最終話 泣いて笑って豚ほるもん
遙海と望月、カメラマンの和田の3人は咲華亭食品に着いた。会社は矢島町の工場団地内にあった。入口で用件を言うと応接室に通された。
「倉田さんに伺ってますよ。群馬県のホルモン焼きの発祥を調べてるそうですね」
咲華亭の社長、中居はそう言いながら出されたお茶を勧めてくれた。
「そうなんです。どうして関東圏は豚ホルモンで関西圏は牛ホルモンなんだろう、っていうのが発端で、東京や埼玉あたりだと『やきとん』のお店が多いのに、群馬県は網焼きの豚ホルモンが主流じゃないですか」
中居は、遙海の話を頷きながら聞いている。
「で、ホルモン焼きの発祥に、その答えがあるんじゃないかと思いまして」
「なるほど、それでウチにみえたんですね」
お茶を一口啜ると中居は、
「おっしゃる通り、群馬のホルモン焼きはウチが発祥だと聞いてます。私で3代目になるので、祖父が創業者になります」
と答えた。遙海と望月は目を合わせた。
「創業当時のお話、聞かせてもらえまへんやろか」
和田は写真も撮らずに、身を乗り出して聞いた。
「以前、祖母に聞いた話でいいですか?あ、その前にちょっと待ってくださいね」
中居は席を離れ、社長室に入っていった。応接室に残された3人は小躍りをした。
「わー、すごーい!こんなに早く辿り着くなんて」
「ホント!さすが編集長!」
「ホンマやったんやね。豚ホルモンの発祥が群馬やって話」
などと話していると、中居が戻ってきた。
「これ、今の商品なんですど」
とホルモンの緑色のパッケージをテーブルに置いた。
「今はパック販売のみですが、当時はホルモン焼き屋もやっていまして、醤油、にんにく、ごま油の味付けで販売してたんです。現在では味噌ベースの味付けになっていますが」
「醤油、にんにく…味ホルモン…」
遥海は、思わず声が出た。中居の説明に、なぜか胸が締め付けられる。
ふと、手元にテーブルに置かれたホルモンのパッケージを見た。豚のイラストが書いてあった。
「…これって…」
イラストを見て息を飲んだ。
「…思い出した…」
豚のイラストは定吉が書いたものだ。
井野親子のこと、定吉のこと、長屋の住人たちのこと、宴、あのとき食べたホルモンの味…。記憶と感情が溢れて、涙が頬を伝った。思い出せなかった長い夢の違和感を悟った。自分はタイムスリップをしていた。そして、豚のホルモン焼きの誕生の場に居合わせていたのだ。
突然の涙に同席の三人は慌てている。
「美濃ちゃん?」
「どないしたん?」
「だ、大丈夫ですか?」
遙海は首を振って涙を拭った。
「…あ、すみません!…あの…中居さん、ひょっとしてお母さんの名前って華さんじゃないですか」
と声を震わせながら聞いた。
「え?母の?ああ、そうですけど…あれ?ご存知で?お知り合いでしたか?」
中居は目を丸くして答えた。
「あの…お母様にお会いできないでしょうか!」
「あ、え?母とですか…」
「あ、いえ、当時のお話を直接聞きたくて…」
中居は戸惑いながらも、後日連絡をくれる、と言ってくれた。
閑静な住宅街は夕日に染まっている。
モダンな一軒家の表札に「中居」と書いてある。
「ここに華ちゃんがいるんだ…」
遙海は呼吸を整えてインターホンを押した。
ドアが開いて、華が現れた。
もうすっかりおばあちゃんになっていた。
居間に通されると、紅茶を出してくれた。
「もう昔のことだから、忘れちゃったよねぇ」
華は屈託なく笑った。名刺を出し、名乗ったが、遥海の事は覚えていないようだ。
しかし、その笑顔には、小さい頃の面影が見えた。
(やっぱり華ちゃんだ)
何とも説明のできない感情が湧いた。
「ちょいとね、父の遺品とか、昔のもの引っ張りだしたんだよ」
古めかしい箱には、煤けたアルバムや手帳が入っていた。
「そうそう、この腕時計」
箱の奥から古い腕時計を取り出して、華は言った。
「これね、女もんなんだけど、父の宝物なんだって。何があっても売るなあ!って言ってたんだよね。母は時計しなかったらさ、どこの女の人にもらったんだろうね。いひひ」
華は肩をすぼめて、悪戯っ子のように笑った。
「…それ…私のです…」
遥海は涙を溜めて言った。
その腕時計は遥海が井野親子に出会ったとき、ラーメン代として渡したものだった。
「華ちゃん、私のこと忘れちゃったかな。はる姉ちゃんだよ…わたし…」
遥海は泣き笑いの表情で華を見つめた。
「…はる姉ちゃん…?」
その響きに華の遠い記憶が呼び起された。
遙海と華は堤防を歩いた。烏川からの風は、まだ冷たい。
「それにしても驚いたねぇ…あの頃のままじゃないか…」
遙海の顔をまじまじと見ながら言った。
「なんで私、タイムスリップしたんだろう…」
遙海自身も未だ信じられない気持ちもあった。
「…お父ちゃんの神通力のせいかな」
「え!?神通力?」
「うん、お父ちゃんの口癖でね。こうやって手を広げてさ。ふふふ」
華は懐かしそうに笑った。
「ま、難しい事はわかんないけどさ、縁があったでいいじゃない」
光男譲りの大雑把な考え方に、遙海は大きくうなずいた。
「そういえば、大騒ぎだったんだよ。はる姉ちゃんがいなくなったって。そうだよ!定吉さんって居たろ。泣きながら探してたんだから」
華は昔のことを鮮明に思い出したようだ。
定吉の名前を聞いて、遙海はドキリとした。
「まぁ定吉さんもウチで頑張って働いてね。その後、独立して自分のお店持ったんだよ」
「え!ホントですか!すごいな定さん…」
遙海は胸に手を当てて、心から喜んだ。
「ふふ…こんな夕暮れ時を歩いていると思い出すねぇ…」
華は遠くを見て、目を細めた。
「醤油、にんにく、味ほるもん♪」
華が歌い出すと、遙海も一緒に歌った。
「醤油、にんにく、味ほるもん♪醤油、にんにく、味ほるもん♪」
黄昏色の空は、二人をリアカーを引いて売り歩いて頃に戻した。幼い華を先頭に、後ろで光男と咲子が押している。
「醤油、にんにく、味ホルモン♪…」
やがて、四人は影法師になった。長い影は歌声と共に、夕焼けの中に消えていく…。
毛之国出版では月刊食べるんの編集会議が行われている。
編集長の倉田は、遙海が書いた『ホルモン高崎発祥説を検証!群馬のホルモンヒストリー』の原稿を手にしていた。遥海は、井野親子や長屋の住人たちの出来事を克明に書き上げた。もちろん、タイムスリップや定吉の件は書かなかったが。
「凄いわねえ、こんな物語があったんだ。『醤油、にんにく、味ホルモン』か…」
「本当ですよね。まるで、そこにいたみたいな書き方。私、ちょっと泣いちゃったもん」
「昭和30年代でっか。今より人情味溢れたんやろな」
「美濃君は文才があるんだな。映画化決定レベルだぞ。なんてな、ははは」
編集部員は、口々に内容を褒めた。
「華…、いえ、中居社長のお母様に詳しくお聞きしたので…」
遙海は恐縮した。まさか現場にいた、とは言えない。
「そうね!映画化の話いいね。私、藤橋監督よく知ってるから話てみようか」
と倉田は指を鳴らした。
「え?藤橋監督って、まち映画の?」
遙海は目を丸くした。
「映画にしようよ、この話!うん、ホルモンまち映画よ!うん、そうね。映画のタイトルどうしょうかしら。ねえ、美濃さん」
倉田の暴走がはじまった。編集部員は苦笑いをしている。
遥海もクスっと笑ってから、遠くを見るようにして言った。
「そうですね…。泣いちゃうようなことがあったとしても、ホルモン食べたら笑顔になれるから、『泣いて笑って豚ほるもん』なんてどうでしょうか」
こうして映画化プロジェクトは動き出し、県内の焼肉店や食肉関連企業の賛同を得て、ホルモンまち映画製作員会は立ち上がった。
そして、製作委員会のメンバーの中に、遙海が株式会社定吉ホルモンの名を見つけるのは、もう少し先のお話―。
〈おわり〉
小説・泣いて笑って豚ほるもん〜LEGEND OF HORUMON IN GUNMA〜」 おっきりこみぞー @okkirikomizo
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