第7話 店の名前は咲華亭

「お腹空いたよー」

 

 華が家に戻ると、いつもの住人達が集まっていた。光男の出店の話を聞きつけたようだ。


「おう、俺ぁ、井野さんはやる男だと思ってたんだ」

「店の名前決まってんのかい」


 住民たちは自分のことのように喜んでいる。


「ああ、店はね、咲子と華の名前をとって咲華亭にしたよ」

「ほぉそうかい、それはいいねぇ」

「いやあ、井野さん、よく頑張ったな」

「いやいや、みんなのおかげだよ。ありがとう!」


 光男は深々と頭を下げた。


「いつも同じで悪いけど、ホルモンやるかい」

 

 咲子は七輪を持って来た。


「奥さん悪いねえ、いつも、いつも。酒はまかしてくんない」


 住人達は悪びれもせず酒盛りを始めた。長屋に白い煙が立ち込めた頃、空は薄暗くなって、遠くで雷鳴が聞こえてきた。


「お、まったく群馬って場所は雷が多いな。ん?そういや、遙海は、どこだ」

「さっきまで一緒に居たのにねぇ」


 光男と咲子は、きょろきょろと部屋を見回した。


「多分ねえ、定吉さんとはる姉ちゃん、一緒じゃないかな。いひひひ」


 華が含み笑いをした。


「なんだ華坊、気味悪ぃ笑い方すんな。居場所知ってんなら、一雨来る前に、二人呼んでこい」


 光男に言いつけられると、華は「はぁーい」と返事をして、外へ飛び出した。

 外は黒い雲が広がっている。華が空を見上げると、その途端、閃光とともに爆音が響いた。




 

 遙海が目を覚ますと、見覚えのない天井が広がっていた。


「…あれ…ここ何処…?」


 目をしばたきながら辺りを見渡すと、母がこちらを向いている。


「…おかあ…さん…?」

「遥海、大丈夫かい」


 母は心配そうに話しかけてきた。カーテンで仕切られた白い部屋。どうやら病室のようだった。


「ん…ここ病院…?」


 ゆっくりと上体を起こしながら聞いた。


「あら起きるの?」


 母は遥海の体を支えた。


「そうだよ。会社の避雷針に雷が落ちてね。気を失って運ばれたんだよ」

「そうなんだ…」


 そう言われるとそんな気もしてきた。


「ねぇ、お母さん。あたし、どのくらい寝てたの?」


 ぼんやりとした頭を整理しようとした。


「ん、ゆうべ病院に運ばれてだから…半日くらいかねぇ」


 壁にかかった時計を見ながら言った。


「半日…それだけ?…」


 遙海は納得できないような顔をしている。それを見た母は、


「具合が悪いのかい?そんな顔して」


 と顔を覗き込むように言った。


「ううん、違うの。…もっと長い間のような気がして…」


 遙海はかぶりを振ってから、窓の外を眺めた。夜景がちらついている。


「軽い脳震盪って言ってたから、少し混乱してるんじゃない?」

「…なんか長い夢、見てたような気がして。なんだろう…思い出せないや」

 

 大きく伸びをすると、もう一度横になって目を閉じた。



 翌日、遙海は会社の扉を開けると頭を下げた。


「おはようございます!昨日はご心配をおかけしました!」

「お、美濃。大丈夫か」

「ミノちゃん心配したよ」


 編集部員に次々と声を掛けられた。


「大丈夫です。えへへ」とデスクに着くまで笑顔で応えた。

「おはよう。美濃ちゃん、ホントに大丈夫?」


 背後の声に振り向くと、望月がコーヒーを差し出した。


「あ!ありがとうございます。検査で異常なしって言ってましたから、大丈夫です」

「そっか。でも無理しないでね」


 と望月は自分のコーヒーを持ってデスクに座った。


「おはよう」


 入り口のほうから声がした。編集長の倉田が出社してきた。


「編集長。おはようございます。昨日はすみませんでした」


 遙海は立ってお辞儀をすると、倉田は手を横に振って


「謝ることないわよ。それより体は平気なの?」

 

 と気遣った。


「はい!もう元気です!ホルモンの取材続けます!」

「あ、その件なんだけど、いい情報があるんだ」

「いい情報!なんですか?」


 遙海の声は弾んだ。望月も立ち上がった。


「あのねえ、群馬のホルモン焼きの発祥の店が見つかったんだ」

「えー!ホントですか!」

「どこですか!」


 二人は答えを急かした。


「高崎の咲華亭食品って知ってる?」

「咲華亭…あ!スーパーでよく見かけますよね!ホルモンのパックの!」


 スーパーに並んでいる緑色の味付けホルモンのパッケージがすぐ浮かんだ。


「そう!そこなんだって。でね、社長にアポとっておいたから、午後にでも話を聞きに行ってくれるかな」

「はい!」


 二人は顔を見合わせて笑顔で返事をした。

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