第48話 保冷庫
「よぉ、シゲル。こんなとこで何やってんだ?」そう朗らかに笑いかけながら、クッカはシゲルに近寄ってきた。真っ白なコック帽の下にはゴブリン族特有の尖った耳が立っている。シゲルは表裏のないクッカの、この耳がピンと立ってゆっくりと揺れる様が好きだった。クッカは嬉しい時、耳をピンと立ててゆっくりと揺らすらしい。本人にその自覚はないようだが。
「おぉ。クッカこそ、どうしたんだ?こんな所へ。オレは今日はスレイさんの手伝いさ」シゲルも笑顔でクッカに応える。
「こんな所って、オマエ、この保冷庫に食材を取りに来たに決まってるじゃねーか。オレはコックで、この建物は保冷庫。どちらかと言えば、オレがここに来ることは日常で、オマエがここにいる事の方が珍しいことじゃねぇか」
クッカに言われて、シゲルは改めてその保冷庫――レンガ作りの窓もない無骨な建物を見上げる。
「あぁ、そりゃそうか。ここはクッカの職場でもあるんだな。スマンスマン」
「スレイ様の手伝いってなんだ?シゲル」
「あぁ。この保冷庫は最近使い始められたそうだな」
「おぅ。この保冷庫が出来るまでは、町から出てしばらく行った山の洞窟の中が保冷庫だったからな。ありがたい話だぜ。スレイ様にはホント感謝だ」
「スレイさんがこの保冷庫を作ったってのはクッカも知ってるのか」
「当たり前じゃねーか。この保冷庫のありがたさを一番知っているのは多分、オレだぜ?そんなオレがこの保冷庫を作った人の事を知らないままでいるなんて、そんな訳ねーよ!」クッカはシゲルの肩を軽く叩きながら言う。
「そうか。そうだよな。クッカはそういうヤツだよな」シゲルが嬉しそうに笑いながらそう言うと、「そういうヤツってなんだよ!」とクッカはまたシゲルの肩を叩く。
「いやなに、スレイさんは北にあるスーリエ山の万年雪の使い方の一つとしてこの保冷庫を作ったらしいんだが、雪を使って冷やすこの保冷庫の構造の改善点を見つけるのにオレにも見せたいと言われて来たんだ」
「なんだ、シゲル、オマエって筋肉バカじゃなかったのかよ。スレイ様やバルバス様の下で働いているとは聞いていたけど、てっきりオマエは肉体労働で補佐してるもんだと思ってたぜ」
「まー、筋肉バカには違いないんだけどよ。オレの故郷の日本という国の知恵みたいなものをたまに期待される訳だ」
「へー。そうなのか。っと、世間話を長々としている訳にはいかねえ。また、後でな、シゲル」そういうと、クッカは保冷庫の二重の扉をくぐって中に入っていった。
シゲルは保冷庫をまじまじと見上げる。あらかじめスレイから聞いていたその構造を頭の中に展開しながら、発電や電力利用が発明されていないこの世界の保冷庫の理想的あり様について考える。間に空気の層を挟んで二重の壁になっているという目の前の大きな石造りの保冷庫は、スーリエ山から飛竜が運んできたという雪に埋もれて正面の壁だけが見えている。この保冷庫の第一義は秋から冬にしか収穫できない薬草等の医療用素材の保管であるが、運用の幅をどの程度広げられるかを試そうと、現在は王宮の食糧庫としても活用されている。
しばらくシゲルが佇んでいると、クッカが勝手知ったるといった様子ですぐに保冷庫から魚を何匹か担いで出て来た。
「お、まだ、そこにいたのかよ、シゲル。ほら、これがユジュー湖のマスだ。美味そうだろ?」クッカは背中のマスをシゲルに見せる。
「あぁ、美味そうだな……って、もしかしてこのあいだの……」と、シゲルが言いかけたところでクッカは「ニャハハー。ま、悪い事はしてねーよ。心配すんな!でも」と言いながら、立てた人差し指を口の前に持ってきてニヤリと笑った。「じゃ、おれは急いで厨房に戻るぜ。じゃーな」と言って走り去った。
「ま、クッカは王宮の食材をちょろまかしたりはしないだろうけどな」シゲルはふぅとため息をつきながら独り言を言う。
「なにをちょろまかすって?」シゲルの背後から声がした。シゲルが振り返るとそこにはスレイがいる。「っと。なんでもありません!」シゲルは思わず身体を強張らせてそう言った。
「ふむ……、まぁ、いい。シゲルにも紹介しておこう、こちらはナナーネ先生。この保冷庫の運用を私と共に考えて下さっている方だ。また、明日から私と共にスーリエ山に視察に行ってくださる」そう言ったスレイの横には、背が低く沢山のあごひげを蓄えた男が立っていた。
「シゲルです。スレイさんの手伝いをしています。よろしくお願いします」と、シゲルが言うと、そのナナーネという男は「ナナーネだ。ニンゲンだそうだな。スレイ様も酔狂なことだ。ま、スレイ様からは良い男だと聞いているがね。せいぜい真面目にスレイ様の役に立てるよう頑張ることだな」と返してきた。
「私は明日からナナーネ先生と共にスーリエ山に赴く事になった。バルバスとシゲルには後から来てもらうつもりでいるのだが、その前にこの保冷庫についての意見を聞いておこうと思う」スレイは言う。
「あっ、ハイ」
シゲルはそう答えながら、『クッカよ、ホントにマスをちょろまかしたりしてないだろな。『せいぜい真面目に』っていうこのナナーネさんの言葉に棘があるように思えるのは気のせいだよな』と考えている。
保冷庫を包む雪の塊の横を通り過ぎてシゲルを撫でる風はひんやりと心地よいもののハズだが、シゲルの額には少し汗が滲んでいる。
シゲルのそれは冷や汗だが、日本から転生してきた者たちにとっての初めてのこの世界の夏が近づいてきている。
転生勇者とはなんだ。それを斡旋する神とはなんだ。なんなんだ? ハヤシダノリカズ @norikyo
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