだ。などと感じてしまい、テオドールは言葉に詰まる。


 リディアナはリディアナで、テオドールを正面から見て、ぽぽぽぽっと頬を染めた。

 亜麻色の髪に鮮やかな緑の瞳をしたテオドールに、深緑の正装が良く似合っていたし、武人らしい目つきの鋭さに視線を奪われる。

 若くして国王という重責を担うだけあって、感じる威圧や貫禄も好ましかった。

 なにより、侍女長の特別レッスンが頭をよぎり、平静ではいられない。


 あんなことや、こんなことを、陛下とわたくしが?!


 想像しただけで真っ赤な林檎のように、リディアナの全身が紅に染まってしまう。

 目が潤みプルプル震えているリディアナにまっすぐに見つめられ、その視線に撃ち抜かれたようにテオドールまで頬を赤く染めた。

 脳内では宰相の、ヤラレル前にヤッテおしまいなさい、というありがたい言葉がグルグルと駆け回る。


 あんなことや、こんなことを、俺と姫君が?!


 見つめ合ったまま真っ赤になって動かなくなった二人に、傍に控えていた宰相と侍女長はそっと視線をからめ、同時に目立たぬほど小さくサムズアップを交わす。


 昨日の敵は、今日の友。

 初めての顔見せが、これほどうまくいくとは思わなかった。


 長年の確執ゆえに、仲睦まじさを見せつける必要のある政略結婚なのだ。

 果てしない難題と思われた夫婦円満も、この調子なら大丈夫だろう。

 若い二人の門出を祝う日も近く、同盟を交わした両国も安泰だと思える良き顔合わせとなったのであった。



 おわり

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わたくしと陛下の政略結婚 真朱マロ @masyu-maro

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