三題噺「曇天・空気・体温計」

四つ目

三題噺「曇天・空気・体温計」

「はぁ・・・」


 暗い気持ちで溜息を吐き、そんな俺の心を表すかの様な曇天を窓から眺める。

 頭が重い。吐き気も若干する。喉と鼻なんて取り替えたいぐらいに痛い。

 くらくらする思考の中、ピピピピという音が響いた所で脇に手を入れた。


「・・・38度2分」


 熱がある事は自覚していたけれど、改めて数字で表示されると更に気分が悪くなる。

 病は気からとは良く言ったもんだ。病だと思うと余計に塞ぎ込んでしまう。


「きっつ・・・」


 熱だと伝えて来る体温計をケースに仕舞い、バタンとベッドに倒れ込む。

 空腹は感じているものの、熱でだるくて何も作る気が起きない。


「あー・・・病院行った方が良いんだろうけど・・・それもだるい」


 このだるさの中で病院に向かえば、道中で倒れてしまいそうな気さえする。

 それでも病院に行った方が絶対に良い。それは頭では理解できる。

 けれど余りにだるすぎる体は、思考を侵食して行動を起こさせなかった。


「・・・ねよ」


 幸いにして今日は休日だ。一日寝ていれば治るかもしれない。

 そんな甘い考えは余り宜しくないが、それでもそれ以外の思考が出来なかった。

 最近睡眠不足も多少あったせいか、余計に体が睡眠をとろうと瞼が落ち始める。


「・・・すぅ・・・すぅ」


 そうして眠りについて・・・突然目が覚めた。ただ体が動かない。

 呼吸が上手く出来ない。空気が重い。いや、肺を掴まれている様な気分だ。

 もしや自分は死ぬのだろうか。やはり病院に行くべきだったか。


 そんな今更な後悔をするも、どうにも動かない体ではどうしようもない。

 短い人生だった、などと諦めの思考をしはじめめた時、何かが視界に入った。


 動かない体を、頭だけでもなんとか動かそうと必死になって動かす。

 すると台所に何かが居た。いや、誰かが居る。台所に立っている。


「ふんふふーん♪」


 鼻歌を歌いコトコトと何かを煮る音が聞こえた。可愛い声だ。

 機嫌のよさげなその声音に、苦しい気分が少し和らいだ気がした。


「あ、目が覚めた? 無理して起きない方が良いよ。今おかゆ作ってるからさ。出来た時に起こしてあげるから、そのまま転がってなよ」


 おかゆ。そう言われて、腹の虫が部屋の中に響く。

 熱で朦朧としている状態でも、むしろ熱が出ると腹がへるタイプだ。

 ただ食事をとると熱が上がるから、良いのか悪いのか解らないが。


 その代わりがっつり汗をかいて、翌日には熱も引いている事が殆どだ。


「君って熱の時は食べる方だからねー。その熱じゃ動けないと思って、可愛い可愛い私がお世話に来た訳ですよ。可愛い女の子にお世話して貰えて君は幸せ者だねー」

「・・・ああ、そう、だな」


 熱を出した一人暮らしの家に、可愛い女の子が世話をしにやって来る。

 それは確かに幸せ者だ。そんな幸せを享受出来るなんて勝ち組と言っても良い。

 朦朧とした頭で言葉に頷き返すと、彼女はにっこりと笑顔を見せる。


 ああ、可愛いな。うん、可愛い。自分で言うだけあって実際可愛い。


「あ、薬も買ってきたからさ。おかゆ食べた後に飲みなね。ほんと、君薬ぐらいはちゃんと常備しときなよー。漢方薬でも良いからさぁ。でもあれ特許切れてから何か微妙だよね」

「・・・そ、だな」

「ああ、ごめんね。無理に返事しなくて良いよ。ただ話しかけてた方が気がまぎれるかなーって思ってさ。もし邪魔駅になるなら黙ってるけど・・・」

「・・・良い、よ。喋ってくれると、気が、まぎれる」


 明るくしゃべる彼女の様子は、辛い気分を少し吹き飛ばしてくれる気がした。

 だから話を聞くのは嫌じゃなくて、けれど返事をするのはやっぱりつらい。

 ただ彼女の嬉しそうな顔を見れたので、辛くても返事をして良かったと思った。


「そっか。嬉しいな。私の声で元気になってくれるなら。あ、おかゆ出来たから持ってくね。ああ、無理に起きなくて良いよ。起こしてあげるから。待っててねー」

「・・・ありがとう」


 ニコニコ笑顔でおかゆの入った小型土鍋を持って来て、脇に置くと俺の体を抱き起す。

 そして座り易い様にと体勢まで整えてくれて、それから彼女はレンゲを手にした。


「ふー、ふー・・・はい、どーぞ」

「・・・ん」


 差し出されるがままにレンゲを口をつけ、おかゆを口に入れてもしゃもしゃと咀嚼する。

 鼻も喉もいかれているせいで味は解らないけど、それでも美味しい気がしてしまった。

 甲斐甲斐しく世話をして貰えているからだろうか。我ながら単純だ。


 けどこんなに熱で苦しい時に世話をされたら、誰だってこうなるに決まってる。

 そんな風に誰に言っているのか解らない言い訳を考えつつ、おかゆを全て食べ終えた。


「はい、薬と水。苦い奴だけどちゃんと飲んでね?」

「・・・ん」


 子ども扱いされている気がしたが、不思議と腹は立たない。

 素直に薬と水を飲み、そのまま寝る様に促されて横になる。


「あり・・・がとう・・・」

「どういたしまして。ゆっくりお休み」


 優しく頭を撫でる彼女の手が暖かく、そのまま深く寝入ってしまった。





 目が覚めると、彼女は台所に立っていた。先程目が覚めた時と同じように。

 何やらまた作っているのは解る。けれど何を作っているのか伺えない。

 体が動かないからだ。熱は下がったみたいなのに。


「あ、目が覚めた? 体の調子はどう?」

「・・・熱は、下がった、ぽい」

「そっかそっか。良かった。苦しそうな君も可愛かったけど、やっぱり元気なほうが良いし」


 ニコニコと優しい笑顔で応える彼女は、熱が出た自分の世話をしてくれた時と変わらない。

 そう、とても優しい笑みで、当たり前のように世話をしてくれた、可愛い女性。


 知らない、女性。誰だ、彼女は。


「アンタ、誰だ」

「・・・えへ、良いじゃない。誰だって。可愛い私に世話をされるの、幸せでしょ?」

「っ!」


 可愛らしい笑顔が逆に怖くなり、反射的に体を起こそうとしても起き上がれない。

 それどころか腕も足も動かせない。固定されているせいだ。いつから。何故。


「熱で倒れてるみたいだから、今なら行けると思ったんだ。安心して。ずーっとお世話してあげるから。これからも、ずっと。ね?」

「ひっ!」


 やっぱり、辛くても病院に行くべきだった。

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三題噺「曇天・空気・体温計」 四つ目 @yotume

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