季節外れの君影草は愛に鳴く

有理

季節外れの君影草は愛に鳴く


※別台本、「愛の雨に差す傘は」の過去の話です



白石 礼 (しらいし あや):

間藤 恭平(まとう きょうへい):


_____________________


恭平N「立秋とは名ばかりの暑い日。鈴ちゃんの作った風鈴が眩しい程に反射する。それなのに手元の原稿は仄暗い世界で満ちていた。次のエッセイは明るいお話にしよう、そう考えているとキッチンからプシュっと音がした。」


恭平「礼ちゃん?」

礼「…あ、バレた?」

恭平「日曜とはいえ、まだ10時だよ?」

礼「…だめ?」


恭平N「缶ビールを片手に傾げられた首。」


恭平N「りん、と鳴く彼女に恋をした。」


礼(たいとるこーる)「季節外れの君影草は愛に鳴く」


恭平「…まあ、一缶だけなら。」

礼「ラッキー」

恭平「わざとやってるよね。それ」

礼「何?」

恭平「首。」

礼「ん?」

恭平「…なんでもない。」

礼「恭くんもお茶淹れようか?」

恭平「うん。一緒にやるよ。」

礼「まあまあ。あやセレクションでお持ちしますのでおかけになって!」

恭平「とんでもないブレンドしないでよ?」

礼「もちろん!」

恭平「はは。」


恭平「あのさ、昨日僕、スリッパどこに脱いでた?」

礼「トイレの前。」

恭平「両方?」

礼「ううん。左だけ。右はキッチンにあったよ。」

恭平「朝起きたら揃ってベットの横にあった。」

礼「トイレのは鈴が持ってきたよ」

恭平「やっぱり。寝る前に脱いだ記憶がなかったもん。」

礼「ふふ。」

恭平「ちなみに今、僕の左はどこにある?」

礼「縁側にあったよ。日干ししてるのかと思った。」

恭平「まあ、干しとこうかな。」

礼「じゃあ右も置いておいでよ。」

恭平「そうだね。」

礼「この床裸足でも気持ちいいもんね。」

恭平「うん。クルミの木。」

礼「そうそう。」

恭平「この家改装する時唯一床だけ鈴ちゃんが選んだよね。クルミの木。いい色だよね。」

礼「これ!って言い張ってたもんね。おかげで予算超えたけど。」

恭平「礼ちゃんだってビール用の冷蔵庫買うって聞かなかったじゃん。」

礼「きこえないなー」

恭平「都合のいい耳だ。」

礼「スリッパやめて裸足生活しちゃう?」

恭平「いや、履く。」

礼「頑なだ。」

恭平「だって礼ちゃんのお母さんがくれたものだもん。引越し祝いに。」

礼「別にいいのに。来た時だけ履けば?」

恭平「毎日履く。」

礼「律儀ー。」

恭平「でも礼ちゃんすごいね。僕のスリッパまでどこにあるか把握してるの。」

礼「そんなことない。同じ家に住んでるんだから大体同じ動線でしょ?」

恭平「それでも僕にはできてないからさ。」


礼「恭くんは私のこといつも褒めてくれるよね。」

恭平「だって僕は自分のことで手一杯なのに、礼ちゃんは当たり前に一人で二人分生きてるんだ。すごいよ。」

礼「全然すごくないよ。」

恭平「礼ちゃんはいつも否定するね。」

礼「鈴がいなかったら私は生きていられなかっただけ。生かしてもらってるの。」

恭平「それでも今二人とも生きてるんだ。頑張ってきた証だよ。」

礼「あはは、なんでも肯定しちゃうんだもん。」

恭平「礼ちゃんに出会った時、初めて神様を信じたよ。」

礼「嘘つき。神社にも教会にも行かないくせに。」

恭平「神頼みなんて情けないでしょ?」

礼「そう?」

恭平「僕は自分で成し遂げたい。」

礼「立派だこと。」

恭平「馬鹿にしてる?」

礼「ううん。素敵だと思うよ。」

恭平「でも、あの瞬間、初めてありがとうって思ったね。」

礼「そうかな。」

恭平「出会えなかったら今一緒にいられてないんだよ?」

礼「まあ、そうだけど。」

恭平「鈴ちゃんに、恭くんって呼ばれないんだよ?」

礼「なにーもう。」

恭平「あの日、あのカフェのテラス席、ペンキ塗り替えてて座れなかったんだ。座れなくてよかった。」

礼「変なの。」


礼「でも、はずれくじだったのかもよ?」

恭平「テラス席が?」

礼「私。本当はもっと綺麗で若くて新品の人と付き合ってたかもしれないし。」

恭平「礼ちゃんは綺麗だよ。」

礼「もっとよ!」

恭平「新品って、処女ってこと?」

礼「歯に絹着せて。」

恭平「そりゃあ出会えなかったら何してるか分かんないよ。でも、今が一番幸せなんだ。僕。」

礼「…そう。」

恭平「一等の当たりくじ。金色のやつ。」

礼「…なれたらいいな。金色。」

恭平「もうなってるってば。」

礼「メッキ剥がれないようにしなきゃ。」

恭平「大丈夫。俺塗ってあげるから。」


礼「恭くんはたまに俺って言うよね。」

恭平「ああ、ごめん。」

礼「なんで謝るの?」

恭平「いや、ごめん。」

礼「え?なにが?」

恭平「怖く聞こえる気がして、さ。」

礼「そんなことないけど。」

恭平「いや、僕が嫌なんだ。」

礼「ふふ。昔ヤンチャしてたとか?」

恭平「え?!」

礼「…当たった?」

恭平「ま、まあ、ちょっと」

礼「気にしないよ。過去があって今の恭くんがあるんだもん。」

恭平「はは。そうだね。」

礼「ね。ヤンチャだった頃の写真とかないの?」

恭平「ないよ!」

礼「見たかったなあ。」

恭平「…」

礼「…本当だよ。」

恭平「え、」

礼「気にしないよ。どんな世界にいたかなんて。」

恭平「…ありがとう。」

礼「私だって碌でもない人間なんだからさ。」

恭平「そんなこと」

礼「そんなことあるの。」

恭平「…礼ちゃんは、言わないね。結婚してた時のこと。」

礼「気分のいい話じゃないでしょ」

恭平「…」

礼「じゃあ一個だけ。碌でもない話聞く?」

恭平「うん。」

礼「私ね。」


礼「私、神様にお願いしちゃったことがあるの。」


恭平N「そう話し始める彼女は、涼やかに鳴る風鈴を愛おしそうに眺めていた。」


礼「本当につまんない話だよ?」

恭平「いいよ。」

礼「…気分悪くなっちゃうかも、」

恭平「ならないよ。」

礼「…でもさ」

恭平「俺は礼ちゃんのことなら、なんでも知りたいよ。…でも、話したくなかったらいい。」


礼N「ことん。置かれたマグカップは私が選んだものだった。持ち手が象の鼻になってて彼の誕生日に鈴と選んだ物。白くて華奢なこの手は嘘が下手くそだ。」


恭平「…話したく、ない?」

礼「ううん。私ね。」


礼「まだ、鈴がお腹にいる時、本当にどうしようもなかったからさ。」

恭平「うん。」

礼「どうか、この子が20歳になったら私を殺してくださいって。神様にお願いしたの。」

恭平「…」

礼「それまでは私、ちゃんと妻として母として頑張るからって。」

恭平「…」

礼「ふふ、碌でもないでしょ。」

恭平「ううん。」

礼「でも、守れなかったから、私バチが当たっちゃいそう。」

恭平「ううん。」

礼「でもね。本当に。恭くんに褒めてもらえるほどの母親じゃないんだよ。私。」

恭平「…」

礼「まだ、産んでもないのにさ。死にたいだなんて。」

恭平「礼ちゃん。」

礼「…ね?つまんない話。」

恭平「そんなことない。」


礼N「山も海も、どちらもある場所。のどかで自然豊かな場所。そんな素敵な場所なのに、私は当時つまらない事しか考えていなかった。何度、飛び降りるために山を登ったか。何度海沿いのカーブでアクセルを踏んだか。何度、何度、この自然のせいにして死んでやろうと思ったか。」


恭平N「プルタブに落ちる水滴と彼女の顔はチグハグだった。呆れ笑いの声とは裏腹にぼたぼた落ちる涙。掴んだ両手首は細くて、簡単に折れてしまいそうだった。」


礼「はは、ほら、たったこれだけでこうなっちゃうの。ダメだなあ。やっぱり」

恭平「ごめん、俺が」

礼「悪いのは私だよ、恭くん。」

恭平「違うよ。」

礼「あーあ。呆れちゃった?」

恭平「ううん。」

礼「私は呆れちゃった!」

恭平「…ビール、塩味になってるかも」

礼「本当だ。」

恭平「僕も飲もうかなー。」

礼「ふふ、いいよ。」

恭平「…その、塩味ビールちょうだい。」

礼「え?新しいの開けなよ」

恭平「ううん。それがいい。」

礼「…」

恭平「ね、ちょうだい。」

礼「うん。」


恭平N「舌を刺激する炭酸と、苦味が口一杯に広がった。涙の味なんて全くしない、何事もなかったように滴る水滴。僕は泣きそうになった。」


礼「あの風鈴、秋になったら片付けなきゃねー。」

恭平「まだいいよ。」

礼「えー?梅雨明けしてからずっと出してるよ?」

恭平「僕あの音好きなんだ。」

礼「ちょっと不恰好だけどね。」

恭平「ううん。上手だよ。天才。将来は陶芸家になるかもしれない。」

礼「言いすぎ」

恭平「本当に。上手だよ。」

礼「…まあ、もうしばらくは出しとこっか。」

恭平「冬も春も出してていい。」

礼「年中風鈴出してる家なんてあるかなあ。」

恭平「いいの。」

礼「流石に汚れるでしょ」

恭平「僕毎日拭いてるもん。」

礼「え?」

恭平「礼ちゃんと鈴ちゃんが行った後。」

礼「だからずっとキラキラなままなのね」

恭平「うん。だから礼ちゃんも安心して剥がれていいよ。」

礼「ん?」

恭平「メッキ。」

礼「はは、」

恭平「俺、塗ってあげるから。何回も。」

礼「ありがとう。」

恭平「こちらこそ。ありがとう。」

礼「ふふ。」


恭平N「過去を変えてあげられたら。そう思う日がなかったわけではない。Tシャツの裾を引っ張って涙を拭った彼女は少なくとも今は前を向いている。」


礼N「どうしようもない私を金色の当たりくじだと、そう言ってくれる彼。もう一度、誰かのために、誰かと一緒に生きていける気がした。」


恭平「僕が昔どんなだったか、本当に知りたい?」

礼「ん?まあ、見てみたい。」

恭平「んー」

礼「なにー。」

恭平「ここの。傷跡」

礼「うん?脇腹の?」

恭平「これ、自転車で転んだーって言ったけど」

礼「うん」

恭平「刺されたの。」

礼「え?」

恭平「喧嘩して、アイスピックで」

礼「え?本当?」

恭平「…ひみつ」

礼「なにー?もう」

恭平「俺も碌でもないってことだよ。」

礼「アイスピック…いたかった?」

恭平「…そこなの?」

礼「え?」

恭平「…痛かったよそりゃあ」

礼「そうだよねー。」

恭平「…」

礼「アイスピックもびっくりだったろうね」

恭平「うん」

礼「僕は氷のために生まれたのにー!って」

恭平「ふ、」

礼「ん?」

恭平「そういうとこ、」

礼「なに?」

恭平「当たりくじだったなって。思うよとても。」

礼「なんでよ。」

恭平「なんでも。」


礼「あ!ねえ、飛行機雲だよ!」

恭平「本当だ。タバコ吸わなきゃ。」

礼「なんで?」

恭平「飛行機雲ってね、空気が綺麗だから出るんだよ。」

礼「そうなの?」

恭平「うん。空気中の水分がゴミを待ってましたーって集まってできるの。それだけゴミがなかったってこと。」

礼「それとタバコ吸うのとなんか関係ある?」

恭平「空気がゴミを求めてるんだよ。」

礼「ん?」

恭平「綺麗すぎると人間は疲れちゃうから、汚すんだよ。」

礼「なに?その理論」

恭平「自論」

礼「えー?」

恭平「ここで飲んでて。縁側で吸ってくるから。」

礼「うん。汚すとこ眺めてるね。」

恭平「うん。」


恭平N「空高くに吹き上げた煙はあっという間に消えていく。窓越しの彼女は書きかけの小説を難しい顔で読んでいる。碌でもない過去が少しでも紛れるなら、碌でもない世界を書いてやろう。彼女の過去が滲むほど、僕は世界を書いてやろう。」


礼「ねー。たまには明るいの書きなよー。これ、ホラー?」

恭平「それ官能小説」

礼「へ?!」

恭平「ホラーだった?」

礼「昼間に読んじゃった」

恭平「僕も昼間に書いてるよ?」

礼「まあ確かに」

恭平「僕も次は明るいの書こうって思ってたんだ」

礼「え!恋愛小説?」

恭平「今度は、ファンタジーとか書いてみる?」

礼「なにそれ!楽しみ!早く書いて!」


恭平N「僕の宝物は今日も、りん、と鳴く。」

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